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ヴァルキリースコアボードの12

 日が沈もうとしている。小川に流れる水、その向こうから枝垂れる名前もわからない木々、バーベキューの台でぱちぱちと爆ぜる火、弾ける程に脂が滴る肉、名前も覚えきれていない数人の大学生。

 ……か、帰りたい!

「そういやこの前バイト先でさ――」

「――で、彼女怒っちゃって、俺マジで焦っちゃって」

「10月の学祭に向けて今の内から何作るか考えておこうと思ってて、先輩はどうします?」

「私はねぇ、どうしようかなぁ」

「おーい、誰かそこの炭こっち持って来てくれ」

「私に任せろ!」

 フロゥが炭を運んでいる。何であいつはこの中に馴染んでるんだ? お前が一番大学生軍団と縁遠い生き物だろ。くそ、何がヴァルキリーだ。今日一日お前ただの人間じゃないか。何で俺の方が人間たちに上手く馴染めないんだ。誰だよ、この懇親会に参加するって言い出した奴。

「……まあ、俺なんだが」

 その呟きと共に精神を落ち着け改めて周囲を見る。今はDIYサークルの懇親会に来ているところだ。場所はさっきまで木箱を作っていたところの奥の方だ。元々いた面子に加えて三人ほど新たに合流し、この場にはサークルメンバー八人と俺とフロゥがいる。サークルメンバーで名前がわかるのがうるし先輩と……、代表は代表って名前でいいか。他のメンバーは最初に簡単に自己紹介を受けたがもう顔と名前が一致して無かった。

「き、気まずい」

 既に名前がわからなくなっているという負い目に加え、彼らがどんな人か知らない俺は話に入っていける気がしない。うるし先輩と仲良くなれるかもと淡い期待を持って懇親会に来たわけだが、やっぱり来るべきじゃなかった気がする。適当な言い訳をして帰るべきだったか?

「あ、真白君、お肉焼けたよ! 真白君も食べよ?」

「あ、はい」

 うるし先輩の声に俺は素直に従って行く。先輩手づから焼いてくれた肉を食べられるなら、来て正解だったか。俺は近くまで行き紙皿を差し出す。

「はい、あーん」

「うぇ!?」

 つい奇妙な声が出た。いや、先輩、僕紙皿差し出してますよ。

「あれ、お肉嫌い?」

「いえ、す、好きです」

 隣では肉の脂で火が弾けているが俺は顔から火が出そうだ。衆人環視の中で差し出された肉をどうにか口の中に入れ込む。間違いなく顔が真っ赤になっている、俺自身でもそう思うし周囲のにやにやとした表情がそれを物語っている。

「真白君もう一枚行っちゃおうか」

「じ、自分で取れますって。先輩も食べてください!」

「そう? ……それもそっか。じゃあ、あー」

 うるし先輩が餌を待つひな鳥のごとく口を開けて待っている。俺の方を見つめている。俺は思わず横で肉を焼いているサークルの人を見た。彼はただうんうん、と頷くのみ。いやそうじゃなくてさ。

「まひろくん、あやくぅ」

 おそらく今のは急かされた。口を開けたまま喋るのはどうかと思いますよ先輩。それはそうとこれってやっぱり俺も食べさせろってことだよな。フロゥはにやにやと楽しそうな笑みを浮かべてこっちを見て早くやれとジェスチャーをしていた。

「……くっ」

 やるしかない。腹を決めた俺は隣のメンバーに食べ頃だと指示された肉を取りタレに付け、口を開けて待つうるし先輩の下へ。凄まじく緊張している、いやこれほんと、何でうるし先輩はあんな自然に出来たのか不思議なぐらいだ。俺はゆっくりと箸を、その先にある肉を先輩の口へ運んだ。

「あむ」

 ぎりぎりまで近付いたところで先輩自ら肉を口の中へ収めた。俺は先輩が肉を頬張るシーンを、それから咀嚼して味わう姿を目に焼き付ける。

「おいしーねえ。良いお肉だよこれはぁ」

「はは、そうですね」

 そんなはずはない。というかさっきちらりとゴミ袋に入っている肉のパックが見えたのだが、半額シールがばっちり貼られていた。まあ大学生の財力ならこんなものだ。そもそも金を出してもいない俺が何か言える立場でもないけど。

 肉の秘密については黙っていることを決め込んでとりあえず次を食べようと焼かれている肉の方へ向き直った、のだが。

「真白くーん」

「みっ!」

 うるし先輩が肩に手を回してきたのに驚き奇声を上げる俺。目の前で肉を焼いている色黒の先輩が大笑いしていて恥ずかしい。

「せ、先輩。えと、どうしました?」

 なんかもう、色々当たってる気もするけど無心になろう。心無い人になれば……、何か匂うな。何だっけこの匂い。その疑問は先輩の次の言葉で解消される。

「真白君はぁ、お酒飲むのぉ?」

 酒、そう、酒の匂いだ。うるし先輩から酒の匂いがする。というか今気付いたが先輩の顔がちょっと赤い。もしかして。

「あ、あの、酔ってます?」

「酔う? ああ、大丈夫だよぉ。お酒は飲んでも飲まれるなって言うでしょ?」

 その標語は酔わないようにしよう、ってことであって知ってたら酔わない便利な言葉じゃない!

「比良坂さんお酒好きなんだけどそこまで強くないんだよね」

「あ、そうなんですか」

 親切にも肉を焼く傍らそんなことを教えてくれた色黒の先輩。それよりもできればどうにか引き剝がす方法を教えて欲しい。役得という気持ちが無いわけじゃないがその前に緊張やら何やらで心臓が爆発しそうだ。今もバクバクと早鐘を打つ鼓動の音があまりにうるさいので先輩に聞こえないか不安なぐらいなのだ。

「向こうにお酒置いてるから取りに行こうか」

「いや僕未成年ですけど」

「いいからいいから」

 良くないだろ。一応法律と言うものがあってだね。そんなこと言いながらなんとなく抵抗していると女性メンバーがうるし先輩の後ろへ。

「こらこらうるしちゃん、飲めない人を無理に誘っちゃ駄目よ」

「あーうー、真白君また後でねぇ」

 うるし先輩はどこかへ連行されて行った。ベンチのある方へ行ったのでおそらく酔いが覚めるまで横にでもされるのだろう。

「ああ残念だあ。せっかく大好きな先輩と密着できたのにい」

 どこからかふらりと現れたフロゥがまるで俺の心を代弁したつもりなのだろう、にやにやしながらそんなことを言う。

「悪いが密着するのは俺にはまだ早い」

「お前、そんなだといつまで経っても45点だぞ」

 舌打ちと共に去って行くやつの手には缶ビールと大量の肉が。周りからもよく食べるねえと可愛がられ、こいつが一番楽しんでるんじゃないだろうか。

「楽しんでるかな」

「うわっ」

 後ろから唐突に声をかけられ驚く俺。後ろには代表がサラダを片手に佇んでいる。前も見たぞこの構図、少しは慣れたらどうだ俺よ。

「さっきからあまり食べていないようだな。君はまだ若い、もっと食べた方がいいぞ」

「俺と代表ってほとんど年の差ないのでは……」

 代表は言いながら俺の更に次々と食べ頃の肉を置いて行く。面倒見良いなこの人。

「野菜も食べた方が良い、健康の基本はバランスの良い食事だからな」

 ついでに肉の横で焼いていた玉ねぎやピーマン、ついでに代表の持っていたサラダが少量入れられる。もしかしてみんなに配る為にサラダを持っているのか?

「君は身体が細いからな。体力をつける為にもまずは食べることだ」

「普段から食事はしてるつもりなんですけどねえ」

 一応毎日三食きっちり取っている。なんとなく習慣というか惰性というかで続いているだけで特別なこだわりがあるわけでは無いけど。

「向こうで焼き飯を作っているから後でそれも食べると言い。炭水化物を取るのも大切だ」

「どうも」

 面倒見が良いというより子供を心配する親みたいだ。まあ俺の親はそんなタイプじゃないけど。それはともかく焼き飯の方は肉を焼いている網の上にフライパンを置いて作っているのが見える。誰かわからないがフライパンを振ると中の米や具材が宙を舞って、周りからおおー、と声が上がり拍手が響いた。うむ、香ばしい匂いが旨そう。後で貰いに行こう。

「時に、だがね」

「ん?」

 代表が急に真面目な顔になった。そして懐から一枚の紙を取り出す。

「こんな楽しい場で言うことではないかもしれないが、これを渡しておきたくてね」

「はあ」

 受け取った紙はどうやらこのサークルの詳細だ。活動日や活動内容について色々と書かれている。

「君がこのサークルに入るというなら後で大学の方にも申請を出さねばならなくてね。改めて色々と説明することもあるし、書いてもらわないといけない書類もある」

「大学の外で活動してるのにそんなのいるんですね」

「まあ学祭なんかにも参加しているし、大学の設備を借りることもあるからな」

「へえー」

 何気ない相槌を打ちながら紙に書かれた文字を追っていると、不意に気になる文字が現れる。それを目にした瞬間思わず俺は目を疑わざるを得なかった。

「……会費月5000円」

「ああ、うちは色々と物が入用だからな。余所よりは高いかもしれない。なんならそれぞれ材料を自費で買っていたりするから金銭面では色々と大変かもしれないな」

 月5000円。いやそのぐらいは全然余裕で払える、はず。うちの親は仕送りをしてくれるからそのぐらの金はある、はず。俺は趣味らしい趣味なくて金を使わないから毎月そのぐらい余る、はず。

 ……いや払えねえかも。俺は思わずフロゥの方を見た。

「はっはっは、もっと酒だ、酒持ってこい!」

 俺の気も知らないで酒を飲みまくっている。くそっ、酔っ払いめ。楽しそうだが今俺が持っている悩みはお前のせいなんだぞ。くそ、くそっ。

 お前のせいで会費払えないだろ!

 思わず心の中で叫ぶ。元々仕送りは若干だが余っていた。というのも俺が金のかかる趣味も何も無くぼんやり日々を過ごすことに専念していたからだ。改めて考えると俺の心が死にそうなのでそれについてはスルーして、ではなぜ今は余らないのか。答えは簡単、フロゥの生活費分だ。主に食費。なぜかあいつは人間でもないくせに物を食う、俺の金で! いや親の仕送りだけど。今まではどうせ余っている金だからと思っていたが会費が必要となると話が変わる。余るか? 5000円。止められるか? フロゥの豪遊。

 俺の頭がコンピュータのように確率を試算する、そしてすぐに答えは出た。

「……どっちも無理だ」

 このままの状態ではおそらく仕送りは5000円も余らない、間違いなく足が出る。しばらくは今までの余りでどうにか保つだろうがいずれは限界が来る。

「どうした? まさか払えないのか? 苦学生なのか?」

「……ふっ」

 生まれて初めて不敵な笑みというやつを浮かべた気がする。代表の困惑した顔を見るとなんかもう生きているのが辛い気さえしたが、幸いにも俺はこの解決策を思い付いたのだ。足を上げ歩き出す、向かう先は決まっている。

「お、君も飲む?」

「貰います!」

 奪い取る勢いで缶ビールを掴んだ。カシュッ、と音を立ててプルタブを開けると中から泡が出て来ると共にアルコールの独特な匂いが俺を襲う。

「ん、むぅ」

 若干の躊躇い。実際未成年だし、これまで犯罪になりそうなことはしてこなかった、はず。赤信号を渡ったことぐらいはあったか? しかし飲酒は無い、それにこのアルコールの匂いはあまり得意じゃなかった。目前まで来たというのに、本当に飲むのか俺は、なんて自問してしまう。

 ちら、と後ろを見ると代表がこちらへ歩いて来るのが見える。もしかするとさっきの話の続きをするのかもしれない。……あんな居た堪れない気持ちはもうごめんだ!

 缶を傾け一気に口の中に流し込む。口の中に炭酸が弾け、なんか苦い感じのよくわからんのが水責めのごとく入って来た。若干口から溢れて零しながらも一気にそのわけわからんのを飲み干し、その場に立ち尽くす。

「おー、良い飲みっぷりだね」

 誰かがそう言った。どうやら俺のこれは良い飲みっぷりらしい。ただ俺が思っていることは一つだけだ。

 不味い。

 よくこんなの飲めるな、ビールは苦いと聞いたことはあったがこんなの飲む奴の気が知れない。しかも二日酔いだの急性アルコール中毒だのと良いこと無いだろ畜生、何で飲んだんだ俺は。

「ほ、かの酒ありますかあ?」

「んー? そんなハイペースじゃ酔っちゃうよ。そうだね、でもこれなんてどう?」

 渡された小さな器に入っているのは透明な液体。水か?

「それはね」

「いただきまーす」

 ぐいっ、と一気に飲むとさっきと味は違うが同じようなよくわからんやつが入っている。あ、もしかしてアルコールではこれ。

「……一気に飲むねえ」

「不味い! もう一杯!」

 なんか叫んでしまった。何でもう一杯?

「あー、これは酔っ払いだね。いや、倒れたりしないよね?」

「酔ってない!」

「代表ー、どうします?」

「少し寝かせておこう。こちらで見ておくさ」

「酔ってないったら酔ってない!」

 あー、何やってんだっけ俺? 


 ふわふわと意識が宙に浮く感覚、景色がもの凄い速さで移り変わって行くのを眺めているはずなのに俺はものすごくゆっくりと動くゴンドラに乗っているような。地震よりも激しく揺れている気もするが危険は全く感じない、これはきっと空を飛んでいるということなんだろう。空中にいれば地震は怖くない、地震大国に住まう上で最も重要な知識を今私は得た。

「……頭いてえ」

 目覚めた、覚醒した、正気に戻った。今なら頭痛が痛いという人の気持ちもわかる、まあ俺は言わなかったけど。これが二日酔いか? 明後日まで続けば二日酔いか? とにかく頭が痛い。原因は簡単であんなに急に酒を飲んだからだ。

 どうやら酔っ払って前後不覚となった俺を誰かしらが運んでくれたらしい。俺は今ベンチに横たわっていた。

「……何で飲んだんだっけ?」

 その理由に関しては思い出さない方がいいと脳味噌が訴えている気がした。つまり、今日は忘れてた方が良いってことだ。俺の脳味噌をどこまで信用するかはともかくそうすると決めてそうしよう。

 とりあえず起き上がりまだ奥でバーベキューをやっているのを確認する。代表が肉をまとめて網に乗せて周りからひんしゅくを買っているようだ。うん、そういうとこは適当なのね。うるし先輩は、っと。

「酒に弱いなら一気飲みなんてするな」

 不意に後ろから声が聞こえた。我らがヴァルキリー様のありがたいお言葉だ。

「お前がそんな心配をしてくれるとはな」

「当たり前だろ。今お前に死なれたら全然点数が足りない」

 そう言ったフロゥの手にはスコアボードが。ああ、なるほど、俺の心配をしてるわけじゃないのか。

「因みに今は何点ぐらいなんだ? 45点からさっぱり変わってないのか?」

「お前みたいな奴の点数が簡単に上がると思うなよ。……まあ、若干上がってはいる」

「マジ? 70点ぐらい?」

 70を超えるとなんとなく及第点って感じがしていい。大抵の試験は七割取れれば合格じゃないだろうか。確か中学の時に半強制で受けさせられた漢検はそのぐらいだった気がする。もちろん俺は不合格だったが。

 しかし思えばフロゥが来てから俺としては考えられない程に様々な事を頑張って来た。毎朝のランニングにうるし先輩との交流、DIYもしたし、今なんてサークル活動に参加している。もの凄い進歩だろう、寧ろこれで70点行かないなら採点がおかしいってことだ。

「なんと10点も上がってるぞ。よかったな」

「……そっか」

 採点がおかしかった。あんなに頑張って10点? ヴァルハラとやらにいる連中は見る目が無さすぎる!

「まさかこの程度で10点も上がるとはな。私としては3点もくれてやれば十分だと思ったが。まあこれまでがひどいから少しの頑張りでも偉いと思ってくれたんだろ」

 訂正、フロゥの見る目が無さすぎる!

 ……いや、やっぱり訂正。フロゥの言葉に納得してる自分がいる。これまでがひどいから、か。全くその通りじゃないか。二十年近く生きて来たくせに一月にも満たない頑張りで点数が取れるはずがない。というか、それでいいなら常日頃から頑張っている奴はどうなるんだ。

「……なあ、100点って遠いな」

「お前みたいな屑には遠いだろうな」

 そうか、常日頃から頑張ってる奴は100点なんて簡単なのか。夜空を見上げれば星が瞬いている。俺にはあの星よりも遠く見えるのに。

「本当にうるし先輩に告白すれば100点を超えられるのか?」

「お前は私を疑ってるのか?」

 どうだろう。実際の所フロゥの事を信用していいと思っている。暴力や暴言が多く性格も悪い嫌な奴だとは思うが、それとは別にこいつは一度言ったことを確かに実行してきた。そこを否定するつもりは全くない。無いのだが……。

 ……ああそっか。俺は俺自身のことを信じられないんだ。

「このスコアボードの点は必ず100点を超える」

 フロゥの力強い言葉。

「私はさっさとヴァルハラで惰眠を貪りたい。人間共が馬鹿をやるのをテレビの向こうで高笑いしてやりたい。頭がチカチカしそうなぐらい心身ともにひりつくギャンブルに興じたい!」

 なんとまあ欲望丸出しなことだ。他人に聞かれたら恥ずかしいだろ。

「だからやり遂げろ、わかったな?」

 無遠慮に俺を指差すヴァルキリーの姿は自分の事しか考えていないのが丸わかりで人を不快にさせたいのかと疑いたくなるほどだ。

 だけど、俺の目には不思議と羨ましく映る。


 少し酔いも覚めて来たのか立ち上がり伸びを出来る程度に回復してきた。フロゥは俺と違いどうやらアルコールを無限に吸収できるらしく潰れたビールの空き缶を幾つも重ねて持っている。どんな握力だよ。

 そうしていると代表がこちらに気付いて向かってくるのが見えた。

「やあ、起きたか。君、酒に弱いなら無理はするなよ」

「ああ、すいません」

 実際は初めて飲んだのだが、まあ確かにちょっと軽率だった。若干自暴自棄になっていた気がしないでもない。

「こいつ先輩たちにかっこつけようとしてたんですよ」

「ははは」

 フロゥは適当なことを言いながら更にビールを口に流し込む。その飲みっぷりは代表も目を丸くするほどだ。

「ふむ、真白君と違いフロゥ君は酒に強いようだ。従妹ともなると似ないものだね」

「こんな奴と似てたまるか」

 苦笑いを浮かべながら酒を飲んでる今なら反撃できるかもしれないと思ったが、握り潰された空き缶を思い出して止めた。下手したらあの力で殴られるのか。

「何にせよ楽しんでもらえたようで結構、そろそろ時間も遅くなるのでお開きだ。真白君にはこれを渡しておこう」

 渡されたのは一枚の紙、入会の申請書。

「本当にここに入る気になったら書いてくれたまえ。うるし君とは友人なのだろう? 彼女に渡してくれればいい」

「……代表」

 できればそのことは思い出させないで欲しかったよ。酒を飲む前の出来事が一気に頭の中に蘇る。忘れる為に酒まで飲んだというのにあんまりだ。実際サークルに入りたいかと言うと、まあ、かなり惹かれている自分がいる。しかし果たしてそれを俺の懐事情が許してくれるのか。帰ったら真剣に考えねばなるまい。

「あー!」

 そんな悩みに顔をしかめていると比較的馴染みのある声が響いた。バーベキュー台の傍にある椅子に寝かされていたうるし先輩だ。彼女は俺たちの方を見て指差している。

「代表が真白君に唾つけてるー!」

「唾つけてるって」

 間違っても無い、のか? サークルに囲おうとしているのだから間違いではないか。

「人聞きの悪い言い方をするな」

 まあうん、もっと言い方があるのは間違いないか。

「私も混ぜてー」

 うるし先輩は立ち上がるとふらふらとした足取りでこちらに向かう。

「ふむ、あんな状態で歩かせるのも悪い。こちらから迎えに行くとしよう」

 代表の言葉に従い俺たちも歩き出す。全く、先輩は癒し系ではあるがやっぱりどこかずれているというか、まあ、天然っぽい所はあるよな。そこが良いんだけど。

「えへへぇ。あ、そうれ」

 うるし先輩はこちらへ向かう途中でふらふらと揺れる体を更に振り回すようにしてぐるりと一回転。何の意味があるんだと思う一方、酔っ払いに理屈は無いのかもしれないと納得する気持ちもある。なにせ体験したから。

 ん?

「あ、とととぉ?」

 ぐるりと回った直後、海老反りになった先輩はその体勢のまま前に手を伸ばし後ろに一歩、二歩、三歩四歩と下がって行く。

「え、あ、え?」

 自分でもびっくりするぐらい困惑した声が出た。

「おいおいおい」

 代表が焦ったように前に出る。それが見えた時には俺の足も前に出ていた、のだが小石を踏んで足をひねり前のめりに倒れる。

 そんな間抜けな俺の横を風よりも早く一つの影が擦り抜けて行った。

「あれぇ?」

 うるし先輩がそんな声と共に空を見上げ、とうとうバランスを崩して頭から後ろ向きに倒れ込んでいく。そしてその頭が地面に着く前にその間に奴が入り込んだ。

 ドスン、と音が鳴る。

「全く、まだお前に死なれるのも困るぞ」

 人間離れしたような速さで俺と代表の横を擦り抜けそのまま先輩を危機から救ったのは誰あろう、フロゥだ。倒れ込む先輩の下敷きになり衝撃を和らげた。

「あー、フロゥちゃん。ありがとねえ」

 お礼を言う先輩を片手でどかしてフロゥが立ち上がる。

「こんなのは大したことない」

 立ち上がり服に付いた土を払っている姿を皆が見つめる。

「いや、すげえよな?」

「今の見た? オリンピック選手並じゃない?」

「世界狙える足の速さだぜ」

 先輩とフロゥを中心に俄かに盛り上がる。お前ら近くにいたんだから先輩を助けろよ、全く。

「やはり従妹となると血の繋がりは薄いようだな」

 代表が上から見下ろしている。こけて無様な姿を晒している俺を。

「あんなのと血の繋がりなんてありませんよ」

 これは嘘じゃないぞ。あれヴァルキリーとか言う種族? で人じゃない何かだし。

「しかし君も助けに行こうとしただろう? まあこけてしまったがね」

 だっせー、とでも言いたいのか、畜生。

「ほら、立ち給え」

 代表の手が差し伸べられる。

「君の一歩目は僕よりも早かった。どうやら君は見た目よりも善人らしい」

「そうですかねえ……」

 俺は代表の手を取り立ち上がった。


 そのまま親睦会はお開きとなり家に帰るのだが……。うるし先輩の車が目の前に鎮座している。

「うるし先輩、どうするんです?」

 見事にアルコールが入りまくっており警察に捕まるとか以前に事故で死にそうな気配が。

「大丈夫だよお、運転代行って言うのがあってねえ」

 どうやらいつの間にか運転代行を頼んでいたらしい。酔っ払っていてもやることはやっていたと。ということでここからは代行が来るまでひたすら待つのみだ。他の皆は既に帰ったというのに俺たちだけこの場に取り残されている。

 しかーし、寧ろこれは好都合。うるし先輩と仲良くなる折角のチャンスだったのになぜか代表とばかり仲良くしていた気がするからな。いや、まあ、それが悪かったわけでは無いけど、しかしどうせ仲良くなるなら当然うるし先輩と仲良くなりたい。

 横にフロゥがいるので二人きりにはなれないがこの間に仲を深めて見せる。

「真白君、私たちのサークルはどうだった? 楽しめたかな?」

「はい! とっても楽しかったですよ!」

「わあ、元気ぃ」

 無駄に張り切ってでかい声を出してしまった。周りに住宅が無くて良かったがなんだか照れ臭くなってしまう。

「えっと、まあ、ごほん。……木箱もしっかりしたのに作り直せましたしね。塗装まではちょっと時間が足りなかったですけど」

「そのままでもいいけど塗装するともっと綺麗になるんだよぉ。やっぱりそのままよりも光沢がある方がちょっとオシャレに見えるんだよねぇ」

「そうですかね、オシャレですかね」

「お前の部屋にはそのままの方がお似合いだぞ」

 うるし先輩に聞こえないぐらいの小声が横から聞こえた。ははは、頼むから邪魔するなよ。

「肉やなんかも堪能させてもらいましたよ。バーベキューなんてしばらくやってませんでしたし」

 しばらくというか、まあ、うん。フロゥやウッシー以外とご飯を食べるのも久しぶりだ。

「今日はねえ、元々今年入った新人さんの歓迎も兼ねてねぇ、バーベキューだったんだよ。楽しいからたまにやるんだよねえ」

「そうなんですか? 楽しそうですね」

「そうそう。それにこんな広い場所を借りれるのもすごいよねぇ。とっても運がいいよぉ」

「あー、確」

「あとあとぉ、サークル内で色んな道具も持ってるからぁ。ほら電動の糸鋸、使ってたでしょ? 個人で揃えるのは大変でぇ」

「えっ、あ」

「あ、自然も豊かだよねえ。空気が綺麗でいいよねえ」

 ……なんだかとてもぐいぐい来る。いや、元々距離感のおかしな所のある人ではあったがこんなにぐいぐい来るような人だろうか。思い出を探ってみよう、いやそもそも付き合い自体がそこまで長くないから知らない面の方が多いのでは?

 しかし何だか違和感がある。

「あ、あとねあとね他にもね」

 なんかテンパってる? 漫画なら間違いなくぐるぐるした目で慌ててる感じで描かれるだろうな。そんな姿が見られるのは楽しいけど、どうしても気にかかることが出てきてしまうな。

「……先輩」

「ん、何々? どうかした?」

「サークル人数少なくて困ってるって言ってましたよね」

「え、あ、そうそう。そうだね」

「もちろん、先輩たちの力になりますよ。微力ですが数合わせぐらいにはなれますから」

 うるし先輩の顔から表情が消える。図星だったか。まあ流石にあれほど露骨なら鈍い俺でも気が付ける。明らかに圧を感じる程のサークルの持ち上げ、ここは良い所だよと喧伝し光に集る虫のように俺を入れてしまいたいのだ。

 思えば当然か。そもそも先輩とは大した仲では無いのだから、そもそもこんな風にサークルに呼んだのもちょっと興味がありそうな人を連れてきて入会してもらう為に決まっている。先輩はきっと誰にだって優しいのだ。当然サークルメンバーにもその優しさは向けられる。俺は今日のように楽しい時間を手に入れ、サークルは足りていない人手を手に入れる。お互いにウィンウィンというやつだ。

 ただまあ、数合わせじゃないともっと嬉しかったな。

「真白君」

「うおっ」

 先輩がいつの間にか目の前に、背が高いのでちょっとびっくりしたじゃないか。と、そんな驚いている俺に追い打ちをかけるように先輩の両手が俺の肩を掴む。

「それって、サークルに入ってくれる、ってこと?」

「え、あ、まあ」

 たとえどんな理由であれ先輩の力になれるってのはまあ悪くないよな、そんな風に己を納得させていたのだが先輩の手にどんどん力が入って行くのを感じる。段々と下へ沈み込みそうなほど力が入ってないかこれ。

「あ」

 次の瞬間、ふっと肩を抑える力が消えた。はっ、と視線を上げると先輩の両手が空高く掲げられ、再び俺の肩に。

 バアン!

「痛った!」

「よかったー! ほんとよかったよ!」

「ちょ、痛い痛い!」

 俺が痛みを訴える声を余所に先輩が何度も俺の肩を何度もバンバン叩く。何だこれ、何だこれ。

「おおおう」

 そのままぐるぐると先輩が回り出す。見た目よりずっと力強く肩を掴まれているので俺も回らざるを得ない。ぐるぐると二人でダンスでも踊っているかのように回る回る、目が回る。

「これからきっと楽しくなるよー!」

 ああでも、先輩のとびきりの笑顔が見れたのは、役得だ。

「あ」

 直後、先輩の手が勢いに負けて離れた、ので俺たちは地面に投げ出され。

「ああくそっ、世話の焼ける」

 瞬間、フロゥが俺の背を蹴った。

「げぼはっ」

 背中からの衝撃にほぼ断末魔の声を上げてしまったがおかげ様で勢いそのまま頭をぶつけることは無く前のめりに倒れそのまま蹲る。そして俺の背中に蹴りをくれた張本人は。

「あー、フロゥちゃんありがとねえ」

「大したことは無い」

 いつの間にかうるし先輩が倒れないように手を掴んで支えているじゃないか。今日二度目だぞ、先輩がお前に惚れたらどうするんだよ。

 背中の痛みが引いて来たので立ち上がると先輩が俺の顔を覗き込んでいた。

「ごめんねえ、真白君がサークルに入るって言ってくれて嬉しかったから」

 その目はとても真剣で、俺が随分と長くそんな風に物事を見たことが無いぐらいに真剣で、少し気圧されてしまう。

「そ、んなに嬉しいですか? 余程困ってるんです?」

「んー?」

 うるし先輩は若干大袈裟なぐらいに首を傾げた。これは酔っ払ってるからかそれとも素なのか、正直わからん。

「友達が一緒のサークルに入ってくれたら嬉しいでしょ?」

「え、あ、まあ」

「だから真白君が入ってくれて嬉しいの」

 ……ああ、俺、うるし先輩の友達だったのか。

 色々と卑屈な事を考えては勝手にブルーになっていたのに、そんなこと言われたら頬が緩んでしまうじゃないか。

「……先輩、今度塗料の塗り方教えてくださいね」

「えー、代表とか香澄ちゃんの方が上手だよ?」

 誰だっけ香澄ちゃん。正直まだ先輩以外の名前一人も覚えてないぞ。代表も名前聞き忘れたし。まあそれはそれとして。

「うるし先輩が勧めてくれたことだし、せっかくなら先輩に教えてもらいたくて」

「へええ?」

 先輩がじーっと俺の目を見つめる。う、もしかして今のキモかったか。いやほら、記念品的なね、うん。駄目だ、気まずくて声が出ねえ。冷や汗ばっかりだよ、出て来るのが。友達、僕ら友達なんで、せっかくだから一緒に何かしたいってのは駄目ですか? あー、駄目だ、先輩の顔を見るのが怖い。

 それでも勇気を出してちらりと先輩の様子を見ると。

「うわっ」

 いつの間にか目の前にいる、これさっきもあった。

「いいよいいよお、一緒にやろうねえ」

 バンバンと再び肩が叩かれる。

「ふふふ、みんな私にそういうこと言ってくれなくてねえ、嬉しいなあ嬉しいなあ」

 俺は痛みに耐えながらフロゥにアイコンタクトを送った。つまりまた回り始めたら止めてくれということだ。幸いフロゥも同じ考えだったようで既に先輩の後ろでスタンバイしている。

「絶対一緒にやろうねぇ? 約束だよぉ?」

「はい、もちろん!」

 それから俺たちははしゃぐ先輩がぐるぐる回り出すのを必死に止めていた。俺の肩を掴んで一緒に回ろうとする時もあれば、一人で鼻歌交じりに回り出す時もあって酔っ払いとはこうも恐ろしいものかとたじろいだものだ。ようやく運転代行の人が来た時には俺もフロゥも変な疲れがどっと溜まっていたものである。

 かくして俺はDIYサークルなるものに参加することが決定した。これからうるし先輩との仲も加速度的に深まって行くことだろう、楽しみだ。

「……さて」

 車に揺られながら俺は代表がくれたサークルの資料を見ていた。そして親指で隠していたところを見る。

『会費 月5000円』

 うむ、恐ろしい文字だ。

「どーするかねえ……」

 とりあえず今日は何も考えないことにしよう。全ては明日の自分が何とかしてくれると信じて。



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