80 ユグドラシルの樹 ~転生者の過去⑧
虹の橋から天界の者が降りてきて、数日が経っていた。
魔界は目まぐるしく変わっている。
「闇の王子、今回天界から輸入した防具については・・・」
「大臣に任せる。損のないような価格をつけてくれ」
「かしこまりました」
ギーグが部屋から出ていく。
窓際に座って本を広げた。
天界の者はルーナが言った通り、虹の橋を肯定的に捉えているらしく、魔界との貿易交渉を提案してきた。
今は徐々に物のやり取りが始まっている段階だ。
魔界には反対する者もいるが、あまり表立っては出てこなかった。
どこかでアースにいるプレイヤーを恐れているため、天界の道具の輸入に頼りたい気持ちもあるからだろう。
「闇の王子、お食事をお持ちいたしました」
メイドのヒスイがトレイを持って入ってくる。甘い香りがした。
「ん? 焼き菓子か。珍しいな」
「天界で流行っているお菓子だそうです。毒は入っていないことを確認しています」
テーブルにトレイを置く。
スープ、パンの横に、フルーツの入ったパウンドケーキがあった。
ハーブの香りがして、いつもの肉中心の魔族の食事とは明らかに違っていた。
「あ、本日食事担当のシェフが天界の者から聞いたレシピらしく、いつもと違う味付けとなっています」
「なるほどな・・・結局ルーナの言った通りになったか」
「そういうわけでは・・・いえ、そうかもしれませんね」
「・・・・・・」
ヒスイが遠慮がちに言う。
ルーナとはあの日以来会っていない。ありさを連れて戻ると、消えていた。
貿易交渉が始まったら来ると思ったんだが・・・。
交渉役で出てきた者は誰もルーナのことを話さなかった。
天界の王族の一人は、虹の橋が架かったことを、ユグドラシルの樹の導きだと言っていた。
魔界も天界との繋がりを深めるべきだと・・・・。
探ってみたが、天界の王族の意見にルーナの言葉が反映されているわけではないらしい。
クリエイターのタニタがあの橋を作ったことすら知らないようだ。
「闇の王子、このお菓子なんかはとっても美味しくておすすめですよ」
ヒスイが頬をほくほくさせながら言った。
「そんなに好きならこれもやるよ」
「いえいえ、私はもう食べましたので、王子にも食べていただきたいです。本当に美味しいんですよ」
「あぁ・・・」
パウンドケーキを一口食べる。
ヒスイの好きそうな味だと思った。俺は甘いものはあまり好きじゃないからな。
「明日のワルプルギスの夜にも、お持ちしてよろしいでしょうか? きっと、民も驚くと思うのです」
「ヒスイは食べ物につられやすいな」
「そ、そんなことございません。私は、良いものを皆さんにお勧めしたいのです」
「まぁ・・・そうだな。ワルプルギスの夜は、酒と食べ物がメインだ。城の者の意見も聞いて、良いものを出してやってくれ」
「かしこまりました!」
ヒスイが嬉しそうにほほ笑んだ。
パンをちぎって、スープに浸す。
「ありさの様子はどうだ?」
「はい。今朝、体調が戻ったと聞いております。監視の4名をつけておりましたが、特に不審な点はなかったとのことです。アバターには自動回復モードというのがあるらしく、ありさの体は徐々に闇の魔力に適応している状態になったようです」
「そうか」
ありさは魔界に来て数日で魔力が低下して、医務室で寝ていた。
「あとで行ってこよう」
「あの・・・闇の王子・・・・」
「ん?」
「ここ最近、何かあったのですか? いつもの王子と何か違うような気がしていて・・・なんというか、うまく言えないのですが・・・」
ヒスイが髪を耳にかけて、遠慮がちに言う。
「ここのところ、天界とのやり取りが多かったからな。疲れたのかもしれない。チチコが面倒なこと起こさないように見ててもらえるか?」
「ふふ、かしこまりました。お任せください」
柔らかく笑って、ハーブティーを注いでいた。
食器がかたんと音を立てている。
医務室のドアを開けると、ありさがソファーに座って本を読んでいた。
「アイン=ダアト様!」
緋色の髪がふぁさっと揺れる。
「調子はどうだ?」
「はい! この通り、馴染んできましたので問題ないですわ。魔力酔いも、完全に抜けましたし」
手を広げて回ってみせる。大きな赤いリボンがぴょこんとしていた。
「今なら、魔法も使えますわ。あ、武器も防具もたくさん所持していますの。ご希望があれば、レアアイテムの説明もできますわ」
「来て早々、体調を壊すとはな」
「それは・・・」
しゅんとして頭を下げた。
「大変申し訳なく思っております」
最初はこの城のことを誰かに伝えているのではないかと思ったが、起き上がるたびに謝りながらふらついていた。一番疑っていたヒスイが世話するくらいだ。
本当に体調を壊しただけのようだった。
「俺は何度かあの闘技場に見に行ったことがあるが、お前を見たのは初めてだ」
「私・・・あまり表に出るなと言われていて・・・あ、配信は良くしているので、プレイヤーやリスナーには有名なのですわ」
前のめりになりながら言う。
「まぁ、何の計画も無しについてきたということだけはわかったよ」
「でも、今からでもお役に立ちますわ。何か聞きたいことがあれば何でも聞いてください!」
「そうだな・・・」
腕を組んで、壁に寄りかかった。
「・・・じゃあ、今、アースがどうなってるかわかるか?」
「はい! えっと・・・モニターで地図を表示してもいいですか? 配信はもちろん切ってありますので・・・」
「あぁ」
「ありがとうございます」
指を動かして、素早くモニターを表示する。
「魔界に来る船に乗っていたメンバーは・・・・いったん死んでゲームオーバーになって戻ってきたみたいですね。ロトのギルドのプレイヤーに彼らの名前が入っていますわ」
「フン、気楽なものだな」
「・・・こちら側の方たちから見れば、そうですね」
ありさがモニターから指を離した。
「そんなこと、お前に言っても仕方ないか」
カーテンを開けて、窓の外を眺める。
「天界との貿易が進んでいる。闇の王即位の際には、天界だけじゃなくアースからも参列者を募る予定だ。あの虹の橋を通してな」
「アースから?」
「そうだ。アース、天界、魔界を結ぶ橋ができた。何も聞いていないのか?」
「はい・・・そんなの、初耳です」
「・・・・・・・・」
ありさが目を丸くして、虹の橋を見つめていた。
ありさが知らないということは、タニタが単独で作ったもので間違いないようだな。
ルーナの願いを聞いて・・・か。
「き、危険ですわ。きっとアースにいるプレイヤーたちが魔界に押し寄せてきますわ。討伐対象は闇の王子・・・・アイン=ダアト様になってしまいますわ」
「それなら、俺はプレイヤーを殺すまでだ」
「でも、彼らは何度でも・・・」
「何度でも殺す。俺には魔界を守らなければいけない役目がある。負けるわけにはいかない」
魔界を見下ろしながら言う。
「・・・・そうですね・・・・・」
ありさがモニターでユグドラシルの樹を映していた。
よく見ると手書きのような絵で、端のほうに文字が書かれていた。
「父はとある小説から構想を得て、この世界を作ったらしいのです。私はその本に出てくる闇の王子が大好きでした。強くて信念があって、でも本当は優しい闇の王子・・・体が弱くて本ばかり読んでる私を励ましてくれるような存在でしたわ。アイン=ダアト様は、彼にそっくりです」
「・・・・・・」
「・・・・と、こんなこと言われても困りますね。失礼しました」
頬を赤らめながら、視線を逸らした。
「えっとですね、父はユグドラシルの樹を中心として、プレイヤーの届かない場所に天界と魔界が存在するよう作りました。最初、プレイヤーはアースを自由に動けるだけで感動してましたわ」
指を動かして、画面を切り替えていく。
「でも、人の欲って留まることがないのです。ダンジョンを攻略したり、闘技場でアースの者たちと戦う中で欲が出てきてしまって・・・」
「魔界攻略という話が出たのか」
「はい。私はこうやって、アイン=ダアト様のそばに来てしまって言うのもなんですが、父はあのゲートを作ることに反対していたのですわ。アースと魔界と天界を分けた意味がなくなるって・・・でも、プレイヤーも配信者も、ゲートが欲しいという要望に押し切られてしまいましたの」
ありさがぐぐっと顔を近づけて、手を組んだ。
「アイン=ダアト様、私にできることがあれば何でもお申し付けください。私、闇の王子の役に立つことが夢でしたの」
「俺と本の奴は別だけどな」
「別でもいいのですわ。私の生きる意味になるのでしたら、なんでも・・・どうかお役に立たせてください。アイン=ダアト様」
すがるように言う。
「じゃあ、料理はできるか?」
「はぁ、料理・・・でしょうか? 普通の料理しか知りませんが・・・」
「それでいい。明日はワルプルギスの夜という、魔界の祭日になっている。魔界の者は好き嫌いなくよく食べるからな、食事のレパートリーが増えると助かる」
「は、はい。喜んで」
ありさの柔らかい髪は、夕日に溶けるようだった。
街の中央で、ワルプルギスの夜で使う火が灯るのが見えた。




