73 ユグドラシルの樹 ~転生者の過去①
遠い昔、俺は『ユグドラシルの扉』というゲームの中にいた。
『ユグドラシルの扉』には、ユグドラシルの樹を中心として、大まかに分けて3つの世界があった。
神が住む天界、妖精、小人、巨人、人間の住むアース、魔族の住む魔界。
アースにある酒場は心地がよかった。
カウンターに並ぶ酒、冒険者たちのクエストでの自慢話、壁の木が軋むような歌や踊り、退屈な城での日々を紛らわすことができた。
「闇の王子! こんなところで何をやって・・・」
「しーっ」
ダークリム城で仕えるハンスが声をかけてきた。
「偵察だよ。城にいても暇だからさ」
「こ、こ、こんな、次期闇の王である方が・・・」
「みんなには黙っててくれよ」
「・・・わかりましたよ。おじさん、お任せでお願い」
ハンスが手を挙げて、カウンターの小人族のおじさんに声をかけていた。
「アースの食べ物は美味しいんですよね」
パンを平らにしてハーブをまぶしたような食べ物と、アルコール度数の少ないカクテルを持って、向かい側に座る。
ハンスは魔界の貿易商の息子だった。
とがった耳と、筋の通った鼻が特徴的な、俺の数少ない友人だ。
「お前こそこんなところで何してるんだ?」
「今日はアースでお祭りがあるので、親父に行ってこいって言われまして。アースでは何が流行っているのか見極めないといけないとかで」
カクテルに口をつけながら言う。
「へぇ、商人の息子は大変だな」
「王子とは比べ物になりませ・・・」
「おっと、失礼。君たち、変わったかっこうしてるね? この世界の住人なんでしょ?」
剣を持った青年が、ハンスの手にぶつかりそうになって、話しかけてきた。
何か言いかけたハンスを止めて、顔を上げる。
「あぁ。あんたはプレイヤー?」
「そうなんだ。まだ、入ったばかりで、ギルドのクエストもこなしてないんだけど・・・はぁ、すごいな。本当に『ユグドラシルの扉』の世界に来たんだ・・・」
青年がモニターを表示して、物珍しそうに周囲を眺めていた。モニターにはアースの地図が表示されていた。
「『ユグドラシルの扉』はフィールドも広くて、自由だからプレイヤーの間でも人気があってね。こうやって、中の人とも話せるなんて夢みたいだ。ずっとここに居たいな」
「そうなんだ」
「こうやって中の人と普通に話せるし」
興奮気味に言う。
「・・・・・・・・」
ハンスが苛立っているのが伝わってきた。
『ユグドラシルの扉』に来るプレイヤーはアバターだからすぐにわかった。
アースに住むモンスターを倒したり、ギルドに入ってくるクエストをこなしているのだという。
このときはまだ、自分に関係のない存在だった。
ただアースに来ている観光客のような感覚だ。
「パーティーを組むなら、あっちのほうにギルドのメンバーが集まってたよ」
「マジで? ありがとう。これ、チップね」
青年がコインを一つ置いて、入口付近で飲んでいる人間たちの近くに寄っていった。
「あれだけ無防備だと、すぐ死ぬんじゃないですかね? あの人・・・」
ハンスがテーブルの上でコインを回しながらう。
「あいつらは死んだって何度でもやり直せるんだ。仮の体だからな」
「羨ましいですよね。仮の体」
「お前、プレイヤーになりたいのか?」
「まさか。でも、ちょっと興味はありますよ。王子だって、興味があるからわざわざアースまで来て、正体隠して見に来てるんじゃないですか?」
「俺は、ただアースの様子を見に来ただけだ。お前らみたいにプレイヤーに興味はない」
頬杖をついた。
「ここにいる者も、まさか闇の王子がここにいるなんて思わないでしょうね」
「誰にも言うなよ」
「わかってますよ。王子との約束は必ず守ります」
カクテルに口をつけて、周囲を見渡す。
小人たちが楽器を奏でて、妖精族の歌が始まった。
この酒場にはよく来ていたが、俺が闇の王子だと疑う者はいない。
窮屈な城での生活の、ちょっとした息抜きの場だった。
パーン
窓の外から、花火の音が聞こえる。店内には歓声が上がって、窓に張り付いていた。
「お、始まりましたね」
「じゃあ、俺はそろそろ戻るよ」
コインを置いて立ち上がる。
「え、祭りは見ていかないんですか?」
「あぁ、城の奴らが来てたらがやがや言われるからな。なんか珍しいものあったら買ってきてくれ」
「わかりました。お気をつけて」
席を離れると、ハンスが妖精族に混ざって話しているのが見えた。
満月の明かりが靴を照らしている。
屋根の上から魔法使いが打ち上げる花火をぼうっと眺めていた。
この近くにはセーブポイントがあるため、プレイヤーが次から次へと、この街にきているらしい。アースは多種多様な種族のいる場所だから、プレイヤーもすんなりと受け入れられていた。
「こんにちはー、魔導ギルド『イザヴェルの杖』ですー」
おおおおおお
魔導士が杖を回して、色とりどりの花火を打ち上げる。
今日はドラゴンゲートが開く日といわれ、アースでは盛大なお祭りが開かれていた。街ではパレードの音が響いている。
「止めてください!」
「?」
教会を曲がった路地裏で少女の叫ぶような声が聞こえた。
「あんた随分可愛いな。ここでは見かけない顔だ」
「どうだ? 一緒に回らないか?」
「いいじゃねぇか、一回くらい」
「離してください! きゃっ」
3人くらいの屈強な男が、少女を取り囲んでいた。
一人が彼女の手首をつかんで壁に押し付ける。
「止めたほうがいいと思うけど」
「!?」
すっと少女の横に立つ。
「なんだ? お前」
「邪魔すんのか? ガキの癖に生意気だな」
男が大剣を出して、振り上げたときだった。
バンッ
「ジューク!!」
少女が回し蹴りをして、男を吹っ飛ばす。
壁に当たって、崩れるように倒れこんでいた。
「な・・・・・」
「貴方が死にたいなら相手になるけど?」
ふわっと飛んで、2人の男に近づいていく。
靴のつま先とトンと鳴らした。
「なっ・・・なんなんだ・・・・」
「じゅっ・・・ジューク、行くぞ!」
2人が倒れた男を抱えながら、去っていった。
「あーあ、行っちゃった。思ったより弱かったな。他の女の子に危険なことしそうだし、もうちょっと蹴り入れておけばよかった」
「なんで弱いフリしてたの?」
「戦力調査。アースの人間がどれくらい力をつけてるのかな? って調べてるの。べ、別に、遊んでるわけじゃないからね」
白銀の髪をなびかせて、こちらを向く。
澄んだ魔力と、美しい顔、月が降りてきたような・・・・。
「?」
「あ、いや・・・」
頭を掻く。
「ねぇ、今、助けようとしてくれたんだよね? ありがとう」
少女が花のようにほほ笑んだ。
「違うって。どちらかといえば、あの男たちのほうが危なかっただろうが」
「それは、そうだけど・・・・」
「君が珍しい魔力だったから来てみただけだ」
「え?」
「天界の者だろ? こんなところにいていいの・・・・?」
「うん」
隠すそぶりもなく頷いていた。長い髪をさらっと後ろにやる。
「うん・・・って、天界はいいのかよ。こんな子供一人でアースに来させて・・・」
「君だって子供でしょ? ねぇ、君は魔界の者だよね?」
サファイアのような瞳で覗き込む。
「・・・・まぁな。じゃ、俺は」
「待って」
去ろうとすると、マントを引っ張ってきた。
「なんだよ」
「私はルーナっていうの。この辺初めてだから案内してもらえる?」
花火が落ちてきて、ルーナの顔を照らす。天界の者と話したのは初めてだった。
魔界に天界の者が来ることはほとんどなかったし、天界の者がどんな者なのかもよくわかっていなかった。
でも、これが、分岐点だ。
きっとルーナに出会わなかったら、俺は・・・・




