42 風の神ボレア
聖女アルテミスはアネモイ帝国の端のほう、巨大な岩の上に建てられた小さな修道院の中にいるらしい。同じ帝国の敷地内なのに、人の気配が全くなく、別の土地のようだった。
「修道院といっても、もう使われていないわ。風帝に頼んで、私専用の祈りの場にしてもらってたの。ま、祈ったことなんてないけどね。祈る対象もないし」
冷たい口調で言った。
「じゃあ、修道院には誰もいないのか?」
「みんな街のほうに出てきちゃってるから、今いるのはアルテミスだけ」
アリアが作った手すりのような蔦を握って、ガタガタの階段を上っていく。
「アルテミスは何かに祈ってるわけでもない。シスターとしての仕事をしているわけでもない。ただ、居るってだけだから期待しないで」
「どうして、それで聖女って呼ばれてるんだ?」
「魔力だけは強大なのよね。セレナを聖属性にしたような感じだから」
「そりゃ、すごいな」
「まったく、呪いって厄介よね」
アリアが修道院を見上げながら話す。
「・・・本当はアルテミスには誰にも会わせたくないんだけど・・・」
「リーランから聞いてるよ。また、魂が分裂すれば、自我を失う可能性もあるんだろ?」
「それもあるけど・・・彼女に会ってもがっかりしないでね」
「どうゆう意味だ?」
「会話もまともにできない状態だから。私が最後に意思疎通したのはいつだったかしら。瞬きしただけだったけどね」
「・・・・・・・」
「自我が無いのよ。あの子が何を思って過ごしてるのかもわからない」
手をぐっと握りしめた。
風が吹いて、足元の草がゆらゆらしている。
修道院はアリアが張った幾重にもなる結界の中にあった。
アリアが一つ一つ結界を解いていき、中に入ると、頭がくらくらするほどの聖なる魔力を感じた。
「大丈夫? そういや、あんた闇属性だったわね」
「これくらいなんともないよ。それより、そんなに強いならこんな結界いらないんじゃないのか?」
「アルテミスは誰にも会わせないつもりだったからね」
ひんやりとした空気を吸い込む。
雪の中にいるようだった。
「こんな土地まで、わざわざセレナも来ないだろ。魔族の地じゃないんだし」
「アネモイ帝国の奴らに利用されたくないからよ。この綺麗な魔力を」
低い声で言って、手前のドアを開けた。
小さな窓から差し込む光が、部屋に広がっている。
「アルテミス・・・・」
多くの本棚に囲まれていて、赤いじゅうたんが敷かれていた。
窓際には七色の魔法石と砂時計が浮いていて、ステンドグラスのように光を反射している。
真ん中の椅子に聖女アルテミスが居た。
セレナと同じサファイアのような瞳と、月を溶かしたような白銀の髪を持つ・・・・。
「アルテミス、お客さんよ」
「・・・・・・・」
アリアがアルテミスの前で手を振る。
人形のように座ったまま、微動だにしなかった。
「こんな風に何を話しかけても反応が無いから」
「そうか・・・元からこうなのか?」
「そう。少なくとも私が会ったときから・・・セレナはよくしゃべるのにね」
「・・・・・・・・」
「アルテミスを見ると思うの。どうして私たちがこんなことにならなきゃいけなかったのかって」
悲しそうな目で、アルテミスを見つめていた。
優しく白銀の髪を撫でる。
「私たちは、人より魔力が高く生まれてきて、人よりたくさんモンスターを倒せて、人よりたくさん誰かを回復させられただけなの。それ以外は、ただの人間だった」
「決して触れてはいけない領域か・・・」
「・・・・・・・・・・」
「リーランは『アラヘルム』が犯した罪が、どんな罪なのか詳しく言わなかった。言いたくないんだろう?」
「・・・・そうね・・・・ろくでもないから」
長い瞬きをした後、アルテミスから離れる。
「私があんたのところで仕えるとしても、アルテミスをどうにかしなきゃいけない。セレナがいるんでしょう?」
「そうだな」
「セレナとアルテミスを会わせるわけにはいかないから・・・」
「あぁ、リーランに相談してみるよ」
アルテミスのほうに歩いていく。
「少し2人きりにしてもらっていいか?」
「・・・絶対に、これ以上彼女を傷つけないでね。魂がこれ以上分裂してしまったらセレナの自我も・・・・」
「わかってるよ。リーランに聞いてるから」
「・・・・あ、そ。外にいる」
アリアが後ろのドアから出ていく音がした。
刺すような、泣きたくなるような、優しい魔力に包まれていた。
ゆっくりと屈んで、アルテミスに視線を合わせる。
「アルテミス、俺がわかるか?」
「・・・・・・・・」
反応がなかった。窓から差し込んでいた陽だまりに、鳥の影が映っている。
「俺も記憶を失くしてるんだ。いつか君を助けるつもりでここまで来たことは覚えてる。水瀬深雪として、俺の前に現れたことを覚えてるか?」
「・・・・・・」
「遅くなって悪かった。でも、やっと、この世界で戦えるまでになったんだ」
アルテミスが長い瞬きをして、俺のほうを見る。
「待っててくれ。絶対に助けるから」
「・・・・・・蒼・・・空・・・?」
小さく声を出す。
「あぁ、天路蒼空だ。俺がわかるのか?」
「・・・・・・・・・・」
にこっとほほ笑んだ気がした。
「・・・・・・」
懐かしい気がするんだ。何度でも、この顔が見たくなる。
アルテミスが手をこちらに伸ばそうとしてきたときだった。
バーンッ
「!?」
突然、大きな音とともに、突風が吹く。
腕で風を避けて、目を開けると、もじゃもじゃ頭に顎髭を生やした男性がアルテミスの前に立っていた。
「どうしたの!? あっ・・・・」
アリアが勢いよくドアを開けて入ってきた。
深淵の杖を出して、男に向ける。
「誰だ!? お前は・・・」
『我が名はボレア、風の神だ』
背中に槍のようなものを背負っていた。
『何かと思えばプレイヤーか。プレイヤーごときが何をしている? ここはお前らが来るようなところじゃないはずだが?』
「彼女を・・・アルテミスを連れ出すためにここに来た。お前こそなんだ? どうして突然ここに現れたんだ?」
『風帝が死んだときからいた』
「!?」
『お前の闇の魔力がアネモイ帝国に入ったときから、アルテミスの魂がこの世界から離れようとしていた。どうゆう偶然か知らんが、お前が切り離そうとしていたのだな?』
「は・・・・・?」
「違う! ソラは関係ない! ここに来たばかりだし、そんな魔法覚えられるわけないでしょ」
アリアが叫ぶ。
ボレアの後ろにいるアルテミスの手が、元に戻っていた。
『『緋色の魔女』か。随分とぬくぬくと生きているようだな。運良くほかの神からは殺されていなかったか』
「・・・・死にたかったけどね・・・・・あんたらが生かしてるだけでしょ」
『神である我に冗談を抜かすか、さすがあの都市の人間か。それにしても、人間の土地で魔族であることをよく誤魔化せているな。まぁ、アルテミスがいるなら無茶もするか』
「っ・・・・・・・」
アリアが目を背ける。
なんだ? こいつは・・・。
この世界の神は、腐ってるのか?
『ここは風の神である我の敷地内、勝手なことは許されない。罪を負った聖女をこの世界から出そうとしたお前らは・・・そうだな。仕置きが必要だ。まずは、『緋色の魔女』、お前からいこうか』
「・・・・・・いいわ。もう死んでもいいと思ってるから」
『フン。では、望み通り、そろそろ殺してやろうか』
太い声で言うと、槍の先をアリアのほうに向けた。
アリアが顔を歪めて一歩下がる。
「待てよ」
深淵の杖を仕舞ってアリアの前に立った。
『ん?』
「おっさん、俺はテイワズのルーンを持つ死の神だ」
死の神の剣を出して、ボレアに近づいていく。
太い眉がぴくりと動いた。
『プレイヤーが・・・神・・・だと?』
「そうだ。知らなかったのか?」
『ふん、死の神の奴らは特殊だからな』
「・・・この世界がクソだということはよくわかった。ぶち壊してやるよ」
『威勢のいい奴だな』
深く息を吐いて、剣を構える。




