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猫の行水 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 へえ、ネコ科の生き物って、たいていが顔を洗うんだってさ。

 あの前足に唾液をつけて、顔を拭う行為のことだね。はたから見ている分にはかわいいけれど、あれにはちゃんと理由があるらしい。

 もっとも有力なのは、重要な感覚器官である、ひげのお手入れだね。

 彼らのひげは、僕たちでいうところの「手」に近いほど、頼ることの多い部分だと思う。僕たちが手洗いをよく行うわけだから、彼らが顔洗いに精を出すのも、自然なことだ。


 そして、僕たち自身も洗顔は励行されることだ。

 首から下は服のガード部分が多いけれど、顔はそうはいかない。汗に脂に、ほこりに排気ガスにと、じかにその脅威にさらされる相手が多い。

 特に前半の連中は、寝ている間にも姿を見せ続けると来ている。朝起きたときに、顔洗えといわれるのも、また道理だね。

 ただ、この顔の洗い方にも注意が必要みたいなのさ。

 昔、祖母から注意されたことなんだけど、聞いてみないかい?

 


 僕は小さいころ、かなづちで顔を水につけるのもおっかなく思っていた。

 水に潜って体験する、息のできない感覚。あれにどうしても慣れなくってね。みんなはそろって、

 鼻から息を出せなんていってくる。鼻に水が入るのも痛いし怖いけど、命綱たる息を吐きだせとは、どんな拷問か。

 びびりまくりの僕は、家の洗面所で蛇口から出てくる水をロクに溜めず、手に触れた端から顔へポンポンと、軽くあてがう程度で済ませていた。そのへっぴり腰具合は、はたから見るとお化粧をしているようだったと思う。

 そのとき祖母が「まるで猫の行水じゃあねえかよ」と突っ込んできたわけ。

 

 

 猫は濡れることが嫌いな生き物。僕の水へのおっかなびっくりな態度が、猫っぽく見えたんだろう。

 だけどそれ以上に、人間らしい顔の洗い方をしろって、祖母に注意されたよ。

 いわく、猫の行水はたとえだけにあらず。人間には合っていない水との関わりを指す言葉でもあるのだとか。

 しっかりとした量を扱うとともに、目をしっかり開いて、しばたたかせながら眼球をしっかり洗う……それが人間らしい洗顔なのだという。だから、そのような洗い方をすべきだと。

 返事だけはしっかりしておかないと、後が怖い。

 表向きは従うフリをし――実際、祖母がそばにいる時は、我慢だらけの顔洗いで――、それ以外はこれまで通り、「猫の行水」な洗顔を続けていたんだ。

 

 

 そんなある日のこと。

 珍しく目覚まし時計に起こされて、僕は布団にくるまったまま手探りでアラームを止める。

 ぐううっと大きく伸びをして、目を開けようとしたんだけど……できない。

 まぶたをホチキスか、強力なガムテープでふさがれているかのようだ。ただ強い力で抑えられているんじゃないんだ。

 開こうと力を込めると、まぶたの裏へ痛みが広がる。眼球そのものへ爪を立てられたかと思うほどの、強い痛みが。

 

 その一回で悲鳴をあげかける僕は、一気に抗う気を奪われる。

 目を開けちゃダメだ。このままで過ごさなきゃいけない。

 そう思わせるに十分すぎるほどの痛みだった。

 手探りで枕元の着替えを取る。寝る前に準備をしていて、これほどありがたいと思ったことはない。順番を決めていたこともあって、目隠し状態でも、さほど手こずることなく脱ぎ着ができた。

 部屋を出る。壁に手をつき、のろのろと廊下を進んでいった。

 一番の関門は階段だ。廊下の続きのような感覚で足を出し、うっかり踏み損ねれば大変なことになる。

 階段手前の曲がり角は、なおさらゆったりと歩き、いよいよつま先がふちにかかった感触。

 右足を踏み出し、ちょっと下ろして足をぶらぶら。どこに段があるのか、慎重に確かめながら、一歩一歩降りていく。

 ひたすら転んじゃいけない。踏み外しちゃいけないと、気を張りながら進む僕だけど、しばらくしておかしなことに気づいてしまう。

 

 いつも早めに起きている僕にとって、目覚ましのアラームは遅めの時間だ。自分にとっての防衛ラインのようなもので、他の家族は全員起きていてもおかしくない。

 その気配が、全然ない。

 起き出してくる以外にも、トイレへ行ったり、テレビの音が漏れたり。何より階下の台所からしてくるはずの、炊事の音がしないんだ。

 朝食と並行して弁当作りをしているはずの母親が、この先にいるとは思えない。


 くわえて、階段が途切れない。

 自分の家の階段の段数、意識してはいないが20段もなかったはず。それが足の裏で感じる限りでは、30段以上は降りているように思える。

 おかしい、と足を止めかけたところで、危うく前へつんのめりそうになった。


 足の先に、段がない。また足をぶらぶらさせてみるも、今度は足裏のどこも、かする気配を見せなかった。

 引き返そうと、そのまま足を後ろへ持って行くも、着けたとたんにずるりと滑った。

 背後もまた段がなくなっていたんだ。こちらは無警戒だったこともあって、思わず尻もちをつく寸前までいってしまう。

 心臓の鼓動がにわかに早まる。いくら足で触れても、神経は背後に勾配が広がっていると、伝達してきて譲らない。かといって、前方が崖っぷちなのも変わらない。

 ならば、と横へ足を伸ばしてみる。

 家の階段は、すれ違えるほどに広くない。伸ばす足に余裕を残しながら、すぐ壁にどん詰まるはずだ。


 それが詰まらない。

 目いっぱい足を伸ばしても、余裕しゃくしゃくとばかりの空間が、つま先の向こうへ広がっている。

 下手に力は入れられない。もしバランスを崩して前へのめったら、踏ん張りがきかないだろう姿勢だ。そして、本来は存在しないだろう場所に、目隠しで進めるほどの度胸は僕にはない。

 できるのは、その場でうずくまることだけだった。

 声を出したくもあったが、周りに誰が、いや何がいるかすら分からないんだ。これ以上、自分の気配を漏らすわけにはいかず、ただひたすらその場で膝をかかえて、うつむくほかになかったんだ。



 どれくらい経っただろう。

 ふっと両脇を抱き上げられると同時に、あれほど強く閉じられていたまぶたが、自然に開いた。

 そこで自分が、家の屋根のふちギリギリにいたこと。そこに登ってきた父親に抱き上げられたのだと気づけたんだよ。

 つい先ほどまで、何も聞こえなかった音が耳元で弾ける。遠くからまばらに響く車の音と、間近で飛び立つ小鳥たちのさえずり。その他の気配もさ。


 あのとき、僕は屋外へ、ましてや屋根の上へのぼった感触など、みじんもなかった。

 明らかに人ではあり得ないような、センスに支配されていたとしか思えない。ひょっとして、人らしからぬ猫の行水に、おぼれていたせいなのかな。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] うわっ! これ子どもの頃、私もまさに同じことを言われたのを思い出しました。 冬の朝に顔を洗う時、寒さで億劫になってチョンチョンとするくらいの洗い方してたら、母にそう言われました(苦笑)…
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