パストラ・コロナードとして
最近流行りの悪役令嬢ものです。
悪役令嬢にされた菊理のお話です。
※R15は念の為です。
煌びやかな王城の大ホールの片隅。色とりどりの見た目も味も素晴らしい料理やデザートが乗ったテーブルの傍で、自分は簡素なドレスに身を包み、椅子に座って料理を食べていた。
今の自分の名前は、パストラ・コロナード。
今日は王城の大ホールで行われる王立学院の卒業パーティに出席するために来た。簡素と言っても、登城しても問題ないぐらいのそれなりに上品なドレスだ。実家では、既製品のドレスが必要最低限しかない。ドレスに合わせるアクセサリーも同様だ。オーダーメイドなんぞ買い与えられた事がない。この世界でも、自分は家族から嫌われていたのだから。
自分を生んだ母は物心つく前に病死。喪が明ける前に、伯爵の父は娼婦の女を後妻として、異母妹ともども連れて来た。
そこからはよくある状況だった。
父は自分を階段から突き落として重傷を負わせた。殺す気満々だったのだろうが、パストラは自分の転生体だったので助かってしまった。パストラの自我が消えて、菊理の自我に上書きされた結果助かる。これを助かったというかは謎だが。
さて、父は怪我を理由に自分を離れに追いやった。誰にも干渉されないのならよかったが、後妻となった女が『娘に何をした!』と鞭を片手にやって来た。ちなみに自分は、離れから一歩も出ていない。足の骨を骨折したので、ベッドの上だった。一人でトイレにすらいけない。使用人の一人で歩けないという言葉を無視して、鞭で肌が腫れ上がるまで叩かれた。ドアの隙間からこっちを見て笑う妹の顔は忘れん。
で、この日以降何もやっていないのに、鞭片手に上機嫌にやって来るこの女と妹はウザかった。腹が立って魔法で吹き飛ばしたら二度と近寄らなくなったが。
今思い出しても最悪な家族構成である。もう会わないだろうが。
皿が空になった。今度は給仕にデザートを盛り付けてもらう。
再び椅子に座ってデザートに舌鼓を打っていると、ホールがざわついた。少しして、複数の足音と怒鳴り声が聞こえて来た。
「パストラ・コロナード!! 貴様、こんな所でなにをやっている!?」
「婚約者に該当だった方が義務を放棄されたので、デザートを美味しく頂いておりました」
「誰が馬鹿正直に答えろと言ったっ!!」
どこかの令嬢を侍らせた赤毛の男が頭を掻きむしって怒鳴る。その後ろにいる取り巻き令息四名が、なぜか戦慄の表情を浮かべている。令嬢は赤毛をなだめている。
質問に答えたのでデザートを口に運ぶ。咀嚼中に赤毛が、一瞬、唖然としたがすぐに吼える。
「食うな!」
「その前に唾を飛ばすのは止めてください」
嚥下してから指摘する。赤毛は猿のように顔が赤くなっている。怒りで唸っているが無視する。
再びデザートを口に運んでから、ドレスのポケットに入れていた懐中時計で時間を確認する。
時刻は午後の六つ鐘――日本で言う所の午後六時であり、卒業パーティの開始時刻でもある。
会場を見回すと、先の怒鳴り声が原因で、参加者の視線がこちらに集中していた。
パーティ開始時刻と同時に現れる予定の国王はいない。あれから七時間も経つというのに、まだ回復していないらしい。王妃がいないのは、職務を代理しているからか。あるいは、叩き起こしている最中なのか。
「あの」
「? んぐ。どちら様?」
赤毛を宥めていた令嬢が声をかけて来た。彼女を正面から見るのも、言葉を交わすのも今日が初めてである。今日で最後になりそうだが。はちみつ色の髪にターコイズブルーの瞳。そして自分と同い年に見える小動物を思わせる容姿。世界は不平等だが、この女の場合は詐欺だから違うか。
応答が気に入らないのか、赤毛が吼える。こんな赤猿の様な男が婚約者だった何て。ある意味人生の汚点だな。
「なぜ貴様はマリアを知らんのだ!」
「奇妙な事をおっしゃいますね。そこのご令嬢とお会いするのは今日が初めてだからです。言ったはずですよ『どちら様』と」
聞こえませんでしたか? と暗に赤毛に問えば、今度は羞恥で顔を赤くして沈黙した。そして、どこかの令嬢に慰められている。それらの光景を無視して、デザートを食べ進めていると、赤毛の後ろにいた令息の一人が言葉を発した。
「コロナード伯爵令嬢。せめて椅子から立ってはどうだ? 流石に殿下に対して不敬ではないか」
「そ、そうだぞ! 貴様、王子である俺に立たせたままとは、いつから傲岸不遜な女になったのだ!」
赤毛もとい、王子が令息――確か宰相の息子の言葉を援護だと認識して復活する。
「でしたら椅子に座ればいいでしょう。椅子は余っているのですから」
顎をしゃくって数人が座れるソファーを示す。
歯ぎしりする王子。オロオロする令嬢。頭を抱える四人の令息。中々にカオスな状況だが、椅子に座らないのは何のプライドなのか。
皿が空になったので、給仕に渡し、紅茶を所望する。
「ふ、ふん。まぁいい。いけ好かない貴様との縁も今日までなのだからな!」
無視して紅茶が注がれたティーカップを受け取る。
香りを堪能してから、一口飲む。額に青筋を立てた王子が我慢ならんとこちらを、ビシッと、指差して叫んだ。
「パストラ・コロナード! 貴様との婚約を今ここに破棄する!」
ホールのあちこちで見物者から息をのむ声が聞こえて来たが、こちらとしては婚約破棄して欲しかったので、特に思う事はない。むしろ喜ばしい。
「そうですか」
一言返すと、王子と令息達は顎を落とす勢いで、あんぐりと口を開けた。自分が嫌いなやつに縋り付く訳ないだろう。
ホールに沈黙が下りる。
全員が絶句していた。給仕までもが絶句しているんだけど何でだろう。
紅茶を飲みながら少し考える。
何か言わないと駄目らしい。
紅茶を飲み干したが、誰も言葉を発せずに沈黙している。目の前の男五人は完全に固まっている。
「……コロナード伯爵令嬢。君は殿下との婚約がなくなって何か思う事はないのか?」
再起動した令息の一人――大司祭の息子が顔を引きつらせながら尋ねて来る。
「何もないですね。殿下との婚約は王家からの要望でした。父である伯爵は庶子の妹では駄目なのかと食い下がった所、陛下に『長女を差し出すか、家を取り潰されるかどちらか選べ』と脅されて、泣く泣く私が差し出されました。これで何を思えと?」
正直に、婚約に至った経緯と一緒に質問について回答する。
知らなかった情報が混じっていた為か、質問者は絶句している。
それもそうか。王家が脅迫して娘を差し出せとか、普通あり得ないよな。
一方、ホールは知らない情報の開陳に騒めいている。
「殿下って婚約者としての義務も果たしてないんだっけか?」「ええ。誕生日にプレゼントを一つも送られていないそうですわ」「陛下から申し込んだ婚約を破棄したとなると、殿下不味くないか?」「コロナード伯爵令嬢に余程の咎がないと、王家の有責扱いになるよな」「ですが、殿下に御兄弟はいらっしゃませんよね」「でも、従兄弟にクレト殿下がいらっしゃるわ」
などと、会話が聞こえてくる。
それらを無視し、停止したままの給仕を突いて再起動させ、紅茶のお代わりを頼む。
騒めきに混じる会話で再復活した王子が、ホールの参加者に向かって怒鳴る。
「静かにせよ! パストラ・コロナード! 如何に父から申し込んだ婚約であれ、貴様にはマリアを虐めたという罪がある! 即刻謝罪せよ!」
「身に覚えがないので拒否します。どうしてもと言うのなら、まずは、客観的な物理的な証拠を提示してください」
全てはそれからです、と返すと王子はこちらを睨んだ。無視してティーカップを受け取る。
「マリアが泣いて俺に虐められたと訴えたのだぞ! これが証拠にならんと切り捨てるとは、貴様に情はないのか!」
「当事者の片方だけの証言が採用されないのは当然ではありませんか? そもそも、殿下の発言からでは『私から』虐められたのではなく、誰か分からない人に虐められたとしかとらえられませんね」
「屁理屈をこねるな! 貴様以外にマリアを虐める奴がいるというのか!?」
「実行するかは別として、虐めたい人は掃いて捨てるほどいますよ。私は殿下にもそこの令嬢にも興味が無かったので、虐める気にもなりませんでしたね。それに、今日会うまでに顔も知らなかった令嬢をどうやって虐めろというのですか?」
屁理屈をこねるなと王子はわめいているが、どう見ても、駄々をこねる児童である。いい加減、自分の意見が通らないと怒鳴り散らす癖は止めて欲しい。非常にうるさい。
しかし、自分の為に怒鳴り散らしている王子を見て、侍っている令嬢は何も思わないのか。一言もしゃべらないな。
よくある婚約破棄物の小説や漫画だったら、目を潤ませて『ああ、殿下ぁ』ぐらいは言いそうなんだが。無言で顔をひきつらせたまま、突っ立っている所を見ると、調べた情報通りならば、王子に対して何も思っていないのかもしれない。
「あくまでも白を切る気か。貴様がやっていないというのなら、誰がやったというのだ!」
方針を変えたのか、やっていないなら証拠というか、証言しろと言ってきた。
「私に濡れ衣を着せようとしたのは、ベネガス公爵令嬢、ジュステ侯爵令嬢、スニガ公爵令嬢、フレンティーノ公爵令嬢の四名ですね。この四名は王太子妃の座を狙っていた方々でしたので、私も嫌がらせをよく受けました」
私も被害者だぜ、と言うと王子は固まった。おいおい、証拠がないとでも思ったのか。
「この四名は、自分の手を汚さずに私に濡れ衣を着せる為に実家の権力を使い、自身の取り巻きの令嬢の実家である、子爵家と男爵家計六家を脅迫しました。脅迫の内容は、支援の打ち切り、物流の停止と妨害、市場の介入、幼い弟君や妹君の拉致監禁、……他にもありますが、詳細はすでに陛下に報告済みなので、ここで申し上げる必要はありませんよね。これらの脅迫を受けて、アベライド男爵令嬢、バンデラ子爵令嬢、エンシナル男爵令嬢、エスピノ男爵令嬢、ファルケ子爵令嬢、ガラン子爵令嬢の以上六名が実行しました」
詳細を言い挙げると、王子たち六人は愕然とし、ホールは騒然となった。
調べ上げた際に自分も驚いたので気持ちはよく分かる。上級貴族がここまで犯罪行為に手を染めるとか、正気かよって、突っ込んだし。特に、フレンティーノ公爵家とか、数代前の王妹が降嫁した歴史のある家だ。そんな家が犯罪に手を染める。とんでもないスキャンダルである。
騒然となったホールでは、件の上級貴族令嬢四名がいないと騒ぎになり、脅迫された実行犯の六人の令嬢には同情と憐みの視線が集まる。六人の令嬢達は俯いて縮こまっているが、自分が『ある意味被害者だから陛下からの処罰はない』と言ってやれば、ほっと、胸をなでおろし、安堵していた。
安堵しているのは良いが、しばらくの間は晒し者になるという事に気づいていないようだ。
「ベネガス公爵家、ジュステ侯爵家、スニガ公爵家、フレンティーノ公爵家の四家は他にも色々とやっていたそうなので、今も調査が進められています。逃亡阻止の為に全員、す・で・に、投獄されています」
ちなみに現時点での処罰の内容は既に聞いている。
領地没収、身分剥奪、家の取り潰し、当主と夫人は禁錮二十年だが、今後の調査内容によっては処刑もあり得るらしい。
各家の令嬢達の処罰も身分剝奪だが、禁錮ではない。犯罪奴隷の首輪を装着させた状態で全員、別々の娼館に沈めた。奴隷商はどこで情報を手に入れたのか、四人は娼館行きとなって僅か五日で性奴隷として売り飛ばされたらしい。自業自得だ。
なぜ令嬢達の処罰がこんな感じになったのかと言うと、自分の嫌がらせへの報復である。国王に報告したらマジで震え上がっていたな。一緒にいた王妃はよくやったと頷いていたが。
「――さて、私は身の潔白を証明しました。謝罪はしません」
正面の王子にそう言い放つ。どう出るのか、目を細めて見つめると今まで黙っていた取り巻き令息の残りの二人――近衛騎士団長の息子と、宮廷魔術師筆頭の息子が、何かを思い出し、ここに来て初めて口を開いた。
「ま、待て! お前、妹のジャスミンを虐めていただろう!」
「そうだぞ! 大泣きしながら何度か俺達に泣きついてきたんだぞ!」
そっちかよ。
男爵令嬢ではなく、なぜ異母妹の名前を出すのか。男爵家令嬢虐めの首謀者達についての情報を、ここまで掴んでいる自分が泣くしか能のない、顔だけの異母妹と後妻について無手な訳ないだろう。
そう思い当たったのは、二人を制止する取り巻きの宰相の息子だけだった。視線で言うなと訴えているが、構わず口にした。
「妹の虐め? 十何年も口をきいていないのだけど、どうやって虐めたと? 昔から泣いて嘘をついて私を悪者にして、私を父に殺させようとしたり、後妻の母に鞭を打たせてたあの女が? 何の冗談かしら」
首を傾げて問えば、ホールが静まり返る。父に殺されそうになったとか、後妻の母に虐待されたとか、醜聞だもんな。
案の定、目の前の男五人の顔は青ざめていた。
「二人が家に来たのは私が五歳の頃。父が私を階段から突き落として殺そうとしたのが始まりですね。全身打撲、後頭部強打、片足骨折の大怪我でした。離れの屋敷に追いやられ、一人で花摘みにも行けない状態です。この状態で妹を虐めるとか可能でしょうか?」
不可能ですよね、と問えば、全員が青い顔のまま頷いた。
「できないのに、後妻の母は泣く妹の発言を信じて私に鞭を打ちました。肌が腫れ上がって、血が流れるまで打たれました。妹はその様子をドアの隙間からの覗いて笑っていました。これが虐められている人間の顔ですか?」
全員が首を振って否定する。
「で、では、魔法で攻撃したというのは……」
「自己防衛ですよ。風の魔法でよろけさせただけです」
宮廷魔術師筆頭の息子の疑問に即答する。
「その後、二人は私に近づかなくなりました。私は離れに引き籠りました。代わりに私の食事には、三食毒が盛られるようになりました。家族として言葉を交わした記憶はありません。私はいないものとしてずっと扱われていたので」
誰かが、ひっと、息をのんだ。
「それでは、お前が男をとっかえひっかえにしているという噂は」
「私ではなく妹ですよ。姉の名前を使って好き勝手やっていました。妹と裸になって良い事をやっていた男性の名前は、既に調査済みです。火遊びとは言え、二十人を超えていました。中には既婚者もいます。何人か名前を挙げた方がいいですか?」
近衛騎士団長の息子が持ってきた噂をばっさり切り捨てる。ついでに妹とやっていたやつの名前が知りたいかと尋ねると、顔を真っ赤にして首を横に振った。
「付け加えると実は十数日前、妹が夜遅くに馬車で一人どこかに行くので後を付けたら、暗い密室で、さる豪商の跡取り息子と裸になって良い事をやっていましてね。豪商夫妻と、父と後妻を現場に放り込んだら修羅場になりました。その息子、実は後妻とも浮気をしていたそうでして、ちょっとした騒動になりました。豪商の息子には別に婚約者がいたそうでして、大変でした」
ちなみに、空間転移の魔法で四人纏めて放り込んだ。その後すぐに、豪商の息子の婚約者一家も送り込んだ。
修羅場に次ぐ修羅場で、豪商の息子は婚約破棄の上で勘当されたらしい。
その豪商夫妻は息子の婚約者一家と結託して、父と後妻と異母妹と息子にキレて手を上げていた。豪商夫人の鞭の使い方がやたらと上手かったのだが、気にしないでおこう。
なお、嫌がらせで放り込んだのに、婚約者一家からはなぜか感謝された。話を聞くと、豪商夫に無理やり婚約を捻じ込まれて困っていたらしい。速攻で婚約解消をした後は、速攻で別の男と八日前に結婚式を挙げている。急遽、呼ばれて参加したが、新婚夫婦は非常に幸せそうだった。
豪商夫妻の恨みは買ったが、後日遭遇した際に後妻と異母妹の末路を語り、息子の駆け落ちの可能性を排除して上げたのだから近づかないので近づかないでくださいと、お願いと言う名の脅迫をしたので大丈夫だろう。魔法で記憶も弄ったし。
情報を喋り倒したので喉が渇いた。紅茶を飲んで喉を潤す。
眼前の男共は、何とも言えない表情をしている。泣く女に騙されていた、という事を知ったからなのだろう。
「可愛く泣くしか能のない妹の発言を本気で信じていたのですね。泣いているから必ずしも被害者であるとは限らないのに」
おバカさんねと、言えば、視線が王子の隣にいる男爵家令嬢に集まる。令嬢の顔の血の気が引く。
「後妻はその場で離縁を言い渡され、妹は勘当されました。その後、父の手で二人一緒に娼館に売り飛ばされました」
後妻と異母妹の末路を語る。
厳密にいうと、娼館経由で犯罪奴隷として奴隷商に売り飛ばされ、異母妹は直ぐに性奴隷としてどこぞの豚男爵に買われたらしい。異母妹を買った豚男爵は『庇護欲をそそる女を甚振る加虐癖』があった。今頃、号泣しているだろう。自業自得だ。
なお、後妻は年齢の高さから中々売れず、毎日奴隷商に鞭打たれているらしい。因果応報だ。
「父は今になって私のご機嫌取りに奔走しましたが、十何年も私に毒を盛り続けた罪で先日投獄され――陛下から死刑を言い渡されました」
「何だとっ!?」
王子が絶叫するも、ホールは騒然としなかった。王族の婚約者の父が投獄される。結構な醜聞なのだが、あり得ない情報が短時間に連続でもたらされた結果、感覚が麻痺しているのだろう。
「当然ですね。娘の暗殺を何度も実行したのですから。それに、死刑を言い渡したのは陛下ですし」
王の裁きに不満があるのか、王子の問いが、ホールに響いた。
「貴様には家族の情がないのか!?」
「ここまで色々とやられてどこに情が沸くのですか? 誕生日すら一度も祝ってもらった事もないのに」
婚約者からも祝われなかったですね、と付け加えると、うぐっと、王子は言葉に詰まった。
「それにですね。殿下の問いは、私ではなく、父達に言うべきですね」
「うっ」
王子に返す言葉がないらしい。俯いて沈黙した。
「コロナード伯爵令嬢。父君が投獄されたという事は、コロナード伯爵家はどうなるのだ?」
しかし、宰相の息子は冷静だった。本来ならば王子が気にすべき所に気付いている。
流石と言ってやりたいが、女が絡むと抜けているので、褒める気にはならない。
「家の今後に関しては、陛下と話し合って決めるのでお気になさらず」
王と話し合って決めると言えば、宰相の息子は、そうか、とだけ言って引き下がった。
実際にどうするかは決めている。
長女への虐待と嫌がらせと暗殺、後妻と次女の不貞、当主の離婚、ここまで醜聞が重なっているのだ。跡継ぎの養子になりたがる奴もいないだろうから、ここは素直に伯爵家は取り潰しで良い。
病死した母の実家は一応侯爵家で、養女に来ないかという誘いも実際に来ている。受けてもいいが、正直気が乗らない。
父は死刑を言い渡されたが、『殺すよりも死ぬまで労働力として酷使した方が国の為になる』とでも言って、犯罪奴隷として終身強制労働に変更してもらう予定だ。処刑執行人の仕事を増やす必要はない。一人増えても変わらないと言われても『私の気が済みません』とでも言って押し通す所存である。
残りの紅茶を飲み干して給仕にティーカップを渡す。
自分が喋り倒して、すっかり空気となった令嬢を見やる。手を叩いて場の空気を変える事も忘れない。
「さて、卒業パーティという事を忘れて、殿下がたが引き起こした茶番ですが、どう責任を取るおつもりですか? お祝いのパーティで事実無根の王族の婚約者を断罪と婚約破棄。陛下と王妃様はどんな処罰を望まれるのかしら。虐めがあったとだけ言えばよかったのに、私に濡れ衣を着せようとした以上、そこで空気となったご令嬢も処罰を受けますわよ」
立て続けに齎された衝撃的な情報ですっかり忘れていたのか、眼前の六人は顔をひきつらせた。
「筆記試験下から数えて学年十位の殿下。どの様な処罰が下されると思いますか?」
ギクリ、と大袈裟に肩を揺らして、狼狽える王子。王子の廃嫡の危機を察した、宰相の息子が助言する為に口を開いたと同時に、ホールのドアが大きな音を立てて開かれる。現れたのは王妃だったが、なぜか十数人の憲兵を引き連れている。
国王はいない。まだ復活していないのか。
椅子から立ち上がり、最上級の礼を取る。王子を始め、ホールにいた面々もあわてて礼を取った。
「皆楽にしなさい。パストラ嬢、現状を報告しなさい」
「はい。私がいかに事実無根であるか説明を終えた所です」
「なるほど、良い時に来られたようですね」
問いに即答すると、王妃は凄絶な笑みを浮かべた。どうやら色々と準備が終わったらしい。王妃は憲兵に命令を飛ばす。
「バカ息子と取り巻きの令息四人、そこの令嬢を捕縛しなさい!」
「はっ」
「えっ? 母上?」
王子と取り巻き令息四人、令嬢はあっという間に憲兵に縄で縛られ、床に転がされた。
訳が分からないという顔をした王子が王妃になぜと問う。
「母上! これはどういうことですか!」
「だまらっしゃいっ!! それはこちらのセリフだあああっ!!」
怒り狂っている王妃は、ハイヒールのつま先で王子の腹を蹴る。ぐえっ、と悲鳴を上げ転がる王子だが、王妃は頓着せずに息子の背中をハイヒールの踵で踏む。踏まれた息子は悲鳴を上げているが王妃の耳に入っていない。
「パストラ嬢の報告を聞いて、夫は倒れました。七時間以上時間が経っているにも拘らず、顔を叩いても尻を叩いても、未だに目を覚まさん!」
怒りで色々と忘れているのか、口調が変わっている。
というか、起きない国王の尻まで叩いたのか。
王妃は息子を小脇に抱えてズボンを降ろした。ホールにいた令嬢達が悲鳴を上げ、令息達は目を逸らした。王妃はどこから出したのか、愛用の革のサンダルを手に持ち、
「おまけに、パドロン宰相、キロス近衛騎士団長、ラバル大司祭、オルネラス宮廷魔術師筆頭までもが倒れた!! 責任が取れるのか、バカ息子ぉ!!」
手首をスナップを効かせて息子のつるりとした綺麗な尻を叩いた。スパンッ、と小気味のいい音がホールに響く。王子の悲鳴と制止の声も響く。
「い、痛い! は、母上、こんな所で」
「一度叩かれたぐらいで喚くな!」
「し、尻を叩くのは」
「うるっさいわっ!」
息子の懇願を無視して、王妃はそのまま尻を叩き続けた。
ちなみに、父が倒れたという報告を聞き、その息子達も困惑の声を上げたが、王子の悲鳴とスパンキング音でかき消された。
「うわぁ……」
そして自分はドンびきしていた。いや、よく見た光景ではあるのだが、やはり慣れない。でも止めない。自分の身が可愛いので。殴ってでも止める武闘派の、女王様な王妃様を止められる人間はこの場にいない。
やがて王子の尻が腫れ上がり、呻き声一つ上げられなくなった。王子は床に放り捨てる様に解放されたが、腹を踏まれた。ハイヒールの踵が鳩尾辺りにめり込んでいるが、王妃は気にしない。
憲兵から丸められた紙を受け取った王妃は、紙を広げて内容を読み上げた。
「王太子アミディオ、ボリバル・パドロン、セブリアン・キロス、エリーアス・ラバル、ファビオ・オルネラスお前達には国家機密漏洩の容疑がかかっている! そして、マリア・バルデス! 貴様には間諜活動の容疑がかかっている! 故に現時刻を持ってお前たち六人を全員逮捕する!」
王妃の宣言にホールは何度目か分からない騒然とした空気になるが、王妃の一睨みで、全員そっと口を閉じた。
沈黙が下りる中、上体を起こした王子の愕然とした絶叫が響く。
「マリアに間諜容疑!? 馬鹿な! 何かの間違いではありませんか!」
「間違いの訳ないだろう、このうつけ!」
未だに持っていた革サンダルで、王子の頬を張り飛ばした。腹を踏まれている為、転がる事もない。
王妃は息子の腹を踏んでいた足を降ろし、首根っこを掴んで、王子を膝立ちにさせ、サンダルを王子の顔に突きつける。
「お前につけていた、隠密護衛の者達からも確認が取れた。あまり教えていなかったのが不幸中の幸いだったが、お前が口を滑らせた会話に機密情報がいくつか含まれていた。どこまで口を滑らせたか、調査せねばならん」
「ひいぃぃぃ」
サンダルを突き付けられた王子は、震え上がっている。突き付けられているのが剣の切っ先ではなく、革のサンダルなので、非常にシュールな光景だ。
王妃の物理的な説教が始まる中、自分は周囲を見る。憲兵を見ると、目を逸らしていた。王子の様に震え上がっていないのは良いが、直視できないと現王家にはついていけないぞ。
転がっている令息四人と令嬢は、初めて見る王妃の素の状態に仰天している。ホールにいる面々も似たような状態だが、中には腰を抜かして、尻餅をついている令嬢もいる。実家の為に令嬢虐めの実行犯となった六人の令嬢に至っては卒倒しており、担架で運ばれている。
どうしよう。
触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、誰も止めに入らない。誰だって我が身が可愛いもの。
やがて王子の顔が腫れ上がり、気が済んだのか王妃は自分を見てにっこりとほほ笑む。いつ見ても美しい猫を被った笑顔に、自分を含めた全員に戦慄が走る。ほとんど人間はこの顔しか知らないから、さぞかし、恐れ慄いただろう。
「パストラ嬢。貴女が一番詳しく知っている様なので、そこに転がっている令嬢の情報とまとめて開示して」
王子の治療は不要らしい。腫れ上がった顔の王子は、こちらに縋り付く様な目が治してくれと言っているが、優先順位は王妃の方が高いので無視する。だって、王妃の目が『知ってる事全部吐け』と言っているから。
「はい」
王妃に返事を返すと王子は項垂れた。この状況で治す訳ないだろう。お前の婚約者じゃなくなったんだし。
「マリア・バルデス男爵令嬢。今から一年前にバルデス男爵家の養女に迎え入れられましたが、男爵夫妻との血縁関係は一切ない赤の他人です。年齢は私達と同じ十八歳となっていますが、これは誤りで、正しい年齢は三十歳となります」
「マリアが三十歳?」「う、嘘だろ?」
「男爵家の養女になる前は平民です。これは合っておりますが、出身地は隣国になります。そして、隣国においての名前は、マリアンヘレス。彼女の名前はこちらが正しいものになります」
「隣国出身?」「名前を偽っていた?」
「コホン。隣国においても彼女の身分は平民ですが、もう一つ別の立場があります。それは、王子の公妾です」
「「「「なっ!?」」」」
「う、嘘よ! 出鱈目言わないで!」
令息四人は愕然とし、令嬢は二度目となる言葉を発した。声が出せない王子も目を剥いている。
「出鱈目と言われても、バルデス男爵はすでに自白しましたよ。男爵が隣国王子の側近との接触があった事。金と引き換えに受けた事。貴女が隣国の王子に殿下から聞いた内容を手紙に書いて送っていた事。色々と喋って頂きました」
喋ってくれたというよりも、喋らせたというか。
「知っていることを全て喋るか、後遺症が残る麻痺毒入りの自白剤を飲むか、四肢を末端から少しずつすり潰す拷問受けて喋るか、どれか選べと迫ったら泣いて喜んで喋ってくれました」
そういうと令嬢は愕然とした。男共は震え上がっている。しかし、令嬢は何かに気づいて必死に否定の声を上げる。
「そんな事できる筈がないわ! 私は父様と母様に、毎日会っているのよ!」
「ん? 時間は、日中、貴女が学院いる間に済ませてもらいました。尋問した後、魔法による暗示で一時的に忘れて頂いただけですよ。非常に協力的でしたので怪我はしておりません」
現場には自分もいたので即答する。
この国で魔法による記憶の干渉が出来る人間は少ない。色々聞きたい事が有ったので進んで参加した。
「ど、どうやって会ったのよ!」
「男爵は『王城で仕事について話がしたい』と言って呼び出しました。夫人は買い物の最中に商人のふりをして声をかけ、商業施設風な外見の国有の建物内でお話ししました」
尋問を始めたら、発狂したかの様に錯乱した夫人を宥めるのは苦労したと付け加える。
「何で、そんな事をしたのよ!」
「間諜の疑いが有るからですよ。殿下付きの隠密護衛から『殿下が国家機密にあたる情報を熱を上げている令嬢に漏らしている』と報告が有り、すぐに貴女にも見張りがつけられましたよ。隠密護衛からの報告では、十日に一回のペースで手紙を送っていたそうですね」
言い逃れはできない。そう察したのか、令嬢は口を噤んだ。
「殿下の取り巻き方は機密をうっかり喋っていないか、後で、調べるそうです。殿下はどこまで喋ったか調べるそうですよ」
王妃様が行います、そう付け加えると一斉に目が死んだ。
「さて、話が少しずれましたが、マリア・バルデス男爵令嬢――いえ、マリアンヘレス。あなたの事について隣国の王子に問い合わせを行いました。『貴殿の公妾であられるマリアンヘレス殿が、我が国の王子に侍り、間諜紛いの活動を行っております。我が国との戦争をご希望でしょうか』と言った内容の手紙を送った所、本日、手紙が届きました」
ドレスのポケットから一通の手紙を取り出す。国章が入った封筒は、どの国でも王族でなければ使用できない特別な一品だ。王妃に恭しく差し出して、未開封である事を確認してもらう。第三者の確認は大事である。王族なら尚更信用できる。
「ふむ。間違いなく隣国の王族用の封筒――それも、未開封ですね。では、私が読み上げましょう」
王妃はサンダルをどこかに仕舞い、憲兵から受け取ったナイフで手紙を開封する。
「――隣国の次期王太子妃、パストラ・コロナード嬢。先日の問い合わせにあった『我が公妾とされている女性が間諜として活動している』件だが、私にマリアンヘレスと言う公妾はいない。そして、我が国は貴国との戦争は望んでおらぬ。故に、我が公妾を自称している女性はそちらで処分して頂いて構わない」
「そんな、イグナシオ様が……」
切り捨てられたと知り、令嬢の表情が絶望に染まって行く。やっぱり隣国のイグナシオ王太子の公妾だったのか。
と言うか、処罰ではなく処分か。これは白を切る気満々だな。
「隣接していると諍いの火種は絶えぬが、我が国は貴国と末永く良き関係でありたいと考えている。これは私だけの意見ではなく、父王も同じ考えである」
拷問状況について、もう少し微に入り細を穿つ様に詳細を書いて送っておくべきだったか?
「今一件で、我が国の名を騙って活動していたものによる被害が出たのであれば、後日正式に謝罪に伺いたい」
随分と腰が低い、いや、随分と下手に出て来たな。
「最後に関係のない話だが、私の側近数名が一ヶ月近くも行方不明となっている。最後に会ったのが貴女でないのは判明している。疑っている訳ではないか、何か情報を持っているのであれば、謝罪に伺った際にぜひとも教えて頂きたい」
ほほう。自分が絡んでいると分かっていて、最後に会ったのは自分じゃないと書いたのか。
「パストラ嬢」
王妃がこちらを睨んでいる。小首を傾げて、何でしょうか、と聴き返す。
「貴女、何をやったの?」
「何の事でしょうか?」
笑顔で返すと王妃は何とも言えない顔をした。
このやり取りを最後に、卒業パーティで起きた茶番は幕を下ろしたのであった。
王子が台無しにした卒業パーティは後日改めてやり直しとなり、華やかに行われた。来賓に隣国の王太子(三十一歳)が混じっていたが気にしない。王太子妃代理として、ダンスの相手を務めた。終始、哀愁漂わせて、側近について嘆いていた。
「側近が何人も行方不明でね、仕事が滞っている。一ヶ月近くも探して見つからないんだ」
「お手紙にも書いて有りましたが、本当に見つかっていないのですね」
ご愁傷さまです、と言った感じに返す。
はっはっはっ、恨めしそうに見られても、口は割らないぞ。先に仕掛けたのはそっちだからな。
しつこく尋ねられたが。存じませんで逃げた。
謝罪を受け取った後、肩を落として帰る様は哀れだった。
だって、行方不明って『どこにいるか分からない』って事でしょう。塵になった人間の行方なんぞ自分も知らん。
有能な人材はどこの国でも貴重だ。いきなり何人もいなくなるのは痛手だね。同情しないが。
仕切り直しの卒業パーティ終了後、茶番を引き起こした六人の処分が決まった。
自分の元婚約者だった王子は、王位継承権並びに王籍剥奪となった。国家機密――と言っても王城の隠し通路や緊急時の退避部屋の場所を漏らしただけであった。しかし、機密情報に当たるか否か判断できない上、口の軽さから重要案件などは任せられないとなったらしい。
処分決定時に、その場に自分もいた。馬鹿極まりない事に『やり直せないか』などとふざけた寝言を吐いたので、王妃の右ストレートで下顎を撃ち抜かれた。
どこかの領地を任せても運営はできないとの判断が下され、王城の敷地内の北の塔に生涯幽閉となった。
王子は一人息子の為、世継ぎはどうなるのって騒ぎにもなったが、先代の王弟の王位継承権を持った男子の孫を国王が養子に迎え入れたのでどうにかなった。十歳児のクレト王太子誕生である。
取り巻き令息四人は、国家機密漏洩こそしていなかったが、王子と同じで口の軽さか信用できないとなった。更に、本来ならば王子を諫める側なのに無実の自分の断罪に進んで協力した。また、自身の婚約者に諫められて逆上して婚約破棄を言い渡していたという事もあり、全員廃嫡となった。身分剥奪で平民として放り出されなかったのは温情――と言うよりも、各々の父親が卒倒し、家が大騒動になっているので、これ以上の心労を掛けてはならないという理由があった。
最後に男爵令嬢だが、当然だが一番処分が重かった。
次期王太子妃侮辱、国家機密流出の他にもやっていたらしく、処刑となった。
男爵家は領地没収爵位剥奪で取り潰し。元々借金の返済滞納で、返爵まで秒読み状態だったらしく、取り潰しはあっさりと行われた。
男爵夫妻と令嬢は共に公開処刑となり、令嬢だけは城壁に死体を晒された。国の情報を金で売ろうとしたのだから、男爵夫妻の死体も晒すべきでは、なんて声があったが、王妃が尋問の状況について詳細に語った所、これで十分となったらしい。
はて? 自分は怪我一つさせていないのに何でだろう。
最後に、自分の生家であるコロナード家だが、自分の要望通りに取り潰した。父の処遇も自分の意見が通り、処刑から変更となった。
王妃から文官になって欲しいと懇願されたが、醜聞塗れの家の出身である自分がいる事で悪評が広まるかもしれないからと断った。
元婚約者の個人資産五割と嫌がらせをしてきた家からの慰謝料でかなりの額の金が転がり込んで来たので、一人旅に出る事にした。
とある国の港町で、自分はとある人物と再会した。
大量の酒と肴を購入し、宿の一室で酒盛りをした。酒場で飲まないのは、聞かれたくない話をするからと、単純に相手の外見年齢が自分と離れているからだ。
再会したのはペドロと言う名の男だ。赤い髪に武人の様な体格の大男で、稀に熊に間違えられる。現在三十歳過ぎだと主張しているが、どう見ても、五十代の顔をしている。
酒の入ったグラスをぶつけて乾杯する。ペドロは蒸留酒、自分はワインだ。
「本当に久しぶりね。何回目ぶり?」
「わからん。どこの世界に転生しようが、わしは医者だ。やる事は変わらん。他の面子にはなかなか会わんしな」
「それはあんたが探さないだけでしょ」
「それは、違いないな」
ペドロは豪快に笑って酒を呷る。どれほど永い転生の旅を続けても変わらない在り様は羨ましい。
酒を飲みながら、自分はペドロにバラバラになってしまった仲間の話をする。
女衆三人――マルタ、ルシア、ミレーユと再会した時の事を話す。
男衆五人――ベネディクト、ロン、ギィード、クラウス、アルゴスと巻き込まれた騒動を話す。
どれもこれも懐かしい話で、ここに他の八人がいなくて寂しくもある。
夜も更け、肴がなくなった頃に酒盛りはお開きとなった。自分は隣に部屋を取っている。
片づけてから部屋に戻り、ベッドに大の字に寝っ転がると、ぼんやりとしてしまう。
どこの世界に転生しても治らない――否、転生するからこそ出来た悪い癖。
独りになるとぼんやりと過去に思いを馳せてしまう。過去は変わらないのに、過去の事ばかり考えてしまう。
上手く行かない事ばかりで、現実逃避する様に『どこかで役に立つかもしれない』と、読書や勉強、修練に逃げた。人付き合いは好きになれず、気の知れた相手ではないと拒む癖がついた。
「駄目だな」
やって来た眠気に身を任せ、目を閉じる。
いつこの世界から去り逝くかは不明だが、起きてから考えよう。
魔力が多い事を理由に、王族の婚約者に据えられる。魔法が存在する世界に転生すると稀に起きる事だった。
でも、今回の様ないざこざも起きるので、正直、王族の婚約者=罰ゲームとしか考えられない。王族と婚約していい思い出が極端に少ないのもその要因の一つだろう。
でも、変わらないのは『血の繋がった家族と仲良くできない』事だろう。不可能と諦めているのに、なぜ求めてしまうのか。
最初から孤児だったら幸せだったのかとも思ってしまう。
しつこく後妻が手を上げて来たので、いっそ棄てて欲しかった。できなかったのは、産みの母の実家が原因だろう。
幸福も愉悦も存在しない。何の為にこの世界に転生してしまったのかと考える事もあってか、いつしか求めなくなった。
流されるだけではいけないと思っても、求めるものはない。
どこに往きたいか分からず、飢えているのに求めるものが分からない。
故に、終焉を求める。完全なる己の死。それ以外に探究するものはなくなっていた。
幸福は約束されないが、家族との不仲だけは約束されている来世はどんな世界なんだろう。
興味は湧かないが、記憶を取り戻さず、静かに過ごせればいい。
そんな、叶わぬ願いを抱いてしまった。
Fin
ここまでお読みくださりありがとうございます。
悪役令嬢?にされた、何だかか黒い菊理のお話は如何でしたか。
思っていた以上にさらっとかけてびっくり、書いていて楽しかったです。
※誤字脱字報告ありがとうございます。
※指摘が有り、クレトを先王弟の息子から孫に変更いたしました。
追記
勝手な判断ですが、投稿から約二年が経過したので、誤字脱字報告を停止しました。
報告して下さった皆様、ありがとうございます。