仮面と薔薇姫
事務的に三処女の儀式についての連絡事項を伝えている間にも、シュレーゼはほとんど声を発しなかった。了承の合図も、その頭に被ったずた袋をゆらゆらと揺らすばかりである。
「以上で説明は終わりです。何かご質問はございますか?」
ラビスィーラがそう付け足すと、シュレーゼのずた袋が今日一番といっていいほど大きく傾いだ。
何か言いたげな様子はわかる。しかしいくら待ってもそれ以上進まない会話を続けるほどラビスィーラには忍耐力がなかった。
「なければ」と、終止符を打ち、ラビスィーラが席を立とうとしたその時、後ろに控えつつシュレーゼの通訳と世話に徹していた侍女が「あのう……」とためらいがちに口を開いた。
「わたくしから王太子妃殿下にこうお伝えするのも僭越かと思いますが、その……シュレーゼお嬢様は、少々人見知りの気がございます」
知ってた。
そう口には出さずに頷くラビスィーラとユリベル。むしろ人見知りというくくりに入れるには少々可愛げのなさすぎるレベルだと。
コホン、と咳払いを一つしてからラビスィーラが目の前のずた袋をもう一度よく見てみると、目の辺りにはこちら側が見えるようにと穴が開いていた。
こんななりのわりに物腰は落ち着いて見えるし、その小さな穴からきっちりとラビスィーラを見据えてもいる。
ふむ。これはただの人見知りではないのかと考え、ラビスィーラはもう一度しっかりと椅子に座り直した。
「確かに。今まで他家の方々とのお付き合いがなかったとお聞きしております。ですが、これからは社交界にデビューするとともに、アルゴレスト殿下の正式な婚約者になられるのですから、少しずつでも慣れていかないと」
「え、ええ。そうなのですけれども……」
「人見知りも度が過ぎれば悪意ととられても仕方がございません。主君を甘やかすことがためになるとも限りませんわ」
暗に、しっかりさせなさいと告げると、シュレーゼ付きの侍女は下唇を噛んだ。
わかってはいるのだろう。けれども鞭一辺倒だった頃の辺境伯令嬢時代とは違い、飴の使い方も覚えてきた王太子妃ラビスィーラは、ここで優しく笑いかける。
「義理の姉妹となるのですから、お話によっては私も出来る限りお手伝いをするつもりですのよ」
その言葉に誘われるように、ピクリと体を動かすシュレーゼ。
それを見て、彼女の侍女がゆっくりとシュレーゼの人見知りの様子を話し始めた。
「実は……ある時よりお嬢様は、極限られた者以外にはお顔を見せることができなくなってしまったのです。侯爵家内におきましても、侯爵様とお坊ちゃま、乳母でもありましたわたくしの母である家政長、そして乳姉妹のわたくし以外の前では、常にお顔を隠して過ごしております」
まさかの事実にラビスィーラとユリベルは顔を見合わせた。
「まあ……でも六歳の時に王宮へいらっしゃったと聞いていますが、それまでは……」
「はい。その少し後、母君でいらっしゃいます侯爵夫人が御逝去されてから、その、お嬢様はお顔を隠してしまいました」
つまり、この極度の人見知りは侯爵夫人が亡くなった後からだということだ。
だとしたら恐らくは、その辺りで何か顔に関して心を痛めることがあったのだろう。精神的なことならば、医者に聞くのが手っ取り早い。
ラビスィーラはそう推測、算段して気がつく。
「あら?そうすると、アルゴレスト殿下の前でも?」
アルゴレストは婚約してから毎月メキャリベ侯爵家詣でをしているという話も聞いていた。
ああみえて彼は王太子ウィルドレッドよりもはるかに忙しい。勉強に訓練、さらに王立学校に在学中時ですら侯爵家には毎月欠かさず通っていた。そんなアルゴレストがシュレーゼの顔を見ずに過ごしたということがありえるのだろうか。
「チッ!」
ラビスィーラの問いかけに、侍女の大きな舌打ちが響いた。
「コホン、……あのお方も、まあ、シュレーゼお嬢様とお顔を合わせられる数少ない方のお一人ではいらっしゃいますけれども」
苦虫を噛みしめたようなものの言い方に、アルゴレストの侯爵家での扱いが想像される。
「でしたらアルゴレスト殿下に相談を……」
「いいえ!アホ……ルゴレスト殿下は、なまじお嬢様とお顔を合わせることが出来ますので、この切実さがわかっていらっしゃらないのです」
とんだアホ扱いに、『アルゴレストどんまい』と、さすがのラビスィーラですらエールを送る。
「しかし、このままでは儀式もままなりませんね。選出されるまではベールを被っているからいいものの、選ばれた乙女がベールを上げて顔を晒して成立するのですから」
このままでは結婚できませんよと、軽く脅しを入れてみたが、シュレーゼの侍女は眼鏡をくいっと上げた。
「正直申しませば、侯爵家としては儀式自体成立などしなくても結構なのです。シュレーゼお嬢様がこのまま末永くお屋敷にお住みになられることを、皆様ご希望されておりますし」
「……ああ」
「けれどもこの儀式において、シュレーゼお嬢様が傷つかれたり、悲しまれたりすることだけが問題なのです」
つまり、アルゴレストの失敗は全く構わないが、シュレーゼにかかる火の粉が迷惑だと、力いっぱい拳を握り締めて力説する侍女。なるほど、とラビスィーラは頷いた。
『ダメ、これは私の手に負えないわ』
『アルゴレスト殿下が泣かれますよ』
『知らないわよ。面倒くさいもの、早く帰りましょう』
ユリベルと声を出さずに読唇術で会話し合い、再び腰を上げようとしたところで、鈴が鳴るような涼やかな声が、不似合いなずた袋から響いてきた。
「……あの、儀式なのですが、仮面を利用する、という方法は許されますでしょうか?」
「え……」
先ほどまでのもごもごした声とは一転して、はっきりとした口調にラビスィーラたちは驚いた。しかしそれ以上に彼女の侍女は驚愕を隠せなかったようだ。
「……ま、まあ!シュレーゼお嬢様が!わたくしども以外の方とお話ができるなんてっ……!」
「あら、マリサ。私だってちゃんとお話しくらいできましてよ。……それに、なんといっても王太子妃殿下は、私のお義姉様になるのだから」
「ええ、ええ。それでも、初めての方と会話が出来るようになられたとは、大変頑張られました。……これは、侯爵様にもご報告差し上げなければ!」
マリサと呼ばれた侍女は、涙を流しながらシュレーゼの成長を喜んでいる。
シュレーゼの成長はさておき、仮面という提案はギリギリなんとかなりそうだと、ラビスィーラは考えた。
選んでベールさえ上げてしまえばこっちのものだ。もうこの際サクッと三処女の儀式を終えて欲しい。
なにぶん、昨年王太子ウィルドレッドとラビスィーラの間に跡継ぎは生まれており、別段アルゴレストの子どもたちが王族の証である『加護無し』にならなくても大丈夫なはずだ。
そもそもシュレーゼがキャベツ畑の赤ん坊を、未だに信じている時点で、子どもが出来るかも怪しいのだ。
「それでは、ベールの下に仮面を付けて参加するという方向で調整をいたしましょうか。ただし、このお話はご内密に」
口元を人差し指で押さえると、ぴょこんと勢いよく背筋を伸ばしたシュレーゼが、ずた袋の上から同じように人差し指を立てた。
どうみても、これから簀巻きにでもされるような佇まいだが、ラビスィーラは敢えて見ないようにして侍女へと問いかける。
「今お使いになられている仮面はございますか?慣れているものの方がよければそちらにいたしますか?」
「はい。先ほどは急なことでしたので間に合いませんでしたが、普段はこちらをお使いになられております」
仮面ではないのですが、そう付け足して侍女の胸元から差し出されたのは、両目と鼻の穴だけが開いた真っ白なゴムマスク――
「怖っ!」
「え、なんと?」
「いえ、ええと……個性的?ですわね」
なんとかごまかしたが、見れば見るほど夢に見そうな代物だ。
「はい!こちらは、暗い中でもお嬢様を見つけられますようにと、光る塗料が配合された新素材で出来ておりますの」
鼻高々に語る侍女の頭がおかしいのか、自分たちがおかしいのか、ラビスィーラは一瞬だけ悩んだ。
そうして儀式に使用する仮面は、ラビスィーラが責任をもって用意をすると、固く約束を取り付けた。