アルゴレストと薔薇姫
アルゴレスト・ルナ・カロゼムはカロゼム王国の第二王子として生を受けた。
王族の特徴である赤毛と青い瞳をきっちりと受け継いだ彼は御年十八歳。
十三の歳から騎士に混じり鍛えた体躯はなかなかにたくましく、短く刈った髪といい、きりりと上がった眉や目尻は、少々きつめにも見えるが男らしくもある。
もともと元気がありあまる子どもだったので、鍛え始める前からも剣術、乗馬、それ以外にも体を動かすことを積極的におこなっていた。
かといってただ体を鍛えてきただけではなく、勉学にも非常に真面目に取り組み、同年代の貴族子息たちと共に学んだ王立学校の中でも抜きんでて優れた成績を修めてきた。
とにかく幼少の頃から王族の責務をきっちりと胸に抱き、努力を厭わない、それがアルゴレストという青年である。
何故そこまで彼が研鑽を重ね努力をし続けてきたかといえばそれは、王太子である彼の五つ上の兄、ウィルドレッド・ソル・カロゼムに理由があった。
なんというかウィルドレッドには少しばかり変わった言動が多く、その王太子としての資質がいささか危ぶまれていたという。
特に思春期を迎えた頃の王太子は見るからに酷かった。
自らを『邪眼の申し子・闇を司る蛇』と名乗っていた頃は、洞窟に入り込み侍従と共に三日間行方不明になり、ようやく救出された頃には涙と鼻水まみれの顔となっていた。
『昇竜が呼び覚ます、来い叢雲雷電』と天に向かい騒いでいた時は、大人くらいの大きさの凧をつくったかと思えば、それに張りつき空を飛ぶのだと言い切って、渋る侍従に無理矢理引かせた。
ふわんと体が浮かび上がった瞬間うぇーいと歓喜の声を挙げたかと思ったら、――王宮の二階ベランダからあっさり落ちた。
その結果が足首の骨折、全治二か月で済んだのはまだ僥倖といえよう。
そんな兄のとんちき騒動を間近で見て育ってきたお陰で、当時八歳のアルゴレストは達観してしまった。
(ダメだ……これは……僕がしっかりしないとわが国がどうかなってしまう)
その結果が、これ以後の彼の努力に繋がるのだがそれは別段問題ではない。
ウィルドレッドが無事国王を継承すれば、どちらにしてもアルゴレストはそれを一番近くで補佐するのだから勉学を修めることも体を鍛えることも必要不可欠なのだ。
問題なのはたった一つ。王太子ウィルドレッドが世継ぎを儲けずにぽっくり逝ってしまうことに尽きると、そうアルゴレストは考えた。
(こんなアホなことばかりしていたら、例え命を落とさなくても、お嫁さんの成り手なんてきっとない。いや、兄上は王太子だから無理矢理でも結婚はできるけど、きっと父上や母上のように仲良くはできないだろう。だって、あまりにも馬鹿すぎる……)
しかしそれも所詮子どもの浅知恵。
いくら王族の矜持を正しく持つ王子とはいえ、知らないことはわからない。跡継ぎというものはそういう意味で仲良くなくても作れるということを。
残念なことにこの時は、その手の勉強はまだ始まってもいなかった。
だからアルゴレストが八歳の春、彼の婚約者にと選ばれた、六歳になったばかりのメキャリベ侯爵家のシュレーゼとの顔合わせでとんでもないことを言い出してしまうこととなる。
けれども当時は真剣だったのだ。
なにせ、あの馬鹿、いや兄は絶対に子どもどころか結婚すらできないと思っていた。だから先にちゃんと言っておきたかったというのが彼の言い分だ。
大人になればそんな心配は杞憂だとわかるのだが、子どもの頃はわからなかった。
そうしてその時のアルゴレストの言葉こそが、今現在の彼に『あの日に帰りたい』と言わしめている悪夢なのだった。
『げんきなあかちゃんがやってくるように、今からりっぱなキャベツをつくれるようにがんばります!』
そう宣言した通りシュレーゼは頑張った。
メキャリベ侯爵家の裏庭にキャベツ畑を作ってもらい、東に良いキャベツ農家がいると聞けば教えを請いに手紙を出し、西に素晴らしい肥料があると聞けば買い求めに行かせる。
農業関係の本を読み漁り、土壌づくりに種づくり、裏庭だけではサンプルが足りないと、侯爵領でも空いた土地を開墾させどんどんとキャベツ畑へと変えていく。
お陰でメキャリベ侯爵領はこの十年で立派なキャベツの一大生産地となり、王都の食糧事情を一変させたのであった。
あえて追記するならば、メキャリベ侯爵家のお抱え料理人はキャベツ百選というキャベツ料理の本を出版しベストセラーにもなり、一家に一冊は必ずその本が置かれるようにもなった。
ちなみに、いまだシュレーゼの満足いくキャベツ畑は完成していないとみえて、今日も今日とて精力的に畑仕事に精を出している。
朝な夕なにキャベツ畑へと顔を出し、自らも鍬を持ち耕し、水を撒く。
つまり深窓の薔薇姫と呼ばれる侯爵家令嬢シュレーゼ・メキャリベは、十六になるこの歳になっても未だ『赤ちゃんはキャベツ畑にやってくる』と信じており、そのための努力を欠かさず常に研鑽しているのだった。