キャベツと薔薇姫
今から十年前、八歳のアルゴレストと六歳のシュレーゼの婚約における初顔合わせは、王宮の薔薇園で行われた。
アルゴレストの両親である国王と王妃、それからメキャリベ侯爵と一つのテーブルを囲みながら和やかに進められたそれには、生憎と病気療養中の侯爵夫人は出席することは叶わなかったが、母親がいなくともきちんとした挨拶をした小さなレディであるシュレーゼにはアルゴレストもとても好感を持った。
夫人によく似たと言われるシュレーゼの大粒のエメラルドのような瞳が、緊張に震えながらもアルゴレストを映す。
鼻は低めでそばかすも散っているが、ちょっとだけ癖のある金髪がきらきらとして眩しいと思った。
こんな小さくてふわふわした女の子が自分の婚約者なのだと思うと、普段は何事にも積極的なアルゴレストの方も胸がドキドキとして上手く喋れなかった。
そんな二人を微笑ましく思っていた大人たちのはからいで、薔薇園の案内を勧められたアルゴレストはシュレーゼの手を取りゆっくりと薔薇の中を歩きだす。
勿論護衛は付いてきているが、小さな婚約者たちが仲良くなれるようにといつも以上に遠まきに見守っていた。
そうして少し進んで行くと、大ぶりの赤い薔薇を見つけたシュレーゼが感嘆の声をあげた。
にこにこと笑いながらその薔薇に近寄り香り高い芳香を楽しむと、シュレーゼのピンクの頬がさらに色を濃くする。
アルゴレストには、まるで薔薇の色が彼女に移ったみたいだと感じてしまった。
(ぬいぐるみみたいに小さいのに、くるくると表情が変わって……どうしよう、すごく可愛い!)
ぽおっとシュレーゼに見とれていると、その彼女がくるりと振り返りアルゴレストへと頭を下げた。
「アルゴレストでんか、ありがとうございます。とってもキレイなバラを見せていただいて、シューはすごくうれしいです」
「…………シュー?」
「っあ……えっと、シュレーゼは……じゃなくて、わたしは、です」
慌てて両手を口元に添えるシュレーゼの仕草にアルゴレストの胸がキュンっと跳ね上がった。
「それはもしかして、シュレーゼの愛称なの?」
アルゴレストが尋ねると、もじもじと両手を擦り合わせながらシュレーゼが小さくコクンと頷いた。
きっとメキャリベ侯爵家の屋敷では自分で自分のことをそう呼んでいるのだろう。
子どもらしいものの言い方だったが、シュレーゼはやってしまったと言わんばかりに頬の色をなくし、その彼女の目元にはうっすらと涙が滲み始めている。
アルゴレストの指摘がシュレーゼを泣かせてしまうと思った彼は、急いで彼女の両手を掴む。そうして瞳を覗き込み、出来るだけ優しく問いかけた。
「とっても可愛いね。僕も、シューって呼んでもいい?」
その言葉に驚いたようにぱっちりと開けられたシュレーゼの瞳が、ゆっくりと弧を描いていく。
そうしてたどたどしく、言葉を紡いだ。
「……はい。よろこんで、アルゴレスト、でんか……」
一度白くなってしまった頬が、再びピンクに染まる。
「では、シュー。僕のことも、アルゴと呼んでくれ」
せっかくの愛称呼びならば、相互の方がより仲良くなれる。アルゴレストの両親も普段人前では国王陛下、王妃、としか呼ばないが、私室に戻ればお互い名前で呼び合う仲のよさだ。
こんなに小さくて可愛い自分好みの婚約者ならば尚更呼びたいし、呼ばれたい。
そう考えたアルゴレストは早速シュレーゼへとお願いをした。
「ア、ア……アルゴ、でんか?」
「うーん、どうせなら殿下は無しで。ね、シュー」
包んだままの両手に力を入れて、もう一度名前呼びをお願いすれば、シュレーゼの頬だけでなく顔全体が真っ赤に色付いた。
そうして、それは小さな声で囁くようにアルゴレストの名前を呼んだ。
「アルゴ……さ、ま……」
ぷるぷると震えながら、一生懸命アルゴレストの要望に応えようとする姿がたまらなく愛らしい。
まるで森の中に住む小さなリスのようだとアルゴレストは思った。
正直なところアルゴレストは花の良し悪しなど全くわからない。
だがしかしシュレーゼが薔薇を好きだというのなら、結婚したあかつきには絶対に住む屋敷には国一番の薔薇園を作ると決めた。
そうしてゆっくりと薔薇園を回り終え、保護者たちの待つテーブルへと戻ったところでアルゴレストは一番伝えたかったことを思い出す。
あまりにシュレーゼの言動の一つ一つが愛らしすぎて見とれていたために、言おうと考えていたことを忘れてしまっていたのだ。
一瞬、どうしようかとためらった。今ここで話さなくても、またの機会でもいいかとも考えた。
しかし、もうアルゴレストはシュレーゼしか考えられない。
婚約者となったのだからと、思い切ってシュレーゼの手を取りじっと目を見つめ、それからこう言った。
「シュー、結婚したら僕たち、いっぱい、いっぱーい赤ちゃんを作ろうね」
アルゴレスト言葉に、和やかに会話していた親たちから苦笑いが起こる。
「まあ、アルゴ。いくらなんでも気が早いわよ」
「そうだな。メキャリベ卿、気を悪くしたらすまぬ」
「……いいえ、陛下。あー……なかなか頼もしいではありませんか。ハハ、ハハハ……」
メキャリベ侯爵の声だけは若干冷気を含んでいたものの気にしていられない。なんといってもアルゴレストには切実だった。
とにもかくにも、出来るだけ早く赤ちゃんを作りたいと、もう一度親たちの前でシュレーゼに伝えると、今度こそ空気が凍った。特に、メキャリベ侯爵は背中にブリザードを背負って見える。
そんな親たちの心情など知る由もないお子さまたちは二人の世界に入り込む。
「あかちゃん、……ですか?」
「うん、僕とシューの赤ちゃんがいっぱい欲しい。ダメかな?」
「ううん。あ、はいっ、わたしもほしいです、アルゴさまのあかちゃん」
そうシュレーゼが頬を赤くしながら答えると、メキャリベ侯爵の足が崩れ落ちた。
そんな侯爵をほったらかして、彼女はさらに追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「でも、アルゴさま。……あかちゃんって、どうやったらできるのですか?」
首をこてんと横に傾けるシュレーゼの姿がまた可愛い。なんといっても六歳だ、当然ながらそんな大人のあれやこれやなど知ったことではない。
まだまだ幼さの残る表情で尋ねられたが、生憎とアルゴレストも八歳であり、まだそこまでは誰にもちゃんと教えられてはいなかった。
結婚して仲良くなるのは大前提なのだがその先のことはわからない。
今ここで教えてもらおうと思い両親の方を向けば、ものすごい勢いで顔を背けられた。
メキャリベ侯爵にいたっては、先ほどのシュレーゼの質問を聞いた途端、崩れ落ちたその場で痙攣を起こしていた。
これでは大人たちは皆、全く役に立たない。
その間にも、シュレーゼの期待に満ちた瞳がアルゴレストを真っすぐと見つめている。
ここでわからないなどと答えられない。なんといっても自分はシュレーゼの婚約者なのだから、期待には絶対に応えると意気込み考えた。
(えーっと、ずっと前に読んだ本の中に書いてあったよな。あれは確か……あっ!)
「…………キャベツ」
「キャベツ?」
「そう、結婚して仲良くしていると、キャベツ畑に赤ちゃんがやってくるって。本に書いてあった!」
アルゴレストが四歳くらいの時に読んだ絵本の内容を伝えると、シュレーゼのエメラルドのような瞳がキラキラと輝き始めた。
「まあ!そうなのですか?」
「うん。間違いないよ」
「では、わたしがんばりますね」
「え?」
何を?と、アルゴレストが聞き返す前に、シュレーゼは胸を張って言い切った。
「げんきなあかちゃんがやってくるように、今からりっぱなキャベツをつくれるようにがんばります!」
そう宣言した通りその日から、メキャリベ侯爵家令嬢シュレーゼは何を置いてもまずキャベツ作りに精進しだすこととなったのだ。
そしてこれが、後にアルゴレストが思い出す度にのたうち回りたくなるほどの、一度目の失言だった。