005話
「俺たちは、【大蛇団】だ!」
そう叫んだ盗賊の一人。
同時に突きを放とうとしたネロの剣が、狙われた男の額を貫く寸前で止まる。
「……"【毒蛇】のオリヴェル"の盗賊団か」
「そ、そうだ……それで……えっと」
口を開いた男を見据えるネロ。
男は必死に頭を回転させて、必死に言葉を続けようとしている。
それほどネロの殺気は恐ろしかったのだろう。
自分の股間の辺りが濡れている事など考える暇も無く、何か有益な情報がないか考えているらしい。
「【大蛇団】といえば、それなりに所帯の大きい盗賊団だな?」
「そ、そうだ……」
「それに、街の外で活動することが多いと聞くが?」
ネロはハンターとしてこの依頼を受けた際、エイビスバール周辺で有名な盗賊団については一通りの情報を仕入れていた。
彼らの【大蛇団】も有名な盗賊団の一つで、金品を狙ってエイビスバール内よりもその外で活動する事が多いとされる盗賊団だったはずだ。
こんな遺跡の中で、しかも指定特殊領域であるシラクロフの塔で活動しているとは考えにくかったのも事実。
「そ、それが……」
「……なんだ? 何か最近変わったのか?」
言い辛そうにする男に対し、ネロは目を細めて質問する。
同時に先程下げられていた剣先が少し上がる。
その様子に「ひっ」と悲鳴を上げながらも、男は慌てて言葉を続けた。
「と、頭目が変わったんだ! それ以降、ハンターを"仕入れろ"って……」
「……なるほどな」
ネロは盗賊団の動きの変化について、色々と仮説を立てていた。
その中で予想していたものの一つ。それは、「頭目が変わる」という事態である。
盗賊団というのは実力主義の部分があると同時に、それ以上に年功序列がものをいう。
後で入った者ほど下っ端であり、余程トップが望んで引き入れたような人物でない限りは"信頼関係"で成り立つような集団だ。
頭目の交代が発生するのは、基本的に頭目の死亡が原因だ。
だが、時折頭目のやり方について行けない、と考えた副頭目や他の幹部が頭目を手に掛け、"交代"となる場合もある。
「誰に変わった?」
「それが……カルロって名前の男なんだが……」
「カルロ……?」
聞き覚えのない名前だ、そう感じながらもネロは先を促す。
「それで、いつ変わった?」
「確か……3ヶ月前くらいだ。元々、お頭が参謀としてスカウトした男だったらしくて、最近入ってきたんだ。そして……」
「その男はどこだ?」
表情からして、恐らくその"参謀"が裏切るなり何かして、盗賊団を自分の物にしたのだろう。
ここ最近入ってきた男に乗っ取られた盗賊団。明らかに怪しい。
居場所を聞き出そうとするネロだが、男は首を振った。
「俺たちには分からない……俺たちのアジトはこの上の階層だが、新しい頭目は来ないんだ」
「……」
アジトに顔を見せない頭目。
"仕事"の種類が変わった盗賊団。
明らかに新しい頭目に変わった事に対し不満を持ちつつも、それを口にする事のない盗賊たち。
一部の連中は新しい頭目を受け入れていないのだろう。新しい頭目について触れたときの男の表情と、それに対する他の連中の表情がそれを物語っている。
「……そういえば、扉の外でお前たちの話を聞いたとき、『お頭』といっていたやつがいたはずだが」
先程扉の前で声を聞いたとき、確かに『お頭』と言っていたのをネロは覚えている。
そのことからすると、もしかしたら頭目に近い、関係の深いやつがいるかも知れないと思ってネロは男に尋ねた。
だが、男は視線を積み重なった死体に向ける。
「……あー、俺が殺したのか」
「ああ。あいつらは新しい頭目に追従していたからな」
「ふむ……」
もしかしたら、新しい頭目と繋がりがあって、居場所を知っているかと思ったのだが、既に屍となっていたらしい。
少し自分の手の早さに後悔しつつ、ネロは他の情報を聞くことにした。
「その新しい頭目……カルロと言ったか、特徴は?」
「特徴……」
しばらく考える男たち。
すると、先程までネロと話していた男以外の盗賊が口を開いた。
「左手の甲に、何か刺青みたいなのが入っていた気がする」
「刺青か……特徴的だな。形は?」
「円形の……詳しくは分からねぇ、見づらかったから……」
「そうか……」
そう言ってから思案するネロに対して盗賊たちは必死に声を掛ける。
「な、なあ……これで俺たちを……解放してくれねぇか?」
「は?」
「だ、だって……情報の見返りって……」
そんな事を言い出す盗賊たちにネロは呆れの視線を向ける。
「お前ら、最初と条件が同じだと思っているのか? あれはまだ俺に対して攻撃意思を持っていない状態だったからこそだ。お前らは確かに攻撃をしてきていないが、俺に対する攻撃を止めようとしたわけでもない」
ネロのその言葉に押し黙ってしまった盗賊たち。
あくまでネロは、あの時点で情報を出すようにと言っていたのである。
あの時点でもし彼らが他の連中を止めていたら状況は変わっていたのかも知れないが、それはもはや意味の無い仮説である。
「もちろん俺がお前らを殺すことはない。だが、お前たちを放置する訳ではない……然るべき形で、裁きを受けてもらう」
「ぐっ……」
これ以上話すことはないと思ったのか、ネロは盗賊たちから視線を外し、近くの壁にもたれて身体の回復を図っていたアーシャに声を掛ける。
「調子はどうだ?」
「まあ、完璧じゃないけど。低層階くらいなら大丈夫だわ」
そう言いながら剣を振るアーシャ。
彼女が使うのはシミターに似た曲刀のようだ。
未だ多少身体に違和感があるのか、少し手を開いたり閉じたり、膝の曲げ伸ばしをしている。
「アーシャ。君は先に塔を出て、警備兵を呼んで欲しい」
「ん? それなら一緒に出た方がいいんじゃない?」
「俺はもう少し調査する」
アーシャとしては、出来れば状況説明のためにも一緒に戻って欲しかったのだが、ネロは調査のためにまだ留まるとのこと。
ハンターとしてパーティを組んでいるわけでもないので、アーシャもそれに対して少しは不満を感じつつも納得することにした。
「……じゃ、私は警備隊を呼んでくればいいのね? 何か他には?」
「そうだな……」
少し顎に手を当ててネロは考え、もう一つアーシャにお願いすることにした。
「出来れば、ギルドに行ってローランに話した上で、警備隊を連れてくるのがいいな。出来るか?」
「ローランさんに……? あなたサブギルドマスターと繋がりがあるの?」
「多少な」
そう軽い感じで告げるネロに対し、戦慄の表情を向けるアーシャ。
アーシャといえど、ローランとは数えるほどしか話したことはないのだ。
Eランクであるネロが平然とローランの名を口にする事に、なんとも言えない驚きを感じたのである。
「……まあ、いいわ。それで……ネロだっけ、あなたの名前を出せばどうにかなるんでしょう?」
「ああ、ローランなら分かってくれる。出来れば状況説明を軽くしてくれると助かるな」
「……お願いが増えている気がするけれど。ま、私を助けてくれたわけだからそのくらい聞くわ」
「じゃ、頼むな」
ネロはアーシャが階下に下りていったのを気配探知で感じ取りながら、改めて盗賊たちに向き直る。
「――さて」
そう告げたネロの目は、先程までとは違う冷酷なものだった。
その表情を見て、凍り付いたような表情でその様子を見守る盗賊たち。
もしや命を取られるのではという思いが、彼らの表情にありありと表れてる。
「安心しろ……命は取らない。ただ――」
そう言ってネロは剣を逆手に持ち、正面に掲げる。
同時にネロの魔力が纏わり付き始め、剣からの気配が強くなっていく。
「――すこし、眠っていろ」
盗賊たちが見たのは、ネロの剣が姿を変えたこと。
そして、その剣から発せられる圧倒的な威圧感を感じ、そして床の感触を感じたのが、彼らの最後の記憶だった。
◆ ◆ ◆
警備隊と数名のハンターがやってきて盗賊たちを回収し、アーシャと共に引き上げていくのを見送ったネロは、さらに上の階層に上がっていた。
《……それにしても、あんなことをするなんてね》
「まあ、出来るだろうという予想はしていたからな」
エルヴィラの呆れたような、それでいて驚くような声を聞きながら返事をするネロ。
ネロはそれに対して肩を竦めながら何でもなかったかのように話す。
《するのはいいけどさ、処理するボクの立場になって欲しいよねー》
ぼやくエルヴィラ。
だが、それ以上は特に何も言うことない。
現在ネロが走っているのは6階。
情報によるとどうやら【大蛇団】がアジトとしていた場所がここに在るらしいので、ネロは気配探知をしながら捜索していた。
「塔にしては広すぎるな……まるで空間拡張されているような」
《うーん、多分間違っていないと思うよ? 大体、この塔は遺跡なんでしょ?》
「そうなると、この塔自体がアーティファクトとも言えるかもな」
そんな会話をしながら移動するネロ。
しばらく進むと、一つの部屋に突き当たった。
「ここか」
《そうらしいね》
基本的にエルヴィラはネロの移動ルートと、塔自体のサイズや形状の探知からマッピングを行う事が出来ている。
その中で、塔の壁面に位置していないのに"壁際"となっている場所があった。
情報と上層階の探知によってほぼ確定したのだが、どうやら間違いなかったらしい。
「よっ、と……」
部屋に入ると一見、通常の部屋にしか見えない。
だが、最も壁面に位置する壁の、微妙に色と面が異なるブロックに手を触れてそれを押し込むと。
――ゴゴゴゴッ!
「なるほど……隠し扉か」
《王城の脱出路みたいだね》
恐らくは、監視塔であるが故の緊急避難経路なのだろう。
特にトラップは無さそうだが、いずれにせよ注意して進むのが得策である。
ネロも分かっているのだろう、瞬駆を使わずに普通に歩いて移動している。
《こういうときに空中浮遊を使ったら?》
「うーん……それもそうか」
空中浮遊のスキルは不思議なことに、魔力消費というものがない。
対する瞬駆には魔力消費がある事を考えると非常に不思議ではあるのだが、恐らくそう言う性質のものなのだろう。
ネロは仮面を出すとその場に浮き上がり、移動を開始する。
「……一気に面白みがなくなったな」
《安全だから良いじゃないか》
だが、この移動方法は地面に備わったトラップに引っ掛かるという可能性がなくなる。
もちろん壁にトラップが存在すれば引っ掛かるのだろうが。
とはいえ、探索において楽をすることは悪いことではない。釈然としないものを感じつつも、ネロはそのまま下に行き、隠し部屋に辿り着く。
「ここか……なるほど、倉庫というわけか」
この位置はちょうど4階と5階の間に位置する部分であり、普通に人が行き来できる程度の天井の高さがある。
左右の棚の造りや、作り付けの重厚な木箱などを見る限り、かつては緊急の倉庫として使われていただろう事は想像に難くない。
「さて……」
《これはなんかの資料かな?》
棚や箱の中に残る書類、素材、お金、武器……それらをひたすらにアイテムポーチ内に片付けていくネロ。
素材はそこそこレアなアイテムも存在しており、大蛇団が相応の実力と目利きを持ってハンターを狙っていたであろう事が分かる。
武器に関してはピンキリではあるが、それでも中堅クラスのハンターが使っていて遜色ない品質のものが複数見つかった。
「これは持ち主に返却した方がいいか?」
《うーん……大体持ち主はいるのかな? それに、タダで返すわけじゃないでしょ?》
「そりゃな」
元の持ち主が既に他の武器を買っているかも知れないし、大体そのハンターが今でもこの都市にいるとも限らない。
そんな事をエルヴィラと会話しながら、一つ一つの棚を片付けていくネロ。
「ん?」
《おっと……?》
すると、一つの箱に目を留めたネロ。
それは装飾の施された20センチ四方の箱だった。
だが、そこから漂うのは独特の魔力。
《これ、持ち主の魔力かな? 少なくとも人間の魔力なのは間違いない》
そう告げるエルヴィラ。
エルヴィラはネロの中にいながら、ネロの活動をサポートすることに徹しようと考えていた。
その一つとして、周囲の探知というのがある。
気配探知のスキルをネロが得る前から、エルヴィラはネロが身に着けているペンダント型のアーティファクトを通して周囲の様子を認識していた。
そして不思議なことに、ネロの視界を共有するだけでなく三人称視点での視野を得たエルヴィラ。
さらに、だれもが少なからず体内に保持する魔力を探知し、種族、性別、およその年齢、そして一度見知ったならば対象の確定までが出来るようになってきたのだ。
「エルがそう言うなら間違いないな……効果は分からないか?」
《効果は実際に触れないと分からないけど……少なくとも開けるべきじゃないね》
「なるほど……」
エルヴィラの忠告を聞きながら軽く指先で箱に触れるネロ。
するとエルヴィラが反応した。
《む……これは探知系だね。でも効果は分からない……結構しっかり隠蔽しているね》
「つまり、それだけの力を持っている術者が作った箱という訳か」
そう言ってネロが箱を持ち上げようとした瞬間……
《駄目だっ!!》
「?」
エルヴィラの切羽詰まったような声がネロの脳内に響き渡り、ネロは箱から手を離す。
「どうした?」
《ネロぉ……不用意だよ?》
咎めるようなエルヴィラの口調。
ネロはまだ箱を持ち上げる前だったため問題なかったようだが、どうやら箱が置かれている棚板にも魔法陣が描かれているらしい。
持ち上げるだけでも、何らか問題が発生する可能性があるようだ。
《まったく……魔法の掛かったもの、特に探知系の魔法が掛かっているやつは注意しろって言われなかったっけ?》
「すまん……」
流石のネロもこれには謝るしかできない。
騎士団での訓練では当然、戦闘面だけで無くこういった罠やマジックアイテムについても教えられたはずなのだ。
少なくともエルヴィラはそう記憶している。
「いかんな……数週間とはいえみっちり勉強したはずなのに」
《ホントに注意してよねー》
そんなエルヴィラの注意を聞きつつ、ネロは他のものを探すことにした。
ちょうど上の段にも物が載っているようだが、すこし高い位置にあるためネロは先程の箱が載っていた棚板に手を掛けて上の段を覗き込もうとした。
(魔法だろうと、根本の魔力を吸収してしまえたら無効化できそうだがな……)
――フッ……
《あれ?》
「どうした?」
《棚板の魔法陣が消えた……》
「は?」
ネロが手を掛けていた棚板。
その棚に描かれていた魔法陣が消滅していたのである。
それからすぐに、今度は箱の魔力が消失した。
「は?」
《えぇ……》
まさかの事態。
探知系の魔法が掛けられた棚板と対応する箱、そのどちらも魔力が消失し、魔法の効果が消滅してしまったのである。
「……これ、拙くないか?」
《いや……魔法自体が消失しているから問題は無いけどさ……》
エルヴィラの呆れ声。
だが、彼女がそういうのも仕方が無い。
なにせ、普通魔法を無力化するという作業は、魔法を構築する式を読み取り、適宜逆数を当てて魔法の構築を解き、無力化するのが彼女の持つ常識なのだ。
《何してるのさ……》
「いや……俺は特になにも?」
そうネロは言うが、エルヴィラが納得するはずもなく。
《いや、間違いなくネロのせいだよ。大体、「根本の魔力を吸収すれば」なんて考えてたじゃん》
「そうは言うがな……」
実のところ、このエルヴィラの言葉は正しい。
この世界での常識は、魔法――正確には魔力操作というものは、既に構築されたものを使うというのが当たり前だ。
しかし、本当のところは強いイメージと事象に対する理解や認識があれば、発動するのである。
つまり、ネロが考えたように根本たる魔力を吸収するとイメージすれば、それを実現させるのは何ら問題は無い。
さらに言えば、「吸収すること」に特化したネロであれば、呼吸レベルで行うことも容易なのだ。
「ま、まあ……俺じゃなくても出来るだろ? 結局魔力をどうするかってことなんだし」
《なに言ってんのさ……魔法陣っていうのは普通、消滅なんて考えられないものだし、魔力を抜き取るなんて誰も思わないんだけど? それをネロは……》
ネロはいまいち理解していなかったが、ネロのが行った方法は横紙破りのような方法だった。
一つの例えを考えると分かりやすい。
通常紙に何か文章を書いた場合、その文章を修正したり、完全に削除するのであれば消しゴムで消すなり、修正液で消すなりする必要がある。
それには手間が掛かり、しかも完全に消えるとは限らない。もし完全に消したければ、"インク"を脱色し、色自体を無かったことにするしかない。
つまりネロがやったのは、インク自体の色を脱色してしまうようなものだ。
確かに描かれているのだが、インク自体の色が無くなっているために誰も読むことができず、ましてや復元も出来ない。
そんなレベルの事柄をあっさり行ったネロに対して、最早驚く事すら通り越して呆れるばかりのエルヴィラ。
「……とにかく、これも手元に置いておくか。中身は後で確認だな」
少しそっぽを向きながら、そんな事を言うネロだった。
◆ ◆ ◆
小一時間ほどで大蛇団のアジトが片付いたので、ネロも塔を出て帰路につく。
ギルドに立ち寄ると、ローランが出てきて大蛇団の捕縛への感謝を伝えられた。
また、警備隊からも協力に感謝すること、今回はハンターによる捕縛のためギルドと共に尋問や調査に当たることを伝えられた程度で終わった。
アーシャは今、ギルドで被害者としての事情聴取を受けているらしく、未だ出てきていなかった。
「さて、帰るか」
《面倒になったんだね……でも、アジトの報告はしなくて良いのかい?》
そんな事を聞いてくるエルヴィラ。
だがそれに対し、ネロは首を振った。
《アジトにある宝物は全て、盗賊を討伐あるいは捕縛した者に権利があるんだ。望む者がいれば買い戻しという制度はあるが、それも任意だしな》
ハンターになった時に渡される約款のようなものに、この辺りの情報も書かれている。
ネロは本や文字を読むことに苦労しないタイプなので、その日のうちに読んでいたりする。
無論エルヴィラとて知ってはいるのだが、元々の育ち故かどちらかというと自己犠牲的な考え方に動きやすい。
この点、割り切った状態のネロの方がハンターに向いているのかも知れない。
《まあ、とにかく例のマジックアイテム……だったものもあるわけだし》
《あ、それは報告するんだ》
《ミズキは詳しそうだろ? ついでとして教えてもらえたら、な》
そんな脳内会話を繰り広げながらしばらく歩いていくと、曲がり角から猛スピードで走って来るものの気配を感じ、ネロは壁際に下がる。
すると、次の瞬間にはかなりの勢いで曲がってきた4輪馬車が、かなり急いだ様子で駆け抜けていく。
どうやら普通のことではないようで、周りを歩いていた歩行者たちも驚いて目を丸くしている。
「……こんな時間に何だ一体? 危ないだろうに」
《かなり急いでいる感じだったね~》
エイビスバールは都市というだけあって非常に広い。そのため、徒歩では移動に時間が掛かるのだ。
緊急を要する場合や、貴族たちなどは街中を馬車で移動するのが専ら一般的である。
(とはいえ、自動車には敵わないだろうな)
ネロが元々生きていた世界――地球では、当然自動車が当たり前だった。
馬車が頑張っても、一般的な自動車の速度に対し半分以下のスピードしか出ないのだ。
この世界ではマジックアイテムにより馬車や馬を強化している事もあるが、それでも誰もが所持できるようなものではない。
さて、そんな事を考えながら20分ほど歩くと、ついにソーラス情報屋が見えてきた。
だが、建物の前に普段は見ないような大型の馬車が横付けにされている。
(……なんだ? 紋章が描かれているところからすると、貴族か?)
しかも、馬の背中から湯気が立ち上っている事から考えても、先程までかなりのスピードで走っていたのであろう事は容易に想像できる。
(となると……さっきの暴走馬車か?)
曲がり角を勢いよく曲がってきて走り去っていった先程の馬車。
そういえば方角としても同じだ。
(鉢合わせしたくないな……裏から入るか)
嫌な予想が出来てしまい、ネロはげんなりする。
面倒に巻き込まれないためにも、裏から回って居住スペースの方に入ろうとするネロ。
と、その時……
「――――ッ」
一瞬、ネロが息を呑み周囲を窺って警戒する。
とはいえ、フードを被った状態で顔を動かさずに視線のみ動かす事で行われた行動であるため、もし周囲で見ている者がいても警戒しているとは感じないだろう。
そんなネロの警戒の表情だが、すぐに消え去り普通の表情に戻る。
(…………)
ネロはそのまま建物の裏に移動し、通用口の鍵を開けて中に入った。
『――! ~~!!』
『――。~~~』
すると、扉越しにも聞こえてくる声。
もちろんネロの聴覚は以前を遥かに超えたものになっているのだが、普通の人であろうと気付くであろう声の大きさで会話しているのが聞こえてくる。
『じゃから、なぜ妾が解析をする必要があるのじゃ? それこそお抱えの魔道士がおろう』
『それでは実力が足りんのだ! あのマジックアイテムには相当な式を掛けておるのだぞ!? お主ほどの腕がなければ探知のしようがないに決まっておろう!』
『そんな物は情報屋の領分ではない!』
客は30代くらいの男のようである。声が割と若く聞こえるのと、少々感情的に話す感じからして、経験の面でも若さを感じる。
彼はどうやらミズキに何か依頼に来ているらしいが、ミズキは自分の領分ではないと突っぱねている様子。
しばらくネロは様子を窺っていたが、中々話は終わりそうにないようだ。逆に相手はよりヒートアップしているようにも感じる。
《どうするの?》
《……面倒だが、ミズキのところに行くか》
基本的にはミズキの仕事中に顔を出す必要はない。
とはいえ、世話になっている人物を放置するのもどうかと思い、ネロは情報屋の側に出た。
「貴様……この都市の名士か何か知らんが、私に逆らえばどうなるか――」
「おっと、そこまでだ」
ミズキを脅すつもりか、あるいは傷つけるつもりか分からないが短剣を抜こうとした男。
その背後に、一瞬で現れるネロ。
「なっ!?」
護衛だろう、客の男の近くに立っていた騎士風の男が驚いて声を上げる。
なにせ、ほんの一瞬前まではいなかった人物が現れ、自分の主人の手を抑えているのだ。
そして驚いたのはミズキに突っかかっていた男も同様だった。
(何だ……こいつの力は!?)
男は少なくとも武芸の素人ではない。
というのは、貴族階級はそれすなわち戦士階級と言っても過言ではないのだ。
そんな自分が、本気ではないとはいえ相応のスピードで抜こうとしたのを抑えられている。
「き、貴様……何者だ?」
問い詰めるつもりで口を開くが、出てくる声はそこまでの強さはない。
身体は素直に、相手の持つ力を理解できてしまっているようだ。
「なに、彼女から依頼を受けたハンターさ。だが、客とはいえ俺の雇い主に手を上げられては困るのでね」
「くっ……!」
歯噛みする男の腕から手を離し、軽く肩を竦めるネロ。
だが男の文句を聞く前にネロはミズキに向き直った。
「今戻った、ミズキ」
「……予想より早い帰宅じゃな。ともかく……」
頭が痛そうに額に手を当てるミズキだが、溜息を吐くとすぐに客たちを追い出すことにしたようだ。
「――もう店終いの時間じゃ。これ以上は時間の無駄じゃよ」
そう言いながら手で払って"出て行け"とジェスチャーをする。
客の男はそれでもなお言い募ろうとするが、どうやら様子を見に来た執事らしき人物が、男たちを回収し、ミズキとネロに一つ頭を下げてから出ていった。