苦い思い出
脈絡なく思い出す、苦い思い出がある。
中学生の頃の話だ。
私は当時、文芸部に所属してヘタクソな詩を書いていた。
本当は詩ではなく童話とかファンタジーを書きたかったけれど、私の通っていた中学校の文芸部では、顧問の先生の方針でまず部員に詩を書かせていた。
詩のように短いものなら、根気のない中学生でもなんとか書けるであろうこと、『詩』ということにすれば文学的なセンスがあまりなくても作品として比較的サマになりやすく、添削や指導もしやすいこと……、辺りが理由なのかもしれない。
私はある意味素直というか、大人に逆らわないタイプの中学生だったのもあり、クラブ活動の内容に、なんか思っていたのと違うなあとぼんやり不満を抱きつつも、のたのたと好きでもない下手な詩を書いていた。
活動は月に二回ほどで、年三回くらいの文集作りが文芸部の主な活動内容だった。
要するにあまり活発な活動をする部ではなかったし、部員同士の交流も薄い、そんなクラブだった。
それは入部して、おそらく二度目くらいに作った文集だったと記憶している。
質の良くないざらっとした紙で刷って大きめのホチキスで止めただけの、出来上がったばかりの文集を開き、私はびっくりした。
一作品、細かい字でびっしりと書きこまれたすごい作品があったからだ。
それは私と同学年の、ほとんどしゃべったことのない女の子の作品だった。
先輩方を含め、皆う~んと言いたくなるレベルの詩を書いてくる中、彼女の作品だけが見事な『童話』だった。
きちんと起承転結のある、背後に独特の世界観すら感じられる、所謂ローファンタジーのまごうことなき『童話』だった。
我々が文集に寄せている腰折れ作品とはレベルが数段違う、色々な意味で垢ぬけた作品だった。
私は絶句した。
『詩』を書けと言われていたのに、自分の書きたい『童話』をシレッと書いてくる度胸。
文章のところどころは、年齢相応の拙さはある(と、当時ですら私は感じた)ものの、現実の裏にある不思議な国の空気を捉えて表現できる感性。
嫉妬すら湧かない完成度の高い作品。
中学生でこの度胸、感性、作品のレベル。
茫然とした。
天才だと思った。
でもその文集を出してすぐ、彼女はクラブに顔を出さなくなった。
理由はわからなかったし、先生方も何も言わなかった。
クラブの活動自体そもそも活発ではないし、私自身も彼女と個人的に話したこともなかったしで、その件は曖昧なまま、我々の学年は時期が来るとクラブを引退し、やがて中学校を卒業した。
他の部員も私と似たり寄ったり(偏見かもしれないが、文芸部に所属するタイプの子供に、他人へ強い興味を持つ者は少ないのだろう)だったので、中途から姿を消した彼女の存在はゆっくり忘れられていった……と思う。
あれだけの実力だ、中学の文芸部など馬鹿らしくなって辞めたのかもしれない。
そんな風にも思っていた。
大人になってしばらく経ち、私は、とある童話作家の全集が出ると知った。
二~三作品は小学校の国語の教科書に作品が取り上げられている、独特の雰囲気がある作風の作家さんだ。
根強いファンのいる有名な方だけれど、新刊が書店の平棚に並べられ、ガンガン売れるタイプの作家さんではない。
もうお亡くなりになったそこそこ古い人なので、昔に発表された作品は手に入れにくくなっている。
これであの人の全作品を一気読み出来るとホクホクしながら、私は全集を買った。
ひとつひとつ、大事にじっくり読み進めているうち……とある作品の冒頭で、私は心の中で『あっ』と叫んだ。
遠いあの日、彼女が文集に書いた作品とそっくりな作品があったから。
文集の現物はすでに処分しているから記憶だけだが、『そっくり』ではあったが完全に同じではなかった、気がする。
でも、登場人物の年齢や性別や性格などの設定、この世の裏にある異界の雰囲気や重要な台詞の幾つかは、完全といって語弊がないくらい同じだった。
ただ地の文というか、状況や心情の描写はもっと省略あるいは簡略化して書かれていた。
イメージ的に、その作家さんの作品を半分くらいのボリュームに圧縮した、お試し版・廉価版な感じの作品だったのだ。
それでも原作(作家さんの作品)の中にある、異界の少女の寂しさや悲しみ、主人公の少年の切なさは、いささか軽くなってはいるものの、彼女の作品の中にもきちんと表現されていた……と、思う。
『盗作』『剽窃』という言葉が、原作であろう作家さんの作品を読んだ後、私の脳裏に浮かんだ。
少なくともその作家さんの作品は、彼女が書いた時期よりも前に書かれ、発表されていたのは確かだ。
彼女が急にクラブへ来なくなった意味、先生が何も言わなかった意味が、十数年、いやもう数十年になるだろうか、急に生々しく私に見えてきた。
私の記憶の底にあったキラキラが、瞬く間に薄汚れた。
あの作品は私の記憶の奥底で輝いていたのだ、自覚していなかったけれども。
中学生であそこまで書いた彼女を、同窓生として勝手に誇りに思っていたのかもしれない、これも無自覚のうちに。
それくらい彼女の『作品』は、私にとって好きなタイプのお話だった。
今思えば当然だろう、元々は私の好きな作家さんの作品だったのだから。
彼女がどこまで意識して、プロの作品を真似たのかはわからない。
そこに罪の自覚があったのかなかったのかも。
彼女は単に、大好きな作品によく似た作品を書きたかっただけなのかもしれない、二次作品でも書くように。
記憶が曖昧なくらい小さい頃に読んだ、あるいは読み聞かせてもらった作品が、自作の案としてふっ…と浮かんできてしまったのかもしれない。
彼女自身の自覚はともかく。
元の作品を知っている人が読めば確実に、『影響を受けた』で済まないレベル、はっきり言ってほぼ同じだとわかる作品だった。
当時、文集が出来上がると部室内で自作を朗読しあい、顧問の先生から講評をもらったり他の部員から意見を聞いたりした。
その時の彼女に、悪びれた様子は一切なかった(少なくとも私には感じられなかった)。
皆と同じように淡々と『自作』を朗読し、顧問の先生に褒められていた……と思う、多分。
作品の衝撃がすごかったからか、当時の私は何も言えなかったし、他に意見を言えた部員もいなかった、ような記憶がある。
おそらくその後、顧問の先生から個人的に彼女は『作品』を書いた経緯を確認され、窘められたり、場合によれば叱責されたりしただろう。
この思い出は、彼女を残念に思う意味で『苦い』部分もあるが、それ以上に。
自覚なく好きな作品を真似てしまう恐ろしさを見せつけられ、とても『苦い』。
彼女に『盗作』『剽窃』の意図はなかったと思う。
だが指摘され、改めてその作家さんの作品を読んだ瞬間、息が止まりそうな気分になっただろうと、私は今、思う。
自覚のない真似は、自覚が無いからこそ恐ろしい。
彼女の強張った顔が目に浮かぶ。
痛ましさに胸が苦しくなる。
今でも私は、こうして綴っているお話が自覚なくどこかの誰かのすごい作品を真似ていないだろうか、と、瞬間的に恐ろしくなることがある。
胸の底がヒヤッとする。
一瞬後、いや大丈夫だと言い聞かせ、ほっと息を吐くのだ。
不思議なことに、私は彼女の名前や顔を覚えていない。
初見で感服したすごいお話、実際は『苦い』問題作を書いた作者、としてだけ、おぼろげな容貌のイメージと共にぼんやり記憶している。
仮に町で彼女とすれ違ったとしても、私にはわからないだろう。
セーラー服を着た曖昧な容貌の彼女は時々、苦い思い出として不意に、私の中へ顔を出すのだけれど。