6 毒
修道服に着替えたカザンと一緒に、毎朝の日課をこなす。力持ちのカザンのお陰で、井戸水を汲むのがとても楽で助かった。
真顔で「褒めて」と見つめてくるカザンの頭を撫でーー背が高すぎるのでしゃがんで貰ったーー玄関の掃除を終える。
食堂で、フェンメルから新しい修道士の仲間入りが告げられ、朝食を食べ始める。
この教会に、修道士がいなかったのもあるが、シスター達がチラチラとカザンを見つめている。
カザンの精悍な顔つきは女性の興味を引くのであろう。
私の左にエマルが、右にカザンが座っているのだが、二人とも何故か朝食に手をつけていない。
「カザンさん、お久しぶりです。昨日はマリア様の部屋で良く眠れましたか?ささ、遠慮しないで朝食召し上がってください!」
「……」
どうにもトゲがあるエマルの様子に、もしかして、と私はカザンの前にあるスープを引き寄せ匂いを嗅ぐ。
「わわ!マリア様、それはカザンのですから!食べちゃダメです!」
あわあわと慌てるエマルと、スープから匂う微かな香りに、私ははぁ、とため息をつく。
私に分かる匂いだ、きっと獣人であるカザンには酷く匂っていただろう。
「エマル、食べ物で遊んではダメよ。これは貴女が責任持って食べなさい」
カザンのスープをエマルの前に出し、代わりにエマルのスープをカザンへ渡す。
それでようやくカザンがスープを食べ始める。
「うぅ、マリア様と寝るのは私だったのにぃ」
何がそんなに悔しいのか、唸りながら出されたスープを口にするエマルは、何事も無くそれを食べ終える。
「それは何を入れていたの?」
「一滴で致死量のちょっとした毒薬です」
「…ちょっとした?」
愛らしい顔に似合わず、エマルの趣味は毒薬作りである。
彼女もまた、大魔女時代の弟子だが、彼女には魔力が無い。
魔術が使えず、大魔女の役に立てないと泣き喚くエマルを、弟子達と一緒に宥めたのはいい思い出だ。
代わりに薬草類の知識を教えたのは大魔女だが、まさかこんなにハマるとは思ってなかった。しかも毒薬特化で。
極めた彼女の体は、毒が効かない特技を身に付けた。
「あ、そう言えば。昨日畑にいたら、シスターマリアに合わせてくれっていう男の人が来たので、お茶をご馳走したんですよ」
「…殺したの?」
「ちょっとした腹痛を起こしてお帰り頂きました!三日くらいしたら治りますが」
「…ちょっとした??」
エマルには今度言葉の本をプレゼントした方がいいのかもしれない。そうしよう。
朝食の後は朝の掃除を終えて、ようやく朝の日課である祈りを行う。
今日は両隣にエマルとカザンが揃っているが、気にせず祭壇に向かって祈りを捧げる。
「女神様女神様、聞こえてますか? 今日こそは姿を現して頂けますか? 大丈夫です、今日は酷い事しませんから。弟子達が全員集まるなんて、こんな嬉しい事があったのですから。そう、ちょっとだけ、ちょっとだけ頬を張り倒すだけですから」
「アン、女神殺すなら俺も手伝う」
「女神様に毒って効きますかねぇ?とりあえず全種類試してみますかー」
弟子達の気遣いが滲みるわ。何て優しい子達なのかしら。
…修道士と修道女の発言ではないけれど。
日課を終えれば、今日は信者の対応をせずに、カザンに教会の内部と部屋を案内する。
シスター達と同じ居住区ではなく、会堂を挟んで反対側の通路にある部屋を使って貰う。フェンメルの部屋もこちらにある。
簡単に部屋の掃除をしてると、カザンに袖を引かれた。
「イグニスが来てる」
「あ、マズい!忘れてた」
玄関口で名前を叫ばれては堪らないと、急いで部屋を出る。
会堂に出ると、フェンメルとイグニスが扉の前で話し込んでいるのが目に入る。
フェンメルがイグニスを宥めてくれていたのだろうか、恥ずかしい思いをせずに済んでほっと安心する。
二人に近づくと、珍しく真剣な顔つきで向き合っているのが分かる。
「フェンメル司祭様、どうされました?」
シスターとして問い掛ければ、振り向いたフェンメルはいつも通り、にっこりと微笑みを浮かべる。イグニスだけは、まだ真剣な表情のままだ。
「丁度良かった。マリア、エマルを連れて私の執務室へ来てくれますか?勿論カザンも一緒に」
「? はい、分かりました」
呼び出されたメンバーを考えれば、十中八九大魔女関連であると予想出来るが、一体何の話があるというのか。
あれか、私の女神殴りたい欲求に苦言を呈すのかしら。今日は三人で女神に文句言ってたせい?
検討がつかないまま、庭で薬草、もとい毒草育成に精を出すエルマを連れて執務室へと向かう。
司祭の執務室は、フェンメルの部屋の隣にあり、自室と執務室が扉一つで繋がっている。
執務室に入ると、既にフェンメルとイグニスが揃っていた。
二人がけのソファーが、ローテーブルを挟んで一つずつ置いてあり、私達は扉側のソファーへ座る様促された。
二人がけの為どうしようかと迷ってたら、カザンに抱き抱えられ、膝にちょこんと座らされる。
いや、どういう事。何で誰も突っ込まないの。あ、フェンメルが嫌そうな顔してた。
向かい側のソファーにフェンメルとイグニスも座ると、イグニスが一通の手紙をテーブルに差し出す。
「昨日、お前らも会った副官から預かってきた手紙だ。既にフェンメルには見せてあるが、マリアにも関係する事だ。読んでみろ」
セリスからの手紙が、何故私に関係するというのか?
不思議に思いながらも、手紙を開く。
「…帝国からの要請?聖女??」
「一ヶ月前、帝都に異世界から女神の加護を持つ女が現れた。その女を皇帝が聖女と呼んで保護してたんだ」
「女神の加護って何なの?」
「その聖女様が、女神と同じ黒髪に、膨大な魔力を持ってたんで、女神が愛した愛し子て事で加護持ちといわれてる」
イグニスが淡々と説明してくれているが、さっぱり要領を得ない。
「これが、私に何の関係があるの?」
「聖女の存在と力を見せつける為に、各地の教会に祈りを捧げて巡るんだそうですよ。ついでに騎士団の護衛付きで。各地の教会には、それ相応のもてなしをしろとの要請が出ているんです」
フェンメルはため息を漏らし、私から手紙を取り上げると、その手紙は彼の手の中で一瞬で燃え上がり灰になる。
「忌々しい帝国騎士団が来るなんて、いっそのことこの手紙の様に葬ってしまいたいですね」
「同感だ。俺は大魔女を殺した帝国も、騎士団も許しちゃいない」
なるほど。二人が珍しく真面目に話し込んでいたと思えば、この事に関してだったのか。
「…俺も、騎士団は嫌いだ」
ギュッと抱きしめてくるカザンが私の頭に顔を埋める。
「追い返せないんですか?大魔女様が嫌な思いするのは、私、耐えられません」
私の手を握るエマルは、少々震えている。
私の弟子達は、なんとまぁ、師匠想いに育ったものだこと。
真剣な表情で私を見つめる皆を見てると、ついつい口角が上がってくる。
「大丈夫よ。可愛い私の弟子達。だって、私はもう大魔女じゃなくてただのシスターマリアなんだから」
「でもマリア!」
「帝国からの要請を断る事何て出来やしないし、護衛の騎士団が大魔女時代に出会った奴等とも限らないじゃない」
「それは、そうだが。うっかり殺しちまいそう」
「物騒ね」
「大魔女だったお前に言われたくねーわ」
ふんっ、と顔を背けるイグニスは、大魔女時代の少年だった頃に良く見ていた光景だ。
大人になった今も、こういう所は変わらなくて微笑ましい。
「物騒な事が起きる前に、いざとなれば転移術で皆を飛ばしてあげるわ」
「大魔女様、その時は全員一緒に飛ばしてください。勿論大魔女様も一緒です!」
キッ、と見つめてくるエマルに両手を握られ訴えられる。ちょっぴり涙目になってるエマルは、昔の事を思い出してしまったのだろう。
あの時は急いでいて、それぞれを各地に飛ばしてしまったが、可哀想な事をしてしまった。申し訳ない気持ちで、エマルを安心させるように、私も手を握り返す。
「ええ、勿論よ」
私に愛すべき弟子が出来たと気づかせてくれた人は、一体誰だったかしら…。