5 悪夢
天気が良い日は、新しい魔術を試すに持ってこいである。
別に雨でも嵐でも、新しい魔術や魔術具が完成したら、試したくて仕方がないので天候は関係ないのだが。
徹夜してまで完成させた今回の魔術は、幻影の魔術である。
最近配属された監視役の騎士が、少々、いや、かなり口うるさく厳しいので、監視から抜けるためにわざわざ作ったのだ。
この庭に来るまでも、着いて来ようとしたので、転移術で皇帝の自室に飛ばしておいた。ふふふ、怒られるがいいわ。下っ端騎士よ!
予め魔術陣を描いておいた四角形の羊皮紙を庭の芝生に置き、魔力を込めて発動させる。
羊皮紙の上の景色がぐにゃりと歪んだ後、私の幻影が映し出される。
「よし、成功ね! ほうら私、デスクで寝ている振りをして頂戴?」
私の指示に、幻影はその場でデスクに顔を伏せる仕草をする。ここにはデスクも椅子も無いので、空気椅子で眠る素晴らしいパントマイムを披露してくれた。
「完璧ね、これであの監視役…なんだったかしら。ら、ら、らい…なんとかの野郎から逃げ出す手段が増えたわ」
大魔女と呼ばれる私なら、監視役から逃げる事も、拘束して動けなくさせる事も簡単なのだが、新しい監視役の彼は、揶揄うと反応が面白いので、これはただの暇つぶしである。
一人、高笑いしつつ完成した余韻に浸っていると、庭の茂みの中から、一人の少年がヨロヨロと現れた。
「あら珍しい。人が入り込んでくるなんて」
私がいる場所は、皇帝の居城の一角に建てられた大魔女の屋敷の庭である。
国民から恐れられている大魔女の敷地内にわざわざ忍び込んでくる命知らずはいないので、少年がいる事に驚く。
「イグニスよりは、年上かしら?」
二年前に拾った弟子と比べてみると、身長も体格もこの子の方が少しだけ大きい気がする。
観察していると、全身傷だらけの少年は、その場でへたりと座り込んでしまった。
このまま放っておくと、騎士団員に連れて行かれて、子供だろうと侵入者として扱われ何をされるか分からない。
まだ子供の弟子を持ってしまったが為に、同じくらいの子供を見殺しにするのは少々気が引けるようになってしまった。
仕方なく、近づいて声をかける。
「アンタ何処からきたの?」
「……」
「ここは大魔女の庭だから、早く出て行った方がいいわよ」
「……」
「こわーい騎士達が来るわよー?」
大魔女であるこの私を無視するとはいい度胸だ。
座り込んでいる少年は、ぜぇぜぇと苦しそうに喘ぐだけで、金色の双眸をこちらに向けてはいるが、一言も話さない。
「しょうがないわねぇ」
傷が痛んで話す気力も無いのかと思い、私は手に魔力を込めて少年の頭に翳す。
少年の金髪と汚れた服がふわりと浮かび、瞬く間に見える傷を癒していく。
傷が癒されて驚いたのか、両眼を大きく見開いた少年は、突如私の腰に抱きついてきた。
「ほら、これで歩けるでしょ?さっさとお帰りなさ…服を掴まないで、ちょっと、離しなさい、離すの、やめて!鼻水つけないで!」
堰を切った様に声を押し殺して泣く少年に、涙から鼻水からをドレスに付けられて、私は大慌てで引き剥がそうとするが、何故かびくともしない。
子供のくせに大した腕力である!
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「うぅ…汚い、鼻水はやめて…」
息苦しさに、ハッ、と目が覚める。
昨日早く寝たからか目覚めから頭がスッキリしている。ただ、何故目の前に壁があるのか分からずパチパチと目を瞬かせる。
起きようと思ってもびくともしない体で、顔を上に向ける。
スヤスヤと寝息を立てて眠る金髪の男が、あどけない寝顔で私を抱きしめて寝ている。
息苦しかったのは、このせいか。
「起きてカザン」
逞しい胸板に手を当てて、ユサユサと揺さぶる。
ゆっくりと目を半分開けたカザンは、暫く腕の中にいる私を見つめた後、先ほどよりも腕に力を入れ抱きしめ、また目を瞑ってしまう。
「こらこら、良い子だから起きなさい」
「……いやだ」
「お腹空いたでしょう?昨日、あんまり食べさせてあげられなかったし」
「……別にいい」
「何で起きたくないの?」
「……起きたら、アンが離れる。もう離れたくない」
カザンの言葉に、キュッ、と胸が締め付けられる。
十四年前、いきなり転移術で飛ばして、何処かの地で大魔女の死を知った彼は、一体どんな気持ちだったのだろう。
弟子たちの中で一番甘えたなカザンではあるが、こんな風に言葉に出したのは初めてではないだろうか。
寂しい思いさせちゃったわね…
「起きても、私は何処にも行かないわよ。それに、このままじゃブラッシングも出来ないし。好きでしょ?されるの」
「…好き」
ブラッシングを餌に、渋々と私を解放してくれたカザンの頭を、よしよしと撫でる。
「さて、まずは服をどうにかしないとダメね」
起き上がった私は、そっとカザンにもうふをかける。
夜の間に、犬から人へ変化した獣人の彼は今、全裸である。
ベッドに横たわったまま、カザンが私の手首を掴む。
「アン…」
「私の名前はマリアよ。アンシャーリーはもう死んで、生まれ変わったのが私」
「…アンの匂いがする」
スンスンと手首を匂いを嗅ぐカザンから手を取り返し、私はベッドから降りて、修道服に着替えるべくクローゼットに向かう。後ろからカザンが着いて来ようとするので、とりあえず毛布を肩からかけて隠すようにお願いする。
流石に鍛え抜かれた素晴らしい肉体だとしても、シスターの部屋に全裸の男がいたらおかしい。いや、男がいる時点でアウトである。
着替え終わると、私は転移術を発動する。
待ち構えていたかのように、なんの動揺もないフェンメルが部屋の中に現れる。
「どうしましたマリ…」
私がカザンに後ろから抱きしめられた姿を見つけたフェンメルは、ニコニコとしていた顔が固まり、こめかみがピクリと動く。
「なるほど、その犬を始末して欲しいというお願いですね。分かりました、直ぐにでも灰にして差し上げましょう」
「違うわ。カザンの服を用意して欲しいのよ。修道士の服があったでしょう?」
「………仰せのままに」
たっぷり間を取ってから、フェンメルが消え、直ぐ様修道服を手に戻ってきた。
ついでに下着も持ってきてくれる気が利く司祭である。