第122話 “汚くも真っ当な異世界人ども(ダーティーホワイトエルブズ)”その2…偽りのダークヒーロー編
「ごめんな、フェットチーネさん。やっぱ私、どうしてもミトラさんの所へ行かんとあかんねん」
それは、クラムがミトラを罠にかけにいく直前にまで時間が戻る話。
クラムが睡眠薬で眠ったフェットチーネに、そう声をかけて部屋を出ようとした時。
「はぁ……。ここまでしてまで行く覚悟が有るていうんですね」
むくりと起き上がるフェットチーネ。
クラムはギョッとして目を見張る。
「寝たふり……やったんですか」
「クラムさん滅多に自分でホットのコーヒー入れへんやないですか。バレバレやで」
「うー……」
だが軽くため息をついた後で、フェットチーネはニヤッと笑った。
悪戯っぽい表情でクラムに話す。
「そういえば以前読ませてもろた薄い本。あれイケメンじゃなくてもう片方のおデブさんのがクラムさんの好みやったんですね〜」
「すみません、ここへ来て精神的拷問は勘弁してください」
「ああゴメンゴメン。ホンマは私が出会い頭に、思いっきりミトラをドツきたかったんやけどな。クラムさんに任せます。その代わり、上手く私の受け持ちまで追い込んでや」
「任せて! それはもうバッチリやで!!」
*****
「お前は…………フェットチーネ!?」
ミトラがそう愕然として呟くのを、聞こえた様子も無く近寄って来るフェットチーネ。
勿論、その態度に友好的な気配は微塵も感じられない。
最初は静かな歩みだったのが、少しずつその足取りに力が入り、最後はズカズカと力強くミトラとの距離を詰めて来ていた。
「い……生きてたのかフェットチーネ、会えて嬉しいぜ。良かったらまた──」
激しく重い打撃音。
フェットチーネが震脚と共にミトラの胸に撃ち込んだ掌底が、ミトラに最後まで喋らせる事を拒絶した。
激しく悶絶するミトラ。
ミトラは、薬と今の掌底打撃のダメージとで、身動きままならぬ身体を必死に動かし、フェットチーネから距離を取る。
震える手で魔剣イミテーションブリンガーを構える。
こいつはこんなにも重かっただろうか、と思いながら。
フェットチーネは、そんなミトラの様子を冷たく見つめる。
掌底を撃ち込んだ場所から動かずに。
ミトラが魔剣イミテーションブリンガーを構えると、再びズカズカと無造作に近寄って行く。
「ま……待てよフェットチーネ。俺はいま薬でマトモに動けないんだ。そんな状態で俺を倒しても何の自慢にもならね──」
突然、フェットチーネは跳ねるようにミトラとの距離を詰めると、左手で魔剣の切っ先を弾き、さらに懐へ。
右手でミトラの握り手を掴んで動きを封じると、そこから身体を回転、左の裏拳を思い切りミトラの顔面に叩き込んだ。
鼻の骨が折れて顔面が歪むミトラ。
歯も一緒に折れたようだ。鼻と口から血が溢れて出てきた。
ミトラは恥も外聞もなく喚く。
鼻が潰れているので聞き取りにくい。
「て……テメエら……汚えぞ……俺を寄ってたかって……嬲りものに……しやがって……」
それを聞いたフェットチーネは、いや、その場にいた殆どの者が全員似たような表情を浮かべた。
呆れの混ざった見下しの表情。
同じ表情を以前誰かにされた事がある。
誰だっただろうか。
その彼等の表情は雄弁に物語っていた。
「何を甘えた寝言をほざいているんだコイツは」と。
その彼等の表情に頭に血が昇り、怒りに支配されるミトラ。
魔剣イミテーションブリンガーをプロテクターに変えて手足に装着。
そしてフェットチーネに対抗して拳法の構えを取──。
──どうやって構えるんだったっけ!?
そう、ミトラからは“主人公属性”だけではなく、チートの全てが消滅していた。勿論、《近接戦総合マスター》も存在しない。
全ての戦闘技術をチートに依存していたミトラに、戦闘のノウハウは何も残ってはいない。
今までの戦闘経験を蓄積しようと考えた事も無いので、知恵すら残っていなかった。
仕方が無いので、なけなしの知識で構えようとする。
その知識は、遙か前世の日本人だった時に見た、バトル漫画のポーズ。
だが動かす手足が重い。
これは薬の影響だけではない。
──おいテメエ、俺にエネルギー寄越せ!
ミトラは魔剣にそう叫ぶように思考を投げつけた。
魔剣イミテーションブリンガーは面倒臭そうに返答。
“長く魂を食らっておらぬ。もうとっくに蓄えは尽きておるわ”
──この前一人食わせただろうが!
“だから、いま貴様は生きて立っておる。でなければ、とっくに貴様はくたばっている”
チッ、と歯噛みしてミトラは手足を必死に動かす。
手甲足甲の重みで動きが振り回される。
簡単にフェットチーネに懐に入られて、何度も攻撃を体幹に撃ち込まれる。
やがて襟首を掴まれて身体を密着させられ、大きく足を払われた。
いわゆる大外刈りといわれる柔道の技だ。
これ以上は無い、というほど綺麗に技にかかったミトラは、背中から地面に転倒。
フェットチーネはそのミトラの胸を足で押さえつけた。
そして誰かに声を掛ける。
「どうしますか、タリスさん。こんなヘナチョコですが、貴女も一発殴っときます?」
ミトラがそちらに視線を向けると、そこには褐色銀髪の、裸のようなレオタードを着たエルフの女。
そいつは、タリスは、手に「ニホントウ」を持ってミトラとフェットチーネを見ていた。
手にする刀は、兄が使っていた物ではなかったか!?
「別に良いわ。アンタのを見てるだけで、充分気が済んだ。それに元々、私はアンタのフォローでここに居るから」
そうタリスはフェットチーネに答える。
その後にミトラを見て、「フォローは必要無かったけどね」と続けた。
それから「ニホントウ」にタリスが話しかける。
「アンタはどうなの? ベニオトメ」
「私もタリス様に賛成です。ご主人様の無念を奥方様が晴らす。これほど胸のすく構図はありません」
その紅乙女の言葉を、タリスは苦笑しながら修正する。
「無念ってアンタ……そもそもアイツはまだ死んでないでしょ」
「そうでした、失敗失敗。てへぺろ♪」
その時、表で自動車が数台止まる音が聞こえ、複数人が降りる気配がした。
やがて、フェットチーネが入って来たのと同じ方向から、新たな人物達がやって来る。
後ろに舎弟を数人引き連れたその集団の先頭に立つのは、頭以外を全身鎧で身を包んだ髭面のヤクザ、バローロ。
そしてその隣にいるのは、車椅子に座った人物。横には点滴を吊るす器具。それも舎弟の一人が運んでいる。
車椅子を押すのは、フェットチーネも見知った少女、ブラン。
そしてその車椅子に座る人物こそ──。
「ショウ!!」
その男を見て、フェットチーネは思わず叫んだ。
そのマロニーを自称する男の名前を。
本当の名前を。
その車椅子の男は、左手を失い顔の右半分を包帯で覆った男は、黙ってフェットチーネを見つめる。
その左の眼からは涙が一雫。
車椅子を押していたブランが話しかける。
「ショウ……。それが自分の本当の名前なんやな、マロニー」
「…………そうだ」
ようやく、絞り出すようにブランに答えるマロニー……ショウ。
その彼の姿を見て反応した者がもう一人。
「テメエ……兄貴! このクソ雑魚がよくもテメエええええええェェェェ!!」
ミトラが吠える。
だがそれもフェットチーネが、グリグリと足の抑えつけを強めると、苦しげな呻き声に変わった。
それでもミトラは息も絶え絶えに続ける。
「テメっ……こっち来い! ……タイマンでっ……勝負……しろっ……卑怯モンがッ!」
兄は、マロニーいやショウは、ミトラの言葉に眉一つ動かさない。
やがて静かに答える。
「相変わらず、自分勝手なガキの理屈ばかりほざく奴だ。卑怯? お前にだけは言われたくないな」
そして続ける。
「南米で俺とエヴァンにけしかけた魔物女は何匹だった? “騎士団”を掌握するときも不意打ちで何人も突入させてきたよな? ロングモーンと戦っていた俺達の後ろから不意打ちするのはなんだよ? そもそも故郷の村で、俺一人に手下を何人もけしかけて、魔物の餌にしたのは?」
そこまで言うと、視線を少し上に向けた。
何処を見るとも無しに。
「まぁそういう事で、お前が何を言おうと俺は何も良心の呵責を感じないし、何の引け目も感じない」
そこまで言うと、再びミトラを見た。
いつしか兄の、マロニーの、いや、ショウの近くにビッグママとクラムも立っている。
皆、黙って二人のやり取りを聞いていた。
「ついでに言うと、実はもうお前に憎しみすらも感じない。もっと言うと、憎しみを感じる価値すら無いと思ってる」
「なん……だと……テメエ」
「ムカつくなら、勝ってここまで辿り着け。お前の好きな物語の主人公的シチュエーションだ。フェットやタリスを倒して悪のボスの俺を殺すんだ。燃えるだろ?」
「ふざ……けるな……! そんな勝手な理屈……ッ!」
だがその時突然、誰の耳にも全く聞き覚えのない声がその場に響き渡る。
いや、一人だけその声に心当たりがある者が居た。ミトラだ。
「ふふふ……ハハハハハハ! もはやこれまでのようだな! 結局、この程度の逆境も乗り越えられぬ男だったとは、とんだ見込み違いであったわ!」
その声と共にミトラの手足から勝手に離れた、プロテクターに身を変えていた魔剣イミテーションブリンガーは、ひとりでに元の形に戻る。
そして切っ先を下に向けると、ピタリと空中に静止した。