第121話 “汚くも真っ当な異世界人ども(ダーティーホワイトエルブズ)”その1…偽りのダークヒーロー編
震える足でようやく立ち上がったミトラは、店に侵入した人間──エルフ達を押し除けて裏口に向かう。
ゴルフバッグも肩に担いだが、それを誰も咎めない。
だが今のミトラには、それを訝しむ余裕など存在しない。
裏口のそばには、青い顔をした店主が立っていた。ミトラは震える手でバッグから魔剣イミテーションブリンガーを取り出す。
店主は慌てて裏口を開ける。
ミトラは裏口を抜けると、フラフラと裏通りを彷徨い逃亡を始めた。
──糞が!
ミトラが表通りに出ようとした時、先ほど店に入ってきた連中と似た服装の人間──エルフか? どちらなのか今のミトラには判らない──がうろついているのが見えた。
ミトラは舌打ちをひとつすると、来た道を引き返して、別の裏通りに入り込んだ。
とある小さな本屋が見えたので、脅して隠れさせて貰おうと思い飛び込んだ。
驚いた本屋の主人は、迷う事なくスマホをすぐに何処かにかけた。
よく見ると、その主人もエルフだった。
主人のその動作のあと、すぐに遠くから「こっちだ!」等の声が聞こえてくる。
ミトラはまた舌打ちをして、その場を離れた。
「糞が! 異世界人どもが!」
ミトラは自分もまた、いまや異世界人であることを忘れてそう毒づいた。
前世の、日本人としての記憶が残っていたからだろうか。
痺れる身体に鞭打って必死に歩く。
転生前の前世も含めて、こんなに追い詰められたのは初めてだった。
とある洋風居酒屋に飛び込む。
その場の責任者らしき人間の男が、ミトラの元へ飛んできた。
「お客様、体調が良くないようですが大丈夫ですか?」
「うるせえ、ちょっと黙って奥に隠れさせろ馬鹿」
「……でしたら二階の方へどうぞ」
男はその言葉の後に、ミトラの耳元でこう囁いた。
「二階のトイレから、逃走経路に使える隠し通路がある。来い」
クラムに裏切られて、薬を盛られて追い回されているミトラは、その男の言葉を疑う余裕も無く従った。
二階のトイレに男が先に入ると、天井の板を外す。
人間一人が何とか通れそうな穴が、ぽっかり天井に空いた。
「上にあがって右にまっすぐ進め。隣の空きビルに繋がっている」
そう言って男は、ミトラを天井に押し込んだ。
狭い天井裏の通路を、ミトラは身体を引き摺るように這って行く。
突き当たりに、外に出られそうな穴が下に空いていた。
ミトラは苦労して穴から身体を出して、外に降り立った。
明かりのない建物の部屋。
外の街灯やネオンの光が差し込んでいるお陰で、何とか行動には支障が無い。
元は広い広間を、安っぽいパーテーションで区切って複数の部屋に分けていたらしいその部屋。
そこには、その区切りの板が散乱していた。
ミトラはそっと部屋のドアから外に出る。
すると下から複数の人間の気配。
「連絡があったんはここやな?」
「バローロの頭からは、そう連絡来たで」
「あのいけ好かないミトラって野郎がボロ出したの、ザマアミロって感じやな」
「この御褒美に姐さんのオッパイ揉ませて欲しいわ〜」
そして誰かが複数人にシバかれる音。
ミトラは、さっきの男に嵌められた事に気がつき、震える身体を壁にもたれさせる。
そして貧困なボキャブラリーで、ワンパターンな毒づきをする。
「糞が! 異世界人どもが!」
今度は、エルフとしての自分で不平を垂れる。
ミトラは今や、自分が日本人なのかエルフなのかすら分かっていなかった。
そして今や、彼は現地人にも異世界人にも属していなかった。
ミトラはあの時に頭の中に響いた「声」を思い出す。
あの時、「声」は言っていた。
【“主人公”システムの終了を確認しました】
【ご利用ありがとうございました】
そしてあれ以来、ミトラがいくら試してもチートが使えることは、決して無かった。
かつては、世界の全てはミトラの味方だった。
だが世界は今や、全てがミトラの敵だった。
*****
「よくやってくれたね、クラムチャウダー。私もまさか、アンタがここまで演技が出来るとは思って無かったよ。アンタも立派に女だったんだねえ」
「あー酷いママ。あれぐらい私にだって出来ますよう」
ビッグママとクラムの二人が、ミトラが出て行った店で話している。
クラムは、机の上に置いてある料理を眺めて、さも残念そうに呟く。
「あ〜あ、こんなに綺麗に作ってあるのに勿体無いな〜」
「ミトラみたいに痺れたいなら、食べたら良いけどね」
「わお、やっぱりこれにも薬入ってたんや」
そこへビッグママのスマートフォンに連絡が入った。
手持ち無沙汰なクラムは、ワインボトルの注ぎ口に手を触れる。
そして店主に声をかけた。
「注ぎ口に半分だけ薬が塗られてた……。言われんかったら、全然分からへんですわ」
「ありがとうございます。ボトルを回した時に気付かれないか、ヒヤヒヤしました」
ビッグママのスマホのやり取りは、すぐに終わったようだ。
ママはスマホをしまうとクラムに告げる。
「どうするクラム? 元々この件には、アンタは巻き込まれただけの部外者に近い。もう外れても良いんだよ?」
「いやあ、それでも関わった以上は最後まで見届けたいですよう。大丈夫、向こうの世界でも命のやり取りは多少経験ありますし」
「そういや、向こうの世界で冒険者やってたんだったね、アンタ。分かった、今バルバから連絡が来た。ミトラがとあるルートで追い込まれてるらしい」
「ええー? バルバレスコさんもコレに関わっているんや!?」
「ステイツからも二、三人呼んでるよ。まったく、今までの経緯が経緯だから仕方が無いけど、相変わらず弟相手に仕掛ける時は容赦無いねえ、あの男は」
「ミトラのお兄さんの、マロニーさんの事ですか?」
「本当の名前は違うけどね。……さて、表通りに迎えの車が来たようだ。ヤツの追い込み先に行くとするかね」
「お供させて頂きまーす」
*****
「……おい、そこのアンタ! こっちだ。そこに居たら捕まるだろ!」
そうミトラに小さく鋭い声がかけられる。
見ると別の部屋のドアから、見窄らしい男がミトラに声をかけて手招きしている。
ミトラは身体を引き摺ってそちらに移動。
男はミトラを、半ば引きずり込むように部屋の中に入れた。
「海外へ高飛びだな。こっちだ」
「誰だテメエ」
「こっちだってアンタが誰だか知らないし、興味無え。俺は『あのルート』で、そこの部屋に来た人間を案内するだけの役割だ。それ以上のことは何も知らねえよ」
そうして男は部屋の隅に向かって数歩進んだ。じっと立ってるミトラへ振り向く。
暗がりに目が慣れて見ると、この男はドワーフらしかった。
部屋の外の様子に気を配りながら、男はミトラに話した。
「俺にこうして会えたアンタにはツキが残っている。そのツキを活かすか、それとも連中に捕まるか、選ぶのはアンタだ。俺はいつもココに居る訳じゃないんだぜ」
男に言われた通りだった。
ミトラに選択の余地は無かった。
ミトラは男について行く。
裏通りをクネクネと歩いたり、時には大胆にパチンコ店の中を突っ切ったり。
やがて小さな公園に着くと、しばらくその場で待たされた。
すると一台の個人タクシーがやってきて、後部座席のドアを開ける。
ミトラは案内してくれた男を見る。
男は顎でタクシーを示すと、くるりと背を向けて歩き出した。
やがて闇の中へ姿が消える。
タクシーから怒鳴り声がした。
「よお兄ちゃん! 乗らへんのやったら、もう行くで!?」
ミトラは慌てて乗り込んだ。
魔剣イミテーションブリンガーを胸に抱いて後部座席に沈むと、ようやく深いため息を漏らす。
人間であるタクシーの運転手は、行き先も聞かずに車を出発させた。
そのまま彼は、ミトラに何も声をかけずにタクシーの運転を続ける。
ミトラは魔剣に思考を送った。
兄と最後に戦って以来、久し振りに。
──おい! テメエ今晩の事、全然わからなかったのかよ!?
“久し振りに我に声をかけたと思えば、そんな事か。分かって当たり前だ。むしろなぜ貴様は、あの程度の事を見抜けないのだ?”
──分かってたんなら声をかけろ! 役に立たねえ奴だな!!
“貴様に黙って使われていろ、と言われたのでな。お手並を拝見させてもらっていた。随分と期待外れだったがな”
──チッ! 減らず口ばかり叩きやがって!
やがてタクシーは、ナンコウの港の倉庫街にやって来た。
とある倉庫の前に停車すると、運転手はドアを開けてミトラに声をかける。
「あそこの倉庫ん中や。あとはそいつらの指示に従っとけ」
「そいつら?」
「どんな連中なんかは俺かて知らん。俺はここまで運ぶだけの役割やからな」
ミトラは、それ以上何も言えずにタクシーを降りた。
魔剣イミテーションブリンガーを抱えながら足を引き摺る。
この剣がこんなにも重く感じるのは初めてだった。
ミトラは倉庫に入るドアを開ける。
中に入ると、そこは何も置いてない、だだっ広い空間。
そこへ突然倉庫内に明かりが灯る。
眩しさに一瞬目を閉じた後、ミトラはその目を開けて周りを見る。
倉庫内を何人もの人に取り囲まれていた。
人間が多いが、エルフやドワーフ、ホビットやハーフリング等も結構混ざっている。
ここまですらも罠だったのか、と愕然とするミトラ。
やがて奥から一人の人間が歩いて来る。
女だ。
背中がザックリと空いた青いパーティードレスのような服を着た人間。
その服装にも、その女の顔にもミトラは見覚えがあった。
クラムの兄からの伝言といい、一体どうなっているのか!?
「お前は…………フェットチーネ!?」