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読者がたった一人でも 〜万年一次選考落ちの俺のラノベを、従妹の少女だけは褒めてくれる……なんてことはなく、いつも無言で読まれます〜

作者: 宮野遥

=====================


タイトル:紅と蒼魔のレクイエム

ペンネーム:江賀斧 施戒

本名:鳥羽 凱士

年齢:19歳

結果:落選


キャラクター:1.5点

ストーリー:2.0点

世界観:1.8点

構成力:1.5点

文章力:1.5点

総合評価1.7点


審査員Bコメント

良かったところ:予想外な展開を作れている。

悪かったところ:起承転結が滅茶苦茶で、キャラの性格が不明瞭。

アドバイス:奇想天外で面白いとは感じましたが、奇想天外すぎて意味不明です。万人に受け入れられるとは言わずとも、もう少し読者に配慮してみては?


=====================




「ぎゃああああああああああああっ!!」


 落選の二文字を見た瞬間、俺はパソコンの画面を閉じて思いっきり叫んだ。


「あああああ! クッソ、ああああああッ!!」


 そしてそのまま頭を抱えて床をごろごろとのたうち回る。

 壁や本棚にガンガンとぶつかるが、そんな痛みなど今の俺の絶望や悲哀に比べればなんてことはない。むしろ気をそらすのに役立ってくれているくらいだ。


「なんでだよ! なんでダメなんだよ! うわぁあああああっ!!」


 どうにもならない現実から逃避するために、悔しさを紛らわせるために、俺はそうして叫び続ける。

 今の俺は悲しみに暮れる狂戦士。本棚から本が落ちてこようが、本体そのものが倒れてこようが、そんなことは関係ない。力尽きるまで暴れ続けるのだ――


「……何やってんの、(かい)にぃ」

「うがぁああ……って、うぇぇ!?」


 目が回って変なテンションになっていた俺の耳に入ってきたのは、冷ややかな少女の声。俺一人しかいない部屋で聞くはずのない音であった。

 伏せの上体でびたっと静止し、相手の顔を確認してから問う。


「か、花音(かのん)!? お前なんでここに!?」

「……別に。暇だったから来ただけ」


 冷や汗だらだらの俺をジト目で見つめる少女――従妹(いとこ)である静宮(しずみや)花音(かのん)はそう言った。

 とりあえず俺は立ち上がって、ぽんぽんと服についたほこりを払う。


「暇だったからって……どうして断りもせず俺の部屋に入ってきてるんだよ……」

「鍵がかかってなかったから」

「犯罪者みたいなこと言ってんじゃねえ。空き巣かお前は。せめてチャイムくらい鳴らせよ」


 動揺を隠しながら尋ねると、真顔でとんでもないことを言ってのける花音。

 っていうか、不法侵入なのだから、みたいではなく思いっきり犯罪者だ。アウトである。

 ……いや、まあ、親族相手に不法侵入がどこまで適用されるのかは知らないけど、多分鍵をあげてない相手だったら罪になるよな?


「あのなぁ、女子高生が簡単に一人暮らしの男の部屋なんかに簡単に入るなよ。お前可愛いんだから、何かされちまってもおかしくはないぞ?」

「何かするの?」


 呆れながらも割とまじめに忠告をすると、花音は純粋な瞳で聞いてきた。


「いや、そりゃ俺はしないけどなぁ……!」

「なら問題ない。凱にぃ以外の人の家に行ったりはしないから」


 そんなことを言いながら、無防備に俺の椅子に座る花音。


「……それよりも凱にぃ。今私のこと可愛いと言った?」

「え? ああ、まあそうだけど、それがどうしたのか?」


 俺をまっすぐ見つめ、なにやらシリアスな雰囲気で問うてくる花音に、少したじろぎながらもそう返す。

 実際、親戚の贔屓目を抜いても、花音はかなり可愛い。

 少々釣り目がちで冷たい印象を与えるが、しっかり整っている目鼻立ち。艶やかな黒い色の髪の毛。色白な肌に、引き締まった脚や腰。160cm超えの女子にしては少し高い身長もあいまって、スタイルは抜群だ。

 まあ、可愛いというよりは綺麗という方がしっくりとくる感じだが……あ、もしかして。


「可愛いっていうのが嫌だったか? 花音大人っぽいもんな、気に障ったなら悪い」

「……いや、大丈夫。なんでもない」


 花音は首を横に振って否定する。

 なんでもないなら何で聞き返したんだよ。女子高生の考えることは良く分からんな。

 ……ふぅ。さて。


「ところで、あのぅ、花音」

「なに?」

「えーとですね。……お前、いつからここにいた?」


 焦りながらそっと聞いてみる。

 すでに痴態を晒している事に変わりはないが、どこからだったかによって俺のダメージの度合いは変わってくるのだ。


「凱にぃが鼻歌を歌ってそわそわしながらパソコンを開いた時から」

「めっさ前からじゃねえか!?」


 平坦な口調で死刑宣告。

 パソコンを開いたときということは、画面を見て叫び始める十分くらい前である。逆になんで声かけられるまで気づかなかったんだよ俺。


「すごい楽しそうだったから、声かけづらくて」

「そこは気を遣わず来訪を教えてほしかったなぁ!」


 しおらしいことを言いつつも、まったく申し訳ないとは思っていなそうな声色の花音。

 どうやら醜態の一部始終を完全に見られてしまったらしい。マジで気づけよ過去の俺ぇ。


「それで、凱にぃ。結果はどうだったの?」


 崩れ落ちる俺に追撃を仕掛けるように尋ねてきた。


「なあ、ずっと俺の姿見てたなら、聞くまでもなさすぎねえかそれ」

「…………」

「やめてぇ!? そこで無言になるのやめてぇ!?」


 花音は何かを察したような表情を浮かべ、やさしげな微笑をたたえながら沈黙した。

 さっきの俺の姿を思い出してドン引いたのか、それとも同情して気遣っているのかは分からないが、どちらにしろライフを削られる。城○内の命がいくつあっても足りない。


「……まあ、この有様だよ。笑うなら笑え」


 ため息をつきながら、俺はパソコンの画面を開いて花音に見せた。

 そこに表示されているのは、FM文庫大賞の運営から送られてきた、自作のラノベの審査結果と忌々しい落選の文字。


「……そう、ダメだったんだ」

「ああ、いつも通り、一次選考落ちだよ」


 はは、と自嘲気味に笑う。


「FMめ、この俺を簡単に落とすとはなんて見る目のない……。そんなんで編集の仕事が務まると思ってんのか!」

「凱にぃ、それ他の文庫にも言ってた」

「ああ、そうだよ。稲光文庫も、ソックス文庫も、府市見もラララもGUもオガラも、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ!」


 花音の冷たい視線に答えるように、半ばやけくそ気味に叫ぶ。


「凱にぃこそ、編集さんの悪口ばかり言ってアドバイスは取り入れてない……。そんな状態じゃ作家になるなんて夢のまた夢」

「ぁぐはッ!!」


 小さな口から出た完全な正論が、俺の腐った根性にクリティカルヒット。

 特に最後の一言は、ただの音のはずなのに、物理的攻撃力を持っているかのように俺の心にダメージを与えてきた。

 俺は頭を抱えて、呻くように口を開く。


「……このままじゃダメなんてことは、分かってるんだ。とっくに分かってるんだよ……」

「ならどうして直さないの?」


 花音はその大人っぽい容姿に反して、無垢な輝きを放った目で聞いてきた。

 ……なぜ直さないかって? それはな、それはなぁ……。


「……できないんだよ。俺だってなんとか変えようとしている。だけどなぁ、何をどう直せばいいか、全く理解できないんだ」

「……奇想天外をやめろって書いてある」

「奇想天外って何だよ。なにかしら目新しいものがないと、受賞なんて狙えねえだろ!」


 どうせあれだろ? 平坦なストーリーにしたら『テンプレ的でオリジナリティを感じませんでした』とか言うんだろ?

 俺知ってるもん。実際に言われたことないけど。


「……やりすぎってこと、じゃないの?」


 首をこてんと傾ける花音。


「簡単に言うなって……。どこまでが許容範囲でどこからがアウトなのかなんて、全然わかんないんだよ。本当あいつら、ちゃんと具体的に言わねえから」

「万年一次選考落ちの凱にぃなんて、審査員からしたらアウトオブ眼中。わざわざ細かく教えてあげる義理はない」

「ぎゃぁああああああ、やめてぇええええええええ!!」


 花音の唐突な口撃に、耳を塞ぎながら絶叫する。

 あー、あー、聞こえなーい。現実なんて目に入らなーい。……ぐすん。


「……よしよし」


 落ち込んで涙ぐむ俺の姿を哀れんだのか、爪先立ちになって俺の頭をなで始めた花音。

 ……なんだろう、この敗北感と安心感と罪悪感がごちゃ混ぜになった気持ち。


「……凱にぃがライトノベルを書き始めたのはいつ?」


 戸惑いながらも花音の柔らかな手を堪能していると、そんなことを聞いてきた。


「中学二年生から、だけど?」

「今は何歳?」

「じゅ、19歳」


 急にどうしたのだろうか。そんなこと確認するまでもなく花音も知っているはずなのだが。


「何回新人賞に応募した?」

「え? た、たぶん50回くらい」


 そのまま続けて放たれた言葉は、これまでと少し毛色が違っていた。


「何回一次選考落ち?」

「ふ、ふぇええええ」

「……何回?」

「ふぇぇぇ」

「…………」

「……全部です」


 なんだこれ。俺の心を砕きに来てるの?

 もしそうだとしたら、効果抜群すぎて四倍ダメージ食らってるからすぐにやめてほしいなぁ。

 うなだれていると、花音は俺の頭をなでる手を止め、椅子に座りなおした。


「落ちるたび、毎回同じアドバイス言われてる」

「まあ、そうだな」

「なら、なんで学習しない?」


 一撃必殺。凱士(かいと)は死んだ。


「い、いや、あのね? 個人的に、一応ちょっとずつマイルドにしてるつもりなんですよ?」

「結果が出ないなら意味ない」

「ですよねー」


 悔しいけど、何も言い返せない。

 実際花音の言うとおりで、俺がどう工夫しようが、評価が変わらないのなら意味がない。……とは言っても、現状俺にできる全てをつぎ込んでいるわけで。


「まあ、愚痴なんか言ってる暇があるなら、書きまくって上達するしかないよな」


 そう零すと、花音はうんうんとうなずいてくれる。


「どんなことであっても、目標への近道は努力だけ」


 ただの女子高生が何知ったような口きいてんだと思ったけど、突っ込んだら言い負かされる気しかしないので黙っておく。


「ああ、そうだな。そうと決まったら早速、次の小説を書き始めるか!」


 俺はそう宣言した後、腕をまくって、机の上のパソコンに手を伸ばした。


「その前に、凱にぃ」


 せっかくやる気が沸いてきた俺を止める花音。

 出鼻をくじかれてがっくりときつつも、「どうした」と返事をする。


「この小説、私にも読ませて?」


 花音は、画面の評価シートを指さして言った。


「あ、ああ、別にいいけど、こんな評価をされるような出来だぞ?」

「大丈夫。凱にぃの酷さには慣れてるから」

「ナチュラルに罵倒するのやめてくれない!?」


 何度も言うけど俺のライフはとっくに0だから。そんな追撃しても意味ないから。

 涙目になりながらも、Wordを起動して小説のページを開く。


「ほら、存分に読みたまえ」

「うん、ありがとう」


 花音は俺にお礼を言った後、食い入るようにパソコンの文字をたどり始めた。


「…………」


 集中して読んでいる花音。

 落選した小説を見せるのはいつものことなのだが、やはりいまだに気恥ずかしいものがある。自分の性癖を思いっきり晒してるんだもんなぁ。


 ……さて、俺はどうしていようか。

 メインの執筆用機械であるPCは取られてしまったが、スマートフォンはあるので、小説を書くということもできる。

 ただまあ、隣で読まれている状況なのだ。面白いと思ってもらえているかが心配で、集中して書くなんてできない。

 気が散って中途半端な内容になると推敲が面倒になるから、今はやめておくか。どうせ花音が読み終わるまで二時間もないだろうし。


 今回FM文庫大賞に応募した俺のライトノベル『紅と蒼魔のレクイエム』は、いわゆる異世界が舞台(ハイ・ファンタジー)の小説だ。

 封印から目覚めた孤高の吸血鬼の主人公が、人間の間では忌み子とされる蒼い髪をした少女と出会った所から始まる、王道バトルストーリー。

 見所は、中盤まで圧倒的な力を誇っていた主人公が、ドラゴンにボコボコにされて心が折れる場面だ。それまで主人公に辛く当たっていたヒロインが一気にデレデレになって、その姿に癒された主人公が愛の力でドラゴンを撃破する。

 その手に汗握る激闘は、SA○のヒース○リフ戦に勝るとも劣らないと自分では思っているくらいに良く書けた。

 やっぱり、もともとラスボス用に考えていた相手であるドラゴンを先に出したのが良かったのかな。迫力すごいもんなぁ。

 その分、ドラゴンのいないラスボス戦は少し微妙になってしまったのだが、そこはダイジェスト風にカットして主人公とヒロインの結婚式の場面に飛ばしておいた。あれは我ながら英断だった。つまらないラスボス戦をやるよりも、主人公とヒロインが十二人の娘に囲まれて幸せに過ごしている姿を描くほうが、読者も嬉しいだろうからな。

 うん、こうして振り返ってみると、とても素晴らしい作品である。

 ……なぜか一次選考で落とされたけど。

 いや、本当なんで落とされたんだろう。あんなに面白いのに。


 首をひねりながら何十分も延々と審査員への悪口をつぶやいていると、花音のマウスを操る手が止まった。どうやら読み終わったらしい。


「………………」


 無表情かつ無言でうなずいている花音。俺の小説を読み終わった後、彼女が毎回やる仕草だ。


「それで、その……どうだった?」


 緊張気味に問うと、


「……いつも通りだった」


 褒めてるのか貶してるのか分かんないコメント来た。

 ……いや、さっき酷いとか言ってたし、貶してるのかなこれは。

 うん。せっかくぼかした感想にしてくれたわけだし、藪蛇にならないようにこれ以上は突っ込まないでおこうか。


「それじゃあ、小説を書きたいから、ちょっとどいてもらっていいか?」

「うん、わかった」


 聞き分けよく椅子から降りる花音。

 椅子に座って背伸びをし、執筆のために気合を入れていると、後ろから「ぐぅ〜」とお腹が鳴る音がした。


「あー、腹減ったか。もう十二時だもんな。昼食にするか」


 時計を見てから、花音にそう言うと、


「……なんのこと?」

「へ? いや、今お腹が鳴って――」

「なんのこと?」

「あ、はい、なんでもないです」


 俺氏、花音の威圧に屈する。


「そ、それじゃあ、新作に取りかかるとするか!」

「……その前に、お昼ご飯」

「えぇ!? いや、だってさっきお前」

「お腹が鳴ってないって言っただけ。空腹じゃないとは言ってない」


 ――くぅ~


「……とにかく、お昼ご飯」


 空気を読まない二度目の腹鳴に、赤面しつつそう言う花音。


「はいはい、かしこまりました。って言っても、今家にカップラーメンくらいしかないけど、それでいいか?」

「大丈夫」


 花音はこくんとうなずいて、食卓の座布団に座った。

 俺はカップ麺の容器を少し開け、沸かしておいたお湯を入れる。二つ目も同じようにして、テーブルに置いた。


「……さすがにこれだけだと味気ないよな。確か冷蔵庫に少し野菜残ってたはずだから、サラダでも作るか」

「なくていい。要らない」

「いや、でもほら、何か女子高生の間で流行ってるんじゃねえの? 野菜スティックを生で食べる的な」

「そんなことをするのは異世界人だけ。流行るなんてありえない」

「お前の中では異世界って身近なんだな」


 頑なに野菜を拒否する花音は、すっと立ち上がり俺の前に来て、冷蔵庫までの道を塞いだ。

 そこまでやるかおい。


「そういえば、花音って野菜苦手だったなぁ……」

「別に嫌いじゃない。普通に食べる」

「まあ、確かに出されたものは普通に食ってるけど、お前バイキングとかじゃ絶対野菜取らないじゃねえか」

「……気のせい」


 目を逸らしながら否定する花音。

 昔から花音は野菜嫌いで、今でこそ食べるようになったものの、苦手意識は消えていないようだ。


「ほら、ここに来るたびに栄養偏った食事摂らせてたら、俺が早苗(さなえ)さんに怒られちゃうだろ?」

「……大丈夫。お母さんには適当なメニューを言っておけば問題ない」

「実の母親を騙すなよ。早苗さん、怒ると怖いんだから、マジで下手に刺激するのはやめてくれ。お前だってあの地獄を味わいたくはないだろ?」


 花音の母親で、俺の叔母である静宮(しずみや)早苗(さなえ)さんは、基本的におっとりとして優しい人だ。だが、一度怒らせると手がつけられず、俺も花音も幾度となく死ぬほど怖い目にあっている。


「……くっ、仕方がない、好きにするがいい。だが、そんな脅しで私の心まで自由にできるとは思うなよ……っ!」

「何で女騎士チックなんだよ。俺がオークみたいに醜い男だって言いたいのか、あ゛?」

「……さすがにそんな裏の意味は込めてない。凱にぃ被害妄想激しいよ」


 花音にドン引かれた。

 いやまあ、自分でも今のリアクションはちょっとあれだなぁって思ったけどさ。


「……さっき落選知ったばかりだから、まだ自分のことを全否定された気分から抜け切れてないんだよ」

「あぁ、いつもの……。凱にぃご愁傷様」


 一次選考で落とされたとき、毎回俺は錯乱モードになってからネガティブモードに移行する。

 自分の子供のように大切に思っている作品が、出来損ないだと判断されたのだ。怒りもするし、悲しくもなる。

 大体三日くらいはそれに引きずられてマイナス思考気味になるので、その期間内はあまり人と接触しないようにしていた。今日みたいな突発的な遭遇は例外だが。


「悪いな、変なテンションで。……って、そんなことはどうでもいいんだ。野菜野菜っと」


 優しい目で見つめてくる花音に気恥ずかしさを覚えつつも、横を通って冷蔵庫の前に行く。そして、しゃがんで小さめの冷蔵庫を開けると――


「あ。ごめん野菜切らしてた」

「えぇっ!? ……え。えぇえええ!?」

「あっはっは、残ってると思ってたんだけどなぁ。気のせいだったわ、悪い悪い」


 いつもなんだかんだ冷静な花音が取り乱している。これはだいぶレアな光景だ。

 これは是非とも脳内に焼き付けておかねば。


「何だったの、今までの問答……」

「いやぁ、無意味だったなぁ。……でもまあ、時間つぶしにはなったし、ほら。もうそろそろ三分だろ?」

「それはそうだけど……釈然としない」


 少しむくれたような表情になりながら、再び座布団の上に腰を下ろす花音。

 それを横目に見ながら、二人分の箸を持ってきて食卓に乗せた。

 花音がここに来る頻度がかなり高いせいで、なぜかうちには花音用の箸が存在していたりする。つまり俺はいつでも女子高生の使用済み箸を舐めることができるのだ。……いや絶対しねえけど。


「それじゃ、いただきまーす」

「いただきます」


 食前の挨拶をした後、すぐに花音は食べ始めた。勢いよく麺を吸い込んだが、猫舌なのではふはふ言っている。

 本当、見た目に比べて言動が子供っぽいよな、こいつ。無駄に冷静ではあるけれど。

 まあ、まだ高校生だもんな。そんなもんか。…………ん? 高校生?


「お、おい花音!」

「どうしたの?」

「お前、学校行かなくていいのかよ!? まさか、登校拒否してここに来てるんじゃないだろうな!?」


 最初が最初だったのですっかり頭から抜け落ちていたが、今は思いっきり授業をしているはずの時間である。

 あれ、これやばくね? もし学校に行く振りしてここに来てるとかだったら、あとでそれを知った早苗さんの怒りを想像するだけでやばたにえん。

 血の気が失せていくのを感じながら、大慌てで花音に問いかけると、


「凱にぃ……。今日日曜日だよ……?」

「え……あ……あっ! そ、そうか」


 花音のジト目が突き刺さってくる。


「いくら凱にぃが引きニートで曜日感覚が狂ってるっていっても、さすがにそれはまずい。本当に大丈夫?」

「うっ……。ひ、人のこと引きニートとか言うなよ! 傷つくだろ!」

「事実」

「ま、まあ、それはそうだけども!」


 俺、鳥羽(とば)凱士(かいと)は、ずっと言っているようにライトノベル作家を目指している。俗に言う『ワナビ』だな。日夜ラノベを書き続け、それを様々な文庫の新人賞に送りつける毎日だ。

 ……で、まあ、いつも一日中ラノベを書いているということは、つまり学生でも社会人でもないということで。

 要するに、高校を卒業してからは、アルバイトすらしていない完全な無職であるのだ。

 親から仕送りしてもらっている金で、ワンルームマンションを借りて一人暮らしをしている。……うん、分かってるよ。俺クズだよな、本当。

 そういえば、早苗さんにマジギレされた一番新しい記憶は、俺が進学も就職もせずにラノベ作家を目指すと宣言したときだったっけ。

 しかも、こんな立場になっておいて、プロになれる目処は一向に立たないんだもんなぁ。よく両親から見捨てられてないな、俺。もし自分の子がこんなんだったら、即座に勘当してる自信あるぞ。


「……せめてバイトくらいはしたほうがいいのかな」

「普通に考えたらそう……だけど、あの伯父さん伯母さん相手だと、そうは言い切れない」

「……まあ、それもそうだよな」


 こんな息子なのに、両親から見捨てられる気配がない。それはつまり、ありえないくらいに溺愛されているということを意味する。


「あの二人だと、もし凱にぃが働こうとしたら、『凱ちゃんが働くなど言語道断。好きなことだけして生きてなさい!』か、『凱ちゃんが働かないといけないほど、うちの家計は貧しくないよ。だから、働くなんて言わないで!』って言って止めそうな気しかしない」

「全く否定できないのが、嬉しいというか困るというか」


 俺の両親は限界を超えた親バカであり、その甘さっぷりは常識で測ることなどできはしない。マジで俺、怒られたことねえもん。

 その分早苗さんに叱られたりしてたから、一応人格はそこまで歪んでないと思ってはいるのだが。それでもやはり、あの甘さに頼りっきりになってしまっているという事実は否めない。


「少なくとも、あの甘さは確実に凱にぃを駄目にしてると思う」

「……うん、まあ、それはそうかもなぁ」


 遠い目をしながら答える。

 本当にありがとうな、母さん父さん。いつか必ず恩返しするから。


「それはそうと、凱にぃの次の小説はどんなジャンルになるの?」

「ん? ああ、一応ラブコメにしようかなと思ってる。最近はバトル系ばっかだったからな」


 一番好きなジャンルであるファンタジーバトルも、流石にずっと書いていたら飽きてくる。そのため、俺は定期的にラノベの二大ジャンルのもう一つであるラブコメディを書くようにしていた。


「そ、そうなんだ……!」


 俺の返答を聞いた後、なぜか微妙に嬉しそうな表情になり、明るい声で返事をする花音。


「あれ、お前、ラブコメ好きだったっけ?」


 そう聞くと、花音は一瞬ちょっと困ったような顔になってから、


「……幼馴染がメインヒロインのは結構好き。ずっと思い続けてたのが報われるのは、嬉しいから」

「……うん、なんだろう、なぜかすごい罪悪感が」


 俺があまり書かないジャンルだからか、申し訳ない気分になってくる。

 今時、全くとは言わないけど、基本的に幼馴染エンドのラノベって少ないもんなぁ。ニーズはあるんだろうが、他のものが結構多い。


「妹系はどうなんだ? ある意味その亜種とも言えそうだけど」

「場合による。義理の兄妹だと微妙」

「ああ、確かに義理だと昔から一緒ではないパターンがあるか。……考えてみれば、血の繋がった兄妹って最強の幼馴染なんだな。生まれた時からずっと一緒なわけだし」

「でも、それだと結婚はできない」

「おお、まあそりゃそうだな。あの京○兄貴でさえ、その壁の前には膝を屈したんだもんな。……そう考えると、本物の兄妹のように育ちつつ血は繋がっていない姫○路兄妹のパターンが最強なのか?」

「あれはあれで犯罪チックだから……兄妹よりも一歩引いた関係であり、法律的にも何も問題がない従妹が一番」

「なるほど。従妹がメインヒロインってあんまり聞かねえけど、そう言われてみるとありだな」


 花音の言葉に感心してうなずく。

 ラノベで従妹がメインヒロインっていうのは本当に聞いたことがないから、斬新なアイディアとしてもいいかもしれない。純粋に俺が不勉強で知らないだけかもしれないが。


「……そう。従妹は最強。神。ぽっと出の同級生ヒロインなんかより数億倍魅力的」

「お、おう。億までいくか。俺は同級生も嫌いじゃないんだけどな、某冴えない彼女(ヒロイン)とか可愛いし」

「従妹のほうがずっと良い。これからの凱にぃのラノベヒロインは、全て従妹にするべき」

「そこまで推すの!? ま、まあ新作はそうしてもいいんだけど……いやでもなんか複雑だな。実際に従妹がいる身でやると、倫理的に問題があるような気が……」

「大丈夫、私は気にしないから存分に従妹とイチャイチャする話を書いて。 (なんなら、現実でも) (従妹をヒロインに) (して構わない)

「……え? 悪い、最後のほう声が小さくてよく聞こえなかった。もう一回言ってもらっていいか?」

「……大したことじゃないから気にしないで」

「あ、ああ、お前がそう言うならいいけど……」


 マジで大丈夫なのかな? 花音が許したとしても、もし俺が従妹たんhshsなラブコメを書いたということを早苗さんに知られたら、最悪の場合マミられることも覚悟しておかないと。

 いや、でもやっぱりいいアイディアだもんなぁ。自分の中では従妹をヒロインにしたいという気持ちが膨れ上がっている。創作者志望としては、この欲求を形にするのが吉か。


「よし、次のメインヒロインは従妹でいくぞ!」

「全力で応援する。頑張れ」


 花音から心強い宣言をもらった所で、俺たちはカップラーメンをほぼ同時に食べ終わった。


「っぷはぁ、ごちそうさまー」

「ごちそうさま」


 笑顔で箸を置く花音。


「……たまにはこういう食事も悪くない」

「毎日だと飽きが来るけどな」


 満足げにお腹をさする花音の姿を横目に、俺はカップ麺の容器と箸を台所に持って行く。

 適当に洗ってから容器はゴミ箱に捨て、箸は水分をふき取って食器棚の中に入れておいた。


「それじゃあ、凱にぃは今から小説を書くの?」

「いや、先に『紅と蒼魔のレクイエム』をネットに投稿しようと思ってる」


 俺は毎回必ず落選した作品をウェブ小説として公開することにしている。たまに……まあ叩きも多いけど、「面白かったです」みたいな感想をもらえたりするし、何よりもしネットで人気を博すことができれば書籍化されることがあるのだ。一度落ちた作品だろうと、まだ完全に本にするのを諦めたわけではないのである。


「そうなんだ。……私はもう帰るから、執筆頑張って」


 まだ来てから3時間くらいしか経っていないが、何か予定でも入っているのだろうか。

 花音は座布団から立ち上がり、そう言って帰る支度を始めた。……まあ、荷物も何も持ってきていないので、服装を整えているだけだが。


「おう、そうか。じゃあ、気をつけて帰れよ」

「うん。今日はありがとう」


 花音は玄関に行って靴を履き替え、「またね」と言ってドアを開けた。

 俺はそれを手を振りながら見送り、花音がマンションの外階段を下りていくのを確認してから、部屋に戻る。


 そして、背伸びをしながら椅子に腰掛けた。


「さぁて、書きますか!」


 まずは『レクイエム』の改稿作業だ。公募用からネット用に少し文章の構成を変えなければいけない。

 今の俺はなんとなく絶好調な気がするので、一気に書き進めることができるだろう。っし、頑張るぞ!










「うがぁああああああああ、書けねぇええええええええええッ!!」


 FM文庫から落選の知らせが届き、花音が俺の部屋を訪れた日の翌日の午前七時。

 俺は椅子の上に足を乗せ両手で頭を抱える、うずくまった体勢で咆哮していた。


「グゥゥゥゥ、ぅああああああああああああああああああ!!」


 思い通りに動かない手に対して抱いた憤りを、喉から出して獣のような叫びに変える。

 ……そう。俺は、あんなにもモチベーションを上げて全力で書くと誓った昨日の昼から、一文字たりとも新作の執筆を進められていないでいた。

 ……おい誰だ今そこで即落ち二コマとか言った奴。こっちは必死なんだよ。ぶっ飛ばすぞ。


「……えーと、ここをこうして……、あぁぁぁぁ……ダメだ、全然ダメだ……」


 そんな状態でも何とか頭を働かせて考えたヒロインのイメージを、しかし一瞬で脳内ゴミ箱に破棄した。全く納得がいく出来には持っていけておらず、文章に書き留めるまでもなく良いキャラにはならないと分かってしまう。

 更に試行錯誤してみるが、どうしても魅力的なキャラクターにすることが出来ない。


 昨日、花音が帰った後、俺はすぐに『紅と蒼魔のレクイエム』の改稿作業に取り組んだ。そして、それは予想をはるかに上回るくらいにすらすらと進み、夕飯前には終わらせて小説投稿サイトに予約投稿することができていた。

 そう、順調だったのだ。

 落選したあとは大抵何日間かまともに執筆することが出来ないくらいに心がやられるのだが、可愛い従妹と会話をして癒されたのだろうか。ありえないほどに進む筆。『もしかして俺って天才なんじゃね? 遂に覚醒しちゃった? もう川◯礫とか渡◯とか敵じゃねえわこれw』そんな勘違いを抱いてしまうほどの快調。

 正直に言おう。俺は調子に乗っていた。

 ……だが、そんな俺の伸びきった鼻は一瞬で元に戻る、どころか、縮みすぎて顔がへこんでるんじゃねってくらい落ちていくことになる。


 ――ヒロインが、可愛く書けない。


 新作であるラブコメのメインヒロイン。主人公の従妹の設定を、どうしてもうまく作れないのだ。

 既存のどの属性を当てはめたとしても、何かが違うような、そんな感覚に襲われる。

 原因はおそらく花音だろう。花音という実在する少女が、俺の中で従妹の代名詞となっているせいで、他のタイプの性格を従妹と結び付けられなくなっているのだ。

 とは言っても、さすがに花音の性格をそのままキャラクターにするわけにはいかない。そんなことで花音に嫌われたくはないし、早苗さんに殺されたくもないのだから。


「やっぱ、才能ねえのかなぁ」


 頭の回転を止めて、そんなことを一人呟く。

 才能。俺は自分にそれがあると信じてはいるのだが、毎回毎回一次選考落ちしているとなると、やはり考えないわけにはいかないのだ。

 もしかしたら、俺は凡才なのかもしれない。……いや、その程度の才能すらもなく、底辺のゴミクズなのかもしれない。

 最初からずっと成長できてないのだ。自分的には気をつけた点も全く評価されなかったり、逆に貶されたり。ネットでの評判はどんどん下がっているような気がする。

 あー、そっか。俺には才能がないのか。


「もう、作家目指すのやめようかな……」


 やはり、そんな馬鹿な夢は抱かず、今からでも就職活動を始めてみるべきなのだろうか。ああ、どこかの大学に入るっていう手もあるかもしれない。

 そもそも、なんでラノベ作家なんて限られた天才しかなれないような職業を目標にしてしまったのだろう。少し考えれば無理だということなどすぐに分かるはずなのに。

 こんな思考を始めてしまったらお終いだ。そう分かってはいるのだが、それでもネガティブになっていくのを止められない。

 潮時、なのかな。


 ――プルルルル


 泥沼にはまっていると、唐突にスマホが鳴り始めた。

 画面を確認すると、静宮花音と表示されている。

 とりあえず電話に出て、耳元にスマホを当てた。


『おはよう、凱にぃ』

「おう、おはよう」


 スピーカーを通して聞こえてくる可憐な声に、幾らか癒されながら挨拶する。

 このタイミングで電話か。ちょうどいい、少し相談してみようかな。


「なあ、花音。俺ワナビやめようと思ってるんだけど、どう思う?」

『…………。えっ?』


 俺の言った言葉が理解できていないかのような反応をする花音。


「いや、やっぱどう考えても俺才能ねえし、プロになんてなれっこないんだから、もう続けても意味ないかなって」

『……ああ、ネガティブモード。どうせ明々後日には黒歴史になるんだから、そういうこと言わなければいいのに』


 補足すると、ため息とともにそんな返答が来た。


「いやいや、今回はいつもと違ってガチだぞ? なんなら、今から親にその報告をしようかと思ってたくらいだし」

『絶対後悔するからやめておいたほうがいい』

「それを言うなら、ただいま絶賛後悔中だぜ。アホみたいな夢のために数年を無駄にしちまったんだからな」

『……無駄なんかじゃない、と思うけど』

「いーやぁ、無駄だろー。俺って才能ないんだから。ストーリーの構成は甘くて、変な方向に話が飛んでいっちゃうし、キャラには魅力のかけらのない上に全然活かせないし、そもそも基盤となる文章力がゴミだし。あー、改めて考えると、俺本当ゴミだなー。あははー」

『……ほんとだ。いつもと違ってガチだ……』


 自分で言ってて悲しくなっていると、電話口の向こうから本気で引いている気配が。

 流石にやりすぎだったか。……でも、これが今の本心だ。それだけは変えようもない。

 少しだけ後悔していると、花音が話題を変える。


『だったら凱にぃ、気分転換に遊園地行かない?』

「遊園地……?」


 急にどうしたのだろうか。遊園地が連想されるようなことを言った覚えはないのだが。

 首を傾げていると、花音が理由を告げた。


『お母さんが、知り合いからディスティニーランドの一日無料券を二人分もらってきたから』

「……へぇ、早苗さんが。まあ、別に構わないけど、いつ行くんだ?」

『今日』

「今日!? いやお前今日は普通に学校あるんだろ!? まさか今度こそ本当に登校拒否するつもりか!?」


 そこまで遊園地に行きたいのかとびびりながら聞くと、


『……今日は他クラスで研究授業があるから、私は午前授業で終わり。午後はフリー』


 と冷静な声で返ってきた。

 なるほど、学校ってたまにイレギュラーな短縮があるんだったな。一年前まで学生だったはずなのに忘れてたわ。


『もともと昨日はそれを誘いに凱にぃの部屋に行ったんだけど、落選後の凱にぃの動きのインパクトがすごすぎて頭から抜け落ちてた』

「ら、落選後の動き? な、何のことかな?」

『床ゴロゴロ』

「…………」

『駄々っ子みたいで面白かった』

「俺が悪かった。頼むからそのことを掘り返すのはやめてくれ」


 そのままのトーンで俺に口撃をしかけてくる花音に、情けなく返す。……いやだって仕方ないじゃん。あの時はああやって叫びたい衝動に駆られたんだよ。


『……それじゃあ、今日の十三時にディスティニーランド前の広場で集合』

「おう、分かった」

『またね』

「ああ」


 別れの挨拶の後、ぷつんと切れた電話。

 ……遊園地か。ニート生活では一切縁がないものだし、たまにはそういうのもいいかもな。


 んじゃあ、花音と話をして若干モチベーションも上がったことだし、時間になるまでは一応新作の構想を考えてみるとするか。











「悪い、待たせたか?」


 ディスティニーランドの入場門前広場に立っている制服姿の花音に、俺は謝りながら声をかけた。

 約束の時間よりはまだ早いが、相手が先に待ち合わせ場所にいた場合は必ず謝るようにと早苗さんにしつけられているのだ。


「……大丈夫、私も今来たところ」


 花音は微笑を浮かべてそう返してきた。


「前を歩いてる凱にぃの姿が目に入ったから、私が先にたどり着けるように走って追い抜いて来た」

「気を遣ったわけじゃなく、マジで言葉通り今来たのかよ……」


 確かによく見れば、花音は少しだけ頰を上気させて息も上がっている。

 ……なんかちょっとエロいな。いや、流石に欲情はしないけども。


「なんでわざわざ走ったんだ?」


 雑念を頭から追い出しつつ、目的不明な行動を疑問に思って聞いてみると、


「……『ごめん、待った?』からの『ううん、今来たとこ』を一回やってみたかったから」

「それは別に俺を追い越さずとも、逆の立場でもできたんじゃねえの……?」

「凱にぃに謝るのがなんとなく癪だった」


 微妙に不機嫌っぽい無表情で、そう告げる花音。

 ……いや、流石に理不尽。

 可愛い従妹を待たせてしまったことに罪悪感を感じていた過去の俺に謝ってほしいんですけど。


「なんで微妙に酷えこと言うんだよ。俺なんかしたっけ?」

「凱にぃに出された昼食がカップラーメンだけだったことを報告したら、お母さんに怒られた」

「それ俺のせいじゃないよねぇ!? お前がそれでいいって言ったんだし、そもそも口止めした気がするんだけど!」


 まあ、野菜の買い置きがないことを忘れてたのは悪いと思ってるけど、他の食べたかったなら普通に買いに行ってたから。あれでいいって言ったのお前だから。俺完全に悪くないから。


 っていうか、え? マジで言っちゃったの? 嘘でしょ? 不摂生がバレた上に、従妹にそれを提供したことを早苗さんに知られたら、ありえんやばみがやばいんだけど。

 しかも、花音の八つ当たりと早苗さんの教育的指導でダブルパンチな件。

 

「……嘘。お母さんには、ちゃんと普通の食事だったって言ってある」

「冷や汗という形で消えていった俺の体の水分を返せ!」


 うっわぁ、焦ったぁ。

 淡々と告げる花音に、安堵しながらも叫んだ。

 ジョークだろうが、言っていいことと悪いことがあるんだぞ。


「っていうか、結局それじゃあ俺を若干ディスった理由がわかんねえままだし……」

「そこから既に冗談だから気にしないで」


 口元を引きつらせながらぼやくと、花音は表情を変えないままそう言った。


「え、じゃあ何故に走ったんだよ」

「それも嘘。凱にぃが来た時にはとっくにここにいた」


 今までの問答が時間の無駄だったことが証明されたんだけど。

 追い抜いたわけじゃなかったのかよ。普通に待ってたのか。


「……あれ、でも午前中授業あったんだよな。そんな早くに到着するのって無理じゃないのか?」

(……楽しみだったから) (、学校出てすぐに) (走り始めただけ)

「え? ごめん、声が小さくて聞こえなかった。もう一回言ってくれ」

「なんでもない。……凱にぃは馬に蹴られて死ねばいいのに」

「なんで!?」


 何かを堪えるような表情で辛辣なことを言う花音。

 ……そういえば、似たようなやり取りを最近した気がする。もしかして俺の耳が悪くなっているのだろうか。それで、何度も聞き返すようになってきた俺にイラついて暴言を……いや、流石に花音はそんなに怒りやすくないはず。

 まあ、花音がああ言ったってことは大したことじゃないんだろうし、気にしなくてもいいか。


「それじゃあ、無駄話もなんだし入ろうぜ」

「うん」


 花音は頷いた後、通学用のバッグを開いて、チケットを取り出し俺に渡した。それを受け取って、入り口近くにいる係員に見せ、俺たちはディスティニーランドの中に入った。


「さてと、まずは何をする?」


 急な誘いだったのでノープランだし、そもそも俺は引きニート。遊園地になんて子供の頃数回行った程度なのだから、セオリー的なものも一切わからないのだ。


「……最初はやっぱりジェットコースター?」

「初っ端からハードなやつ行くのかよ。別にいいけど」


 遊園地の花形、ジェットコースターご指名入りましたー。

 まあ、特に否定する理由もない。花音が乗りたいならそれで良いだろう。

 入場時に係員にもらった地図を頼りに、ジェットコースターのエリアまで向かった。


「……混んでるなー、おい」


 五分ほどして着いてみると、そこにはまるで蟻のような大量の行列が。最後尾には『現在二時間待ち』と書かれたプラカードを持った係員がいる。

 うっそだろ。地元にある超人気ラーメン屋でもこんなことにはならねえぞ。


「なあ、これマジで並ぶのか?」

「……嫌?」

「いや、並びたいならそれでもいいけど、それならもっと空いてるとこに行った方が楽しめるんじゃねえの?」


 全く並んでないとは言わずとも、少なくともここよりは待ち時間が少ないアトラクションは数多くある。

 一番楽しいのはジェットコースターかもしれないが、他だってつまらないなんてことはないはずだ。


「……でも、乗りたい。ダメ?」


 上目遣いでそう言う花音。……仕方ないか。


「わかった、並ぼう」

「っ! ありがとう、凱にぃ」


 俺の了承を聞くと、花音は一瞬嬉しそうな表情になってから、はっと何かを思い出したように無表情に戻った。

 子供っぽく喜ぶ姿が恥ずかしかったのだろうか。照れずに可愛い反応を見せてほしい気持ちもあるが、これはこれで尊いな。


「そんなにジェットコースターが好きなのか?」

「いつもはもっとたくさん並んでて断念してるから、待ち時間が短い今日に乗ろうと思っただけ」

「……今日って少ないほうなの? え、これで!?」


 マジかよ。いや、確かにただの平日でこれなら休日は更に酷いことになっているのだろうが、なんだその地獄絵図は。そうまでして乗りたい人がそんな多数いるって、どうなってんだ一体。リア充怖ぇ……。


「んじゃあ、これ以上増えないうちにさっさと行こうぜ」


 そう言うと、花音は頷いて最後尾の所に歩いていった。俺はそれについて行き、二人一緒に列に並ぶ。


「……って、あれ? 花音、お前髪形変えたか?」


 今日はじめて花音を後ろから見て気がついたが、昨日会った時とは色々と変化している。

 後ろ髪には紺色のメッシュが入っていて、地毛の黒と調和していた。そして、その髪を尻尾のように纏めている。

 というか、よく見たら前髪もレイニーに変わっていた。やべえ、全然気づかなかった。


 ……これ、「……遅い」みたいな感じで花音が不機嫌になる流れなんじゃね? 女ってそういう変化に鈍い奴のことは好まなそうだし。超偏見だけど。

 どうしよう、どうやって誤魔化そう。

 えっと、経験上、花音が怒りそうなときは適当に持ち上げとけば大抵何となるんだよな。……よし。


「前のシンプルなロングも良かったけど、こういうのも似合うんだな」

「――っ! そ、そう?」


 お、なかなかの好感触。この意気で行こう。


「やっぱ素材がいいから、どんなものでも合うんだよな、花音は。うらやましい限りだ」

「あ、ありがとう……」


 表情はあまり変わっていないが、わずかに頬を赤らめて照れたように髪の毛先を手で弄っている。

 これはあれだろ。対応が大正解だったやつだろ。どうやら俺は女心をいつの間にか理解していたらしい。まったく、自分の才能が恐ろしいぜ……。

 ……いやまあ、本当に理解できてるなら今頃彼女ができているのだろうが。

 …………。


 勝手に調子に乗って勝手に落ち込んでいると、花音は嬉しそうにはにかんでいた。可愛い。


(昨日、早めに帰って) (美容院に行った) (甲斐があった……)

「え? もしかして、今日のためにわざわざ美容院に行ったのか?」

「――なんでこれは聞こえるの!?」


 愕然とした表情の花音。……いや、そりゃあれだけ人の言葉聞き逃してたら、流石に気をつけて聞くようになるって。


「……う、うん。まあ、そう。一応、今日のため」

「マジか。……えーっと、ありがとう?」


 やべえな、この場合なんて言うのが正解なのか全く分からねえ。オラにリア充力を分けてくれぇ!


 ……しかし、あれだな。今の俺と花音って青春オーラ半端ないよな多分。客観的に見たら砂糖吐きそうだなって分かるもん。

 そんな俺たちでも全く浮かないどころか、それでようやく溶け込めるレベルって、ディスティニーランドのリア充率怖えぇ。

 そして一番何が怖いって、人と触れ合う気ゼロの血走った目で単独行動してるガチ勢の方がやばい。すげえ楽しそうなのがやばい。


「そういえば、今日学校あったんだよな。メッシュって校則的には大丈夫なのか?」

「うちの学校、そういうのは緩いから」

「そうか……」


 なんとか見つけた次の話題も、広がらずにすぐに終わってしまう。

 ――なんとなく気まずいような、楽しいような、微妙な雰囲気になっていると、何やら女子高生っぽい二人組が列の横から俺たちに近づいてきた。


「静宮先輩! 先輩も来てたんですねっ!」


 女子高生の片割れ、茶髪の少女がそう花音に話しかけた。

 よく見ると、二人とも着ている制服が花音と同じだ。同じ学校の後輩っぽいな。


「……そ、そうね」


 かなり戸惑った様子で返す花音。

 珍しいな。花音が結構本気で動揺している。

 内心でニヤニヤしながら見守っていると、もう一人の女子高生、黒髪の子が俺を見て楽しげに口を開いた。


「もしかしてぇ、デートですか? そっちの男の人は彼氏さんだったり?」


 何だこいつうぜえ。

 ……いや、女子高生ってこんなもんか。俺が高校時代全く触れ合ってこなかっただけで、みんなこんな感じなのか?


「……そういうのではないわよ。ほら、何回か話したことあるでしょう? 私の従兄の鳥羽凱士さん」


 ため息交じりの俺のことを紹介する花音。

 俺は一応、よろしくとだけ言った。


「あぁ、噂のニートさんですかっ」

「噂してんの!? え、俺、名も知らぬ女子高生に嘲笑われてんの!?」


 茶髪の衝撃発言に驚懼。

 待って待って待って待って。どういうこと花音さん。「あのさぁ、私ぃ、ニートの従兄いるんだよねぇ。マジキモくてありえないんですけどー」とかみたいな感じで話題にしてくれちゃってるんですか?

 視線で尋ねると、目を青空に向かって逸らす花音。おい。……おい。

 黒髪はそんな俺を見て、


「嘲笑うってそんな。せいぜい、親に金を出してもらって遊びながら一人暮らししてる寄生虫くらいにしか聞いてませんよぉ」

「かのぉぉぉおおおおん!!」


 どういうことだてめぇ!

 さっきまで凱にぃ大好きオーラ出してただろうがぁ! 裏ではそんな感じだったのか!


「……ひゅー、ひゅー」


 下手な口笛して誤魔化すんじゃねえ!

 泣きそうになりながらジェスチャーで抗議すると、花音は黒髪相手に目を向けた。


「……はぁ。からかうのはそのくらいにしなさい。私は『今はまだ親の脛をかじっているけれど、きっといつか夢を叶えて立派な社会人になれる』としか言ってないでしょう?」

「か、花音……」


 そんなことを言ってくれていたのか。悪かった、責めるようなことを言って。


「ちぇ、つまんないのー」

「もう、変なこと言っちゃダメだよっ。ほら、邪魔になっちゃうからわたし達は他のところ行こう?」


 おもちゃを取り上げられた子供のような面白くなさそうな顔をする黒髪を、茶髪が叱った。……いや、茶髪。この話題になったきっかけお前だからな。


「お邪魔しましたっ」


 そう言って、結局二人はどこかに向かって去っていった。

 ……嵐みたいな奴らだったなぁ。花音もだいぶ疲れたような表情をしている。

 …………。


「……なあなあ、花音さんや花音さんや」

「……なに?」

「俺に対してと後輩に対してで、随分とキャラが違いやせんか?」

「…………」


 だってもう口調から違ったもんな。

 俺や家族との間では子供っぽい感じなのに、さっきのは随分大人っぽいというか、お姉さんっぽいというか。「〜〜よ」みたいな口調で話してるの初めて聞いたぞ。


「……気のせい」

「いっやぁ、流石にそれは厳しいんじゃないでしょうか?」

「気のせい」


 執念を感じる即答。恥ずかしがってるなぁ。耳が真っ赤になっている。

 俺がニートっていうのを友達に話してるみたいだったし、ちょっとその分からかってやるか。

 俺は「やれやれ」みたいな感じで口を開いた。


「花音さん、そんなわけないでしょう? 私はこの耳でしっかりと聞いたわ」

「〜〜〜〜っ!! き、気のせい!」


 顔までも赤に染めて必死に否定する花音。


「あっはっはっはっは、大人でいいじゃねえか。お前、学校ではあんなキャラなんだなぁ」

「……うぅ」

「それで、家族や俺には子供みたいな態度っていうことは、やっぱ甘えてくれてるんだよな。いやぁ、可愛いなぁ〜」

「…………」


 花音は目に涙をためて無言で俺を睨んでくる。


「学校でも子供っぽい口調にしたらギャップ萌えで人気出るんじゃねえの?」

「……うぅ、うにゃぁああああああああああああああああああああああああああ!!」


 あ、爆発した。


「う、うるさいっ。凱にぃうるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい!!」

「落ち着け花音。うるさいのはお前だ」


 ものの見事にキャラがぶっ壊れてやがる。

 やべえな、自分でやっといてなんだけどこれどうしよう。周りの人からの視線も痛いし、とりあえず一回列から外れようか。


 錯乱状態の花音の手を引いて、近くのベンチに連れていく。

 ベンチに座らせて、頭をぽんぽんと叩いた。


「悪かったよ。変なこと言ってごめんな」

「……許さない」


 未だに赤い顔でそう言う花音。


「せっかく並んでたのに、列から外れて振り出しに戻った……」

「――あ、そっち?」


 そこまでジェットコースターに乗りたかったのか。それは本当に悪かった。

 リスのように頬を膨らませている花音に、両手を合わせて謝る。


「それじゃあ、もう一回並び直すか?」

「……今からだと遅くなりすぎるから、別のにする」

「了解」


 それで諦めるんだったら、最初っから他ので良かったんじゃね、という言葉が口から出かかったが確実に藪蛇なので黙っておく。

 俺たちは周囲を適当に見回して、空いているアトラクションを探した。


「あ、あそこのお化け屋敷なんかはどうだ?」


 ジェットコースターのちょうど向かい側にある建物を指差して言った。

 外に客が並んでいる様子はないし、中で並んでいるとしてもそこまでの時間待たされたりはしないだろう。……まあ、客が少ないということは人気がないって意味だというのは置いておいて。


「……ダメ。怖がってまともに楽しめない」


 花音はすぐに俺の提案を却下した。

 お化け屋敷が怖いのか。花音にそういうイメージはないが、学校でのキャラと同じように俺が把握していない一面が多くあるのだろう。

 よし、ここはいいところを見せるチャンスな気がする。


「俺がついてるから大丈夫だって。入ってみようぜ」

「でも……」

「ほら、何事も挑戦だって言うだろ?」

「……泣き叫ぶ凱にぃを介護するチャレンジはしたくない」

「――俺の心配してたのかよ!? いや、流石に遊園地のお化け屋敷でそこまで本気で怖がったりしねえよ!?」


 泣き叫ぶって、一体俺はどんなビビリだと思われているんだ。

 視線で異議を申し立てると、花音は理由を告げた。


「凱にぃって何にでもリアクション激しいから」

「……やべえ、言い返せねえ」


 確かに、落選後などの反応を見てわかるように、俺はリアクションが大げさになるという癖がある。っていうか、さっきの花音の発言に対しても正しくそうだったからな。


「でも、リアクションの大きさと怖がりかどうかって必ずしもイコールでは結べなくないか?」

「……昔お化け屋敷に行った時、凱にぃはお化けが出てくるたびに断末魔をあげて、漏らしてた」

「何で本人すらも覚えてない黒歴史知ってるの!?」


 記憶にないけど幼少期の俺弱ぇ……。毎回断末魔って、一体何回死んだんだよ。

 しかもその俺の醜態を花音は冷静に観察してたってことだよな、口ぶり的に。親戚のお兄さんの威厳ゼロなんだけど。


「じゃ、じゃあ、あっちの観覧車はどうだ?」


 話の方向が怪しくなってきたので、慌てて別のものに逸らした。

 俺が指を向けた先にあるのは大きな観覧車。まだ日中のため夜景を見ることは叶わず客足は少ないが、それでも少々の列ができるくらいには評判がいいようだ。

 ……それでも少々なんだよな。ここの遊園地ジェットコースターだけ異様な人気を誇ってないか? マジでどうなってんだよ。怖いんだけど。


「……高すぎると怖くて泣き叫ぶ凱にぃの介護はしたくない――」

「お前俺のこと何だと思ってるんだよ。その評価は酷すぎるだろ」


 実は内心で「まさか観覧車でも実際に泣き叫んだエピソードが?」と戦々恐々していると、花音はふっと笑って表情を緩めた。


「……冗談。観覧車に乗る?」

「お、おう」


 今回は冗談だったか。焦ったわ。

 一応首肯したあと、俺と花音はベンチから立ち上がって観覧車のある方へ向かっていった。

 やはりジェットコースターの時とは違って、十分もせずに順番が回ってくる。


「お気をつけて、お乗りください」


 係員に誘導されて、俺たちは内部に入った。

 俺は適当に左側の席の奥に座る。

 花音は少し遅れて、中を一瞥したあと――左側の手前の席に座り込んだ。……え?


「……なんでわざわざ隣に来たんだよ。向かい側も空いてるだろ」


 横にいる花音の体温やほのかな甘い香りを感じながら尋ねる。向かいに座った方が広いスペースを確保できるだろうに……。

 もう空に向かって動き出しているため今更位置を変えることはできないが、一応聞いておいた。


 花音は、今度は変に誤魔化したりせず、儚げな微笑みを浮かべて、


「……隣に来たかったから」


 …………。

 …………。

 …………。


「……そ、そうか」


 いつもと違った雰囲気を身にまとう花音に気圧され、そう言うことしかできなかった。

 俺は取り繕うように無理に笑い、口を開く。


「い、いや、なんつーか、あれだな! 観覧車で隣に座るって、デートみたいだな!」

「…………」

「…………」


 …………。

 言ってからミスったなと思ったが、もう遅い。アホな発言をした俺は花音の極寒の視線を浴びることになった……って、あれ? 花音の表情が思ってたのと違う?

 てっきり「何言ってんだコイツ」的侮蔑を受けると思っていたのだが、彼女の顔は燃え上がったように赤くなっていた。それも怒りからではなく、照れから来る甘酸っぱいもの。


「あ、あの、どうした? 俺、なんか変なこと言っちゃったか?」


 ……いや、まあ、言ったけど。思いっきり言ったけども。

 予想外の事態にテンパり、花音の顔色を伺うようにすると、彼女は首を横に振った。


「……デートにするつもりで来てたから、凱にぃに言われて驚いた、だけ……」

「うぇ!?」


 やばい、変な声が出た。


「でっ、デートにするつもりだったって、どういうことだ?」


 デートとか、まさかそんなリア充にしか縁がない単語を、よりにもよってこの引きニートたる俺が聞くことになるとは。

 い、いや、待て、落ち着け。確か、原義ではデートって言葉は、恋人同士じゃなくても若い男女が一緒に遊ぶのであれば適用され……るんだっけ? なんかやっぱ違う気がしてきた。

 デートって、普通にそういうデート以外の意味はないよな。日付けの方じゃあ流石にないだろうし。


「凱にぃ、次の小説はラブコメって言ってたから、参考になると思って」

「……あ、ああ、はいはいはいはい。なるほど、そういうことね」


 いや、もちろんわかってましたよ? それ以外に可能性なんてまったくなかったしな。うん、……うん。


「従妹がヒロインのラブコメだったら、私とのデートは参考になるはず」


 ドヤ顔で言う花音に、俺はうんうんと頷く。


「なるほど、だから昨日俺がラブコメにするって言った時、ちょっと嬉しそうだったんだな。ちょうど手に入ったチケットがうまく使えるから」

「……そう」

「とすると、やたらと従妹ヒロインを推してきたのは、よりこのシチュエーションを小説に生かしやすくするためか?」

「――それは違う。ただの個人的な好み」


 左の掌の上に拳を握った右手を乗せ納得した仕草を見せると、食い気味に否定された。……違ったかぁ。調子乗ったなぁ……。


「って、花音。それってつまり、少なくとも次回作の話題になった時にはチケットの存在を覚えてたってことだよな? なんで、忘れてたから昨日のうちに誘わなかった、なんて嘘言ったんだ?」

「…………。言い出す機会をうまく掴めなかっただけだったけど、どうせなら凱にぃをからかって遊びたかった」

「遊ばれてたの俺!?」


 【悲報】俺氏、JKの従妹に遊ばれてた……。

 ……なんか犯罪臭あるな、この文言。


 少し落ち込みながらも、笑顔を作って花音に告げる。


「気分転換にしろ、デートの体験にしろ、何から何まで俺のこと考えてくれてたんだな。ありがとう、花音」

「……大したことじゃない」


 花音は恥ずかしがって目をぷいっと横に向けるが、その口元はしっかりと満足気に緩んでいた。

 いやぁ、こんないい従妹を持って、俺は幸せだなぁ。

 テンションが上がって、隣の花音の頭を撫でてみた。花音は驚いたようにこっちを見たが、嫌そうな顔はせず、撫でられるがままになっている。小動物っぽくて可愛い。


 …………。可愛いんだよな。本当に。

 ……うん。迷ってても仕方がない、か。


「なあ、花音」

「なに?」


 撫でる手を止めて呼びかけると、花音は上目づかいでこちらを見つめてきた。


「お前をラノベのヒロインのモデルにしていいか?」

「え……?」


 驚いたように固まる花音。


「いくつもヒロインのキャラ設定は作ってみたんだけど、どれもしっくりこなかったんだよ。……俺にとって、可愛い従妹っていうのはお前以外にいないからさ」

「……っ!? ぇ、ぁ、ぁう、ぇぁ!?」


 花音は、鯉のように、真っ赤になって口をパクパクとさせる。


「絶対に最高の作品にするから。お前を、俺のヒロインにさせてくれ!」

「〜〜〜〜っ!? 〜〜〜〜〜〜っ!!」


 誠心誠意、心を込めて嘆願すると、花音は言語化できない叫びをあげた。

 目元は潤んで、耳まで赤く染まっている。普段は絶対に見せない顔だが、今日はよく見るなぁ。

 ……それもまた、どうしようもなく可愛くて。


 ああ、やべえな。気を抜くと、本気で惚れてしまいそうになる。

 絶対にダメだとわかっているのに、甘い誘惑が手招きをしてくる。


「凱にぃ……」


 とろけた表情。それはとても妖艶で、抗いがたい魅力を持っていた。

 思わず、桃色の唇に目がいってしまう。

 ……落ち着け、俺ぇ! ここでキスなんてしてみろ。花音に性犯罪者みたいな目で見られた上で早苗さんに通報されること間違いなしだぞ!

 踏みとどまれ、踏みとどまるんだぁ!!


「いい、よ……?」


 うわぁああああああああああ!!

 鼓膜をくすぐる甘ったるい囁きがぁ! 俺の心を溶かしていくぅ!

 まずい、このままでは――



「ご利用、ありがとうございました!」



「うぇっ!? あ、はい!」


 ふいに花音がいる方の扉が開き、その先にいる係員から声がかかった。

 どうやら、話したりしている間に一周回ってきてしまっていたらしい。


「お、降りるぞ、花音」

「う、うんっ」


 お互いに赤面しつつ、慌ててゴンドラの外に出ていく。


 恥ずかしくなって早足で観覧車のエリアから離れていくと、後ろからチッという舌打ちが聞こえてきた。

 驚いて振り返ると、そこにいたのは営業スマイルの係員さんだけ。

 …………。

 ……俺は聞いてない。にこやかな笑顔から飛び出した「◯ねやリア充が。見せつけやがって。勝手に家でやってろ猿ども、◯すぞ」なんて言葉、俺は聞いてないからな!


 とりあえず俺たちは観覧車に来る前にいたベンチに戻り、腰を落ち着けた。

 俺の左に座ってうつむいている花音に、なんて言えばいいのかは分からなかったが、沈黙よりはマシだろうと勢いで口を開いた。


「あー、なんというか、その、……結局景色見れなかったな」


 ……もっとなんか言うことなかったのか、俺。

 ああ、ダメだ。最適解とか全然わかんねえ。人生経験が少なすぎる。

 何もできずにあわあわしていると、花音はうつむいたまま、


「なんで……そう、思ったの……」

「え?」


 え、ど、どういうことだってばよ? 見れなかったって思ってるのは俺だけで、本当はちゃんと景色を見れてたってこと? それは違うよ!(セルフ)

 混乱していると、花音は補足するように次の言葉を言う。


「……私を、ヒロインのモデルにって」

「…………。ああ、そういうことか」


 小声でぼそぼそと聞き取りづらいが、理解できた。

 それは一応さっき言ったはずなのだが、もっと詳しくということだろうか。


「ほら、電話の時、俺は鬱ってただろ?」

「……うん。うざかった」

「う、うざっ……!? ま、まあいいや。……えーとな、それで、その時ああなってたのは、ヒロインのキャラをうまく作れなかったのが原因なんだよ」


 トーンを変えずに返答する花音にダメージを受けつつも、説明を続ける。そっかぁ……。うざかったかぁ……。


「ツンデレやら妹属性やらポンコツやら、思いつくものは全部試してみたんだけど、どうしても可愛くならなかったんだ。……いや、もしかしたらいいキャラは作れてたのかもしれないけど、俺が可愛いと思えなかった」


 まあ、いつもは可愛いヒロインを作れているのかと聞かれると、自信はないとしか返答はできないのだが、今回はそれが顕著だったのだ。


「それってさ、何度も言うようだけど、俺の中での『可愛い従妹』のイメージが花音に固定されているせいだと思うんだよ」

「……っ! そ、そう……」


 肩をビクンと揺らして、上ずった声で相槌を打つ花音。


「だから、従妹をヒロインにした小説で最高のものを目指すなら……、最高の従妹を描くなら、花音をモデルにするしかない、そう思ったんだ」


 結構早い段階でそれを思いついてはいたのだが、花音に引かれる可能性を考えると口にはできなかった。だけど、やっぱりそれしかないのだ。観覧車の中で、そう、確信した。


「……なんて、やっぱ流石にダメだよな。気持ち悪いだろうし」


 反応が悪い花音に、忘れてくれと笑いかける。


「……よ」


 花音が本当に小さな声で、何かを呟いた。


「いいよ、凱にぃ。私をヒロインにして」

「えぇ!? マジでっ?」


 今度ははっきりと聞こえたその言葉に、驚愕し、真意を確認する。


「……観覧車の中にいる時にいいって言ったのに、聞いてなかったの?」


 返ってきたのはそんな声。

 え、そんなことあったっけ?

 人差し指で側頭部をとんとんと叩きながら思い返してみると……。


『いい、よ……?』


 ……あ、言ってたわ。

 ああ、なるほどなるほど。そういう意味だったのね。

 いやいやいや、もちろんわかってたんですよ? 誤解なんてしてませんし、邪な意味に受け取ったわけでもありませんよ?

 うん、決してキスしていいよってことだと思ってたとか、そういうのじゃないから。そもそもあれはただの俺の妄想であって……。

 …………。うん。

 花音、ごめんなさい。


 心の中で花音に全力土下座をして謝っていると、彼女は急に頭をあげて顔を俺の方に向けた。


「……とにかく、私を出していいから、そのかわり絶対面白くして」


 強い意志を持った瞳。試すような視線に、俺はふっと笑い、拳を天に突き上げ、


「おう、もちろんだ!」


 そう、宣言した。



「――それで、この後どうする?」


 数分後、とりあえず立ち上がって時計を見た。まだまだ閉園まで時間はあるので、いくつかのアトラクションを回ることができる。


「お化け屋敷、行く?」


 花音が遠慮気味に提案してきた。だが、俺は余裕のある表情で首を横に振る。


「いや、ジェットコースターに乗ろうぜ」

「っ! ……でも、待ち時間が」


 花音は一瞬喜色を浮かべたものの、そう言って否定した。

 ……ああ、確かにそれがネックだったな。だけど、今の俺は違うのだ。今ならば、時間を潰すための完璧なプランを使うことができる。


「小説を書いてれば、時間なんてあっという間に過ぎていくさ」

「凱にぃ、私はその間どうしていろと……?」


 あ、やっべ、花音のことが頭から抜け落ちていた。

 完璧なプラン(笑)。

 まずい、どうしよう。これでは花音に俺が自己中であると思われてしまう。何か案を出さなければ。


「……花音も小説を書いてみる、とか?」


 自分でもどうかと思う提案。あ、これは完全にやらかしたわ。

 白けてしまった空気に固まっていると、花音はぽかんとした後に笑い始めた。


「それ、いいかも……」

「え?」


 今、なんて言った?


「私もライトノベルを書いて、新人賞に応募してみる」

「えぇえええええええええ!?」


 まさかの急展開。え、嘘だろ? え、えぇ?


「ほら、凱にぃ、早く並ぼう」


 呆然としていると、花音は俺に向かって右手を差し出してきた。


「……えーっと? この手は……?」


 手を見つめて困惑する。

 そんな俺を見た花音は、からかうように、そして恥ずかしげに言った。


「手を繋いで、行こう?」

「……お、おう」


 突然の提案にどう返していいかわからなくなったが、一応首肯して左手で花音の柔らかい右手を握った。

 ……なんだこの青春っぽい感じ。すごいドキドキする。

 子供の時にはよく手を繋いでいたが、それとはきっと全く別の意味を持った行為なのだろう。


 俺と花音は、二人仲良くジェットコースターに向かって歩き出したのだった。










「あぁぁぁぁあああ、あっ、あっ、うぉおおおおおおおおお!?」


 遊園地に行き、新たに決意をして新作を書き始めてから早数ヶ月。

 その後も何度か壁にぶち当たりはしたものの、一応納得のできる形には持っていけて、新人賞に応募していた。

 応募先は、FM文庫大賞。時期的にちょうどよかったのと、作風があっているのもあって、前回のリベンジということになったのだ。


 そして、その結果が今返ってきた。

 拳を固く握り締め、血走った目で見つめる俺の目の前のパソコンの画面には、評価シートがしっかりと表示されている。


 ……間違い、じゃないよな? 嘘じゃないよな? 夢なんてこともないよな?

 結果を全く信じられないと驚愕したが、同時に当然かと納得する俺もいた。


「……凱にぃ、どうだった?」


 突如奇声を上げた俺に驚いたのか、少し時間が空いてから、後ろから可憐な声が聞こえてきた。

 自らがメインヒロインのモデルとなった作品の命運を見届けるため、うちに花音が訪れているのだ。

 固唾をのんで見守ってくれている花音を、俺はゆっくりと振り返った。


「ふっ……。聞いて驚け――」


 少し不安の混じった花音からの問いかけに、俺は余裕を持った笑みで答える。

 結果など、考えるまでもなくわかる。それこそ、画面を見る必要すらなかった。

 俺が。この俺が。花音の魅力を世界で一番目に知っていると自負するこの俺様が、本気で可愛い花音を描いたんだぞ?

 更には、今まで培ってきた創作技術を全てつぎ込んだのだ。雨の日だって風の日だって、落選して心が死にそうになった日だって、俺は研究を続けていた。その、集大成なのである。

 最初から、この結果は約束されていた。


 とびっきりの笑顔で、俺は口を開く。




=====================


タイトル:俺のいとこが、婚姻届を勝手に提出しちゃったんですけど、え? これって結婚したことになるの?

ペンネーム:江賀斧 施魁

本名:鳥羽 凱士

年齢:19歳

結果:落選


キャラクター:4.3点

ストーリー:1.7点

世界観:1.4点

構成力:1.4点

文章力:3.8点

総合評価2.5点


審査員Bコメント

良かったところ:メインヒロインのキャラクターがよく作れている。

悪かったところ:世界観、構成の雑さが目立つ。

アドバイス:キャラクターの作り方は非常に上手で、プロにも引けを取らないと感じました。文章の書き方も、よくライトノベルを研究していて、好感が持てます。

しかし、唐突に次の展開へと移っていき読者を置き去りにするストーリーや、安定しない世界観が非常に大きなマイナスポイントになっています。突き抜けすぎていて、これはこれで逆に人気が出るかもしれないとも思いましたが、それにしてもひどかったので前述の通り、落選という結果にさせていただきました。次回作に期待しています。


=====================




「――落ちた」

「えぇー……」


 満面の笑顔で告げる俺に、唖然としながらジト目を向ける花音。その顔にはありありと「期待させといて……?」というイラつきと困惑と失望が浮かんでいた。

 その視線を受けて、俺は更に笑みを深める。


「いやー、はっはっは、落ちちゃったなぁ。うん、流石にちょっと予想外だったわ」


 そんな俺の態度を見た花音は眉をひそめた。


「……なんでそんなに余裕なの? 凱にぃ、ついにおかしくなった?」


 さらにはそんな風に言ってきた花音に、俺はアメリカンなスタイルで首をすくめてHAHAHAと笑う。


「おいおい、そんなわけないだろ? 余裕なんてあるわけないじゃないか。技術も全部つぎ込んだ上で、早苗さんに殺される覚悟をしてまで書いたんだぞ?」


 本当に決死の覚悟だ。明らかに自分の娘がモデルになっているヒロインが、主人公とイチャコラする場面を見たあの人なんて、想像すらしたくないほどに恐ろしい。

 文字通り、最終手段だった。それが、簡単に終わってしまったんだ。


「ははっ、あいつめ、毎度毎度息をするように落としてやがって。絶対にいつかぶっ殺してやるからな。人の夢踏みにじっておいてのうのうと生きられると思うな! 首洗って待ってろよ、審査員Bィ!!」

「……あ、うん、いつも通りの凱にぃだった」


 自分を抑えようとしたものの結局溢れ出てしまったパッションを見て、花音はため息をつきつつ胸をなでおろしてた。……いやおい、いつもの俺ってなんだ。お前の中の俺はどんなイメージなんだ。


「……でも、本当に落ちたんだ。あんなに頑張ってたのに」


 哀れむような目で俺を見る花音。


「それは……マジで本当、心折れたわ……」


 正直自分でも、これ絶対いけるパターンだなって思ってたもん。いや、さっきと言ってること違うけどさぁ。だって、あの流れだぜ? まさか爆死とか夢にも思わないだろ?

 ってか、審査員B。お前、割りかしキャラと文章の評価いいんだから、一次くらい通したって良いじゃねえか。なんで落としちゃうんだよ。


「編集半端ないって……。あいつ半端ないって……。命かけた小説めっちゃディスるもん……。そんなんできひんやん普通……」


 だんだんと怒りすら薄れてきて、絶望だけが残ってきた。なんなんだよ、B。お前は俺の死神か何かか? ◯魂界に引きこもってろよ馬鹿野郎……。


「……まあ、凱にぃ。元気出して。私から良い知らせがあるから」


 本気で涙を流して崩れ落ちた俺に、優しく語りかける花音。

 何かと思い、顔を上げると、花音は俺に向かってスマホの画面を突き出していた。




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タイトル:そして私はわたしになる

ペンネーム:静宮 花音

本名:静宮 花音

年齢:17歳

結果:第一次選考通過


=====================




「私は受かってた」

「嘘やろ……」


 スマホの画面に映されていたのは、FM文庫大賞の評価シート。それも、一次選考を通ったものであった。

 花音は遊園地に行ったあと、宣言通り本当にライトノベルを書き、記念として俺と一緒にFM大賞に応募していたのだ。……それが、まさか、マジで通るとか……。

 えぇ……。


「ありえねえだろ……。初応募どころか、創作初心者だぞ……?」

「……ふっ」


 は、鼻でっ、鼻で笑ってきやがった!? 見下すような笑みを浮かべて、嗜虐的な表情で嘲笑いやがったぁ!

 ウゾダドンドコドーン! オンドゥルルラギッタンディスカー!


「っつか、ストーリーも文庫の傾向に合わせる気全くないものなんだろ? 何かの間違いじゃねえの?」


 現実を認めたくない俺の心が、編集側のミスという答えを導き出した。

 俺も読ませてもらったことはないため詳細は知らないが、どうやら花音は女主人公でかなりシリアスなものを書いたらしい。

 それを、なんでもありな稲光文庫はともかく、ラブコメと異世界が強いFMが通すとか、マジで何かの間違いだと思いまーす。ラブコメでキャラが可愛いい俺の小説が落ちたのと同じくらいおかしいと思いまーす。……おい、今「それと同じくらいならむしろ通って当たり前だな」とか思った奴表でろ。


「疑うなら、読んでみる?」


 ドヤ顔のままスマホを操作して執筆画面を呼び出してから、俺に渡す花音。

 ……まあ、そこまで自信があるなら読んでみますかね。


「……お前、メモ帳使って書いてんの?」

「最終的にはWordだけど、メモ帳の方が使い慣れてるから」


 なるほど、別に最初から応募用ので書く必要はないか。……いやでもやっぱ、文字数わかんねえから不便じゃね?


 首を傾げつつも、俺は花音の書いた小説を読み進めていった。

 …………。

 …………。



「……なんだこれ、やっば……」


 約五十分後。小説を読み終えた俺は、最初にそう漏らした。

 認めるしかない完成度。俺より遥かに格上な文章力に、緻密かつ繊細な人間関係。

 ダメだ、勝てねぇ。……いや、これどう考えてもラノベじゃねえけど。


「どう、だった?」


 少し不安そうに聞いてくる花音。


「とんでもなかった。お前かなりマジで天才だな」


 笑みをたたえながらそう褒めるも、自分の中で嫉妬の炎が燃え上がるのを感じ、素直に賞賛し切ることができない。

 これは……なんというか、まずい。俺の心を的確に折ってくる。積み上げてきた経験や、頭からひねり出したアイディアを簡単に上回られたという事実は、予想よりも遥かに厳しかった。


「そ、そう……かな……?」


 人のことを素直に祝うことができない自分を責めていると、花音は嬉しそうにはにかんでそう言った。

 ……ああ、こんなんじゃダメだな。しっかりしないと。


「おう、設定にキャラに文章、どこを取っても一流だ。たぶん」


 笑顔を作り、サムズアップして告げる。


 花音の小説『そして私はわたしになる』は、記憶喪失になった少女が主人公のヒューマンドラマ。

 主人公は暖かい家族や友人たちに囲まれ、少しずつ記憶を取り戻していくのだが、ある時記憶が全て戻ったら今の自分の人格はなくなると気がついてしまう。記憶を取り戻して皆に喜んでほしいが、自分のままでずっといたいという、少女の切ない思いが胸に刺さる。


「たしかにこれは、通るよなぁ。なんでよりにもよってFM大賞に応募したんだ感は超あるけど」


 苦笑いでそう言った。

 軽いと言うと語弊があるが、比較的テンションが高めの作品が多いあの文庫にこれ送りつけるとか、もはや喧嘩売ってるんじゃないだろうか。

 だってあれだぞ? 十代の読者が心から楽しめる、フレッシュでオリジナリティ溢れる小説を募集してんだぞ? 絶対これ違うぞ?


「……でも、そんな私の作品は通って、文庫に合わせたはずの凱にぃは落ちた」

「あふっ!?」


 このまま花音を褒める流れかと思いきや、流れ弾がこちらに飛んできた。……いや、流れ弾というか、変則ブーメランというか、薮蛇というか、みたいな感じだが。

 胸を撃ち抜かれて崩れ落ちていると、花音は冷たい表情で更に告げる。


「凱にぃ、絶対面白くするって言ったのに」

「申し訳ございませんでしたぁああああああ!!」


 崩れ落ちた体勢から、更に身を地に近づけて、頭を床に擦り付けた。

 土下座をして謝りながら思う。

 ――なんで落ちたんだろう、と。

 いや、言っちゃなんだけど、流れ的にも絶対もっと行ける流れだったと思うんだよな。それこそ大賞をとるとか、そこまでいかずとも最終選考までは残るみたいな。

 だってもう、「勝ったッ! ワナビ生活完ッ!」って感じだったじゃん。あそこで落ちるとは思わないじゃん。あのセリフ敗北フラグだけど。


「……まぁ、いい」


 これから俺はどんな酷い目にあうのかと怯えていると、花音はため息をついた後にこう言った。


「凱にぃ、小説読ませて」

「……え?」


 今土下座の体勢だし、もしかしたら頭をJKの生足で踏んでもらえるのだろうか、などと半ば変態じみた現実逃避していた俺は、予想外の言葉に思わず顔を上げた。

 すると、その先には少し恥ずかしそうな花音の顔が。


「……面白いかどうかは、私が判断するから」

「花音……」


 ……ありがとう。

 妹のように思っている相手からの優しさに、涙が出そうになる。

 俺は立ち上がって、パソコンを弄り、小説に画面を開いた。


「それじゃあ、読んでくれ」

「うん」


 花音はパソコンの前の椅子に座って、表示されている文字を追い始めた。

 俺はドキドキしながらそれを見守る。



「……ふぅ」


 ――そして一時間後。

 終始無表情かつ無言のまま、花音は小説を読み終わった。

 ……あ、ダメかなこれ。うん、ダメっぽいわ。終わったわ。


「えっと、その、どうだった?」


 もしかしたらの可能性に賭けてそう質問してみると、花音は呆れたような目で俺を見る。


「凱にぃ、これ本気で応募したの?」

「えっ? ああ、そりゃそうだけど」

「……馬鹿なの?」

「ふぁっ!?」


 ストレートな罵倒。

 そ、そこまで酷かったですかね……? いや、まあ、なんとなく察してはいたけど、そこまで言われるほど!?


「まず、凱にぃ。プロローグの部分でヒロインに婚姻届を勝手に出されるのはいい。印鑑とか身分証明書をヒロインに盗まれてたのもまだいい。……でも、本人確認通知まで握りつぶすのは、どうなの?」


 最初の部分からダメ出しをされる。……まずっていうことは、この後にもあるってことだよな?


「インパクトがあっていいと思ったんだけど……」

「ヒロインのやばさしか伝わってこない。っていうか、完全に犯罪者」


 弁解も切って捨てられる。いや、花音さんや。あなたも不法侵入してたと思うんですが。


「ま、まあ、愛が強いっていうのは可愛くていいじゃ……」

「少なくとも女性からは嫌悪される」

「……はい、すみませんでした」


 そうか。そうなんだ。知らなかった。

 っていうか、今更ながらに気がついたけど、審査員Bが男だとは限らないのか。ずっと人のこと考えないおっさんだと思ってたが、二十前半の美人って可能性もあるんだよな。そう考えると、殺意も収まってくる。


「次。ヒロインの名字が唐突に自分と同じものになっていて、何かあると気がついた主人公。なんで理由を聞いたらあっさり納得してるの? いとこが勝手に自分との婚姻届を出してたら、普通恐怖と驚愕と憤怒が湧き出るはず」

「えー、でも、可愛い従妹と結婚したってわかったら嬉しくなって、そんなことどうでもよくならね?」

「ならない。狂気しか感じない」


 そっかぁ。ならないかぁ。自分でも結構自信があったところなんだけどな。掴みは抜群だと思ってたのだが。


「でも、花音に同じことやられたら嬉しいぞ?」

「っ!? …………っ! ……。…………? ………… (これ喜んでいいの?) (それとも怖がるべき?)


 俺の言葉を聞いた瞬間、びくっと反応したかと思いきや、思いっきり困惑した表情に変わっていく花音。


「いや、まあ、そうなったら流石に色々とまずいから取り消しのために役所に行くけど」

「……そ、そう」

「ま、そもそもありえない前提なんだから考えるだけ無駄だし、どうでもいいんだけどな」


 花音が俺と結婚とか、天地がどうひっくり返ってもないよな。花音が過剰に反応していたのって、そんな妄想するな気持ち悪いってことだろうし。


「……それで、次。正直、相当意味はわからないけど、ここまではまだ許せる。だけど、ここからは本当に擁護できない」


 気を取り直す、といった風に小説の批判を続ける花音。

 あの、もうそろそろやめない? 俺マジで泣くかもよ?


「第二章で急にログアウト不可のデスゲームなVRMMOが始まったのなんで? ラブコメじゃなかったのこれ?」

「い、いや、書いてるうちに思いついちゃってさ。でも、おかげで面白くなって――」

「ない」

「……はい」


 かのんのそくとう。かいとはしんだ。

 いや、シリアスはどうかとは自分でも思ったけど、普通にハーレムラブコメにしても面白くないなと考えたのだ。

 え、でも面白そうじゃない? タイトルからして頭の軽そうなラブコメなのに、急にデスゲームとか。……あ、意味不明ですよね、すいません。


「それで、ゲームの結婚システムとかを駆使して、なんとかしてクリア。めでたしめでたしかと思ったら……」


 一度言葉を切る花音。不穏だ。そんなにまずいことをしただろうか。

 恐怖に震えて次の言葉を待つ。


「実はVRMMOをプレイしていたのではなく、本物の異世界に集団転移していて、クリアしても日本に帰って来れなかった。主人公とヒロインはクリアまでに培った力を活かし、異世界を生き抜いていく俺TUEEEEが始まる。――は?」


 凍えそうな絶対零度の視線で俺を見つめてくる。


「流行の異世界転移を取り入れてみたんだけど……」

「 だ か ら 、 ラ ブ コ メ ど こ 行 っ た ? 」

「ごめんなさい」


 威圧感あふれる言葉に一切の抵抗はできず、再び土下座を敢行。腕を組んでラスボスのようなオーラを放つ花音は続ける。


「……というか、今の時代異世界転移はもう古い」

「え、マジで!?」


 そ、そうだったのか。アニメで結構あるし、人気なのかと思っていたのだが、もう流行りは去ってたのか。脳内情報を更新しておかないと。


「そして? 異世界生活を堪能していたものの、あるとき油断によって主人公は命を落としてしまう。そのあと、主人公は目を覚ますと、ヒロインが婚姻届を提出した日に戻っていた。……夢オチとか、なめてるの?」


 やばい、反論できない。それ以外に現実に戻す方法が思いつかなかったのだ。

 決死の覚悟でその道を選んだことは評価してもらいたい。


「エピローグ。現実では握りつぶされなかったのか、結婚の本人確認通知が届く。主人公は『ああ、もしかしてあれは正夢のようなものだったのか』と考えたが、よく見てみると書いてある名前がヒロインではなく、今まで登場してなかったもう一人の従妹だった。そして、後ろに気配を感じて振り返ってみると、そのもう一人の従妹が立っており、『これからよろしくね、お兄ちゃん。……ううん、あ・な・た』……え? これで終わり? 馬鹿?」

「最後に新ヒロインが登場し、タイトルも回収できる、自分的には最高のエピローグなんだけど」

「……元からのヒロインどうなったっていうのもあるし、そもそも続きを想定した構成はしちゃいけないはず」

「……あ、忘れてた」


 そ、そうだ。続きが気になる終わり方はアウトなんだった。


「……これが落ちた理由だと思うけど、凱にぃ。反論は?」

「ありません。Bさんは正しい判断をしてました」


 言ってることとは違い、言い訳など許さないと凄んでいる花音。逆らうことなど到底不可能だ。


 ……頑張って書いたし、絶対いけると思っていたのだが、蓋を開けてみればこれか。本当に、ダメだな。


「やっぱ才能、ないんだよな……」


 床に寝っ転がり、天井を仰いでそう呟く。


「……諦めるの?」


 花音は俺の顔を上から覗き込んで、そう聞いてくる。


「諦めるしかないだろ。最高傑作がこれなんだから。……それに、今まで見せてきて、花音が喜んでくれたこともねえし」

「っ! そ、れは……」


 途端に歪む花音の表情。

 ああ、わかってる。これは卑怯だ。卑劣で最悪で最低だ。でも、本心なのだ。


「…………」

「…………」


 お互いに沈黙する。

 数秒後花音は、苦しそうな、泣きそうな顔で、口を開いた。


「そんな、ことないっ! すごいって、いつも思ってる!」

「でもお前、あんなに叩いてたじゃねえか」


 同情から来る励ましなど要らないと、そう言うと、花音は、


「――面白くないなんてっ、言ってない!!」

「は? いや……」

「言ってないッ!!」

「っ!? え、でも、いや、………………あれ?」


 今までの花音の言葉を思い出してみる。今回だけじゃなく、数年間の全てだ。

 すると。

 …………。

 たしかに。本当に。花音が直接つまらないと言ったことなど、一度もなかった。


「じゃ、じゃあ、なんでそう言ってくれなかったんだよ。言われなきゃ分かんねえだろ!」

「……言っちゃ、ダメだったから」

「……なんでだよ」


 意味、分かんねえよ。


「凱にぃのペンネーム」

「は? それがどうした?」


 急に関係のないことを持ち出す花音。さっきから何が言いたいんだ。

 イライラばかりが募っていく。


「……江賀斧 施戒(えがおのせかい)。世界を笑顔にしたい、そういうことなら、私が笑っちゃいけない」

「どういう意味だ?」

「私が笑ったら、褒めたら、きっと凱にぃそれで満足しちゃってた。書くのとっくにやめちゃってた!」

「それは……」

「そしたら、ラノベ作家になって世界中に笑顔を届けることなんてできない。だから、私は褒めたくても我慢してた!」

「…………」


 そうか。

 たしかに、読んでもらった時、いつも花音は無表情で無言だった。

 花音は、基本的にそこまで感情を表現するタイプではない。だが、無口キャラかと言われればそんなことはなく、普通に思いが顔に出ることは結構ある。

 それなのに、何も反応しないのは逆に不自然だ。

 あれは、そうか……。反応すらする気は起きないくらいつまらないのではなく、抑えていたのか……。


「私は、凱にぃの書くキャラクターが好き! 意味わかんない展開が好き! この先どうなるかわからないワクワクが、いつだってあるから、凱にぃの小説が好きなの!」

「…………」

「…………」

「……なあ、花音。俺が小説を書き始めた理由、覚えてるか?」


 涙を堪えるような、今にも壊れそうな表情をした花音。俺はゆっくりと語りかけた。


「昔の花音って、今と違って本当に笑わなかったよな。いっつも無愛想で、話しかけても無視されてた」


 ぎこちなく首を縦に動かす花音。


「そんな花音だけどさ、ある時、俺が書いた漫画を見せたら笑ってくれたんだ。今から考えてみれば、絵も話もひどい出来だったけど、それでも花音は笑顔になってくれた」


 子供が作ったものなのだからクオリティは最底辺で、今書いているラノベの方が遥かにマシなくらいなのだが、花音は少しだけ微笑んだのだ。

 そして俺は、その表情に見惚れた。


「だから、その後も度々漫画を書いては花音に見せてた。笑顔が見たくてな。そうして何ヶ月か経った時、花音は言ったんだ。『他の人には見せないの?』って」

「……ぁ」

「『こんなに面白いんだから、私だけじゃなく他の人にも見せてあげて』って、そうお前は言ったんだよ」


 あの時は本当に嬉しかった。子供心に響いて、馬鹿みたいに舞い上がったよ。


「笑顔の世界。花音みたいに、笑わない人を喜ばせたい。そして、その笑顔をたくさん見たい。それで俺は始めたんだ」


 画力はないから漫画は諦めてラノベにしたんだけどな。恥ずかしくて、頭を少し掻きながらそう続けた。


「……そっか。そう思ってたなら、私がどう言っても満足なんてするはずがないし、私がしてたのは無駄だったんだ」


 まだ涙目ではありつつも、安らかに微笑む花音。


「いや、正直やめてたかもしれないっていうのは否定できないわ」

「……そうなの?」

「ああ、俺そんなにメンタル強くねえし、身内にだけ見せて終わるようになる可能性はあったな。まあ、どうなってたかは神のみぞ知るだけど」


 どれだけ一次審査落ちしても書き続けたのは、せめて花音にだけでも認めてもらいたいという気持ちがあったからだ。花音の言葉を一概に否定することはできない。


「まあ、でも、やめねえよ。ここまで来たら最後までやるしかない。……なんとかしてBに面白いって言わせたいしな!」


 拳を握って叫ぶ。待ってろよ、審査員B! いつか絶対二次選考まで行ってやるからな!


「……頑張れ、凱にぃ」

「おう!」


 高らかに宣言する俺に、花音は静かに微笑んだ。


「いつか私に追いつけるように、頑張って」

「上からぁ! でも否定できねぇ!」


 決意に全力で水を差してくる花音。ひどい。

 情けない声で返すと、花音はふふっと声を出して笑い始めた。それに釣られて俺も一緒に笑い出す。

 狭いワンルームマンションに、二人の声が響き渡った。


 ……読者がたった一人でも。一人でも、俺の小説を読んで、面白いと思ってくれる人がいるならば。

 俺は永遠に小説家を目指し続ける。

 ――改めて、そう思った。



「……ところで、凱にぃ」


 ふと何かを思い出したかのように、花音は俺に尋ねてくる。


「凱にぃは十九歳で、私は十七歳。二人とも、法律上は結婚できる年齢」

「え? ま、まあ、そうだな。それがどうし――」

「印鑑と身分証明書、どこにあるか教えて」

「はい?」


 あの、ちょっと、話が見えないんですが。

 狼狽えていると、花音は勝手にパソコンを操作して何かを印刷した。

 プリンターから出て来たのは、ドラマとかでたまに見る、しかし日常生活では縁のないそれ。


「あ、あのー、花音さん? えっと、何をして……」


 得体の知れない恐怖を感じて聞いてみると、花音はボールペンを手に持ち、いい笑顔でこう言った。


「婚姻届、出しに行こう」

「はいぃぃぃぃ!?」

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