第五話 虫除け
不快な虫類の描写注意です
暑さを増していく日々。
今のところ、桑の葉採取は順調にいっている。
『蔦屋敷』のメンバーだけではなく、近隣の村人も、手が空いている者は桑の葉を持ってきてくれているのだ。
これは、一つには彼ら自身が山に入る必要性があるからで、その片手間に桑の葉を取ってきてくれているのだ。
山に入る理由とは、『薬草採取』である。
科学的な根拠は薄いが、夏という『強烈な』季節に採取した薬草は、薬効も強い、と昔から信じられているのだそうだ。
「迷信でしょうけどね」
と言ってミチアは苦笑した。
そして、この季節の山に多いのがダニとヒルである。
「いいか、ダニに噛まれたら、けっして毟って取るなよ」
アキラは王都から来た面々に注意をしていた。
「無理に毟ると、頭部が皮膚の中に残ってしまうことが多いんだ」
元々山暮らしをしていたものならよくわかっていることなのだが、そうするとそこから感染症を引き起こすこともあるので要注意だ。
「そもそも、マダニのいる場所に半袖や短いズボンで行くなよ」
いくら暑くても、とアキラは再三注意を行っていた。
そのため、王都からの面々は大丈夫だった。
……が、あろうことか、『蔦屋敷』の侍女の1人、植物に詳しいミューリがダニにやられてしまったのだ。
「ばか。なんで半袖で茂みに入ったのよ!」
同僚から叱られているミューリ。
「だって、貴重な薬草だったのよ」
ミューリに言わせると、夏の一時期しか地上部がないので、今頃しか見つけられないのだそうだ。
「どんな薬草なんだ?」
アキラが尋ねると、
「これです。この根の部分を乾燥させて薬にするんです」
と答えが返ってきた。
その植物には葉がなく、従って葉緑素もなく、寄生植物らしいことがわかる。
根の部分が膨らんだ『塊茎』と呼ばれるもので、この部分に薬効がある、とミューリは言った。
「鎮痛剤になるんです」
そんなミューリに。同僚のリリアは、
「はいはい、わかったから、ダニに喰われた腕と脚を出して」
と言って詰め寄った。
「う、うん」
まずミューリは右腕を出す。二の腕に、5ミリほどの大きさに膨れたダニが食らいついていた。
「ああ……放っておくと1センチくらいにまで膨れるわね」
そこでリリアは、小枝に火を付け、すぐに吹き消す。その後、赤くなった燃え残りが完全に消える前にダニに近づける。
するとダニは身を捩らせぽろりと落ちた。
リリアはすぐにそれを踏み潰す。赤い血が飛び散った。もちろん吸われたミューリの血である。
「あとは?」
「あ、脚に」
ミューリは膝下丈のスカートをめくって右の太腿を見せた。そこにも5ミリほどに膨れたダニが付いている。
もう一度リリアは同じことを行い、ダニを駆除した。
「これでいいわ」
「え? 終わりか?」
見ていたアキラは、思わず疑問を口に出した。
「あ、アキラさん、いたんですか?」
「あ、あの、脚、見ました?」
ミューリは頬を染めた。
「あ、ああ、ごめん。……いや、そうじゃなくて、いや、そうなんだけど」
どうやってダニを取るのか興味があったのでずっと眺めていたアキラであったが、ミューリが赤面したので、セクハラ紛いのことをしていたことに今更ながら気が付いたのである。
「え、ええと、感染症が怖いから、リーゼロッテに《ザウバー》をかけてもらった方がいいと思う」
《ザウバー》には滅菌効果がある。
今回のダニは、現代日本で言うマダニの類と思われる。
そしてマダニはいろいろな感染症を媒介するのだ。
「わかりました」
ミューリはアキラの言うことを素直に聞いて、リーゼロッテの研究室へと向かったのだった。
それを見送ったアキラは、同じく様子を見ていたミチアに、
「ミチア、虫除けに関して『携通』に何か載っていたよな?」
と尋ねた。
「……ええ」
少しむくれた調子でミチアが返事をする。
「何怒ってるんだ?」
と尋ねたアキラだったが、
「……知りません!」
と返されてしまった。それを見ていたリリアが、
「アキラさん、ミチアは妬いてるんですよ。アキラさんがミューリの太腿をじっと見つめていたので」
と暴露したものだから、
「ええっ! お、俺、そ、そんなつもりじゃ」
「え、あ、ええと、その、違うんです!!」
2人とも大慌てである。
だが、おかげでミチアの機嫌が直った……というか、拗ねていたことを上書きされたというか。
「ええと、確かミントとアルコールで虫除けスプレーが作れたはずです」
「ミントって確かハッカだったよな。こっちにあるのか?」
「ええ、あるわよ?」
との声に振り向けば、リーゼロッテだった。横にミューリもいる。治療が終わって戻ってきたようだ。リーゼロッテは付き添いというか、気分転換に研究室から出てきたという。
「ミントはハーブだし、そのオイルは香料に使われているわ」
「さらに言いますと、ミントを下手に栽培しようものなら、どんどんと増えていって大変なことになります」
ミューリが補足した。
「ああ、聞いたことがある。ミントテロとかなんとか」
ミントは種子と地下茎で増えるので、なかなか根絶やしができない。おまけに、挿し木でも繁殖できるくらいなので、ちぎった茎からも根が出たりするという。
さらに悪いことに、世代を重ねていくとミントをミントたらしめているあの香りも薄くなっていく……らしい。
ちなみに、同じシソ科のシソや、畑の雑草として扱われるホトケノザ(サンガイグサ)、それにドクダミなども繁殖力が強く、これらを嫌がらせ目的で植えることを『植物テロ』というようだ。
閑話休題。
そのミントだが、メントールという揮発性物質を含んでいて、これが虫類に対しての忌避効果があるという。
「ハッカ油2ミリリットル、消毒用アルコール10ミリリットル、精製水90ミリリットル、というレシピがありました」
ミチアが『携通』にあった情報を教えてくれる。
「ふんふん、こっちにある薬品で置き換えればいいのね。ちょっと作ってみるわ」
レシピを聞いたリーゼロッテはくるりと向きを変えて研究室へ戻っていった。
そして10分ほどで戻ってくる。
「できたけど、どうやって使うのかしら?」
フラスコを手にしたリーゼロッテが尋ねてきた。
「ああ、そうか……」
スプレー容器がないと、手軽に使えないことを失念していたアキラ。
「最初はハンカチに付けて手や脚の露出部位を拭いてもらうしかないかな」
実際、ウエットタオルタイプの虫除けもある。
「あ、あと、まれに肌に合わない人もいるかもしれないから、ちょっとだけ付けて試してからにしてくれよ」
と注意するのを忘れないアキラであった。
この虫除けは、蚕スタッフを除き、屋外で作業することの多い侍女たちに好評だったようである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は3月16日(土)10:00の予定です。
20190309 修正
(誤)「アキラさん、ミチアは焼いてるんですよ。
(正)「アキラさん、ミチアは妬いてるんですよ。
20190311 修正
(誤)『蔦屋敷』のメンバーだけではく、近隣の村人も
(正)『蔦屋敷』のメンバーだけではなく、近隣の村人も




