第二話 指導準備
拠点であり『家』でもある『蔦屋敷』に戻ったアキラに、かつての日常が戻ってきた。
「アキラの旦那、もうこんなに大きくなりやしたぜ」
まずは、『春蚕』と呼ばれる、4月頃に孵化した蚕たちがもう2齢幼虫になっていたこと。
「アキラ、織機もこういう風に改良したんだ」
ハルトヴィヒは冬の間に機織り機を改良し、効率を2割アップさせてくれていたし、台数も10台と、大幅に増えていた。
「アキラ、ほらほら、いい色が出たでしょう?」
リーゼロッテは黄色に染めた絹のサンプルを見せ、
「マリーゴールドの花とミョウバンで染めたのよ!」
と、鼻高々だった。
* * *
不在だった間の報告や、アキラたちの旅の話が一息つき、アキラ、ミチア、ハルトヴィヒ、リーゼロッテの4人はお茶を飲んでいた。
「……このお茶、美味しいわね」
「それ、王都で買ってきた茶葉なんです」
「どうりでね」
この世界では、お茶の木は自国で栽培している。中国に相当する国から輸入しているということはない。
また、イギリスに相当する島国もないし、船舶も発展してはおらず、植民地政策も採られていないようだった。
その点では地球とは大いに異なっている。
「しかし、国王陛下がアキラを、直々に『シルクマスター』に任命したとはね」
「俺も驚いてるよ。でもおかげで、この国での立場がはっきりしたわけだ」
それまでは根無し草だったわけだから、とアキラは言った。
その時、リーゼロッテが爆弾を投下した。
「そうね、これで 堂々とミチアと結婚できるわね」
「ぶふぉっ!」
アキラは飲みかけていた紅茶を吹き出し、盛大にむせた。
「あ、あ、あの……」
ミチアはミチアで、真っ赤になって慌てている。
「何よ、今更そんなに慌てなくてもいいじゃない」
「うん、僕らの間で隠すことはないよ」
リーゼロッテだけでなく、ハルトヴィヒにもそう言われ、
「……やっぱりわかるか」
アキラは観念した。
「あわわわ」
珍しく動揺しているミチアを、リーゼロッテが宥めた。
「ミチア、もうわかっているから。応援しているわよ」
「あ、は、はい……」
「少なくとも、この4人でいる時は遠慮しないでいちゃついてよね」
「い、いちゃつ……」
「こらリーゼ、あまりからかってやるな」
「うふふ、ついね。ミチアが可愛くて」
平和なひとときである。
* * *
だが、彼らにはこれから大きな仕事が待ち構えているのだ。
「……えへん、さて、寛ぐのはこれくらいにして」
アキラが仕切り直した。
「明日から、教育をしなければならないんだが」
「ああ、あの、連れてきた人たちね」
「うん。……で、どうやるのがいいかと、参考意見を聞きたいんだ」
王都から連れてきた技術者なので、村人を教育するのとはわけが違うだろうと、アキラは少し悩んでいたのである。
「そうね。……まず言えることは、アキラが直接指導する必要があるでしょうね」
「やっぱりそうか?」
リーゼロッテは頷いた。
「今は一人前になっているとは言っても元が村人だからね。王都の人間だからプライドもあって、素直に言うことを聞くとは思えないのよ」
「なるほど……よくあるパターンだな」
「よくある?」
アキラの独り言をリーゼロッテが聞きとがめた。
「あ、ああ、いや、以前物語で読んだことがあってさ」
物語や小説では、そうした身分差から軋轢が生じて、職場に不和が生まれ、指導者である主人公が苦労する……というパターンが多かった、とアキラは説明した。
「ふうん……作り話と笑えないわね。そうよ、そういうことって多いのよ」
「だから、俺が指導した方がいいっていうことか」
「そういうこと」
そこに、ハルトヴィヒも口を挟んだ。
「指導をアキラがするというのはそれでいいと思う。だけど、そこに誰かしら、こっちの職人を立ち会わせるのもいいんじゃないかな?」
アキラがいれば身分差うんぬんで文句をいうことはないだろうとハルトヴィヒ。
「アキラとこっちの職人が交互に説明するとか、職人に説明させてアキラが補足するとか、そういうやり方にすることで、自然な形で職人の優秀さ……というか、能力をアピールするのさ」
「ああ、それもいいな」
そうした形に慣れてくれば、アキラがいない時に職人に尋ねることの抵抗もなくなるだろう、と思えた。
「人を教育するのって難しいよね」
リーゼロッテが笑う。
「他人事だと思って」
今回やって来ているのは全員ガーリア王国の者であり、それなりの身分にある者なので、ゲルマンス帝国出身のハルトヴィヒとリーゼロッテは直接関わることはしない、という方針になっていた。
「わ、私たちもアキラさんをフォローしますから」
だが、そうするとアキラの負担が増えるのは目に見えているので、可能な限り肩代わりする、とミチアは言ったのだった。
「ありがとう、心強いよ」
心を許せる仲間の言葉を、アキラは心強く思ったのである。
「あとは、少し時期がずれるけど、蚕を育てる手順を、一度は卵からやらせたいんだよな」
「いいんじゃないか? 今育てているのは2齢幼虫になっているけど、それほど多くは育てないんだろう?」
「まあな。100匹くらいでいいと思ってる」
「なら問題ないな。冬の間に『蚕室』も4棟増えているんだ。うち2つはこういうこともあろうかと空けてある」
セヴランが気を利かせてくれたらしい。さすがだ、とアキラは心の中で感謝した。
「よし、それじゃあそっちは問題ないな」
とりあえずは、王都から連れてきた全員に、養蚕の全貌を見せようとアキラは考えていたのだ。
「あとは、病気か」
自分やミチア、前侯爵も含め、王都から何か病原体を持ち込んでいないかが心配だ、とアキラは言った。
なにしろ過去の地球では、ヨーロッパの養蚕がそうした病気の蔓延で壊滅状態になったことがあるのだから、心配しすぎということはない。
「リーゼが改良した『《ザウバー》』を、一度『蔦屋敷』の全員に掛けてもらおうかな」
「なら、前侯爵に相談したほうがいいわね」
「さっそく話をしてこよう」
アキラは腰を上げた。
文字どおり異境の地で産声を上げた『養蚕』は、新たな段階に入ろうとしていた。
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次の更新は2月23日(土)10:00を予定しております。
20210220 修正
(誤)セヴランが気を効かせてくれたらしい。
(正)セヴランが気を利かせてくれたらしい。




