第十四話 称号
翌日、アキラたち一行は、フォンテンブロー伯爵に見送られ、王都へ向けて出発した。
フォンテンブロー伯爵からアキラへは教授料兼餞別として10万フロン(1000万円相当)が贈られた。
「アキラ殿、いろいろ勉強になった。感謝する」
「こちらこそ、お世話になりました。鉛と水銀、注意してください」
「おお、もちろんだ」
それからの道中は平穏無事であった。
王都に近いということで路面は均されていて馬車の揺れは少なく、同時に速度も2割ほど向上したのである。
この道中アキラは、今更ながらの疑問を口にしてみた。
「閣下、普通は家名の後に肩書きを付けて呼ぶのではないのですか?」
現にフォンテンブロー伯爵は家名である『フォンテンブロー』+『伯爵』と呼ばれている。
が、『フィルマン』は名前である。そこに疑問を抱いたのだ。
今更感はあるが、貴族階級がなくなって久しい日本に暮らしていたアキラなので仕方がない。
「はは、そこにようやく気が付いたか」
それはフィルマン前侯爵も承知しているので、必要以上に馬鹿にすることはない。
「儂の称号『前侯爵』が特殊なのだよ」
「特殊……ですか?」
「うむ。本来なら『元』侯爵ということになるはずなのだ」
「あ」
その場合は『ド・ルミエ元侯爵』と名乗ることになる、と前侯爵は言った。
「フォンテンブロー伯爵の場合は、町の名を使っているので『ド』は付けないな。正式な名は『ガストン・ファビュ・ド・フォンテンブロー伯爵』という。家の名が領地の名なのだ」
「そういうことですか」
なんとなくわかったような気がするアキラであった。
「それで、儂の称号だが、『前侯爵』というのは微妙に『元侯爵』とは違うのだ。どう説明すればいいかな……」
「……」
アキラは、そういえば日本でも、天皇陛下が譲位して上皇、すなわち太上天皇となることを思い出し、あれと似たようなことなのだろうか、と想像した。
「隠居して後継者に全てを譲れば元侯爵となるが、儂の場合は蔦屋敷とその周囲の村を統治しているから、隠居とは少し違う。まあ、準隠居といったところか」
その場合は『前侯爵』を名乗ることが許されるのだという。
「そうした場合、家名ではなく名前に称号を付ける慣習があるのだ」
「そうなんですか……」
貴族社会はややこしいな、と感じたアキラであった。
そんなやり取りをしている間も馬車は進んでいく。
半日後、到着したのは王都防衛の北の要、『北の剣砦』である。
平時には門として機能する、高さ15メートルはある巨大な砦本体と、左右に伸びる高さ7メートルの城壁は、北の最終防衛線と呼ばれるにふさわしい威容を誇っていた。
歴戦の証しである矢玉の痕もところどころに残っている。
けっして観光名所ではない、現在進行形で使われている軍事施設でもあるのだ。
「凄いですね」
「そうだろう。ここ以外にも東と西と南に、同じような砦が築かれているのだ」
「時間も掛かったんでしょうね」
「もちろんだ。完成まで20年を費やしたと言われている」
その砦前には、王都方面へ行こうという旅人の列ができていた。
そしてそれとは別に、短い列もあった。
「主に貴族だが、要は身元保証がはっきりしていると通過は楽なのだ」
とフィルマン前侯爵。
その言葉どおり、一行が並んでいた列はどんどん進んでいく。
検閲も、前侯爵という地位にあるフィルマンがいるため余計な手間を掛けることなく、一行はほぼフリーパスで砦を通過することができたのである。
「さて、この内側はもう王都と言ってもよい」
砦を通過すると、フィルマン前侯爵はアキラにそう告げた。
道の左右は灌木が植えられている。
「お茶の木だな。こんな程度でも、攻め入る敵の足を止める役に立つのだ」
確かに、この横に何列にも並んだお茶の木を踏みしだいて進むのは大変そうだ、とアキラは納得した。
「もちろん、お茶は王都の主要産業でもある」
普段は一般に飲まれている茶の原料となるわけだ。
「もちろん、最高級茶ではないぞ。一般向けの茶だ」
いつ戦火に焼かれるかもわからないところで高級茶は作らない、と言ってフィルマン前侯爵は笑った。
茶畑の次は柑橘の果樹園だった。
「この果樹園も目的は同じだ」
「ははあ……常緑樹にしたのも防御的な理由があるんですね? あ、しかもこの木にはトゲがある」
フィルマン前侯爵は頷いた。
「さすがだな、アキラ殿。そのとおり。葉を落とす木では見通しがよくなってしまうが、常緑樹ならそんなことはない」
さらに火攻めにも強い上、アキラが指摘したようにトゲがあるため、若干の足止め効果も期待できる、というわけだ。
そしてさらに行くと、いよいよ王都の城壁が見えてきた。周囲は草原となっている。
そんな時、アキラは草原の中に古びた杭のようなものが幾つも建っているのが見えた。
「あれは何ですか?」
「あれか。あれは『攻城兵器』を防ぐための障害塔の名残だな」
その昔は、城塞都市の城壁を乗り越えるために、『攻城兵器』と呼ばれるものが多数活躍したという。
櫓に車輪を付けたもので城壁を越えようとするもの。
『カタパルト』とも呼ばれる、投石機。
そして城壁の上からの矢による攻撃を防ぎつつ近付くための『背甲車』。
要は頭上に巨大な盾をかざして進む車だ。
そうした兵器は全て巨大で、車輪によって引き回していたため、こうした塔や杭を地面に立てて妨害をしたそうだ。
「その名残だな。中は人が入れるようになっているほど巨大な塔もあるので、倉庫として使われているものもある」
「なるほど、いろいろ考えられているんですね」
アキラはこうした軍事的な知識には疎いので、素直に感心したのである。
* * *
そして、いよいよ王都が近付いてきた。
「すごいですね……」
城壁は10メートルの高さを誇り、『北の剣砦』よりも高い。
平時である今は、城門は開け放たれており、一般人の行き来も、簡単なチェックで可能になっているようだ。
「ここまで来て過剰な警戒をするというのは、国の威信を疑われることになるからだ」
とフィルマン前侯爵が説明してくれた。
そして馬車が停止する。
馬車の前方には、騎士の一隊が迎えに出ていた。
「フィルマン前侯爵閣下のご一行でいらっしゃいますね? お迎えに上がりました」
若く精悍な顔をした騎士隊長は騎馬のまま礼を行うと、馬首を巡らせて先に立つ。
「よし、我らも続け」
前侯爵の指示により、再び馬車は動き始めた。
いよいよ王都入場である。
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お知らせ:今週末は実家に帰省しておりますので、
次回更新は11月24日(土)10:00とさせていただきます。
20181118 修正
(誤)王都に近いということで路面は均されていて場所の揺れは少なく
(正)王都に近いということで路面は均されていて馬車の揺れは少なく
(誤)『バリスタ』とも呼ばれる、投石機。
(正)『カタパルト』とも呼ばれる、投石機。
20200410 修正
(誤)城塞都市の城壁を乗り越えるために『攻城兵器』と呼ばれる、ものが多数活躍したという。
(正)城塞都市の城壁を乗り越えるために、『攻城兵器』と呼ばれるものが多数活躍したという。




