第十三話 水銀
アキラが『鉛毒』について忠告をした翌日。
一行は、王都へ行く日程を1日日延べすることとなった。
『鉛毒』について詳しく説明するためである。
「鉛を加熱して急冷すると『酸化鉛』となります。それを酢と反応させると『酢酸鉛』になり、これは甘いのですが毒なんです」
昨夜、ミチアの記憶を参考にして考えた説明である。
「なるほど。……こちらも確認させてみた。酸っぱくなったワインを、鉛を貼った鍋で煮ると甘くなるということだ」
アキラは考えた。鉛を貼る、と言っているが、おそらく溶けた鉛に鍋をどぶ漬けし、表面をコーティングしたのちに水中で急冷しているのではないかと。
そしてそれは取りも直さず『酸化鉛』の生成条件に近いのだ。
その『酸化鉛』が生じた鍋に酸っぱくなった、つまりアルコールが『酢酸発酵』して酢酸を生じたワインを入れて煮れば『酢酸鉛』が生じる。
『酢酸鉛』は甘味料であると同時に、酸味をもたらす元凶である酢酸を消費することになるので、必然的にワインは甘くなるというわけだ。
こういった『化学反応』を、できる限り平易な言葉で説明したアキラなのである。
「なるほど。だとすると、一番手っ取り早いのは鉛の使用を禁止することだな」
「そうなりますね」
短絡的な対処だが、どうして毒なのか、どう扱うと毒性が生じるのか、それらを説明し理解させるのは短期間では不可能である。
『毒だから口に入るものに使うことは禁止』というのが最も理解してもらえるだろうという判断であった。
そして、そうした話の過程で、アキラが思い出したことが2つある。
1つは『白粉』である。
鉛白は古代から使用されてきた白色顔料である。
江戸時代、歌舞伎役者などの大量使用者が鉛中毒になったことは有名な話だ。
だが、幸いなことに、この世界で使われている白粉は植物性のもの(デンプン?)がほとんどらしい。
「鉛で作った白粉など、聞いたことがないな」
とフォンテンブロー伯爵は言うが、聞いたことがない=使われていない、ではないので、完全に安心はできない。
とはいえ、今のところ保留にしておいても大丈夫だろうとアキラは考えた。
もう1つは『水銀』だ。
化合物は『水銀朱』とも呼ばれる硫化物だ。
そもそも水銀は、金属水銀として存在することは稀で、大半は辰砂と呼ばれる赤色の硫化物 (HgS)として産する。
漆と混ぜて朱漆とし、鳥居などに塗られたこともある。
このような使われ方なら害はほとんどなく、むしろ虫除けにもなるくらいであるが、
「めっきに使ったりしてませんよね?」
とアキラが確認したような使われ方をしていると問題である。
「めっき? いや、それも聞いたことがないな」
「それならよかった」
液体金属である水銀は、様々な金属を常温で溶かし込むことができる。もちろん金も。
金を解かした水銀は『金アマルガム』という。これを対象物……大抵は銅像……に塗り、高温にすると水銀だけが蒸発し、金が残る。金めっきの完成だ。
奈良の都、東大寺にある大仏はこうして金めっきされたという。
この水銀蒸気を吸い込むことで重篤な水銀中毒になってしまうのである。
現代史においては熊本県の水俣病が有機水銀(メチル水銀)の蓄積による公害病であった。
古代においても、辰砂は丹とも呼ばれ、不老不死の妙薬になると信じられた時もあり、秦の始皇帝はこれを多く含んだ薬膳(!)を食べていたという説もある。
日本にある『丹』が付いた土地名は辰砂の産地だったのではないかとする学者もいるようだ。
話が逸れた。
念のため、魔法薬師を呼んでもらい、鉛と水銀の使われ方について尋ねたが、どちらに関してもアキラが安心する内容であった。
「そこまで利用されていなかったのは幸いです。産出量が少ないのか、あるいは過去の『異邦人』が注意を喚起したのか」
いずれにせよ、王都でもう一度確認すべきだろうとアキラは心に刻んだ。
* * *
深刻な話の後は、のんびりとしたティータイムとなった。
「アキラ殿、鉛も水銀も、危険なものなのだな」
だが、アキラの説明は、フォンテンブロー伯爵とフィルマン前侯爵にはかなりの衝撃だったらしい。
「ええ。自分の世界では、はじめは無知ゆえの中毒が多かったのですが、その原因が明らかになるにつれ、規制が厳しくなりました」
「さもあらん」
「もっと一般に広められればいいのですが」
2人の領主は説明を無条件に信じてくれていたが、己の利益が損なわれるというような立場にいる者は反発してくるのではないか、とアキラは心配していた。
「それは、アキラ殿がどの程度陛下の信を得られるかにかかっておるな」
と、フォンテンブロー伯爵。
「うむ。だが、それについてはそれほど心配なかろう。あの陛下だからのう」
「え? ……あの、どういうことですか?」
2人の物言いに、少なからず不安を煽られたアキラ。
「はは、いや、アキラ殿は心配せんでもよい」
「そうそう。むしろ心配するのはこちらだからな」
「は?」
追加説明を聞いて、さらにわけがわからなくなったアキラであった。
「まあ、悪いようにはならないだろうから、その時まで楽しみにしているがいい」
「むしろ不安なんですが……」
フィルマン前侯爵のフォローにも、不安しか募らないアキラ。
「要するに、国王陛下は知識人を冷遇するような方ではないということだ。だから安心していてよいぞ」
「そういうことですか……」
そこまで説明されて、ようやくアキラは胸をなで下ろした。
そのため、伯爵と前侯爵が苦笑を浮かべたことには気が付かなかったのである。
部屋に戻ったアキラは、ミチアと打ち合わせをすることにした。
「鉛と水銀の害について、機会があったら進言した方がいいよな?」
「はい、そう思います」
「『蔦屋敷』ではそういう心配が全くなかったから気付かなかったよ」
そう、アキラたちがいた『蔦屋敷』及び周辺の村では、白粉も鉛入りのワインも縁遠いものだったのだ。
「リーゼもなにも言わなかったしな」
リーゼロッテはゲルマンス帝国の魔法薬師である。
鉛蓄電池を製作した際になにも言わなかったところを見ると、ワインに鉛を入れることは一般的ではないのだろうと思える。
「そうですね。リーゼさんなら、危険なことを知っていれば忠告をくださったでしょう」
「そう思うよ」
ということは、中毒について……特に慢性中毒については猶予期間があると考えていいのだろうか、とアキラは考える。
「過去の『異邦人』が忠告したのか……あるいは違う道を歩んだからか……」
いずれにせよ、蔓延しているというほどでもないのが救いである。
「養蚕を広めたいだけだったのになあ」
つい、そんな言葉が口を突いて出た。
「ふふ、アキラさんも苦労性ですからね」
ミチアが茶化すように言う。その目は笑っていた。
「ああ。でも、今回の王都行で、養蚕の有用性を認めてもらえれば、大きな進歩だからな」
ガーリア王国という国家を上げての事業にするにはまだ時期尚早かも知れないが、少なくとも国家が保護するプロジェクトとなれば、希望が持てる。
養蚕という産業を立ち上げるためには、周辺もしっかりと固めていかなくてはならないのだなあ、とアキラは思った。
「とにかく、『絹』を受け入れてもらえなかったら話にならないんだしな」
「そうですね、頑張りましょう」
明日は王都へ向けて出発である。
お読みいただきありがとうございます。
お知らせ:誠に申し訳ございませんが、都合により次回更新は11月17日(土)10:00となります。
m(_ _)m
これからもよろしくお願いいたします。
20181110 修正
(誤)おそらく溶けた鉛に鍋をどぶ付けし
(正)おそらく溶けた鉛に鍋をどぶ漬けし




