第十話 血圧
グロい表現があります。ご注意ください。
フィルマン前侯爵は一晩で回復したが、大事を取ってもう1日バスチアン・バジル伯爵家で養生していくことになった。
「大旦那様、大丈夫ですか?」
「おお、大丈夫だとも」
今朝も普通に朝食を食べている。
「大旦那様……お元気ですね」
執事のマシューも少し呆れているが、当の前侯爵は平然としたものだ。
「こうして治ってしまえば、どうして倒れたのかもわからんな」
そこへ、アキラとミチアもやってきた。
アキラは前侯爵の具合を診に、ミチアはお見舞いに、だ。
「閣下、ご無理はなさいませんように」
「おお、アキラ殿。おかげですっかりよくなったぞ。感謝する!」
「大旦那様、本当にもうよろしいのですか?」
「ミチアか。うむ、もう大丈夫だ」
そして前侯爵はアキラに向き直った。
「もうな、先程から入れ替わり立ち替わりぞろぞろやってきてかなわん」
と、愚痴をこぼすものだから、
「閣下、それだけ皆さんに心配を掛けたのですから……」
と、アキラも言わざるを得ない。
「うむ、それはわかっているのだがな……」
まだ渋るような様子を見せたので、アキラはさらなる言葉を口にする。
「閣下、血圧には注意なさらないと、いろいろと大変なことになりますのでお気を付けください」
「う、うむ。……その、血圧? というのは何だ?」
「それにつきましては、こんな状態ではなく、もう少し落ち着いて話のできるところで致したいのですが……」
今はフィルマン前侯爵がベッドに腰掛けて朝食を摂り終わった、そのままの状態なのでかなり散らかっている。
「それもそうだな。では1時間後、また来てくれ」
「わかりました」
アキラとミチアは一礼して退室した。
「アキラさん、先程『血圧』って言ってましたよね。ええと、『高血圧』って、『塩分の摂りすぎ』で『動脈硬化』を起こすのでしたっけ?」
戻る途中、ミチアが質問してきた。彼女は『携通』のデータを筆写していたので、手掛けた内容をかなり覚えてしまっているのだ。
ただし、『覚えた』だけであって理解していると言い難いし、応用もできない。
「そうだな……閣下に説明する前に、一度ミチアに説明するよ」
そうすることで、何を詳しく、また何を省けばいいかわかるだろうとアキラは思ったのだ。
また、自分がうろ覚えな点をミチアの記憶から補完できれば、という思いもあるアキラであった。
* * *
約束した1時間後、アキラとミチアはフィルマン前侯爵の寝室兼居間にいた。
テーブルと椅子が用意され、話を聞く環境が整えられている。
出席者はフィルマン前侯爵、執事のマシュー、それにバスチアン・バジル伯爵。
アキラが思っていたより少なかった。
「ではアキラどの、バスチアンは信用できる男だ。説明を頼む」
「わかりました」
アキラはフィルマン前侯爵を信用・信頼しており、その前侯爵が言った言葉を信じることにした。
「では」
アキラは話し始めた。
「人間の身体には血が流れているのはご存じのとおりです。それは心臓の働きによって全身を巡っています」
このあたりが一般的な知識であることは、ミチアにも確認している。
「血が流れている管を血管といいますが、この血管は筋肉や内臓にも通っています」
「うむ」
フィルマン前侯爵は頷いた。
「内出血という症状をご存じでしょうか? 身体の中で血管が切れて、血が身体の内部ににじみ出す怪我の一種です」
「わかるぞ。強くぶつけたときに青くなる、あれだろう?」
青あざのことを言っているらしい、とアキラは察し、
「そうです。それも内出血の1つです」
と肯定した。
「内臓にも血管が通っていますので、そういう血管が切れたら大変なことになるのはご想像できると思います」
「うむ」
ここでアキラは一呼吸置いた。
「……ここまでは前提です。次に『血圧』の説明をいたします。血圧というのは、血管を流れる血液の圧力です」
「うん? どういうことだ?」
アキラが思ったとおり、『圧力』という概念がよくわからないようだった。
「そうですね……例えば、水が流れるのは、高いところから低いところへ、ですよね?」
「うむ」
「これは『水圧が高い』ところから『水圧が低い』ところへ流れている、ということになるのです」
「ふうむ……『圧力』というのは押さえ付ける力、という意味で間違いないかな?」
「はい」
ここで前侯爵と伯爵は少し考え込んだ。アキラは、ふとよさそうな例えが思い浮かんだので追加説明を行う。
「ええと、革製の水袋がありますね?」
「うむ」
「それに水を入れて、袋を握ると口から水が噴き出すでしょう?」
「おお、そうだな」
「それは水に圧力が掛かったからなんです。心臓も、そうやって血液を全身に行き渡らせているんですよ」
「ほほう、なるほど」
この例えで、少なくとも前侯爵はなんとなくわかったようだった。
「説明を続けます。……この圧力が弱いと、全身にうまく血が行き渡らなくなります。それで、昨日の閣下のようにめまいを起こすことがあります」
「なるほど、そうだったか」
「かといって、この圧力が強すぎると、血管の弱い部分が破れることがあるんです。そうなると、ほとんどの場合命に関わります」
「何と!」
「何ですと!」
フィルマン前侯爵もバスチアン伯爵も、その危険性は理解してくれたようだ。
「塩分の摂りすぎ、運動不足、油っこい食事、それに遺伝などが原因で、『高血圧』になるんです」
「うむ……貴族の大半に当てはまるな」
前侯爵の呟きに、アキラは苦笑せざるを得なかった。
「今説明しましたように、食事の塩分を減らし、適度な運動をし、油ものを控えれば、かなり改善されるはずです」
アキラは結論を述べた。
かなりかいつまんだ説明だが、これ以上詳しく話しても、基礎ができていない者にはちんぷんかんぷんだろう、と思ったのだ。
またアキラ自身も、医者でもなければ栄養士でもないので、これ以上専門的な話は難しかった。
「アキラ殿、1つ聞きたい」
フィルマン前侯爵が質問を行った。
「昨日のめまいはその……血圧が低くなったことが原因と言ったな? だが、今は高血圧に気をつけろと言っているが、矛盾するのではないか?」
「あ……確かにそうですね」
アキラも言っていることが矛盾しているのは認めた。
「専用の測定器がないと測れないのですが……血圧というのは、条件が変わると変動します。それこそ、心臓の鼓動1回ごとに変わると言っていいでしょう。ですのであまり大きく変動させるのは身体によくありません。これだけは言えます」
「なるほどな。では、普段どうすればいいのだ?」
「はい、繰り返しになりますが、食事の塩分を減らし、適度な運動をし、油ものを控えることです。塩分を減らした分は、出汁や香辛料を使って味を補えばいいのです」
「ほう。香辛料は儂も好きだ。……王都へ行く楽しみが増えたな」
王都には各地各国からの物産が集まるので、香辛料も種類・量共に豊富だという。
「そうですね。料理は疎いですが、使えそうな香辛料を探すことにします」
「うむ、そちらも頼むぞ」
「はい」
自分を理解し、庇護してくれているこの前侯爵の健康維持にも心を砕かなければ、とアキラは改めて決心したのであった。
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次回更新は11月3日(土)10:00の予定です。




