第二話 刺繍
紫色の染料ができたなら、あとは染め方だ。
少量の糸を使い、最良の条件を探して試行錯誤すること4回。
「これが一番よさそうね」
「うん、そうだな」
「綺麗な紫色ですね」
「この色なら誰でも感心するだろうな」
途中からやって来たハルトヴィヒも含め、アキラたちは文句なしの色だと判断した。
やり方は『先媒染』という方法。
染めるもの、この場合は絹糸を灰汁=アルカリ溶液に漬けておいてからムラサキの煮汁に浸す方法である。
『携通』にあった情報、『摂氏70度以上にすると色素が壊れる』ということなので、温度の上がりすぎには要注意だ。
おまけとして、薄くなった染め液を使い、ハンカチを2枚、薄紫に染めてみたら、非常に品のいい仕上がりとなった。
「これ、いいですね」
「このハンカチを王族への贈り物にしましょう」
「異議なし」
そこで、乾かしたハンカチに火のし(アイロン)を掛けてフィルマン前侯爵に見せたところ、
「素晴らしい! 見事である」
という賛辞をもらうことができた。
アキラが、これを王族への献上品にしたいと言うと、前侯爵もそれがよい、と言って認めた。
「枚数は2枚用意せよ」
と言われた。国王と王妃へ、ということらしい。
王子や王弟には白のハンカチに紫色で刺繍をしたものにせよ、という指示ももらった。
「わかりました」
ハンカチはちょうど2枚染めてあるので問題はない。
「あとは刺繍職人を待つだけだな」
どんな人物かわからないが、絹について外部の人間の意見を聞けるのがちょっと楽しみなアキラであった。
* * *
「リゼット・エランと申します」
「アキラです。よろしくお願いします」
アキラが代表として刺繍職人と顔合わせをした。ミチアはメイドとしてそばに控えている。
刺繍職人とは女性であった。
明るい茶色の髪と目をしており、小柄。指は細く、いかにも器用そうである。
「早速ですが、内容を教えてください」
馬車でやって来たので疲れてはいないから、と言うリゼット。
「そうですか? では、こちらへ」
前侯爵が客間の1つを宿泊用兼作業用にしてくれたので、そこへアキラはリゼットを案内した。
「この部屋を使ってください」
「ありがとうございます」
アキラは、その部屋で早速仕事の内容を説明することにした。
「まず、今回依頼するのはハンカチへの刺繍です。そのハンカチは王家に献上するものでして、王家の紋章を刺繍していただきたいのです」
「ハンカチを献上……ですか?」
怪訝そうな顔をするリゼット。当然といえば当然の反応である。
通常なら、ハンカチは王家に献上するような代物ではない。そう、通常なら。
「そのハンカチというのは、これです」
アキラはまず、染めていない白いハンカチを出して見せた。
「なっ! なんですか、このハンカチは! 軽くて艶があって……素敵な手触りですね!!」
アキラの予想どおり、絹の手触りに驚くリゼットだった。
「それこそが、王家に献上する理由ですよ。そういうわけで、申し訳ないのですが詳細は説明できないのです」
リゼットはハンカチを撫でながら、
「ええ……わかります。この生地は……これまでになかったものですものね。もしかすると、歴史に残る発明なのではないでしょうか。だとしたら、ほんの少しでも協力できたら光栄ですわ」
と言った。
「そう言ってもらえると嬉しいですよ。……そしてこれが、王家に献上するハンカチです」
アキラは薄紫色に染めたハンカチを差し出した。
「まあ……! なんて美しいんでしょう」
上品な薄紫色に染まった絹のハンカチは、独特の光沢を放っていたし、紫色を出すことが非常に難しいことだと知っているリゼットは、またしても驚きを隠せないようだった。
「刺繍糸はこれです」
「素晴らしいわ……!」
濃い紫色の刺繍糸を見て、リゼットは何度目かの感嘆を漏らした。
「このリゼット・エラン、全身全霊を込めてお仕事をさせていただきますわ」
「お願いします」
やる気を見せてくれたリゼットを頼もしく思いつつ、アキラとミチアは部屋をあとにしたのであった。
* * *
「これで一安心だな」
「ええ」
アキラとミチアはリゼットの部屋から引き上げながら言葉を交わしていた。
「刺繍って、結構難しいよな?」
「ええ、もちろんですよ。上手な人はそれで食べていけるほどですから。……リゼットさんみたいに」
ミチアはアキラに、だから女親は娘が手に職を付ける際に刺繍をやらせることが多い、と説明した。
「一般庶民はあまり用がありませんが、裕福な商人とか貴族はシャツやブラウスに刺繍を入れることを好みますからね」
「なるほどな」
「ですから、ハンカチに紋章を入れるなら半日で3枚くらいは終わらせてしまうでしょうね」
「そのくらいの速さなんだな」
だとすれば明日いっぱいで必要な枚数の刺繍は終わりそうだ、とアキラは目算した。
* * *
「これは素晴らしい出来だ」
アキラの目算どおり、翌日の夕方には8枚のハンカチへの刺繍が終了した。
それをフィルマン前侯爵に見せたところ、手放しで賞賛してくれたのである。
「見事だな、リゼット」
「私といたしましても、やり甲斐がありましたわ」
「礼金の他にも報奨金を出す。セヴランから受け取るがいい」
「ありがとうございます」
「この仕事と、ハンカチの生地については、半年間の口外禁止とさせてもらう」
「わかっております。決して口外致しません」
「うむ」
これで王都へ行く目的、『絹のハンカチを献上する』ための準備は調ったと言える。
「アキラ殿、出発は明後日とする。心得ていて欲しい」
フィルマン前侯爵から声を掛けられたアキラは、
「わかりました。荷物の再チェックを行っておきます」
と答えたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は10月6日(土)10:00の予定です。
20180930 修正
(旧)
王子や王弟には白のハンカチに紫色で刺繍をしたものにせよ、という指示ももらった。
(新)
王子や王弟には白のハンカチに紫色で刺繍をしたものにせよ、という指示ももらった。
王家の紋章は国の認定を得た刺繍職人でないと任せられないということで、前侯爵が手配してくれるという。
(旧)ハンカチの生地については、半年間の箝口令とさせてもらう」
(新)ハンカチの生地については、半年間の口外禁止とさせてもらう」
(旧)アキラはまず、王家以外の貴族向けの白いハンカチを出して見せた。
(新)アキラはまず、染めていない白いハンカチを出して見せた。
(旧)
王子や王弟には白のハンカチに紫色で刺繍をしたものにせよ、という指示ももらった。
王家の紋章は国の認定を得た刺繍職人でないと任せられないということで、前侯爵が手配してくれるという。
(新) 王子や王弟には白のハンカチに紫色で刺繍をしたものにせよ、という指示ももらった。
※ 戻しました。職人の件は1話に遡って修正します。
20181006 修正
(誤)やる気を見せてくれたリゼットを楽しく思いつつ、アキラとミチアは部屋をあとにしたのであった。
(正)やる気を見せてくれたリゼットを頼もしく思いつつ、アキラとミチアは部屋をあとにしたのであった。




