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異世界シルクロード(Silk Lord)  作者: 秋ぎつね
第3章 王都篇
69/434

第一話 紫色

 王都行きが決まってからのアキラたちは忙しかった。

 まずは献上品の準備である。

 『養蚕』を国単位で保護してもらう目的もあるので、根回しは重要だからだ。

 とはいえ、今のアキラたちにできることは限られている。


 献上品は絹のハンカチとした。そこに王家の紋章を刺繍で入れる。

 刺繍は専門の職人を呼んで行われることになった。王家の紋章は誰でも刺繍してよいというものではなく、認可を受けた職人だけができるのだ。

 その職人が来るまでに4日掛かるというので、その時間を利用して刺繍用の糸を用意することができたのは幸いだった。

「刺繍糸って言うのは、細い糸を緩く撚り合わせるんですよ」

 ミチアの助言も助かっている。

「私も、少しなら刺繍できますけど、職人さんみたいにはうまくできませんしね」

 などと言っているが、アキラとしては何でもできそうなミチアにびっくりである。

 それを言うと、

「母が厳しい人で、手仕事は何でもできなきゃ駄目と言われて育ちましたので……」

 と、少しはにかんで答えるミチアであった。

「でも、読み書きに炊事洗濯、機織り、裁縫、刺繍……礼儀作法もしっかりしているしな。ダンスも得意なんじゃないのか?」

 と、アキラが冗談交じりに言うと、

「はい、うまくはありませんが」

 という答えが返ってきた。

「え? ダンスもできるのか? そりゃ凄いな」

 アキラができるのはせいぜいフォークダンスくらいのもので、所謂いわゆる社交ダンスはまったくやったことがないのだ。

 まるで貴族のお嬢様みたいだ、と思ったが、『凄いな』とアキラが言った時の彼女の顔が少し寂しそうだったので、ギリギリのところで口を噤んだアキラである。


「……ところで、刺繍糸って、染めた方がいいよな?」

 辛うじて話題を変えることに成功するアキラ。

「そうですね。ハンカチが白ですから、王族へは紫色の糸で刺繍することが望ましいと思うのですが……」

 ミチアは、王族へは紫、他の貴族……へは黒がいい、と言った。

「うーん……」

 黒を染めるのは比較的簡単だ。というか、アキラたちはこの前染めている。

 だが、紫は難しい。


 地球の歴史を紐解いても、紫は高貴な色として扱われていた。

 日本でも『冠位十二階』の最高位の色とされていたし、西洋でも『貝紫』『帝王紫』などと呼ばれ、珍重されていたのである。

 だが、珍重されるだけあって、紫色を染めるのは難しいのである。

 ムラサキキャベツのような、紫色をした植物で染めることはできるが、すぐに色落ちするか、色褪せてしまう、つまり、堅牢度が低いのである。

 堅牢な藍染めの上に茜で染めて紫色を出す手法はあるが……。


「藍染めができないしなあ」

 アキラは頭を捻った。

「残るは『ムラサキ』か……」

 『携通』を眺めるアキラ。そこには、白い花が映し出されていた。


「この花、見たことありますよ」

 ダメ元で屋敷の人たちに片っ端から聞いて回ったアキラの前に、一筋の希望が見えてきた。

 それはミチアの同僚で、焦げ茶色の髪をボブにしたメイド仲間のミューリ。

「初夏頃、たくさん咲いているところを見かけました」

「そうか! その場所、わかるかい?」

「ええ、もちろん」

 朗報だった。そしてアキラが『根を掘りに行きたいから場所を教えてくれ』と言うと、

「根っこでしたら干してありますよ?」

 という言葉が返ってきたではないか。

 なんでも、彼女の家に伝わる薬草だという。

 確かに『携通』にもムラサキについて、『生薬「シコン」(紫根)。抗炎症作用、創傷治癒の促進作用、殺菌作用などがある』と書かれていた。

 ミューリの家では口内炎の治療に使っているらしい。

「分けてくれるかい?」

「ええ、構いません。いらしてください」

 というのでアキラはミューリの部屋まで行くことにした。万が一、違う植物の根だとぬか喜びになるから、確認してから分けてもらおうと思ったのだ。

「……私も行きます」

 ちょっと膨れた顔をしたミチアが、アキラの袖を掴んで言った。

「う、うん」

 そう答えたアキラだったが、前を歩くミューリが苦笑をしているのには気付かなかったようだ。


「どうぞ」

「お邪魔するよ」

 招き入れられたミューリの部屋は、いかにも女の子の部屋……という感じが……しなかった。

 壁や天井からはドライフラワーが下がっていて、アキラにとってどことなく懐かしい匂いも漂ってきた。

「これです」

 ミューリが出してきたのはどこにもあるような草の根を乾かしたものだった。それが数束。

 アキラが『携通』の画像と比べてみると、よく似ている。

「今年はたくさん採れましたから、好きなだけ持っていってください」

 と言ってくれたので、乾燥した根を一束もらうことにした。

「もしうまくいったら、この地方の特産になるかもしれない。そうしたらミューリのお手柄だよ」

 と言ってアキラはミューリに笑いかけた。するとミューリも、

「だったら嬉しいです。……アキラ様のお役に立てて」

 と言って笑い返した。

 そんなアキラの腕をミチアは掴んで、

「……アキラさん、早く実験しましょう」

 と、引っ張った。

「お、おう。……それじゃ、ミューリ、ありがとう」

 ミチアに引きずられるようにしてアキラはそれだけをミューリに言えたのだった。


*   *   *


「ムラサキ染め?」

 アキラはさっそくリーゼロッテの研究室へムラサキの根を持っていった。

「ああ。幸いにもこれはミューリが乾燥しておいてくれたからすぐに使える」

 『携通』には、『乾燥した根を粉にし、微温ぬるま湯で抽出して灰汁で媒染して染色する』と書かれている。

 リーゼロッテはさっそく作業に取り掛かった。

 まずは『乳鉢にゅうばち』と呼ばれる、すり鉢のような実験器具で根をいて粉にしていく。

「一束5本あるから、まずは1本でやってみるわ」

 アキラとミチアは、じっとその様子を見守った。


 粉にしたムラサキの根に少量の水を加えて煮ると、赤茶色っぽくなってきた。

 少しだけ小皿に取り、用意しておいた灰汁を数滴垂らすと……。

「やった! 綺麗な紫色だ!」

 液は美しい紫色に変わった。やはりこの根はムラサキの根だったのだ。


「『茜さす 紫野むらさきの行き標野しめの行き 野守のもりは見ずや 君が袖振る』だったかな?」

「アキラさん、なんですか、それ?」

「大昔の歌人が詠んだ歌さ」

 万葉集にある『額田王ぬかだのおおきみ』の歌である。

 この色は『万葉まんよう紫』とも言われる、古代から使われている染料なのだ。


 これで、少量なら紫色に染める見通しが立ち、アキラはほっと胸をなで下ろしたのであった。

 お読みいただきありがとうございます。

 次回更新は9月30日(日)10:00の予定です。


 20180930 修正

(誤)というか、アキラたちはこの前染めている

(正)というか、アキラたちはこの前染めている。

 句点が orz


(旧)刺繍は専門の職人を呼んで行われることになった。

(新)刺繍は専門の職人を呼んで行われることになった。王家の紋章は誰でも刺繍してよいというものではなく、認可を受けた職人だけができるのだ。


 20190105 修正

(誤)アキラとミチアは、じっとその様子を見守るった。

(正)アキラとミチアは、じっとその様子を見守った。


 20190905 修正

(誤)『乾燥した根を粉にし、微温ぬる湯で抽出して灰汁で媒染して染色する』

(正)『乾燥した根を粉にし、微温ぬるま湯で抽出して灰汁で媒染して染色する』

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