第六話 発見と安堵
虫が嫌いな方はご注意下さい。
アキラとミチア、セヴランは、蚕を飼う準備を始めた。
「アキラ様、何が必要ですか?」
セヴランからの質問に、アキラは少し考えてから答えた。
「最初は100匹くらいしかいないので、まず増やすことを考えなくてはなりません」
「はい」
「蚕の部屋……『蚕室』といいますが、風通しがよく乾燥した部屋が望ましいです」
アキラは、その昔は『突き上げ屋根』と呼ばれた家の造りがあったことを説明する。
屋根の中央から、小さな屋根が上に突き出している造りで、アキラは資料を見た時、『秘密基地みたいだ』と思ったものだ。
蚕を守るため、日当たりと風通しをよくする工夫をした結果である。
現代日本にも、山梨県甲州市の上条集落には今も多数の『突き上げ屋根』造りの家が残っている。
「ふむ。では、『2階建て』の小屋を建てることにしましょうか?」
「そうですね……増やすことに成功したら建てていただくことになりそうです。今はまず繁殖からですね」
「そういえば、その『かいこ』ですか。何を食べるんですか?」
「それなんですよ……」
アキラは、家で試しに飼ってみるために人工飼料をいくらか持っていた。
「当面はこれで凌げますが、『桑』の木を探さないと……」
「くわ、ですか。どんな木なんですか?」
ミチアが尋ねる。
「ええと、葉っぱはあまり定まった形がなくて……そうそう、初夏になると実が生ります」
「どんな実ですか?」
「小さな粒々が集まったような感じで、熟すと黒紫色になります」
「……それってマルベリーみたいですね」
先程食べたジャムの原料である。
「あっ、そうか!」
アキラは、先程マルベリーの味になんとなく覚えがあったのは、桑の実の味だったからだ、と気が付いた。桑のことをマルベリーということを知らなかったアキラであった。
「マルベリーってどんな木ですか?」
今は少しの可能性も追いかけたいアキラである。
「近所に生えてますよ。ご案内しましょうか?」
「お願いします。……ええと、セヴランさん、『飼育箱』を用意していいただくことはできますか? 木で作った、これくらいの浅い箱なんですが」
長さの単位がわからないので、アキラは手で大体の大きさを示した。
「おやすいご用です。さっそく作らせましょう」
こうして、アキラとミチアは桑の木を探しに。セヴランは『飼育箱』を準備に、とそれぞれ動き始めた。
屋敷から森へ。
やがて二人は明るい森の一角へと辿り着いた。そこには、見上げるほど大きな木と、若木と思われる木がそこかしこに生えている。
「これがマルベリーの木です」
ミチアが指し示すその木は、アキラが見たところ間違いなく『桑』の木である。
葉を調べてみるアキラ。
桑の葉は、おおまかに言うと心形(ハート型)であるが、大きく切れ込むものもあって、変化があるのだ。
「多分これだ。だが、確証はないけどな……」
葉の手触りは、自分が知っている『桑』と同じだった。 さらに見ていくと、赤い実、紫色の実が生っている木もあった。
独特の粒々が集まった形状。
「これなら間違いなさそうだ」
踊り出したい気持ちを抑えて、アキラは黒紫色に熟したマルベリーの実を一粒摘んでみた。
「あ、アキラさん、よくご存知ですね。さっきも仰ってらしたように、紫色の実は甘いですけど、赤い実は酸っぱいんですよね」
と言って、ミチアも熟した実を1つ、口に入れた。
『どどめ色』という言葉がある。響きからなんとなく18禁的な印象を受けるが、『どどめ』というのは『熟した桑の実』のことで、深みのある黒紫色のことだ。
英語ではマルベリーパープルという。
閑話休題。
味はアキラが知る桑の実であった。
そして、アキラは葉を何枚かむしってみた。
「ミチア、この木は毒が含まれているということはないよな?」
念のために確認してみる。何といってもここは地球ではない異世界なのだから。
「ええ、それはありません。この木の若葉を和え物にして食べることもあるくらいですから」
「そうか、それならまず大丈夫だな」
孵化した蚕に与えてみれば確実にわかる。
「あとは……この木って、ここ以外にもたくさん生えているのかい?」
蚕を増やすなら、桑の木も増やさねばならないわけだ。
「ええ、森の奥には大木もありますし、わりあいありふれた木ですので」
「それはよかった」
いずれ、この木の栽培……『桑畑』も作ることになるだろう、とアキラは心に刻んだのである。
余談だが、『桑畑』のことを『桑原』という地方もあり、名字の元となっている。
さらに余談だが、雷が鳴った時に「くわばら、くわばら」と言うが(昔の人は特に)、それは、平安時代、政争に敗れて太宰府に左遷され、失意のうちに亡くなった菅原道真公が死後雷神(=天神)となり、各地に落雷の被害を与えた。
だが道真公の領地が『桑原』であったためそこだけは被害を免れたということで、『ここは貴方の領地です、だから雷を落とさないでください』という意味を込めて「くわばら、くわばら」と言うようになった、という説がある。
* * *
「これで当面は何とかなりそうかな」
戻ってきたアキラは、孵化寸前の卵を見つめ、安堵の溜め息をついた。
次は蚕室の準備である。
「蚕を飼うには……直射日光の届かない、涼しい部屋が必要なんだ」
「でしたら裏の倉庫はどうでしょう?」
屋敷の北側にあり、しかも高床になっているという。
この地方はあまり湿度が高くないようなので、そちらの環境も大丈夫そうだ。
「ちょっと見に行こうか」
と、いうことでアキラとミチアは屋敷の裏手へと回り込んだ。
「ああ、これならよさそうだ」
風通しがよさそうな倉庫であった。それが3つ、並んでいる。
「奥の1つは使っていないので、断れば使わせていただけるのではないでしょうか」
「それじゃあ、頼んでみるかな」
* * *
結果、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵は快く使用許可を出してくれた。
アキラとミチアがその倉庫を綺麗に掃除し終えたのは同日夕刻。
「ふう、間に合ったな」
「間に合いましたね」
卵が孵化する前に、風通しのよい倉庫を確保することができた。
最初なのでいわゆる『蚕棚』ではなくテーブル上に浅い木箱を置き、その中で飼うことになる。
セヴランから受け取った木箱に孵化寸前の種紙を置く。
「これで、朝起きたら孵化しているといいな」
「ええと、マルベリー……『桑』の葉を与えるんですよね?」
「そう。最初は小さく刻んで与えることになると思う」
生まれたばかりの幼虫は、体長僅か数ミリ。
こうした幼虫は、『端』から食べていくので、大きな葉よりも、小さく刻んでやった方が食べやすくなるというわけだ。
「楽しみですね」
期待を込めた目で、ミチアは種紙を見つめた。
そして、それはアキラも同じである。
「まったくだ」
そして夜は更けていった。
お読みいただきありがとうございます。
2月12日(月)も休日ですので更新します。
20180211 修正
(誤)多きな葉よりも、小さく刻んでやった方が食べやすくなるというわけだ。
(正)大きな葉よりも、小さく刻んでやった方が食べやすくなるというわけだ。
20220122 修正
(誤)踊り出したい気落ちを抑えて、アキラは黒紫色に熟したマルベリーの実を一粒摘んでみた。
(正)踊り出したい気持ちを抑えて、アキラは黒紫色に熟したマルベリーの実を一粒摘んでみた。