第十話 希望の秋
虫注意です。
また、糞の用途で意外な話もありますので要注意です。
また季節は少し進み、周囲の木々が色づき始めた頃、3回目の蚕、『秋蚕』は順調に育っていた。
2000匹という数に、世話をする作業員たちは大忙しだ。特に桑の葉の供給と、糞の始末である。
蚕の糞は、桑の葉に含まれている葉緑素を多分に含む。しかも、綺麗な桑の葉しか食べないから清潔だ。
アキラの『携通』には、蚕の糞、『蚕糞(こくそとも)』について、以下のように書かれていた。
蚕の糞。組成は蛋白質 18.6パーセント、炭水化物56パーセント。
そのまま家畜の飼料や肥料になる。また発酵処理すると栄養価の高い飼料が得られる。1齢の蚕の糞は有機物が多いのに対し、熟蚕の糞は窒素、リン酸、カリウムの含有量が多くなる。
蚕糞の抽出液処理物からステリン (化粧品,医薬品) 、ヘテロオーキシン (植物生長ホルモン) 、カロテノイド油 (飼料添加剤) 、フィトール (ビタミンE) が得られ、抽出した残渣も飼料や肥料に利用される。
とある。
また、漢方薬にも使われるという。
さらに、蚕の糞で手を洗うとすべすべになると言う人もいる。
閑話休題。
アキラたちが飼う蚕の糞は、全て乾燥させて蓄えてある。これは、冬の間の山羊用の飼料にするためだ。
蚕の糞には、先にも書いたように豊富な栄養分が含まれているので乾燥飼料としても優秀なのである。
なお、乾燥させないと、その栄養分のためにカビを生じやすいので要注意だ。
* * *
「うん、順調だな」
アキラとミチアは蚕室を見て回り、蚕の成長度合いに差が出ていないことを確認していた。
「でも、今年確保できる繭は8000個くらいですね」
「……そうだな」
『春蚕』が約1000。『夏蚕』が約2000、今育てている『秋蚕』が約2000。
そして、今年最後の蚕になる『晩秋蚕』で約3000を予定しているので、合計すると約8000個となる。
「1万個は無理だったか」
だが、作業者たちもこの仕事に慣れてきたし、蚕室をはじめとする設備も徐々に増やしてきた結果、1回で最大5000匹を飼育できるだけのキャパシティを持つに至っていた。
ネックは桑の葉だが、これも苗を増やしているので、来年は無理でも再来年には必要な葉を採取できるようになるだろう。
桑の木は若いうちは特に成長が早いのである。
「規模は小さくなるけれど、エアコンの魔法道具があるから、冬にも飼うことができるんだよな」
今のところ、桑の葉の確保がネックである。
季節は既に初秋、近隣の桑の木はもう成長を止めており、若葉の確保は望めない。
「まあ、今年はもう無理はできないな」
「そうですね……」
「だとすると、問題は……」
「冬の間の作業員たちの仕事ですね」
「うん」
5人と20人、計25人は農村から侯爵家に出稼ぎに来ているのではなく、年季奉公に来ているようなものだ。
ゆえに冬の間も給料は支払われる。何も仕事をさせないわけにはいかないのだ。
「その辺は『紙漉』をさせるらしいからいいんだけどな」
「そうですね。そうしたやりくりは、さすがセヴランさんですね」
そう、セヴランの息子たちが引き継いだ『紙漉』であるが、現段階でもかなりの目処が立っていた。
楮の木の他に、麻や、桑も使えることがわかった。
もっとも、桑は蚕の飼料を取るために栽培しているので、枯れてしまった枝を使うくらいしかできなかったが。
それ以上に有用だったのは『雁皮』である。この地方では『シコキア』と呼ばれていた樹だったが、幸い『携通』に画像が載っており、見つけることができたのである。
それらは試作を経たのち、大量に採取され、一部は水に漬けられていた。
また、繋ぎとして使う『ノリウツギ』の皮もストックされ、その苗を栽培することも開始されている。
養蚕と並行して紙漉もこの地方の名産になるかもしれなかった。
「『雁皮紙』は薄葉を作るのに欠かせないからな」
アキラは頭を掻いた。
てっきり、楮で作れると思い込んでいたのだ。だが、『携通』内の資料を見ると、薄葉紙は雁皮を使うらしいことがわかったのだ。
「ガリ版、でしたっけ?」
ミチアが尋ねた。
「そう。100枚くらいの印刷なら、結構使えるんだ」
数千部、数万部刷るには原紙がすり切れてしまうだろうが、おそらく200部くらいまでなら印刷可能なはずだとアキラは当て込んでいた。
「それだけ印刷できたら凄いです。筆写の手間が一気に楽になりますから」
ミチアは暇さえあれば『携通』のデータを書き写してくれているから、その手間についてはよく理解しているのだ。
「とにかく、冬は紙作りに精を出すことになりそうだ」
「そうですね」
薄葉紙ほどの優先度があるわけではないが、麻紙もできるようなら、蚕種紙として使えるな、とアキラは期待していた。
* * *
蚕たちはまた繭を作った。
今回は2004個の繭が手に入った。
ほぼ同時に、今年最後の蚕が卵から孵る。
タイミングを見計らって、アキラが『二夜包み』で蚕を孵化させたのだ。
3000匹の毛蚕が刻まれた桑の葉をモリモリ食べている。
「どうだ? この作業について、どう思う?」
アキラは5人の幹部に質問をしていた。
「アキラの旦那、この仕事は面白いでがすねえ」
「俺たちが最初の職人なんだでがしょ? やり甲斐がありますぜ」
ゴドノフとイワノフが答える。特にゴドノフはリーダーとして貫禄も付いていたが、アキラを『旦那』と呼ぶのは相変わらずである。
「そうか? そう思ってやってもらえるなら嬉しいよ」
仕事というものは多かれ少なかれ辛く、面白味がないものだ。『趣味を仕事にするな』という言葉はよく耳にするし、アキラも就職した先輩から言われたことがある。
だが同時に、面白いと思えない仕事は長続きしないものだ、とも聞いた。
面白くない仕事の中に面白さ、やり甲斐を見つけるのだ、と、その先輩は笑って言っていた。
『おもしろきこともなき世をおもしろく』とは、幕末の志士、高杉晋作の辞世の句と言われている。
「まあ、数年前に詠まれたとか、下の句は別人が詠んだとか言われてるけどな」
「……旦那?」
「あ、いや、なんでもない。それじゃあ、これからもよろしく頼むぞ」
「へい、旦那」
思わず口に出していたようだ、とアキラは慌てて誤魔化し、その場を離れた。
(仕事に限らず何ごとも、面白いも面白くないも自分次第……なんだろうな)
簡単なようでいて難しい、とアキラは心の中で呟いた。
* * *
「やあ、アキラ。見回りかい? お疲れさん」
「アキラ、いろいろと相談したいことがあるの」
『離れ』に戻ると、ハルトヴィヒとリーゼロッテが待っていた。
「この前から研究していた紙の漂白なんだけど」
「うん、聞かせてくれ」
アキラたちの歩みは止まらない。
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次回更新は8月18日(土)10:00を予定しております。




