第六話 紙作り、その第一歩
蚕の飼育は今のところ問題はないので、アキラは急遽紙作りを検討することにした。
まずはパトロンである前侯爵に報告だ。
「何、『紙』を作れるかもしれないと?」
「はい」
アキラは、蚕飼育用の桑の葉を探す過程で、紙の原料となる『楮』が見つかったことを説明した。
「作り方はわかっていますが、細かいコツなどはこれから手探りで進めることになりますが」
それでも、養蚕の実務は人手があるから問題ないと補足するアキラ。
「うむ。……なるほど、『紙』がゲルマンス帝国の専売となっているので儂のところへ来たわけか」
「はい」
さすがにフィルマン前侯爵は話が早い。
「……そうだな、まずは作ってみてくれ。同じ品質ならともかく、まったく違うものであれば、独自に開発したと言うこともできるからな」
ゲルマンス帝国が秘匿している技術。それが他国に流出したとなれば、帝国の恥であるともいえる。あまり強く文句は言えないだろうと前侯爵は考えていた。
そしてそれ以前に、どんな紙ができるのか、純粋に興味もあったのである。
* * *
「許可が出た。紙作りを研究するぞ!」
『離れ』に戻ったアキラは、ミチア、ハルトヴィヒ、リーゼロッテらにそう報告した。
「おお、やったな!」
「では、まず何をすればいいですか?」
ハルトヴィヒは喜び、ミチアはこれからのことを尋ねてきた。
「そうだな。ミチアには『楮』の木の皮を集めてもらおう。ハルトヴィヒには、紙漉き用の枠を作ってもらおうか。そしてリーゼロッテにはノリを研究してもらいたいんだ」
「ノリ?」
「うん」
アキラは『紙』について説明を開始した。
紙とはすなわち、繊維を平たく漉いて結合材で固めたものである。
繊維は主に植物繊維が使われるが、合成繊維を使うこともある。
結合材は、和紙では『トロロアオイ』から採ったノリを使うことが多いが、『デンプン糊』も使われていたらしい。
「……と、『携通』にはあったな」
「ふむ、なんとなくわかった気がする」
「ええ、なんとなく、だけどね」
アキラの説明で、ハルトヴィヒとリーゼロッテはあらましを掴んだようだ。そしてミチアはというと、
「アキラさん、ニセグワ……じゃなくて『楮』ですか、その木の皮で本当に『紙』ができるんですか?」
と疑問を口にした。それを聞いたアキラは説明を行う。
「ああ。それについてはあとで説明しようと思っていたんだが、木の皮を水に漬けたり煮たりしてほぐすんだよ。そして繊維状にして使うんだ」
「そのあたりがおそらくコツなのね」
リーゼロッテが言う。
「そうだろうな。煮る時に草木灰を加える、ということも書かれている。これはきっと、アルカリ溶液で植物を煮ると軟らかくなるからだろうな」
実際に、現代日本において料理の分野では、山菜や野菜の灰汁を取るために重曹を加える方法が取られている。
「ええと、軟らかくする、というわけですから、『楮』の皮も軟らかい方がいいですよね?」
元々軟らかいものを使った方が効率がいいだろう、とミチアは言った。
「それはそうだな。その辺はミチアに任せるよ」
1からはじめる紙作りであるから、アキラも最初からうまく行くとは思っていない。
「わかりました」
「……と、これで繊維はいいとして、結合材はどうするかな……」
デンプン糊を使うこともできる、と『携通』にあったので、最初はそれでいいとは思うが、本格的『和紙』を目指すのであれば、もう少し違うものを探したいとアキラは思っていた。
それは『ノリウツギ』と呼ばれる植物である。
ノリウツギ、すなわち『糊』空木。その樹皮からも紙漉き用の糊が採れたからこの名がある、と『携通』で知ったアキラであった。
「こういう花の咲く木なんだが」
『携通』の画面にノリウツギの木を表示してみせると、
「あ、この木でしたら山にあります」
という答えがミチアから返ってきたではないか。
「ほんとか!?」
「ええ。もう少しするとこの画像そっくりな白い花を咲かせますよ」
これは朗報だった。
「じゃあ、その木の皮も採ってきてもらおうかな」
「わかりました」
「ということは、私はその『ノリウツギ』から糊を作り出す研究をすればいいわね」
「ああ、そうだな。リーゼ、是非頼むよ」
「やれるだけやってみるわ」
こうして、各自役割分担ができたのであった。
* * *
翌日と翌々日で、ミチアはかなりの量の『楮』の皮と『ノリウツギ』の皮を集めてきてくれた。
「うん、これだけあれば十分だな」
アキラは楮とノリウツギの皮を見て満足そうに頷いた。
「ええと、こっちがノリウツギね。私は糊を作る研究をすればいいわけね」
と、リーゼロッテ。
「頼む。俺は楮の皮から繊維を作る手法を確立するから」
「お手伝い致します」
そういうわけで、アキラとミチアは楮の繊維を取り出す研究、リーゼロッテはノリウツギの糊を作る研究。
ハルトヴィヒは昨日から紙漉き用の枠など、道具製作に取り掛かっていた。
* * *
「うーん、これでいいのかな?」
アキラとミチアは試行錯誤をしていた。なかなか楮の皮が軟らかくなってくれないのである。
「先人が長い時間を掛けて作り出し、昇華した技術だものなあ……素人がちゃちゃっと作れるようなら苦労しないか」
そう言って苦笑するアキラであるが、やる気は衰えてはいない。
ただ、原材料の楮が足りなくなったので、ミチアはもう一度山へ行ってこなければならなくなったが。
「皮を剥いで煮る、なんていうだけかと思いましたけど難しいものですね」
ミチアも思ったよりうまく行かないので少々悩み気味であった。それでも、
「1度蒸したらどうでしょう?」
と、料理の技法にも通じる提案をしてくれて、試してみたらなかなかうまくいった、ということもあり、順調ではないものの、少しずつ前進していく。
ハルトヴィヒの紙漉き枠は既に幾つも完成しており、今はリーゼロッテに協力して糊作りの研究をしていた。
その一方で、蚕は3齢幼虫となっており、アキラはそちらの監督も行わなければならなかった。
だが、新たに加わった20人も少しずつ飼育方法に馴染んできたようで一安心である。
「忙しいけど、やり甲斐はあるな」
7月を迎えて上がりだした気温のため、汗を流しながらアキラとミチアは楮の繊維取り出しの研究を続けていったのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は8月4日(土)10:00を予定しております。
20190902 修正
(誤)ハルトヴィヒの紙漉き枠は既に幾つも完成しており、今はミチアに協力して糊作りの研究をしていた。
(正)ハルトヴィヒの紙漉き枠は既に幾つも完成しており、今はリーゼロッテに協力して糊作りの研究をしていた。
20200426 修正
(誤)私は糊を作る研究をするばいいわけね」
(正)私は糊を作る研究をすればいいわけね」




