第四話 桑の葉集め
虫の苦手な方はご注意ください
蚕は全て繭となった。今回は、全部を糸にする予定である。
とはいっても、出来の悪い繭もあるはずなので、そういったものは『真綿』にしてしまうことになる。
余談だが、江戸時代以前……中世日本では、治安の不良、荘園制度の崩壊、それに貨幣の流通などの影響を受け、 養蚕が著しく衰えてしまったといわれている。
絹糸は中国から輸入されたものが使われ、国内で細々と続けられてきた養蚕は専ら真綿の生産を意味したという。
「繭の中にはサナギがいて、おおよそ十二日くらいで成虫になる。その前に処理をしなければいけない」
作業者全員の前で説明を行うアキラ。5人の幹部候補生たちも復習のために一緒に耳を澄ましている。
「熱風乾燥を行う。これは魔法道具があるから、中に入れて6時間ほどおけばいい」
蚕に限らず、昆虫類の弱点は乾燥だ。まあ、生物全てがそうだとも言えるが、ごく一部の細菌やバクテリア、胞子などは乾燥に強いものもいる。
それはさておき、乾燥させて中のサナギを殺すことを『殺蛹』という。
これを行うことで、繭の生産地から加工工場までの輸送が可能になるわけだ。
アキラたちの場合は同じ土地で行っているが、手順として覚えてもらっている。将来的に繭の生産と絹糸への加工を別の土地で行う可能性もあるからだ。
さらに余談だが、中のサナギは鯉の餌になる。また、釣り餌として『サナギ粉』に加工されることもある。
* * *
992個の繭が『乾燥機』に入れられた。これから、100度近い熱風で乾燥させるのだ。
6時間後には取り出すわけだが、それまでの時間で、次の蚕の用意を行うことにする。
『種紙』……蚕の卵を産み付けさせた紙(この世界では麻布)を、今度は2000匹分ほど取り出し、孵化の準備を行った。
「この『蚕室』の温度は、25度くらいだ。だいたい10日から2週間で孵化する。その間にはいろいろ覚えてもらうことになるだろう」
季節は既に初夏。
4月から育てた蚕は『春蚕』という。今は6月下旬なので、これから7月頃に育つ蚕は『夏蚕』、8月頃のものを『秋蚕』、9〜10月のものを『晩秋蚕』という。
『エアコン』の魔法道具があるので、やろうと思えば冬でも養蚕は可能だ。だが、コスト的に引き合わないだろうという考えから、冬期は準備期間にあてることにしていた。
実際、日本では春から秋に繭を作り、冬はそれらから糸を取る、というようにしていたようだ。
昼食を挟んで、午後もいろいろな説明を行う。
そのうちに繭が乾燥し選別を行える状態になった。
上質の繭を上繭といい、良質な絹糸はこれからできる。厳選しないと上質な生糸はできないのだ。
しかし、当然ながら品質の落ちる繭もある。それを選別するわけだ。
はねられた繭は選除繭という。これもさまざまな原料になるのだが、アキラたちは当面真綿の材料に使うことにした。
「ほら、これが見本の繭だ。よく見て、形の悪い繭、小さな繭、大きすぎる繭ははねてくれ」
今回だけはアキラ自らが指導している。5人の幹部候補生による指導は次のサイクルからだ。アキラの教え方を参考にしてもらうという意味もある。
「形の悪いものや小さいものが駄目というのはわかりますが、大きいのはなんで駄目なんですか?」
作業員の1人が質問をしてきた。
「うん、それはだな……ああ、ここに見本があるな。……これなんかは『大きい』から駄目な繭だ」
他の繭の倍くらいの大きさがある繭をアキラは掲げて見せた。
「これは、おそらく2匹の蚕が作った繭だ」
ごくまれに、蚕が2匹、同じ繭に籠もってしまうことがある。当然繭は大きくなるし、中には2匹分のサナギがいるわけだ。
だがこの繭は『2本』の糸からできているため、糸を引き出すとまず間違いなく絡み合ってしまう。ゆえに使い物にならないのである。
「わかりました」
アキラの説明に、その作業員は納得した顔をして、再び選別作業に戻った。
アキラはそんな彼らの背後から手元を覗き込み、悩んでいる時には、これははねた方がいい、こっちははねなくてもいい、と助言をしていく。
25人の作業員により約1000個の繭は、30分ほどで選別を終えることができた。人手の威力を思い知るアキラ。
「これなら、桑の葉の許す限り、お蚕さんを飼育できるな」
今のところ、ネックなのは桑の葉である。いくら成長が早い桑の木でも、昨年あるいは今年植えたばかりでは、葉を摘むことはできなかった。
「となると、野生の桑の葉をもっと摘んでくるしかないな」
保存に関しては問題ないので、増えた人員を使って、今年必要な分の桑の葉を確保することをアキラは考えたのである。
* * *
翌日から、桑の葉採りが開始された。
「いいか、厳重に注意しておくが、木が枯れてしまうほど葉を摘むのは厳禁だ。それから、できるだけ柔らかい葉を摘んでくれ。そして、事故や怪我に気をつけること。以上だ。水と弁当を受け取った者から出発してくれ」
「はい」
「へーい」
女性の作業員も、この地方の出身なので山歩きは得意である。というより、山の幸集めは重要な仕事なのだ。
「気をつけてなー」
20人を見送ったアキラは、残った5人の幹部候補生を振り返った。
「さて、まだ彼らがやって来てから日が浅いけど、君たちから見てどうかな?」
「そうでやんすね、勤務態度は問題ないようでがす」
「5人ほど、特に熱心な者がいました。このまま行けば彼らのリーダーにしてもよさそうです」
「それは朗報だな」
勤務態度の悪い者がいると、全体に悪影響を及ぼすので、アキラは早々の見極めをしたかったのである。
だが、今のところはそう悪くもないようだった。
「これからの作業を通じて向き不向きも見極めたい。将来的には、お前たちの直属の部下として2人ずつ付けたいしな」
「お、おらたち直属の部下、でやんすか?」
「そうだ。残った10人も、折を見て何か役職を与えるなりお前たちに付けるなりしていきたい」
早い時期に参加した者ほど、立場・役職的に上になるのは必然であった。この仕事は知識と経験が何より必要なのだから。
「わかりました」
* * *
これまで踏み入ったことのない山域まで足を伸ばした20人は、山のような桑の葉を持ち帰ってきた。
そして、その幾人かは口の周りを紫色に染めていた。言わずと知れた、桑の実の色である。
6月下旬はそろそろ桑の実が熟れ始める頃。桑の葉を探せば当然見つかるものであった。
それでアキラは2日目からは、桑の実も取ってくるよう指示をした。
ジュースだけではなく、ジャムも作れるし、スピリッツと呼ばれる度の強い蒸留酒に漬ければ桑の実酒ができる。
また、種を播けば桑の苗を大量生産できるのだ。
10日間これを続けたおかげで、1年分の桑の葉が手に入り、桑の実もどっさり集まった。
それらは全て貯蔵庫に入れた。もちろん、採取日と採取場所を記しておく。
蚕の卵は青くなってきた。催青期である。
「ほら、こうした青くなった卵はもうすぐ孵化するんだぞ」
ゴドノフが新人たちに教えている。それを見て、アキラは少しだけ肩の荷が下りたような気がした。
とはいえまだまだ気は抜けない。青くなった卵は1〜2日で孵化するのだ。
ここでアキラは、『携通』にあった技法を試すことにした。
蚕の幼虫は、卵の中で既に明暗を感じているらしい。つまり、夜中に明かりをつけたりすると昼夜が分からなくなり、孵化時期が揃わなくなるという。
孵化時期が揃わないと成長度合いもまちまちになり、世話をする手間が増えてしまうのだ。
これを防ぐため、なるべく昼は明るく、夜は暗くなるような所で卵を保護する。
それを一歩進め、卵がすべて催青卵になった日の夕方、まったく卵に光が入らないようにし、翌々日の朝、包みを解き、卵に光をあてると一斉に孵化するようになる。
一晩包むのを「一夜包み」、三晩包むのを「三夜包み」という。
アキラはこれを試してみることにし、催青期を迎えた卵に黒い布を被せたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月28日(土)10:00の予定です。
20180722 修正
(誤)スピリッツと呼ばれる度の強い蒸留酒に漬ければ桑の味酒ができる。
(正)スピリッツと呼ばれる度の強い蒸留酒に漬ければ桑の実酒ができる。
(誤)つまり、夜中に明かりをつけたりすると昼夜が分からなり、孵化時期が揃わなくなるという。
(正)つまり、夜中に明かりをつけたりすると昼夜が分からくなり、孵化時期が揃わなくなるという。
20190105 修正
(誤)つまり、夜中に明かりをつけたりすると昼夜が分からくなり、孵化時期が揃わなくなるという。
(正)つまり、夜中に明かりをつけたりすると昼夜が分からなくなり、孵化時期が揃わなくなるという。
20190612 修正
(誤)はねられた繭はは選除繭という。
(正)はねられた繭は選除繭という。




