第三話 新体制始動
蚕たちが終齢幼虫になった頃、新たな作業員が10名加わった。
予定された20名のうち、ゴドノフ・イワノフ兄弟と同じゴルド村出身の者たちだ。
「ゴドノフが長か。こりゃ頼りになるぜ」
「イワノフさん、よろしくね」
10名のうち7名が男性、残りは女性。
女性はブロン村出身のレレイアが面倒を見ることになった。
一応全員、『幹部候補生』5人に対し同年代から年下を選んである。年上が混じると、年功序列的な考え方が入り込んで指揮系統が乱れるのを避けたのだろう。
ちなみに皆、農家の3男坊4男坊または次女3女である。
昨冬の結膜炎対策以来、『蔦屋敷』の主が領民思いであるという事実は近在近郷に知れ渡っており、人員募集を掛けたところ3倍以上の応募があったという。
もう一つ、残りの10名は翌日やって来る手はずになっている。彼らはブロン村出身だ。
一度に20名を受け入れるのは混乱の元という判断からであった。
「一気に賑やかになったなあ」
『蔦屋敷』の東、疎林を伐採した新たな『養蚕の拠点』にアキラはいた。
既に家宰セヴランの指導により蚕室と20人分の宿舎は出来上がっていた。
アキラが進言してからまだ半月も経っていないことから、それ以前から前侯爵が進めていたことは明らかである。
その先見の明と心遣いにアキラは感謝した。
まずは受け入れた10人に蚕を見せたり、繭を見せたりと、実地での説明を行った後、用意した絵入りマニュアルを全員に配る。
高価な紙を使っているので、それぞれに名前を記入し、自己管理させることになっている。紛失して再度貰った場合は給金から引かれることになる。
文字が読めない者がほとんどであったが、絵入りなので何とか理解はしてくれているようだ。
(今回は版画方式だったけど、いずれ印刷技術も導入したいものだな)
この世界の文字はアルファベットに近く、数字はまさにアラビア数字。
数字に関しては過去の『異邦人』の努力によるものらしい。
とにかく、当面必要な文字は50文字程度なので活字を用意するのも楽だろうとアキラは考えていた。
(……今度の冬……かなあ)
今はまず、やるべきことが山積みである。まずは『養蚕』を産業として軌道に乗せなければならないのだ。
* * *
「アキラさん、お疲れ様です」
夕方、アキラが一息ついているところに、ミチアがお茶を淹れてくれた。すっかり定番になった桑の葉茶である。
「ありがとう」
「今日は賑やかでしたね」
「ああ。明日はもっと賑やかになるぞ」
残る10名がやって来るのだ。
「そうですね。そうなったら本格的な養蚕が始まりますね」
「うん」
お茶を一口飲んで、アキラはほっと小さく息を吐いた。
「しばらくはこんなのんびりできなくなるな」
アキラがそう言うと、ミチアは小さく笑った。
「ふふ、でも私、忙しい毎日は好きですよ。……あ、忙しすぎるのはちょっと困りますけど」
「そういうものかな」
確かに、充実した日々はそれなりに心地よい。振り返ってみれば、懐かしく思い出せるのはそういう日々なのだ。
アキラは一つ伸びをすると、椅子から立ち上がり、窓辺へと近付いた。
窓の外は夕闇が迫り、西の空は茜色に染まって、翌日の晴天を約束していた。
* * *
翌日、予定どおりに残る10名がやってきた。今度は男6名女4名の集団だ。
「よく集まってくれた。俺はアキラ・ムラタ。言うなれば隊長だ。君たちは、将来的にこの地方を背負って立つことになる。そう自覚して励んでほしい」
アキラは全員の前で簡単な挨拶を行った。
昨日に続き、蚕を見せての説明と絵入りマニュアルの配布、そしてまた説明。
幸いなことに、20人全員が興味を示し、やる気を見せていた。
「アキラ殿、どうかな? 新しい働き手は」
報告に行くと上機嫌なフィルマン前侯爵がいた。
「はい、おかげさまで、いいメンバーが来ました」
「うむ、それはよかった。期待しているぞ」
「はい」
一礼してアキラは前侯爵の執務室を下がった。戻る途中、セヴランに会ったので、蚕室や宿舎の手配について礼を言った。
「いえ、全て大旦那様のご指示によるものです」
と言われ、詳しく聞くと、彼らを雇うにあたり、事前に簡単な意識調査と試験をやっていたという。
アキラは舌を巻いた。同時に、元侯爵ともなれば、人を使うノウハウは豊富なんだなあ、と感心、そして尊敬の念を抱いたのである。
* * *
終齢幼虫は繭を作り始めた。
ハルトヴィヒが作った『回転蔟』の出番である。
「おお、うまくいってるな!」
『回転蔟』とは、蚕が繭を作る『蔟』を重さで回転するようにしたもので、繭の位置が偏らないように工夫されたものだ。
なぜか蚕は高い位置に繭を作る傾向がある。
「はは、うまいこと考えられているんですねえ」
「面白い仕組みですね」
見学している新人たちも感心することしきり。
「この繭から糸を取るんですね。面白そう」
「確かに、繭を作る虫はいますけど、この繭は真っ白で綺麗ですね」
20人の中には、養蚕より製糸に興味を持つ者、設備に興味を持つ者など、多様な者たちがいた。
これもまた前侯爵の配慮だろうと、アキラは彼らの特性を上手く生かしていきたいものだ、と思ったのである。
その後、アキラは彼らの宿舎を案内し、使い方を教えながら確認を行っていく。
「男性はこっち、女性は向こうの宿舎だ。2人で一部屋を使ってくれ」
「わあ、藁じゃなくてちゃんとした布団と毛布がある!」
「……狭い部屋に押し込められると思ったのに」
などと小声で話し合っている声が聞こえる。どうやらここの待遇は平均以上らしい。
「で、これがトイレだ。注意するのは、使ったら必ず手を洗うこと」
「わあ、綺麗なトイレ」
「手も洗えるのね」
「いいか、仕事上、清潔にすることが大事なんだ。だから身の回りを清潔に保つよう心掛けるように」
くどいくらいに念を押すアキラ。蚕の病気が流行ったらどうしようもないからだ。
「それから、共同浴場がこれだ。毎日入って構わないから、身体を清潔にな」
これには全員が驚き、どよめきを上げた。
「わ、わあ! お風呂よ、お風呂!」
「……信じられない」
主に女性陣からの声が聞こえる。ここほど待遇のいい職場はないらしい。
ひととおり宿舎の施設を見、使い方と注意事項を説明したアキラは、締めの演説を行った。
「いいか、君たちはこれからここで蚕を育て、それを産業に育てていく中心的な役割を果たすことになるんだ。自覚と誇りを持って仕事に励んでくれ」
「はい!」
全員がやる気をみなぎらせて頷いたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月22日(日)10:00の予定です。
お知らせ:7月21日(土)早朝から22日(日)昼過ぎまで帰省してまいります。
その間レスできませんのでご了承ください。
20190127 修正
(誤)「そうですね。そ、うなったら本格的な養蚕が始まりますね」
(正)「そうですね。そうなったら本格的な養蚕が始まりますね」
20190612 修正
(誤)回転蔟
(正)回転蔟
2箇所修正。




