第五話 小さな一歩目
虫が嫌いな方はご注意下さい。
「うーん、どれも美味しいけど、ラズベリーが好きかな?」
「ふふ、私もなんです」
アキラの懇請により、ミチアは同じテーブルについて昼食を食べていた。
「このマルベリーっていうのも美味しいけどな」
マルベリーは深い紫色をしたジャムとなっている。ラズベリージャムとクランベリージャムは共に深紅色だ。
アキラは、マルベリーの味に、なんとなく覚えがあったのだが、思い出せないでいる。
「ジャムとしては、酸味のある果実を使った方が私は好きです」
「そうなんだ」
甘い実の方が砂糖の節約になると思った、とアキラが言うと、
「モモのジャム、というのもありますけどね」
とミチアは答えた。
「ああ、モモがあるんだ」
「はい、ありますよ。熟すのはもう少し先ですね」
そんなやり取りをして、アキラはふと気が付いた。
「ごめん。今って季節は? で、何月になるんだ? ああ、あと1年は何日になる?」
矢継ぎ早に質問をする。ミチアは少し面食らったが、すぐに答えてくれた。
「ええと、初夏……でしょうね。5月になります。今日は15日です、1週間は7日で1ヵ月は30日だったり31日だったり。1年は365日です」
「俺の世界と同じなんだな」
「はい、そうらしいですね。『異邦人』の方は皆そう仰っていたようです。といいますか、この暦も『異邦人』の方が作られたらしいですよ」
思わぬ所で先人の業績を知ったアキラであった。
「迷い込んだ先輩たちは色々やっていたんだなあ……俺はなんにもできそうもないや」
「そんなことないと思います。アキラさんはきっと何か、素敵なことを成し遂げてくれます!」
「はは、ありがとう。……そういえば、荷物整理をしていなかったな」
昨日は落ち込んでいて、とてもそんな気になれなかったのである。
「お手伝いしましょうか?」
とミチアが言ってくれるが、そこまで多いわけではない。
カバンの中身を再確認するだけだ。
そしてカバンを開けた途端、アキラは大事なことを思い出した。
「いけない!」
「ど、どうしました?」
思わず叫んでしまったアキラに、びっくりしたミチアが声を掛けた。
「……種紙があったんだ……幸い、まだ孵化はしていないけど、青くなってる……と、いうことは孵化間近だ。どうするかな……」
しばし悩むアキラであった。ミチアはそんなアキラの邪魔をしてはいけないと、昼食の後片付けもそっと静かに行った。
「……よし」
やがてアキラは顔を上げた。
「ミチア、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい、何でしょうか?」
「『絹』って知ってるかい?」
アキラのその質問に、ミチアは首を傾げた。
「絹、ですか? それはどういうものです?」
「ええと、木の葉を食べる虫が吐き出す糸を紡いだものを絹糸、といって、その絹糸で織った布を絹、絹布というんだけど、聞いたことはないかな?」
もしかしたら別の名称で呼ばれているかもしれないと、簡潔な中にも詳しい説明を心掛けた。
「虫が出す糸ですか……いえ、私は聞いたことありません」
「そうか」
ここでアキラは、もしかしたらこの地方で蚕を飼育し、絹を産業にできるかもしれないと考えた。
自分のように迷い込んだ先人たちは、皆何らかの功績を上げている。だからというわけではないが、せっかくの蚕の卵を、うまく活用できたらいいな、と思ったのである。
元々アキラは『甲陽大学園 絹研究会』で絹と絹織物の復権をめざして研究に励んでいたのだから。
「ミチア、フィルマン様に話があるんだけど、面会できるかな?」
まずは館の主に話を通そうとアキラは考えた。
「はい、大丈夫だと思います。お伺いしてきましょうか?」
「ああ、頼む」
「はい!」
ミチアは小走りに館へと駆けていった。
そして待つこと10分ほど。ミチアが駆け戻ってきた。
「お待たせしました、アキラさん。大旦那様は喜んでお会いするそうです」
「わかった。すぐ行こう」
アキラは必要なものをカバンに入れたあと、ミチアに案内され、『蔦屋敷』へ。玄関には家宰のセヴランが待っていた。
「アキラ様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
屋敷の中はセヴランが先導し、執務室へとアキラは案内された。
「おお、アキラ殿か。ミチアから聞いたが、何か急ぎの相談があるとか。何だね?」
「はい。まずは確認の質問をさせてください」
「うむ」
アキラは荷物に入れていた『絹のハンカチ』を差し出した。
「この生地をご存知でしょうか?」
「どれ」
家宰のセヴランがそれを受け取り、フィルマンに渡した。
「むむ。……こ、これは!? なんという艶やかな生地だ。それに柔らかな手触り。……何という生地なのだ?」
「『絹』といいます。ご存知ありませんでしたか?」
フィルマンは頷いた。
「侯爵として色々なものを見てきたが、このような生地は初めて見る。何から作るのかね?」
アキラはほっとした。
「はい、そのことでご相談したかったのです」
「詳しく聞こうではないか」
* * *
アキラは『絹』について説明した。フィルマンは真剣な面持ちで一言も口を挟まずに聞いている。
大学内でのプレゼンテーションを数回していたアキラは説明にはそこそこ慣れていたので、わかりやすかったようだ。
「……以上です」
しばしの沈黙の後、フィルマンが口を開いた。
「……ふうむ、君の国では、その『かいこ』とかいう虫が吐き出す糸を使って織物を作っている、というのだな?」
「はい」
「そして君は、その『かいこ』の卵を持っている」
「そうです」
「さらに、あと数日で、望むと望まざるとに関わらず、その卵は孵化してしまう、と」
アキラは頷いた。
「はい。自分としましては、前の世界で研究していたこの『絹産業』を、この土地で興してみたら、と思うのです」
「それで儂のところに来たか」
「はい。すぐに産業化というのは無理ですが、この蚕を増やすことができたら、そして布に織り上げることができたら、服地の革命となるでしょう」
「ふむ、先程のハンカチ、それが『絹』という服地だと言ったな。確かに、それが手に入るようになったら、これは素晴らしいことに違いない」
フィルマンはそこで一旦言葉を切って、何ごとかを考え、改めて口を開いた。
「まずはその『かいこ』を増やしてもらわねばらぬな。……よろしい。その先のことは未知だから改めて話し合うとして……セヴラン!」
「は、旦那様」
「お前もアキラ殿に協力して、この『かいこ』を飼育し、増やすよう試みよ」
「承りましてございます」
こうして、異世界における絹産業、その第一歩が踏み出されることになったのである。
お読みいただきありがとうございます。
2月11日(日)も更新します。
20180210 修正
(誤)そして布に折上げることができたら、服地の革命となるでしょう」
(正)そして布に織り上げることができたら、服地の革命となるでしょう」