第三十五話 秘伝の技術
試作が完成したので、いよいよ本番だ。
「『洗眼水』はこの魔法式でいいとして、炎症を抑える水か」
そちらはセヴランに協力してもらうことになっている。
「他人の魔法を魔法式に落とし込めるの?」
ちょっと心配するリーゼロッテだったが、ハルトヴィヒは、大丈夫といって胸を叩いた。
「任しといてくれ!」
「ハルがそう言うなら信じるわ」
「それじゃあ私はセヴランさんを呼んできますね」
「うん、頼む」
既に時刻は午後9時を回っていた。いつもならもう眠っている時刻である。
だが、この非常事態に際し、セヴランもフィルマン前侯爵もまだ眠ってはいなかった。前侯爵はセヴランを呼びに来たミチアに尋ねる。
「おおミチア、治療具の進み具合はどうなっている?」
その顔は心配そうだ。
「はい、実用化の目処が立ちました」
この朗報に、前侯爵の顔が少し明るくなった。
「おお、そうか! ……ハルトヴィヒとリーゼロッテに、引き続きよろしく頼むと伝えてくれ」
「はい、承りました。……それで、セヴランさんに協力をお願いしたいとのことです。いらしていただけますか?」
「もちろん。……大旦那様、行ってまいります」
「うむ、よろしく頼むぞ。吉報を待っているからな!」
そしてセヴランはミチアと一緒にハルトヴィヒの工房へと向かった。
「ハルトヴィヒ殿、私は何をすればいいのですか?」
工房に顔を出したセヴランは早速用件を切り出した。
「はい。ええとですね、この板に向けて消炎鎮痛の魔法を使っていただけますか? できれば何回か」
ハルトヴィヒは、特殊な処理がしてあるらしい、丸い板を指し示した。
「いいですとも。……《アンチインフラム》……いかがですか?」
板を調べていたハルトヴィヒは、もう一度使ってくれるように頼む。
「《アンチインフラム》……いかがです?」
「あと一度、お願いします」
「わかりました。……《アンチインフラム》」
丸い板を調べていたハルトヴィヒはは満足そうな顔になった。
「ありがとうございます、セヴランさん。……同じ魔法道具を幾つか用意したいのですが、あと何度くらい使えますか?」
「そうですね、20回くらいでしょうか」
「素晴らしい! では、あと4枚に3回ずつ使っていただけますか?」
「よろしいですよ」
こうしてセヴランは計5枚の丸い板に『アンチインフラム』を掛け、工房を去っていった。
「うん、まずまずの出来だ」
1人ほくそ笑んでいるハルトヴィヒに、我慢できなくなったリーゼロッテが質問した。セヴランがいる間はできなかったのだ。
「ハル、どういうこと? その丸い板は何なの?」
ハルトヴィヒは答えて曰く、
「研究中の魔法素材なんだが、魔法を吸収して定着し、再現させる効果があるんだよ」
「ええっ? 凄いじゃない! それって、もしかして帝国の軍事機密じゃない?」
ここで言う『帝国』とはハルトヴィヒやリーゼロッテの出身国であるゲルマンス帝国のことだ。
「まあ、な」
本来は、敵から受けた魔法攻撃を吸収して敵に返す、という効果を発揮させるために開発されたものだ、とハルトヴィヒは説明した。
「だけど、今も至近距離で3回掛けてもらってようやくモノになっただろう? 戦場では使い物にならなくてお蔵入りになった魔法技術なのさ」
だが、こうして人を救うために使えることがわかったからには、もっと評価されてもいい技術だ、とハルトヴィヒは言った。
「ほんとにそのとおりね。……でも、よその国で使って問題ないのかしら?」
リーゼロッテは心配そうに言った。ゲルマンス帝国はそうした技術流出に厳しいのだ。
「ああ、この技術に関しては大丈夫だろう。もう20年も前に使われなくなった魔法技術だから」
ハルトヴィヒは心配そうなリーゼロッテに笑って答えたのだった。
「そもそも、僕の爺さまが開発した魔法技術だしな」
「へえ、そうだったの」
この世界には『特許』という考えも制度もないが、創作した魔法や魔法技術は基本的にその『一族』のもの、という考えがある。
ゆえにハルトヴィヒの家、すなわちアイヒベルガー家の者が使うには問題ない、ということなのだ。
閑話休題。
「この魔法盤を容器の底に仕込めば、中の水に『アンチインフラム』の効果が付与できるわけだ」
ハルトヴィヒは手早くそれをあらかじめ用意しておいた容器にセットした。
「すごいな、ハルト!」
黙ってみていたアキラも、この素晴らしい魔法道具とそれを作ったハルトヴィヒに賛辞を送った。
早速アキラはそれぞれの水をコップに取って、その中にツバキのような木の葉を入れてみた。何も起こらない。もっとも、起こってもらっては困るのだが。
次に、水を入れ替え、今度は手に掛けてみる。これも刺激は感じられない。
その次は匂いを嗅ぎ、少量だけ口に含んでみた。特に変わった味はしなかった。
だが、目に入れてみるには少々躊躇われる。
そんなアキラの逡巡を見たハルトヴィヒは、水を汲むといきなり自分の目に掛けたのだった。
「ハルト!」
慌てるアキラ。
「……大丈夫だ。気持ちがいいくらいだよ」
平然としているハルトヴィヒを見て、アキラはほっと胸をなで下ろした。
自らの作ったものを信じ、自分の目で試験をしてくれたハルトヴィヒに、
「ありがとう。それしか言葉が見つからない」
と言って深々と頭を下げたアキラであった。
とにかく、これで少なくとも人体には無害であることがわかったわけである。
「よし。まずは前侯爵に報告に行こう!」
アキラの提案にミチアも賛成する。
「それがいいと思います。できれば、ミューリの治療もしてあげられれば……」
「ああ、そうだな。前侯爵に提案しよう」
ということで4人は『洗眼水』と『消炎水』を作る魔法道具を持ち、前侯爵の執務室に向かった。
もちろん前侯爵はまだ起きていて、4人を迎えた。
「おお、アキラ殿、できたのか?」
「はい。こちらが『洗眼水』を、こちらが『消炎水』を作る魔法道具です。洗眼水で目を洗ったあと『消炎水』でもう一度目を洗うことを繰り返せば結膜炎は治療できるはずです」
「おお、そうか。ご苦労だった。ハルトヴィヒ、リーゼロッテ」
フィルマン前侯爵は2人を労った。そして、
「よし、結膜炎に掛かった者を呼べ。早速治療してやろう」
と言った。ミチアはすぐに4人を呼びに走った。
そしてミチア他、眼帯をした4人がフィルマン前侯爵の執務室に集まった。
「うむ、来たな。……ここに、『はやり目』を治すための水がある。お前たちで効果のほどを試したいのだが、どうだ?」
「は、はい、是非もなく」
主人からの要請であり、治療してくれるというのだから断る理由はない。
「では」
まずはミューリからということで、アキラが処置を行ってみせることにした。
ミューリをソファの上に仰向けに寝かせ、軽く目を閉じさせる。そして『洗眼水』をコップにすくい取り、片方ずつ目を洗った。
水がこぼれるので、頭の下には厚手のタオルを敷いて、だ。
「お盆を頭の下に入れた方がよさそうですね」
それを見たミチアがさっそくお盆を持ってきた。
「ありがとう」
ミューリの頭の下にお盆を入れ、今度は結膜炎になった右目を『消炎水』で洗う。
「どうだい?」
「……目がすっとして気持ちがいいです」
そう答えたミューリの目は、心なしか充血が少なくなっているようだった。
ミューリへの治療がうまくいったので、他の3人も同様に治療した。
いずれも充血が緩和されたようだった。
「1回で治る、とは行かないですが、朝と夕方、1日2回の処置をすれば数日で治るでしょう」
「うむ。これは画期的な治療だな。アキラ殿、感謝する。ハルトヴィヒ、リーゼロッテ、ご苦労だった。セヴラン、協力ご苦労」
関係者を労うフィルマン前侯爵。
「さて、それでは明日の『冬至祭』会場でこれを使った治療を始めることにしよう」
そして前侯爵は、
「明日に備えて今日は休むように。……アキラ殿、明日はよろしく頼む」
と言って、その場にいた全員を下がらせたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月1日(日)10:00の予定です。
20180630 修正
(誤)とにかく、これで少なくとも人体には無害であることがわかったわかである。
(正)とにかく、これで少なくとも人体には無害であることがわかったわけである。




