第三十三話 冬至祭と結膜炎
アキラとミチアは、ハルトヴィヒとリーゼロッテを捜しに村へ向かった。
「伝染性があるなら、できるだけ早い対処が肝要だ。それには2人の協力がなんとしても必要なんだ」
小走りに急ぎながら、ミチアに説明するアキラ。
「それは……もしかして、消毒、ということでしょうか」
「正解だ。例えば、患者が使ったタオルで顔……目の付近を拭いたりすればうつる可能性が大きいからな」
結膜炎にかかった目を擦った手で、かかってない方の目を擦ることでもうつってしまうのだから。
その昔日本でも、悪いところを撫でると『身代わりになってくれる』とか『その部分が健康になる』というような言い伝えのあるお地蔵様などの仏像があった。
そこに、『目が悪い』と目の部分を撫でた『眼病』……おそらく結膜炎やトラコーマ(トラホーム)と呼ばれる角結膜炎の者が目やにの付いた手で触れ、それを別の人が触れて……という経路で蔓延したこともあったであろうことは想像に難くない。
「そ、それは……大変です!」
ミチアは顔色を変えた。
この世界、この時代ではまだまだ衛生観念が低いので、一般庶民なら、手を洗わずに食事をする、汚れたタオルで顔を拭くなどは当たり前。
患者が使ったタオルを使い回すくらいは平気でしてしまいそうだという。
それを聞き、特に人が集まる『冬至祭』の場はそうした感染拡大に寄与しそうだと、アキラは危惧した。
そして、2人の足取りは次第に速くなり、ついには駆け出していたのだった。
* * *
「ぜい……ぜい……す、凄い人だな……」
ちょうど昼時なので、露店で売られている軽食や、準備がもうすぐ終わるであろう侯爵家のシチューなどを目当てに人が集まっているようだ。
「ハルトとリーゼは……」
「ぜえ……ぜえ……あ、アキラさん、あそこに!」
ミチアが指差す先に2人の姿があった。
「お……おーい、ハルト! リーゼ!」
大声で2人を呼びながら駆けつけるアキラとミチア。
「え? アキラ、どうしたんだ、血相変えて?」
「ミチアもどうしたのよ? 顔色悪いわよ? 具合悪いんじゃない?」
暢気なことをいう2人に駆け寄ったアキラとミチアは、弾む息を整えながら説明を開始した。
「はあ……今……もしかしたら……結膜炎が……ふう……蔓延して……はあ……」
「ふう……うつる、かも、しれない……から、できるだけ……はあ……早い対処……を……」
2人が交互に、しかも息をつきながらなのでわかりづらく、ハルトヴィヒとリーゼロッテは音を上げた。
「ちょちょちょっと待て、2人とも! とにかく落ち着け!」
「そうよ、息を整えてからちゃんと説明してちょうだい」
「わ、わかった」
アキラは1分ほど息を整えてから説明を行った。
「何……結膜炎かも?」
「うつるの?」
説明を受けたハルトヴィヒとリーゼロッテはことの重大さをすぐに理解した。
「ああ。……命に関わることはないが、対処を誤ると感染者が増える一方だし、最悪失明する人が出てもおかしくはない」
「そ、それは大変だ!」
「で、私たちにできることは? ……あるから飛んできたのよね」
アキラたちは広場の隅へ寄ってこそこそと話を始めた。
まだ結膜炎と決まったわけでもないのに、あまり大袈裟にさわぐのはまずいと判断したのだ。
「細菌性かウィルス性かわからないけど、そういった微生物に対する魔法ってあるのかな?」
「あるわ。この前使った『ザウバー』なんかは効果があると思う」
そう、本来『ザウバー』は汚れを除去する魔法であるが、リーゼロッテはそれを改良して滅菌効果も持たせてしまったのだった。
問題は、どれくらい効果があるかだ、とアキラは考えた。
「それに、住民に手を洗わせること、むやみに目を弄らせないことも……」
「とにかく、一旦帰りましょう」
「そうだな」
ミチアの言葉に、アキラたち4人は『蔦屋敷』へと戻ることにした。
「……気をつけて見ていると、眼が赤い者も何人かいるな」
「ああ、危険な兆候だ」
「大急ぎで戻ろう」
* * *
屋敷へ戻ったアキラたちを待っていたのは家宰のセヴランだった。
「アキラ様、ハルトヴィヒ様、リーゼロッテ様、大旦那様がお呼びです。ミチアも一緒に行きなさい」
「わかりました」
一同はそのまま執務室へと向かった。
「待っていたぞ」
アキラたちを執務室に迎え入れると、フィルマン前侯爵はすぐに本題に入った。
「アキラ殿が言う『結膜炎』がはやり始めているようだ。館の中にもメイドが2人、使用人が1人、眼が赤くなっている」
「それは……」
「アキラ殿、この目の病気をこれ以上広げないために、どうすればいいのか、知恵を貸してほしい」
フィルマン前侯爵は、領民のためにも一刻も早く手を打たねばならないことを悟っていた。
「もちろんです。まずは……」
アキラは、『冬至祭』会場から戻る道すがら、考えていたことを説明していく。
予防策としては、
1.手洗いの励行。
2.目を擦らない。
3.病人の使ったタオルは使わない。
……ということを徹底させる。これにはほとんどの村人が集まる『冬至祭』の会場を利用するのがよさそうだと考えている。
治療として、
滅菌効果のある『ザウバー』を使った治療法を確立したいと思っていた。
「『ザウバー』を掛けてすぐの水で目を洗うだけでも効果があるのではと思います」
ホウ酸があるならホウ酸水を使って目を洗いたいのだが、無いものねだりをしても仕方がない。
「それから、直接『ザウバー』を掛けて治療ができるかどうか、これはまだ検証していないので何ともいえません」
「うむ、なるほど」
ここでリーゼロッテが発言をした。
「閣下、『アンチインフラム』系の治癒魔法を使える人はいらっしゃいませんか?」
『アンチインフラム』は化膿止め、腫れを引かせる、といった効果のある治癒魔法だ。残念ながらリーゼロッテもハルトヴィヒも使えなかった。
だが。
「うむ、それならセヴランが使えるはずだ。そうだな?」
「はい、大旦那様」
消炎鎮痛系の治癒魔法は、戦時下では重宝される。フィルマン前侯爵と共に戦場に出たこともあるセヴランは、初級ではあるが『アンチインフラム』を使うことができたのだった。
「それでは、セヴランさんに協力していただければ、治療のための魔法道具が作れるかもしれません。お願いできますでしょうか?」
前侯爵は即断した。
「うむ、わかった。セヴラン、時間の許す限り協力するように」
「は、大旦那様」
さらに前侯爵は、
「儂はこの後『冬至祭』へ行って、この危険性を村人に伝えようと思う」
と宣言。
アキラはほっとした。
誰よりも、領主である前侯爵から言われたことなら、村人はいうことを聞きやすいだろうと思われたからである。
こうして『結膜炎』への対処が始まったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月24日(日)10:00の予定です。




