第二十話 開始
ド・ラマーク領にも春が来た。
「雪室の雪も十分だな」
「はい」
冬の間、降った雪を溜め込んでおいた『雪室』。
これから夏まで、冷蔵庫として活躍する。
「冬は雪の中に埋めておくだけでよかったけどな」
「そうですね」
野菜を雪に埋める『雪下野菜』は、低温の環境において、野菜自身がその内部のデンプンを糖に変えることで凍らないようにするため、甘みが増すといわれている。
現代日本では、北海道の和寒町で『越冬キャベツ』、北海道函館市亀田地区では『雪の下大根』などというブランド野菜が生産されている。
もちろん、青物が不足しがちな冬季に向けて保存する、という意味合いも大きい。
そして、雪室は雪がなくとも『温度変化が少ない』『適度な湿度がある』ため、野菜を貯蔵する環境として適している。
このためド・ラマーク領では、冬季の野菜不足による壊血病などの疾患は消えて久しいのだった。
さらに早春、まだ青物の収穫には間がある時期にも野菜の摂取ができるため、体調の維持にも一役買っていた(野菜が不足すると、肌荒れや免疫力の低下が起きやすくなる)。
「そろそろ野山にも山菜が芽を出す頃だからな」
「そうですわね」
「休みの日にはまた、家族でピクニックに行こう」
「ええ、あなた」
ド・ラマーク領は平穏である。
* * *
さて、王都のハルトヴィヒたち。
「制御か……まずは模型で実験しよう」
ハルトヴィヒが宣言した。
「どういう模型にしますか?」
「大きさは実機に近いものにしようと思う」
これは、振動の周期が違いすぎると(小さいと速く、大きいと遅くなる)実験の意味がなくなるからである。
「でも、それは製作が大変ですよ」
「いや、制御の実験だから、簡単なものでいいんだ」
「といいますと?」
「例えば、10メートルくらいの長い棒を重心で支えておき、それを揺らして水平にさせる制御を研究したらどうかな?」
「あ、いいかもしれませんね」
長い棒はしなうため、太いものを1本ではなく、細い棒を組み合わせたトラス構造にすることになった。
そして、飛んでいる時のように多少の安定性を持たせるため、支える位置も工夫する。
具体的には重心よりも高い位置で支えることで自己安定性を加えたわけだ。
「この支える位置を高くすれば安定性は増すし、低くすれば不安定になる」
「制御系の調整にはよさそうですね」
そういうわけで、その日の午後には実験が開始された。
といっても、本当に簡単な装置で、である。
「……なるほど、これなら概略はわかりますね」
「さすが先生です」
ハルトヴィヒのアイデアに、メンバーの面々は感心した。
いうなれば天秤の安定をどうやって取るか、の実験である。
「最初は補正の出力はごくごく小さくして、少しずつ上げていくからな」
「はい」
その場合、手で傾けた『天秤』が水平に安定するのに2分ほど掛かった。
下がった側の推進機がごく短時間噴射し、持ち上げる。
その後、反対側が下がりすぎたとセンサー(水平儀)が検出したら、そちら側の推進機が、反対側のおよそ半分の時間噴射する。
再び反対側が持ち上がりすぎたならその反対側が半分の時間噴射……という流れだ。
「半分で多いのか少ないのか、その見極めも大切だ」
「はい」
この実験では、機体の重さは再現されていない。
なのでハルトヴィヒは噴射の『強さ』ではなく『時間』を制御しているのだ。
もっと重い、実際の機体の場合は噴射の強さを調整すればいいはずだ、と推測して。
「半分ではちょっと弱いというか短いですね」
傾きの修正に時間が掛かりすぎる印象を受けたのだ。
「なら、3分の2にしてみよう」
「はい」
今度はちょっと強く(長く)してみると、こんどは傾きが行ったり来たりして収束に時間が掛かってしまった。
「5分の3だ」
「はい!」
今度はなかなかいい感じに傾きが修正された。
「よし、いい感じだな」
「ですね」
「それじゃあ、支える位置をもう少し低くして安定度を下げてやってみよう」
「はい」
それがうまくいくようになったら、『天秤』に重りを付けて、より実機に近くしてみる。
振り子の振動を例に取ると、重りの『重さ』は振動の周期には影響しないが、それは理想的な振り子の場合だ。
実際には振り子の腕部分の重さがあるから、振り子の重心位置は変化する。
つまり振動の周期も変化するのだ。
……といった実験を繰り返し、ハルトヴィヒたちは姿勢制御の方法を模索していったのである。
* * *
再びド・ラマーク領。
「それじゃあ、今日、『種紙』(蚕の卵が産み付けられた紙)を準備するよ」
アキラが宣言をした。
「へえ、旦那様。そうしますとおよそ10日で孵化しますね」
職人頭が確認するように言った。
「うん。ただし、『蚕室』を摂氏25度に保つようにな」
「それはもう。『ハルト式エアコン』の整備と試運転は済んでおりやす」
「それならよし。……クワの葉は?」
「へい、もう南斜面では若葉が伸び始めておりますので、不自由はしないかと」
「よし」
冷蔵庫に保存した昨年のクワの葉もあるが、できれば今年の葉で育てたいとアキラは思っていた。
もっとも、新しい葉を食べて育った蚕は、急に古い葉を与えると喰いが悪くなるので、クワの葉の供給には注意が必要だ(古い葉から新しい葉に替えるときは問題なく食べるという)。
いよいよド・ラマーク領では『養蚕』が開始される……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は2025年10月4日(土)10:00の予定です。
20250927 修正
(誤)、旧に古い葉を与えると喰いが悪くなるので
(正)、急に古い葉を与えると喰いが悪くなるので
(誤)(古い葉から新しい葉に買えるときは問題なく食べるという)
(正)(古い葉から新しい葉に替えるときは問題なく食べるという)




