第十九話 雪解け
「今朝は、間違いなく氷点下じゃないな」
「はい」
朝の空気の冷たさが違う。
春がすぐそこまで来ていることを実感できる時だ。
夜間も氷点下にならないということは、一晩中雪や氷が解けていくということであり、そうなるとあっという間に雪景色が終わる。
「いよいよ若草が芽吹いてきたな」
「はい。南斜面のクワ畑では、もう若葉が伸び始めたようですよ」
「養蚕の準備も整ったし、クワの葉の確保が確実になったら『春蚕』を育て始めよう」
「今年も、順調だといいですわね」
「そうだなあ……」
こればかりはお天気次第、の面が多く、今からはなんともいえない。
1つ言えることは、自然を相手にする仕事にとって『平年並み』というのはとてもありがたいことなのだ。
例年より暑かったり寒かったり、雨が多かったり少なかったり、というのは非常に気苦労を強いられる。
毎年、同じ時期に作業を始めて、同じように仕事を進めて、同じように収穫を得られる……ことを願うのは、自然を相手にして生活している人々に共通した思いではないだろうか。
そんな人々が暮らす、ド・ラマーク領にも春が来ようとしていた。
* * *
一方、王都でのハルトヴィヒたちはまだ混迷の真っ只中にいた。
「砂埃を見通す魔法、という発想はよかったが、それだけではまだ『垂直離着陸機(VTOL)』の実用化には足りないよ」
「そうですね、先生」
3日、と期日を切ったスタニスラス。
ハルトヴィヒたちはその3日間の間も、より完成度を高めるための実験や話し合いを行っていた。
「ロケットエンジンを使ったとしても風の問題は防げないな」
「むしろ酷くなる可能性もある」
「そうすると、『浮く』のはプロペラで、『進む』時には併用、がいいかもしれない」
「そうですね」
「『進む』時には主翼は小さいながらも揚力を発生するだろうから、空気が薄くなってもプロペラとの併用で行けると思う」
「そう思えるが……そのへんは要実験かな」
結局、『浮く』ための力は主翼に仕込んだプロペラで行い、ロケットエンジンの推進力を偏向させて『浮く』力の補助にする案はなしとなった。
「構造が複雑になるからな」
「機能が同じなら、単純な構造の方が故障が少ないだろうし」
「そのとおりだ」
こうして、構成が決まっていく。
「ところで、『浮く』ためのプロペラとエンジンだけど、合わせて『浮揚機』と呼ぼうと思うんだが」
「わかりやすくていいですね、先生」
「いいと思います」
「うん、ありがとう。で、その『浮揚機』なんだが、模型では回転が速かったが、実機はプロペラ径が大きくなるから、ゆっくり回す必要があるだろう」
「確かにそうですね」
「つまり、回転数よりもトルクが要求されるわけだ」
「プロペラの径がでかいですからね」
「そこで」
昨夜寝ながら考えた、と冗談交じりにハルトヴィヒは1つのイメージスケッチを見せた。
「あっ!」
「これは!」
それは、プロペラそのものを『エンジンのローター』として組み込んでしまうというものだった。
元々は円盤に魔法力で回転を与えているのだから、その円盤がプロペラになっても問題はないわけである。
むしろ、余計な部品がなくなる分、軽量化が期待できるというわけだ。
「さすが先生ですね」
「寝ながら考えつくなんて……」
「いや、そこは流してくれよ……」
とにかく、このアイデアはなかなか画期的で、その日のうちに2分の1サイズの模型を作って実験したところ、予想以上の高効率が得られたのである。
「実物大にしたら、もう少し効率は落ちるかもだが」
「それでもこれまでの、エンジンとプロペラが別部品だったものよりは効率が上がるでしょう」
「それはそうだろうな」
この『ハルト式浮揚機』を主翼の左右に組み込んで『浮く力』とするわけだ。
「前後のバランスはどうしましょう」
「それだな」
常に空中を移動している飛行機なら、昇降舵により空力的な力を発生させられるわけだが、『垂直離着陸機(VTOL)』の場合はそうもいかない場合がある。
垂直上昇時には機首を上げたり下げたりするエンジンが必要になるわけだ。そしておそらく機体を左右に傾ける(傾きを修正する)ためのエンジンも。
「左右の方は、『浮揚機』の出力調整でなんとかできると思う。問題は縦方向だな」
「小型の『浮揚機』を使うか、主翼内の『浮揚機』の浮力を少し偏向させるか、でしょうね」
「その2つだろうな」
これについては意見が入り乱れたが、部品点数が多くなっても制御しやすい(と思われる)小型の『浮揚機』を前後に設けることになった。
「そこで提案ですが、前後左右の安定性について、ある程度自動制御できませんかね?」
そう言い出したのはアンリである。
「少し傾いただけでも操縦者が補正するのでは忙しなさ過ぎます」
「そうだな、考えてみる価値はあるな……」
というわけで、安定を保つための機構を検討することになった。
「基本的には水平を保てるようにだから、『水平儀』が参考になるかな」
「重力を使うわけですね。……止まっている時には有効でしょう」
ハルトヴィヒのチームは、中学生レベルの科学にはかなり通じているのでこうした会話も成り立つ。
「水平儀の傾きに応じて、それを補正するような推力を発生させればいいんじゃないでしょうか」
「それだろうな」
「ただし、多少の遅延を盛り込まないと振動するぞ」
目標点を0点とした場合、プラスに行き過ぎたらマイナスの補正、マイナスに行き過ぎたらプラスの補正を掛けることになる。
この時、システムが鋭敏過ぎると、僅かにズレた場合でもすぐに補正を掛けることになるため、微小な振動が生じやすい。
ゆえにハルトヴィヒは遅延を盛り込む(感度を少し鈍くする)と言ったわけだが、これが行き過ぎると今度は不安定になる。
これが難しいところである。
「こればかりは実験で決めるしかなさそうですね」
「そうなるな。制御装置は実機大のものを作って実験しよう」
一歩一歩前進している……が、まだまだ、『垂直離着陸機(VTOL)』の完成には程遠い……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は2025年9月27日(土)10:00の予定です。
20250921 修正
(誤)垂直上昇時には機種を上げたり下げたりするエンジンが必要になるわけだ。
(正)垂直上昇時には機首を上げたり下げたりするエンジンが必要になるわけだ。




