第三十一話 冬至祭
翌日の昼過ぎに商人トマ・ローランが『蔦屋敷』にやってきた。
「これが硫酸です」
水晶製と思われる瓶に入った、少し黄ばんだ液体。それが硫酸だった。
本来、硫酸は無色なのだが、これは若干の不純物、おそらく硫黄系の化合物を含んでいるためと思われた。
それが合計で2リットルほど手に入ったのだ。
仕事に使うので支払いは侯爵家。
あとでセヴランに聞いたところ、5000フロン(=約50万円)もしたという。
「さあ、これでいよいよ鉛蓄電池ができるぞ!」
まずはリーゼロッテの研究室で、『硫酸』を分析してもらう。
「《アナリーゼ》……うーん、不純物も確かにあるけど、それほど多くはないわ。0.5パーセント以下ってところね」
1パーセントくらいまでなら魔法でかなり正確に把握できるのだそうだ。
「何か入っていることまでしかわからないから、微量ってことね」
そして濃度。
鉛蓄電池用の硫酸は濃度37パーセントの希硫酸。
「うーん、だいたい30パーセントから50パーセントくらいだとは思うけど」
魔法も万能ではなく、おおよそのことしかわからないが、誤差を含めた中間値をとるなら40パーセント前後ということになる、まあまあ使えそうである。
そこで、4セットあるうちの1セットに入れて試してみることになった。
「気をつけて入れろよ」
希硫酸が服や皮膚に付くと、服なら穴が空き、皮膚なら火傷のような症状を起こすので、取り扱いには要注意である。
蓄電池の容器も、現代地球で使われているものと違い密閉されていないので、その点でも取り扱いには注意が必要だ。
「よし」
鉛蓄電池をそっと持ち上げ、ハルトヴィヒの工房へと運んでいく。
「あ、アキラさん、できたんですね? おめでとうございます!」
それを見つけたミチアも付いて行きたそうにしていたが、『冬至祭』の準備のため涙を呑んだ。
工房では、まず簡易電圧計を繋いでみる。電極がきちんと出来上がっている証拠に、約2ボルトを示した。
そこに発電機を繋いで、ハンドルを回す。おおよそ3ボルトくらいで充電してみるのだ。
電圧が高いと電流も増え、過充電になったり、蓄電池の電解液……希硫酸の温度が上がりすぎて沸騰し、周囲に飛び散る事故が起きないとも限らないので、簡単にではあるが管理は必要だ。
「よし、交替」
ハルトヴィヒとアキラで5分ごとに交替しながら充電すること30分。極板から小さな泡が出てきた。
「おそらく水素だな」
換気に注意しよう、とアキラ。
現代地球のシールド式バッテリーなら水素の発生は少ないのだが、アキラたちのものはまだまだ未完成。特に充電完了間際になると大量に水素が発生しやすくなるので、電圧を落として電流を減らさねばならない。
バッテリーの充電時に発生した水素による爆発事故も例があるのだから。
根気よく2時間ほど充電を行ったあと、発電機を外して電圧を見ると、おおよそ2ボルトの電圧が確認できた。
「やった!」
「できたな」
「できたわね!」
3人はほっと溜め息をついた。これまでの苦労が報われたのだ。
残る3つの鉛蓄電池にも希硫酸を入れ、充電をする……のだが、
「今度は2個直列にして充電してみよう」
「うん、それはいいな」
さすがに丸1日ハンドルを回し続けるのはもううんざりしているアキラとハルトヴィヒ。
2個直列ということは充電電圧を5ボルト位掛ければよいということだ。
ハンドルの回転数が倍くらい必要だが、その先に待つもの……『携通』の完全充電を夢見て、2人は回し続けた。
昼食時間を挟んで回し続けた結果、午後1時過ぎには3つの鉛蓄電池が充電完了した。
「4ボルトか……最悪6ボルトあれば充電できるだろう」
『携通』の電池電圧は3.3ボルト。アキラはまず、充電端子に鉛蓄電池を2個直列に繋いだ。
充電ランプが点灯する。
「お、うまくいってるな」
あとはこのまま置いておけばいい。というか置いておくしかない。
手持ち無沙汰なので、残る鉛蓄電池1個にも充電しておくことにした。
ハンドルを回しながら雑談しているわけだから、まあ楽といえば楽だ。
「そうだ、足で漕げるようにしたいな」
手で回していたアキラが、思い出したように言った。
「足で、か。確かに手で回すよりは楽かもな」
アキラはハルトヴィヒと交代すると、自転車のペダルとチェーンのようなイラストを描いて見せた。
「こんな感じで、足で漕いでこっちのギヤを回す。その回転を伝えてこっちのギヤが回るんだ」
「ふむ」
ハンドルを回しながらハルトヴィヒはその絵を眺める。
「このギヤとギヤを繋いでいるものはなんだい?」
「ああ、チェーンといって……鎖状のベルト……かな」
鎖=チェーンである。自転車などで力を伝えるものは、正確にはローラーチェーンという。
「うーん、それはさすがに作るのは難しいかな……発電機の軸を直接漕いだらまずいかな?」
「どうだろうな。できないことはないだろうが、足は手よりも力があるから、軽すぎるかもしれない」
それでも手で回すよりは持久力がありそうなので、ハルトヴィヒは検討してみる、といった。
「うまくいけば、他の仕事に応用できるかもしれないからな」
これ以降、足漕ぎ式の作業機械が多数誕生することになるが、それはまだもう少し未来の話。
* * *
その日の夕食は賑やかなものだった。
『携通』がフル充電できたのだ。
前回の充電よりも早く完了したのは、バッテリー残量がまだあったので充電時間が短くて済んだわけだ。
「これで、資料の閲覧は困らないだろう」
アキラの言葉に、ハルトヴィヒは頷いた。
「ああ、楽しみだよ」
リーゼロッテもわくわくしている。
「染めについても資料はあるのかしら?」
「詳しくはないが、ヒントくらいにはなると思うよ」
「それならいいわ」
そしてミチアも参加している。『冬至祭』の準備はもうほとんど終わったということで、これまでどおりアキラの付き人的立ち位置に戻ってきたのだ。
「明日は朝から賑やかですよ!」
以前アキラが見に行った村、その広場で冬至祭が行われる。
冬のこの時期はまず雨も雪も降らず、晴天が続くのでこうした催しにはもってこいなのだそうだ。
「大旦那様は大量のジャガイモとニンジン、それにタマネギをお祭り用に用意してくださいましたから、美味しいシチューができると思います」
大鍋でコトコト煮て、集まった人たちに配るのだという。
もちろん、それだけでは足りないので、村人も各自いろいろ持ち寄って煮込んだり焼いたり、食べるものを作るのだそうだ。
「明日は私たちも交替でお休みなんです」
使用人も休暇がもらえるのだという。ミチアは午後から休みだそうだ。
「じゃあ、お昼は食べずにその冬至祭で食べに行くか」
とアキラが言うと、ミチアは嬉しそうに、
「はいっ、楽しみです!」
と明るく答えたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月17日(日)10:00の予定です。
お知らせ:16日(土)早朝から17日(日)昼過ぎにかけて帰省してまいります。
その間レスできませんのでご了承ください。
20180617 修正
(誤)1パーセントくらいまでなら魔法でかなり性格に把握できるのだそうだ。
(正)1パーセントくらいまでなら魔法でかなり正確に把握できるのだそうだ。
(旧)
「6ボルトあれば充電できるだろう」
『携通』の電池電圧は5ボルト。アキラは充電端子に鉛蓄電池を繋いだ。
(新)
「4ボルトか……最悪6ボルトあれば充電できるだろう」
『携通』の電池電圧は3.3ボルト。アキラはまず、充電端子に鉛蓄電池を2個直列に繋いだ。
(誤)ままあ使えそうである。
(正)まあまあ使えそうである。
(誤)当然針は振れない。
(正)電極がきちんと出来上がっている証拠に、約2ボルトを示した。




