第三十一話 さらに高みへ
ついに、アキラとハルトヴィヒは、共にド・ラマーク領の空を飛んだ。
空から見下ろすド・ラマーク領は、思った以上に起伏に富んでいる。
「こうして見ると、地形がよく分かるなあ」
「いずれ航空写真が撮れるようになるといいな。……ロッテが研究中なんだ」
「そうか! それは楽しみだ」
写真の原理はハルトヴィヒとリーゼロッテに詳しく教えてある。
が、感光剤の開発が難しく、まだ実用化できていない。
一方でカメラの方は機械系なので、一昨年の王都行の際に試作品を献上してある。
* * *
カメラ本体だが、最初はピンホールカメラ(針穴写真機)だった。
中を黒く塗ったボール紙の箱を作り、1面にはすりガラス(曇りガラス)を貼る。
その反対側の面の中央には直径1ミリにも満たない、小さな穴を空ける。すると、ピンホール(針穴)を向けた方向にあるものが倒立してすりガラスに映るのだ。
これがピンホールカメラ(針穴写真機)である。
ピンホール(針穴)であることが大事で、このおかげで手前から無限遠にまでピントが合うのだ。
その代償として、非常に暗い画像しか見えないので、対象物は相当明るいもの(あるいは明るく照らされたもの)でなければならない。
カメラでいう、F値が大きな、『暗い』レンズにあたる。
もしもF値を小さく(明るく)しようとするなら、ピンホール部分を切り抜いて、コインくらいの穴にすればいいが、そうすると今度はピントがどこにも合わず、何も写らない。
そこでレンズの出番である。
とりあえず虫めがね(凸レンズ)を穴に取り付けることで、一応画像が映るようになる。
が、パンフォーカス(手前から無限遠にまでピントが合った状態)にはならず、特定の距離にしかピントが合わない。
そのため、箱を二重にして、すりガラスの面を前後に移動(レンズからの距離を変えられるようにする)することで、ピント位置の調整ができるようになるわけだ。
これを発展させていったものが写真機である。
像が倒立にならないよう、複数のレンズを合わせる。
広角・標準・望遠と、いろいろな焦点距離のレンズを作る。
そして、すりガラスの部分に感光板を置けば、写真機の完成だ。
もちろん、現代日本で使われているカメラには及ぶべくもないが、必要な機能は持っていることになる。
今は感光板を開発中、というわけである。
* * *
さて、『フジ』は、さらに高度を上げつつある。
「およそ1500メートルだ」
「夏ならいい上昇気流が出そうな場所ですが」
この場合の上昇気流とは『サーマル』とも呼ばれる『熱上昇気流』のことである。
温まって周囲より軽くなった空気が上昇するもので、その上辺には積雲(綿雲)や積乱雲(入道雲、雷雲)ができる。
積乱雲を作るような熱上昇気流は上空1万メートルにも達する。
このサーマルのエリアは、空気そのものが上昇しているため、労せずして高度を上げることができるのだ。
ただし積乱雲の下では降雹や落雷が起きやすいので要注意である。
これ以外にも『斜面上昇流』といって、山の斜面に風がぶつかって上昇していく気流もある。
これらは主に滑空機で活用される。
「2000メートルくらいです」
「まだ足りないな」
コクピットから見える『北の山』は、まだ『フジ』よりも高い。
手前の山……『前衛』は2000メートルクラスなので、そろそろ越えられるが、その奥にそびえる7000から8000メートル級の山々が手強いのだ。
今、『フジ』は緩やかな螺旋軌道を描きながら上昇していた。
これは、必要以上に速度を落とさないためであり、飛行の安定性を重視した方法である。
旋回1回につき100メートル高度が上がる。
時速はおよそ200キロ、旋回1回には1分程度。
つまりその上昇速度は、1分で100メートル、10分で1000メートル。
その後の30分で『フジ』は高度4000メートルに達した。
高度が上がるほど空気が薄くなったため、1回の旋回における上昇量が減じたためこの値となった。
「4000メートルだ。気圧の影響はなさそうだね」
「ああ。与圧されているから、機内は問題ないな」
「寒くないかい?」
「それも大丈夫だ」
ハルト式エアコンがあるから、とアキラは笑った。
「あと1000メートル上昇するのに30分くらいは掛かると思う」
「やはり上昇限度が近くなると上昇しづらくなるんだな」
「そうなんだよ」
アキラの質問に、残念そうに答えるハルトヴィヒ。
レシプロエンジンではないので、エンジンの出力と気圧は関係しないが、プロペラ推進であるため、気圧が減ると効率が落ちてしまうのだ。
空気抵抗も減るが同時に揚力も減ってしまうため、プロペラ機での上昇限度は8000メートルくらいと言われる、が、これは現代日本での話で、まだまだ発展途上なハルトヴィヒたちの飛行機には当てはまらない。
「そうなると……可変ピッチプロペラが有効かな?」
「なんだい、それ? ……言葉から察するに、プロペラのピッチ(ひねり角)を変えられるように……ああ、そういうことか」
さすがハルトヴィヒ、自分で気が付いたようだ。
「高高度ではピッチを増やそうというわけか。……それだけじゃないな……」
機体が静止している状態での固定ピッチプロペラは、回転すると側方からの空気抵抗のみを受けるが、機体が前進している時には前方向からの風圧も受けることになり、効率が変わってしまう。
このため、離陸時と巡航時では最適な角度が異なるため、ピッチを変えられることが望ましい。
「『携通』によれば、双発機の場合、もしも片側のエンジンが停止した場合に、ピッチを変えて空気抵抗を小さくすることもできる」
「ああ、なるほどな。この『フジ』には有効だね」
そんな技術談義をしながらも『フジ』は上昇を続けていく……。
* * *
そして、今の『フジ』が上昇できる限界の高度5000メートルに。
「この高度からなら、北の山の様子も少しは分かるだろう」
「うん、わかるな」
空気が澄んだ快晴の日なので、遠くまでよく見えている。
だが、2つ山向こうには、だいたい最低でも5000メートルクラスの山脈が連なっていたのだ。
「あとちょっと上がれれば、もっとよくわかりそうなんだが……」
「やってみよう」
ハルトヴィヒはエンジン出力を最大に上げ、さらに高度を上げていく。
「長時間は無理だが、なんとかなるだろう」
製作者にしかできない『無理』を機体に強いて、ハルトヴィヒは更に『フジ』の高度を上げていった……。
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次回更新は2025年5月10日(土)10:00の予定です。




