第二十四話 冬はもうそこまで
ド・ラマーク領は霜が降りる初冬となった。
「今年の養蚕も全て終わったな」
「はい、旦那様」
「蚕室の掃除と消毒はきっちりと行ってくれよ?」
「お任せください」
養蚕で最も気を付けねばならないのが病気の蔓延である。
病原菌は厄介なのだ。
目に見えないがゆえに、気が付きにくいから。
「あとはネズミに注意だ」
「はい」
ネズミもまた、養蚕の大敵である(養蚕に限らないが)。
蚕室の隙間、板の破れ目などから入り込み、害をなす。
特に冬は養蚕を行わないため、目が行き届かなくなりがちなのだ。
本能的に寒さをしのぐために屋内に入り込もうとするから、始末が悪い。
さらに、貯蔵庫の米や麦も食い荒らすため、要注意である。
「キツネはいるんだよな?」
キツネは野ネズミを捕食する肉食獣だ。
が、アキラはこれまで、2、3度しか見かけていない。
「はい、奴らは夜行性なので、旦那様はあまり目にされないのでしょう」
「そういうこともあるか」
北海道のキタキツネのように人間に慣れた個体もいないので、まず人前には出てこないと言う。
「ああ、そうだ。キツネは病気を持っている、なんて話はあるのかな?」
「いえ、特に聞きませんね」
「そうか、それならいい」
アキラが気にしていたのは『エキノコックス症』である。
『エキノコックス症』とはエキノコックス属条虫の幼虫による疾患である。
人体の各臓器……特に肝臓、肺、腎臓、脳などで発育し、諸症状を引き起す。
成虫に感染しているキツネ、イヌなどの糞便内の卵を経口摂取することで感染する。
つまり生水をそのまま飲むのは危険である。
0.1ミクロンオーダーのフィルターを持つ『浄水器』を通すか、煮沸するかしないと危険である。
これに関しては、この世界ではあまり心配はいらないようなのでほっと一安心である。
そういえば、『住血吸虫』もいないんだったな……と思い出すアキラであった。
* * *
そんなド・ラマーク領から遠く離れた、ゲルマンス帝国ハイリンゲン地方。
言わずと知れた、リーゼロッテの実家。
「まあ、ロッテの小さいころそっくりね!」
「でも目の色は父親似なのね」
リーゼロッテの2人の姉——ソフィーネ・フォン・アッヘンバッハとイリスヴェル・フォン・ランベルトがヘンリエッタをあやしながら呟いた。
ソフィーネは3女、イリスヴェルは4女。
2人とも近隣に嫁いでいるので、妹が里帰りしてきたと聞いて遊びにやってきたのである。
そして小さな姪っ子にめろめろになっているのであった。
「もううちの子たちは反抗期なのか、なかなか言うことを聞いてくれなくてねえ」
「うちの子はもうみんな大きくなって手が掛からなくなって寂しいのよ」
2人とも10代で嫁いでいったので、やや晩婚だったリーゼロッテの娘ヘンリエッタは、しばらくぶりに見る小さな子供だったわけだ。
「お姉様方、お茶にしましょう」
「まあ、それが噂の『桑の葉茶』ね!」
「少しだけ送ってもらった物を飲んだけれど、後口がさっぱりして美味しかったわ」
久しぶりの実家で、両親や姉たちとの語らい。
リーゼロッテは和やかな里帰りの日々を過ごしていた。
* * *
そしてガーリア王国首都パリュでは、新型機『フジ』の改造が済んだところであった。
「断熱性アップ、空調の強化は終了だな」
「細かい部分の改良も済みました」
回転部分のすり合わせや、摺動部分の隙間調整、エンジンやプロペラのバランス取り。
それらを最適化した結果、2パーセントの効率アップに成功。
断熱材を追加した分の重量増加の影響を補っておつりが来る。
「あとは魔力の残量計か……」
「なかなかいいアイデアが出ませんね」
「まあ今のところ、丸2日飛んでも魔力切れは起こさなかったけどね」
「その点は『帝国』のおかげもありますね」
「そうだな」
彼らが話題にしているのは、ゲルマンス帝国との技術提携で得た新技術の1つで、『魔力凝集機』のこと。
空間に存在する魔力を凝集し、タンクに貯めてくれるもの。
術者が充填するよりは効率が劣るが、空を巡航速度で飛んだ際に消費するのと同程度の魔力を集めてくれるようなのだ。
つまり、巡航速度で飛んでいる限りは魔力タンク内の魔力は増えも減りもしないということである。
「魔力計ができれば、『魔力凝集機』を増やしたほうがいいのかどうかがわかるんだがな」
船や自動車なら重量に余裕があるので、2基3基余分に搭載することも可能だが、飛行機の場合はできるだけ重量を減らしたいため、無闇矢鱈に搭載数を増やすというわけにはいかないのだ。
何しろ『魔力凝集機』は1基でおよそ50キログラムもあるのだから。
「とりあえず、来週にはこれでド・ラマーク領へ行くことになる」
その時にアキラと相談してみれば、また何かアイデアを思いつくかもしれない、とハルトヴィヒは言った。
「ド・ラマーク領ですか……」
「もう届け出は出したし、向こうに連絡もしているからな」
今のところ、確実な連絡手段は早馬と伝書鳩、それに人である。『電信』はあともう一歩、といったところだ。
飛行機については、試験的に飛行機による定期便を飛ばし、手紙をはじめとした軽い荷物をやり取りすることは検討されている。
「そのためにも、この『フジ』をもっと改良しないとな」
『フジ』は一品物であるが、これをベースにした量産機は検討中だ。
なにしろ、今現在最も完成度が高く、安全性も高い飛行機なのだから。
「うまくいけば、王族を乗せる専用機も作ることになるかもしれませんしね」
「そうだな。だがそれはもっともっと安全性の確認ができてからだ」
これまで、大きな事故は1つもなかった。
だがそれは、ハルトヴィヒが目を光らせていたこと、航空機の数が少なかったこと、そして運がよかったこと、などのおかげであろう。
アキラから、地球における飛行機事故について聞いているハルトヴィヒは、けっして楽観することはなかった。
「まずは一歩一歩、前進しないとな」
そのためにも、『フジ』をアキラに見てもらい、さらなる改良をしようと考えるハルトヴィヒであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は2025年3月22日(土)10:00の予定です。
20250507 修正
(誤)本能的に、寒さをしのぐために屋内に入り込みがちであるから、始末が悪い。
(正)本能的に寒さをしのぐために屋内に入り込もうとするから、始末が悪い。




