第十八話 それぞれの夏の終わり
ド・ラマーク領の短い夏は駆け足で過ぎ去ろうとしている。
朝起きれば草むらに露が降りており、こころなしか夜明けも少し遅くなった。
それ以上に、日の入りが早くなったことを感じられる。
「秋の日はつるべ落とし、っていうからなあ」
「面白い言い回しですね。確かに、井戸に釣瓶を落とすと一気に下がっていきますものね」
「うん。……それに加えて、夜明けってまだ寝ているから、日の出の時刻が遅くなってきたことを実感するのが遅れるんじゃないかと思う」
「ああ、起きる時刻が暗いことに気が付いてはじめて、日の出が遅くなった、と感じるということですわね」
「そうそう」
「面白い考察ですね」
アキラとミチアはそんな他愛ない会話をしながらも、クワの葉を刻む手を止めない。
この刻んだクワの葉は、乾燥させて『クワの葉茶』にするのである。
糖尿病や高血圧の予防、血中脂肪の抑制に効果があると言われている。
ただし、薬ではないので劇的な効果が出るわけではない。
毎日飲み続けることで優しい効果が出てくる、というくらいのものだ。
とはいえアキラ一家は毎日1杯ずつ飲んでいるおかげか、皆健康である。
同様に、ド・ラマーク領内も、アキラによる公衆衛生の指導により、健康状態は良好に保たれていた。
* * *
王都では残暑の日々が続いているが、ハルトヴィヒたちのチームは順調に作業を進めている。
「あと少しで完成だね」
「はい、先生」
「『ファウラーフラップ』の信頼性を確保するのが一番大変でしたね」
「そうだね。揚力アップの要だから、信頼性は最重要だったから」
短距離離着陸機的な性格を持たせるためにも、『高揚力装置』は必要不可欠。
中でも『ファウラーフラップ』による効果は大きいのだ。
その信頼性を高めることは、安全性の確保に直結する。
何百回という動作試験、負荷試験を経て、完成した『ファウラーフラップ』の動作機構。
念入りにチェックしつつ組み立てていく技術者たち。
完成はまもなくである……。
* * *
王都郊外にあるジュラルミン工場。
「今日もド・ルミエ領からアルミニウムのインゴットが届いたぞ!」
「だいぶ溜まったな」
「ジュラルミンの生産が追いつかないほどだ」
「その点は大丈夫。まもなく工場が増築されるそうだから」
「おお、それはいいな。少しは楽になるだろう」
王都におけるジュラルミンの生産も軌道に乗っていた。
ここで作られたジュラルミンは航空機および自動車工場に優先して回されることになっている。
また、今後、一部はアルミニウムとして日用品に使われる予定だ。
ジュラルミンが『ゲルマンス帝国』に輸出される日は遠くないかもしれない……。
* * *
「ううん、この『ジュラルミン』はいいですねえ!」
自動車技術者のトップ、ルイ・オットーは今、ジュラルミンのインゴットを前に、笑みを浮かべていた。
「加工が難しいことが難点だけれど、車体重量を軽くできるメリットのほうが大きい。……さて、どの部品に使うのがいいか……」
車体全てをジュラルミンで作るのは現実的ではない。
量産化が始まったとはいえ、ジュラルミンの単価は、同じ体積(重さではない)の鉄鋼の5倍もするのだ。
王家専用、といった特注品ならともかく、量産品に使うにはまだまだコストが掛かりすぎる。
「乗り心地優先なら……ばね下を優先するため、ホイールかな……」
いろいろと考えるルイ・オットーであった。
* * *
さて、ド・ラマーク領では土木技術者ティーグル・オトゥールが、水路を引く前準備として地質調査を行っている。
地形的には一定の勾配を保つことを要求されるが、工事に大きく影響するのは地質なのだ。
水はけがよすぎると、水が染み込んでしまい、途中で水が枯れることさえある。
その場合は水路の底に石を敷き詰めたり粘土質の土を混ぜたりする方法があるが、それでは工数が増え、工期が長引き、費用もかさんでしまうのだ。
かといってそうそう理想的な地質があるはずもなく、いたずらに水路をくねらせればこれもやはりコストアップになる。
『できるだけ理想に近い条件』と言えば聞こえはいいが、要は『妥協のしどころ』を探すわけである。
ティーグル・オトゥールは数日掛けて現地を歩き回りながら、地形と地質を確認していった……。
* * *
ド・ルミエ領は、空前の好景気に沸いている。
ボーキサイト鉱山は右肩上がりに採掘量が増えているし、その坑夫も高待遇のため、増え続けている。
そんな坑夫を目当てにした、食事のための露店も出ているし、最近では有料の入浴施設もできた。
もちろん、飲酒をはじめとする娯楽施設も増えつつある。
「賑やかなのはいいことだが、アキラ殿に言われたように、野放しにするのは危険であるな……」
アキラがフィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵に注意したのは、日本における炭鉱とその末路である。
「『携通』で見せてもらった鉱山の、掘り尽くした後の凋落は目を覆うような衰退ぶりであったな……」
アキラが見せたのは『石炭』を産出していた炭鉱の様子である。
石油に置き換わっていったことや鉱脈を掘り尽くしたことなどで閉山を余儀なくされ、それに伴って栄えていた町が廃墟と化す。
ド・ルミエ領をそんな目に合わせたくないなと、前侯爵は気を引き締めるのだった。
「それから『鉱毒』にも注意せねば」
こちらでは魔法による精錬なのでほぼ安全であるが、安心はできない。
本来地表にはない鉱石が掘り出されたことで、環境にどんな影響が出るかわからないからだ。
例として、鉱山から鉱石を運び出すトロッコ。
その敷石に、掘り出したクズ石を使うことは禁止されている。
どんな有害物質(ヒ素やカドミウムなど)が含まれているかわからないからだ。
たとえば黄鉄鉱。正六面体をした金色の結晶で有名だが、水と酸素があると硫酸ができてしまう。
(2FeS2(黄鉄鉱)+7O2(酸素)+2H2O(水)→2FeSO2(硫酸鉄)+2H2SO4(硫酸) が化学反応式である)
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、か……」
先人の失敗に学び、自らの行いを戒める前侯爵であった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は2025年2月1日(土)10:00の予定です。
20250125 修正
(誤)短距離離着陸機的な正確をもたせるためにも、『高揚力装置』は必要不可欠。
(正)短距離離着陸機的な性格を持たせるためにも、『高揚力装置』は必要不可欠。
(誤)(2FeS2(黄鉄鉱)+7O2(水)→2FeSO2(硫酸鉄)+2H2SO4(硫酸)
(正)(2FeS2(黄鉄鉱)+7O2(酸素)+2H2O(水)→2FeSO2(硫酸鉄)+2H2SO4(硫酸)




