第七話 始動の春
虫の描写注意です
ド・ラマーク領ではクワの若葉が芽吹き、いよいよ養蚕の季節がやって来た。
そこでまずは『種紙』を用意。
『種紙』とは、和紙や麻の布に蚕の卵を産み付けさせたものである。
蚕の卵は、寒冷に保たれている貯蔵庫から常温の『蚕室』に移されると、およそ2週間掛からずに孵化する。
『蚕室』はハルト式エアコンにより、温度は摂氏25度、湿度は70から75パーセントほどに保たれる。
この条件下だと10日ほどで孵化する(春の室温では2週間)。
孵化する3、4日前になると、卵に青い点が生じる。これを点青期という。
これは頭が先に着色するので、その部分が青く見えているのだ。
孵化の1、2日前には全体が青くなり、催青期と呼ぶ。
蚕の孵化時期を揃えるコツとしては、いくつかある。
卵の中で幼虫は明暗を感じているので、夜中に明かりをつけたりすると昼夜が分からなくなって孵化時期がズレやすくなる。
従ってなるべく昼は明るく、夜は暗くなるような所で卵を保護することが1つ。
さらに一斉に孵化させるためには、明暗のはっきりした場所で保護すればよい。
具体的には、卵がすべて催青卵になった日の夕刻、遮光して卵に光が入らないようにする。そして翌々日の朝、卵に光を当てると一斉に孵化する。
昔は黒い布で包んで遮光したことから、一晩包むのを『一夜包み』、三晩包むのを『三夜包み』と呼ぶ。
二晩包めば当然『二夜包み』である。
アキラたちはこの『二夜包み』を行っていた。
「さあ、明かりを入れるぞ」
アキラはそう言って木箱の蓋を取った。
黒い布ではなく木箱に入れて遮光していたのである(湿度が上下しすぎないよう木製の箱が望ましい)。
『養蚕の1年』の始まりのこの作業だけは、領主になった今でも変わらずアキラが手ずから行っている。
「クワの葉も摘んであるな?」
「はい、旦那様」
「よし」
孵化したばかりの幼虫、『毛蚕』が食べやすいようクワの若葉を細かく刻んでおく必要があるのだ。
幼虫が孵化したなら、その『毛蚕』を蚕を飼育する『蚕座』へ移して飼育を始める作業が始まる。
細かく刻んだクワの葉をばら撒き、そこへ幼虫が乗り移ったら、そっと羽箒や筆で掃き下ろす。
これを『掃立』という。
「そうだ、そっと移してやってくれよ」
「へえ、旦那様」
作業の様子を見回るアキラ。
職人たちはもう皆ベテランで、アキラが指導する必要はほとんどない。
が、やはり心配になって時々口を挟んでしまうアキラなのだった。
この日から、蚕の食欲を満たすためにクワの葉採取が始まる……。
* * *
王都では、『ジュラルミン』を使った飛行機の設計が進んでいた。
「やはりなんといっても、大型化に対応できるのは大きいな」
「そうですね、先生」
翼長や全長の最大長が10メートル以下であれば、木材でもまだ対応できているのだが、量産が進むと対応できなくなるのは、地球の歴史を見ても明らかである。
それは航空機に限ったことではなく、『大航海時代』……中世、『七つの海』へと人類が乗り出した時も、船舶の大型化と量産に伴って、『竜骨』と呼ばれる構造材……船底中央を縦に、船首から船尾にかけて通すように配置される強度部材……を作るために、巨木が枯渇したという歴史がある。
短い木材を繋いでいったのでは、(当時の技術では)強度的に不安があったのだ。
だが金属であればその心配はない。
製造方法を工夫すれば、20メートルを超えるような長い部材も作れるし、『溶接』により、強度をほとんど低下させずに短い部材を繋いでいく方法も取れる。
船にせよ航空機にせよ、金属素材の導入は、大型化に不可欠なのだ。
加えて、重量に対する要求がシビアな分、航空機にはジュラルミンをはじめとしたアルミニウム合金が必要不可欠である。
「この設計はなかなかいいな。長さが必要な部材を優先してジュラルミンで作り、木材で済む部分は木材でいくわけか」
「はい、先生。その後、順次ジュラルミンに置き換えて行けば、最終的には全金属製の飛行機ができあがります」
「そういうことになるな。問題は外板か」
「はい。これもジュラルミンにしたいですが、さすがに供給が間に合いません」
「だなあ……」
そこで今、テストを進めているのが『シェラック』による布の目止めである。
「多少目が粗くても効果があるな」
絹ではなく、麻の薄い布でも空気を通さない外板になる。
その上、固まったシェラックはアルコール以外の溶剤に溶けないため、潤滑油が付着しても大丈夫なのが強みだ。
油汚れはアルコールではなく石鹸で落とすことになる。
こうした『新素材』を使った量産機は『ヒンメル4』……ではなく、『エトワール1』と呼ばれることになった。
ちなみに『エトワール』とはガーリア古語で『星』の意味である。
* * *
「うーん、やはり『ばね下』が軽いと、乗り心地がよくなるな……」
今や『自動車開発部門』の主任技師となったルイ・オットーは、どうにか実験用のアルミニウムを入手することができたので、いろいろと実験を行っていた。
その1つに、『乗り心地の改善』がある。
乗り心地を左右する大きな機械的要素は『サスペンション』である。
サスペンションによって支えられている車体全体を『ばね上』と呼び、サスペンションが取り付けられている車軸と車輪をひっくるめて『ばね下』と呼ぶ。
人が乗るのは『ばね上』であり、路面に接しているのは『ばね下』である。
路面の凹凸は車輪を通して車軸に伝わり、さらにサスペンションを介して車体に伝わる。
つまり『ばね下』は凹凸に追従しやすいこと、そして『ばね上』は上下に動きにくいことが望ましい。
『慣性の法則』により、『ばね上』は重いほど動きにくくなるが、限度を超えて重くすると、自動車全体の重さが増して性能ダウンに繋がる。
そこで『ばね下』である。
車輪は路面の凹凸や段差に直接さらされ、車軸は車体の重量をすべて受け止める関係上、どちらも強度が必要になる。
従って、必然的に重くなりやすく、追従性が悪くなるのだ。
ここに、軽くて丈夫なアルミ合金を使えたら……というのがルイ・オットーの目算であった。
「速度が増せば、同じ段差でも受ける衝撃は大きくなるから、木製では限度がある」
かといって、鉄製にすると重くなってしまう。
「駆動輪だって、軽い方が効率がいいはずだし」
そう考え、ジュラルミンをホイールに使いたいと考えているのだ。
「とはいえ、もう少し先になるか……」
ガーリア王国内にはアルミニウムの鉱石であるボーキサイトの鉱山がないため、当面は輸入に頼らざるを得ず、その輸入した分は航空機部門がほぼ全部を必要としている。
優先度を考え、仕方がないなと小さく溜息をついたルイ・オットーなのだった。
だが近い将来、思わぬ発見があることを、今のルイ・オットーは知らない……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は11月9日(土)10:00の予定です。
20241102 修正
(誤)これは頭が先に着色するので、その部分が青く見えでいるのだ。
(正)これは頭が先に着色するので、その部分が青く見えているのだ。




