第二十六話 リーゼロッテの失敗と成功と
リーゼロッテは、鉛蓄電池用の正極を作るため、試行錯誤をしていた。
酢酸中に溶け込んだ鉛イオンから二酸化鉛を析出させるために、陽極には白金の網を使った。
だが、陰極の材質が不明だったので、銅、鉛、白金の3つを候補として挙げ、まずは銅板で実験を開始したのである。
電源は出来上がったばかりの発電機だ。
「よいしょ、よいしょ」
発電機のハンドルを回すと電気が起きる。アキラから何度も説明を受けたリーゼロッテは、電気についてかなり理解を深めていた。
「こっちがプラスでこっちがマイナス。溶けた金属はたしかプラスだから、マイナス側に吸い寄せられるのよね」
この場合の溶けた金属というのは金属イオンのことだ。
「で、一酸化鉛は……あああ、わかんないわっ!」
悩むリーゼロッテ。
無理もない。化学の基礎もできていないというのに、高度な化学反応をさせようとしているのだから。
「とにかく、いろいろやってみるしかないわ」
どちらかというとリーゼロッテは直感で物事を捉えるタイプで、地道な研究は苦手としている。天才肌と言ってもいいかもしれない。
そして今、リーゼロッテは、地球における『錬金術師』のように、勘と経験に任せていろいろな組み合わせを試し始めたのであった。
この方法の問題点は、再現性がひどく悪いということに尽きる。
定性的であり、かつ行き当たりばったりなので、偶然性に左右されやすい。
行き詰まってしまったリーゼロッテは今、そんな実験のやり方をしていたのだ。
「うーん……これってできたのかな?」
いつの間にか白金電極が真っ黒になっている。
「二酸化鉛って黒いって話だったわよね」
走り書きのメモを確認すると、そのとおりであった。
「……これがそうだとして……まずいわ、どうやって作ったのかわからないわ!」
求めるものができたらしいと知り、頭に上った血も少し下がり落ち着きを取り戻すと、いかに非効率的な実験をしていたかに気付き、恥ずかしくなるリーゼロッテ。
(雇われて仕事をしているというのに、これはなかったわ……)
少なくとも何と何をどのくらい混ぜたのか、記録しておくべきだった、と反省するが時既に遅し。
だが、おそらく求めるものはできあがった。
目の前には、いろいろなものをぶち込んだため、3リットルほどにもなってしまった溶液がある。
「……この謎溶液に電極を入れて電流を流せばいいのよね?」
自分で『謎溶液』と言ってしまうあたり、彼女は自嘲気味である。
「とりあえず、作れるだけ作ってしまいましょう」
開き直ったリーゼロッテは、用意してある白金電極を使い、次々に二酸化鉛らしき物質を析出させていった。その数、10枚。
さすがに10枚目ともなると、析出に時間が掛かり、発電機を回す腕もだるくなったが、なんとか要求に応えることはできるだろうと、リーゼロッテは胸をなで下ろす。
と同時に、学問を修めたものにあるまじきやり方を反省もした。
「この溶液は厳重に保存しましょう」
おそらくはあと2〜3枚くらいは二酸化鉛を析出させられるだろうと思われた。
それでリーゼロッテは、水晶製の容器4つに溶液を分けて保存することにしたのである。
「運がよければ、この謎溶液に鉛を溶かし込んでまた電極を作れるかもしれないわ」
ほっと溜め息をつくと、リーゼロッテはどっと疲れが出て、へなへなと椅子にへたり込んだのである。
* * *
「リーゼ、どうだい?」
そんな時、ハルトヴィヒが様子を見にやって来た。アキラも一緒だ。
「あ、ハル……」
「ど、どうした!? 何か失敗でもしたのか?」
いつも快活なリーゼロッテが萎れているので、ハルトヴィヒはびっくりして尋ねた。
「失敗……うん、失敗ね。学問を究めようとする者にあるまじき行為をしてしまったわ……」
「え!? いったい何があったっていうんだ?」
リーゼロッテを気遣うハルトヴィヒ。アキラも心配顔だ。
そのアキラは、実験机の上に10枚の二酸化鉛らしき網状の板が載っているのに気が付いた。
『らしき』というのは、アキラも見ただけではそれが何であるかわからないからだ。
「これは……もしかして極板かな? リーゼさん、できてるじゃないか!」
「何? ……《アナリーゼ》……鉛、と、酸素? リーゼ、やったな!」
アキラの言葉を聞いたハルトヴィヒが解析を行うと、その極板は鉛と酸素の化合物であることがわかる。
一酸化鉛はこんな黒い色をしていないから、消去法で二酸化鉛だろうと見当を付けた。
求めるものができたのだから成功である。
* * *
「……で? 何を落ち込んでいるんだ?」
場所をアキラの『離れ』へ移して、3人はミチアの淹れてくれたお茶を飲んでいる。
「あのね、実は……」
大分落ち着いたリーゼロッテは、どうにもうまく行かないので半ば自棄になって、用意した試薬を適当に配合した結果、偶然にもうまくいった、と白状した。
「なるほどなあ……リーゼが落ち込むのもわかるよ」
ハルトヴィヒは腕を組んで頷きながら、リーゼロッテに優しげな目を向けた。
そこに、ミチアが発言をした。
「ええと、私にはよくわからないんですけど、『謎溶液』? ですか? ……それを解析して同じものを作るってできないんでしょうか」
「あっ」
「……」
「……できそうね」
「うん、できそうだな」
少なくとも行き当たりばったりに調合して同じ溶液を作ろうとするよりはずっと合理的だ。
「解析には、それを使う者も知識を要求される。今はその謎溶液は保存しておいて、僕らの知識がもっと増えてから解析をやり直すことにしようじゃないか」
ハルトヴィヒが結論を述べた。
鉛蓄電池を作る上で必要な極板は10枚用意できているので、それほど焦る必要はないわけだ。
「……うん、そのとおりね。もっともっと勉強するわよ!」
「お、ようやく元気が出てきたな。それでこそリーゼだ」
ハルトヴィヒに言われたリーゼロッテは少し頬を染めながら、
「みんな、ありがと」
と、小さな声で礼を言ったのだった。
* * *
「これを、こうして」
アキラが指示をし、ハルトヴィヒが組み立てていく。
「電極の間には、ショートしないようにスペーサーを挟んで」
それを見つめているのはリーゼロッテとミチア。
組み立てているのはもちろん『鉛蓄電池』。
ハルトヴィヒは4セット分のケースを用意していたので、今組み立てたのは当然4個。
「これで、あとは希硫酸を入れるだけだ」
それは、まだ手に入っていないので不可能だ。
次に商人…… Thomas・Laurentが来るまでは。
「だが、ここまでできれば上出来だな」
アキラがほっと溜め息をついて言った。
「あんな荒っぽい充電を何度もしたくないからね」
今のところ、アキラの『携帯通話機』(携通)は、あと数時間は使えそうなので問題はない。
だが、電池切れとなっても、もう一度充電するつもりはなかった。
おそらく電圧が荒っぽく上下しているような充電は、『携通』の回路に大きな負担を掛けていることだろう。
アウトドアでも使えるモデルだったため、若干大きい(厚みが厚く、重い)分、機械的にも電気的にも丈夫にできている。
それゆえ乱暴な充電に踏み切ったのだが、必要最低限な情報が得られた以上、同じ充電を繰り返すつもりはアキラにはなかった。
「まあ、今使える分だけで、半月や一月は暇になりようがないほどの情報が得られるはずだ」
アキラはそう言って、電源を落として机に置いてある『携通』を見つめたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月2日(土)10:00の予定です。
20180527 修正
(誤)「何? ……《アナリーゼ》Analyse……
(正)「何? ……《アナリーゼ》……
20190105 修正
(誤)煮詰まってしまったリーゼロッテは今、そんな実験のやり方をしていたのだ。
(正)行き詰まってしまったリーゼロッテは今、そんな実験のやり方をしていたのだ。




