第十九話 あと少しで
『絹屋敷』の庭に降りる朝露が『爽やか』ではなく『冷たく』感じられるようになり、木々の色付きも深まってきた。
『晩秋蚕』も5齢となり、聞こえる『蚕時雨』も賑やかだ。
「そういえば『時雨』って秋じゃなくて冬の季語だっけな……?」
『携通』の情報を(ミチアが)書き写した小冊子をめくって確認するアキラ。
「ああ、やっぱりそうだったな。じゃあ秋はなんだっけ……『村雨』かな?」
村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
という歌が百人一首にある。
なので『村雨』は秋の季語と思われがちだが、実は『無季』あるいは『夏』なのだという(携通調べ)。
これは『村雨』=『夕立』というイメージからだそうだ(携通調べ)。
閑話休題。
「そろそろ『蔟』の用意だな……」
5齢幼虫、つまり次の段階は『繭』を作るわけなので、その準備に取り掛からなくてはならない。
今や100人体制での飼育なので、準備一つをとっても大変なのである。
だが、アキラは1人ではない。
信頼できる大勢の職人たちが、飼育を担当しているのだから。
「今年最後の繭になる。油断をせず、衛生面に気をつけて『蔟』を設置してくれ」
「わかりやした」
『蔟』は、蚕が繭を作るための部屋である。
ちょうど1つの繭を作れるくらいの格子状の区切りが多数並んだ箱のことだ。
そして蚕は高い場所に繭を作ろうとするので、繭の位置が偏らないよう、重さで回転する『回転蔟』が使われている。
これなら、繭が多い部分が下に下がるので、満遍なく繭の位置がばらけることになる。
ここ2日ほどは、各蚕室は慌ただしくなるであろう。
* * *
王都の技術者たちもまた、忙しい日々を過ごしている。
「ようやくキャビンの与圧の目処が立ったな」
「ゴムパッキンの整形がうまく行きましたね」
「うん、それから圧力ポンプと、減圧バルブもな」
いずれも空気漏れ厳禁の部品あるいは器具である。
隙間を塞ぐため、弾力性のあるゴムを使うわけだが、それとて限界はある。
元の工作精度が低かったら、空気漏れを防ぐのは難しいのだ。
つまり、工作精度が上がったおかげで気密性を確保できるようになったというわけである。
「ピトー管の方はもう少し掛かりそうです」
「仕方がないな……簡易速度計の方も進めてくれ」
「はい、先生」
『簡易速度計』とは、技術者の1人シャルルが考案したもので、一言で言えば『風力計』である。
『風車』もまた、風によって回転するので、その回転数を検出し、風速に換算するわけだ。
電子計算機はないので、完全なアナログである。『大体このくらい』がわかる程度の精度しかない。
とはいえ、これまでのオープン型の操縦席だった時は、肌に当たる風と目視とで飛行速度を感じ取ってスロットル調整をしていたのだから、それに比べれば格段の進歩である。
もちろん、ただの風車を使うわけではない。
歯車機構を使って回転数をぐっと落とし、目で追える程度の回転数にしているため、慣れればぱっと見で速度を感じ取れるのだ。
当然誤差も大きいが、ないよりはマシである。
そしてこの誤差を小さくする工夫や、速度を読み取る工夫も日夜研究されていた。
* * *
ルイ・オットーが主導する『自動車』の開発も軌道に乗っていた。
小型……2人乗りの自動車が、馬車に代わるパーソナルコミューター(個人用移動手段)として、富裕層を中心に普及し始めたのだ。
さすがに貴族は、護衛や執事、侍女など使用人を連れて行くことのできないほど小型のものにはあまり興味を示さなかったが、6人くらいまで乗れる中型のものを中心に所有者が増えてきていた。
そして、それとともに『エンジン』をはじめとした工業製品の精度と製造速度が向上。
これが飛行機開発にもいい影響を与えているのである。
「旧型のエンジンを再整備し、調整し直したところ、15パーセントほど出力が向上しましたよ、先生」
「うん、いいことだ」
工業力の向上は、飛行機製造にとり欠かせない要素である。
そもそも、地球における飛行機の歴史を見ると、1903年にライト兄弟が初の有人動力飛行を成功させた後、『より速く』『より高く』『より遠く』へ飛べるよう改良が続けられている。
その甲斐あって6年後の1909年、ブレリオⅪが世界で初めて英仏海峡を横断飛行している。
さらに1912年、木造モノコックの滑らかな胴体と単葉主翼を組み合わせたドペルデュサンレーサーが時速209キロを記録している。
そして第1次世界大戦となり、飛行機は軍事産業として飛躍的な進歩を遂げるわけだ。
そんな10年あまりの発展段階を、ハルトヴィヒたちは1年ちょっとで超えてしまったのである。
これにはもちろん、アキラが持つ現代知識と『携通』の情報、そしてハルトヴィヒのセンスと魔法の恩恵が土台としてあったことは言うまでもない。
それでもまだ、『安全に』高山越えをするには不足があった。
1910年にホルヘ・チャベスがブレリオ単葉機……ブレリオ XIでアルプス越えに挑み、着陸直前に機体の破損により墜落したことは飛行史上有名である。
この時に越えたシンプロン峠の標高は2008メートルである。
このチャベスは、同じブレリオ機でのフランスのイシ・レ・ムリノー上空の飛行で高度記録を2652メートルまで上昇した記録を持つ。
しかし、この値では、アキラとハルトヴィヒが目指す『北の山越え』にはまだまだ足りないのだ。
チャベスの3年後つまり1913年、オスカー・ビーダーは入念な準備の末、ユングフラウヨッホをはるかに超える高度3600メートルを飛行し、アルプス越えを成功させている。
これもまた改良型のブレリオXIであったという。
このブレリオXIは、当初は22〜25馬力のエンジンで最大速度は時速58キロ程度であったが、その後70馬力の空冷ロータリーエンジンを搭載した複座型のものもある。
「我々は5000メートル以上を目指すうえ、失敗はしたくないからな」
「そうですね、先生」
ハルトヴィヒの言葉に、弟子の技術者、アンリ・ソルニエも頷いたのである。
今の『ルシエル1』の性能は、最高到達高度約3500メートル、最高速度は時速200キロメートル。
目標は高度5000メートル、時速300キロメートルだ。
「あと少しで目標値だ。来年には、夢が叶う」
そう呟いたハルトヴィヒは、はるか遠い北の空に思いを馳せていた。
* * *
そして、帝国……。
10機目の試作機も失敗。
滑走後、30センチほどのジャンプをしただけで主翼が折れ曲がってしまったのである。
「うむむ……」
「この図面には根本的な問題があるのではないでしょうか」
帝国の技術者が参考にしているのは、過去の異邦人が描いた飛行機のラフスケッチである。
アキラがそれを見たら『セスナ機かな?』と言うであろうか。
帝国に残っているのは、デザインと、異邦人の『語り』のみということ。
問題は、構造も素材も不明なため、試行錯誤しているところにあった。
軽合金を使うところに、鋼鉄や木材を使ったのでは強度不足や重量超過になるのは当然。
そしてエンジンも未熟なため出力不足。
だが、それを指摘してくれる者は帝国にはいないのである……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は8月17日(土)10:00の予定です。
20240810 修正
(誤)『絹屋敷』の庭に降りる朝露が『爽やか』ではなく『冷たく』感じられるようになり、木々の色付きも深まっできた。
(正)『絹屋敷』の庭に降りる朝露が『爽やか』ではなく『冷たく』感じられるようになり、木々の色付きも深まってきた。
(誤)『より速く』『より高く』『より遠く』へ飛べるよう改良が続けられでいる。
(正)『より速く』『より高く』『より遠く』へ飛べるよう改良が続けられている。




