第十八話 それぞれの秋
ド・ラマーク領では『晩秋蚕』の世話が始まっていた。
山々の木々は、高いところから順に色付きはじめており、麓に下りてくるのも時間の問題である。
「今年のお蚕さんも今回で終わりだな」
アキラは、保存しておいた桑の葉をもりもり食べる2齢幼虫を見ながら呟いた。
気候が涼しくなるこの季節は、もうほとんど感染症の心配はない(油断は禁物だが)。
「順調に増産できているな」
繭の毎年の生産量は右肩上がりに増えており、その分ド・ラマーク領は発展している、ということになる。
もっとも、増えた税収のほとんどは領内の整備に使っており、領主であるアキラ一家の生活はほとんど変わっていない。
アキラはもともと庶民であるし、ミチアも侍女生活が長かったので、2人とも贅沢とは無縁なのだ。
そして2人の子供であるタクミとエミーもまた、生まれた時からそうした生活なので、特になんとも思っていない。
アキラとミチアも、2人をそういうふうに育てているのだ。
「旦那様、米の収穫も始まりましただ」
「おお、もう始まったか。出来はいいようだな?」
「へえ、作柄は上々ですだ」
「それはよかった。備蓄も少し増やせるな」
ド・ラマーク領では、収穫した米や小麦は非常時の備蓄も行っている(米は玄米、小麦は小麦粉として保存)。
1年を過ぎた分は放出し、その年穫れた分を備蓄する、という方法である。
高床式の倉を作り、空調も行っているので古米になっても味はそれほど落ちていない。
冷害や干害、水害が起きた場合の備えであり、過去、干害によって収穫量が3分の2ほどになった年があったが、この備蓄のおかげで餓死者を出さずに済んだという実績もある。
「うん、やっぱり『平年並み』が一番だなあ」
まずまず穏やかに過ぎた今年の気候を振り返り、ほっとするアキラであった。
* * *
一方、王都にも秋の風は吹いてきていた。
「ようやく涼しくなったな」
「飛行訓練には今が一番いい時期だろう」
訓練生たちもかなり操縦に慣れ、将来が期待できる。
そして肝心の飛行機も、『ヒンメル3』タイプが3機、『ヒンメル2』タイプが6機完成し、今現在は双発機『ルシエル1』の製作中である。
それと同時並行で『ピトー管』の開発も行われていた。
基本形は完成し、あとは圧力差を速度に換算するための実験が行われている。
これは、無風状態で一定速度を出し、その時の圧力差を確認するということの繰り返しである。
一定速度を出すのは『自動車』で行われ、今は『ヒンメル3』も使っている。
屋外で無風状態を作り出すのは困難なので、なかなか進展しないのが現状である。
そもそも、『ピトー管』の動作原理上、極端な低速つまり微妙な圧力差は計測できない。
最低でも風速5メートル、つまり時速18キロ以上が必要と言われている(携通調べ)。
現代日本ではそのあたりは改良されているらしい(技術の進歩)。
そもそも有人飛行機は時速18キロでは飛べない(人力飛行機のような特殊例を除く)ので、これで十分実用的なのである。
そして、その他の計器も少しずつ充実してきている。
水平儀は簡単にできた。が、重力を用いて鉛直方向を求めているので、機体が旋回していると遠心力による横G(横方向の重力)が加わり、実際の水平方向とずれてしまうのだ。
「うーん……穏やかに飛んでいるなら行けるんだが」
「とりあえず、空中機動時は使えないということにしますか、先生?」
「それしかないだろうな……」
ジャイロがほしい、とハルトヴィヒはないものねだりをする。
ジャイロ……超高速回転する円板は、常に一定方向を保とうとする。
つまり、超高速回転する円板を、摩擦がほとんど存在しない環境に封じられればいい……のだが、現実にそれは不可能である。
摩擦によるロスがあるので、円板の回転はいつかは止まってしまう。
そのあたりを解決する方法が、まだ見つかっていないのである。
とはいえ、これほど短期間に有人動力飛行を成功させ実用化まで持ってきたことは驚嘆すべきことなのであるが……。
「欲張りすぎるのもな……」
ハルトヴィヒはそう言って小さくため息をついた。
「当面は『ルシエル1』を成功させないとな」
双発単葉機『ルシエル1』。
これが完成すれば、長距離飛行も可能になる。
「問題は上昇限度だ」
今の複葉機では、上昇限度は3000メートル。
これは、コクピットが与圧されていないためで、高度を上げたことによる気圧の低下に操縦者がまいってしまうからである。
3000メートルで気圧はおよそ3割減、つまり酸素濃度も3割減るわけだ。
登山のようにゆっくりと高度を上げれば、人間は5000メートル(酸素濃度は地上の半分)くらいまでは順応できるようだが、飛行機で一気に上昇するのはリスクが高い。
『ヒンメル1』から『ヒンメル3』までのコクピットは与圧されていないのだ。
「ド・ラマーク領の北の山は5000メートルくらいありそうだしな……」
同時に暖房も必要になる。
ゆえに、優先順位の一番は与圧コクピット(キャビン)であった。
* * *
「うむむ……」
ゲルマンス帝国の技術者たちは頭を抱えていた。
過去に帝国に現れた『異邦人』が残した資料を参考にして『飛行機』を作っているのだが、どうにもうまく行かないのである。
「主任、これは、ガーリアとの技術交換をする必要があるのでは?」
「……しかし『交換』というからには、こちらにも優位がないと成り立たぬのだぞ」
「それはそうですが……」
「我が帝国の威信にかけても、単に教えを請うなどという屈辱は避けねばならん」
「はあ……」
帝国は帝国で、悩みは尽きないようである……。
* * *
「もうお蚕さんも3齢になったな」
「へい、旦那様」
ド・ラマーク領での養蚕は予定どおり進んでいた。
「あともう少しだが、気を抜くなよ」
「へい」
秋風の吹くド・ラマーク領。
アキラは北に聳える山々を見やった。
手前には色付いた比較的低い山があり、その向こうには白銀の雪を頂く高山が連なっている。
「いつか、あの向こうへ……」
ふと漏らしたその呟きは、誰の耳に届くこともなく、秋の空へと消えていった。
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次回更新は8月10日(土)10:00の予定です。




