第十一話 ヒンメル2
「まずは順調だな」
ド・ラマーク領で飼われている蚕たちは全て繭を作った。
「『春蚕』は全部繭としよう」
羽化させず、全部『殺蛹』しよう、とアキラは指示を出した。
「わかりました」
「あの、『殺蛹』って……?」
今年から働き始めた新人が、専門用語がわからないので先輩に尋ねている。
「ああ、『殺蛹』というのは、繭をお湯で煮たり温風を当てたりして、中の蛹が成虫にならないようにする作業さ」
「それって、中の蛹を……」
「ああ。だから『殺蛹』というんだ。……秋には、そうして犠牲になったお蚕さんに感謝する祭も開催されるんだ」
「そうなんですね」
「だから、たとえ1個でも、繭を粗末には扱うなよ?」
「はい、心に留め置きます」
養蚕が盛んな(盛んだった)地域には、たいてい蚕に関する石碑がある。
蚕神を祀る碑だったり、蚕霊碑だったりする。
道祖神(塞の神)と共に祀られている地方もある。
ここド・ラマーク領にも、絹糸をとるために犠牲になったお蚕さんたちを祀る石碑が建っている。
もちろんアキラが建てたもので、毎年秋の収穫祭には花や桑の枝などのお供え物が捧げられる。
閑話休題。
アキラとしては、養蚕に携わる者は子供から年寄りまで男女問うことなく、『お蚕様』に感謝する気持ちを持ってもらいたいと思っていた。
それがひいては自然を守り、環境を保護することに繋がっていくと信じているからである。
第2の故郷となったこの世界の自然環境がずっと保たれていってほしいと願ってやまないアキラであった。
* * *
さて王都では、いよいよ第2号飛行機『ヒンメル2』の初飛行が行われようとしていた。
パイロットは今回もハルトヴィヒ。
飛行機開発の大黒柱自らが危険を冒すのはやめたほうがいいと周囲に言われたのだが、こればかりは譲れないと強硬に主張して勝ち取ったものだ。
「先生、本当に気を付けてくださいね」
弟子の1人、アンリが心配そうに言った。
「100パーセント絶対はないが、できる限りのことはしてきたじゃないか」
「それはそうですが、不慮の事態というものはどこに転がっているかわかりませんから。……『パラシュート』のように」
「…………そうだね」
『パラシュート』。
風魔法を併用することで、低空での展開と十分な減速に成功したのはよかったが、今日になって『背負った状態では操縦席に座れない』ことに気がついたのである。
そこで今回は、仕方なく座席横に置いておくことにせざるを得なかったのだ。
「使う機会が永遠に来ないことを願うよ」
「それは私たちも全員、そう思っています」
シャルルとレイモンもまた、ハルトヴィヒの成功を願っていた。
「さて、そろそろ時間だ」
ハルトヴィヒは滑走路に佇む『ヒンメル2』を見やった。
『ヒンメル1』同様の複葉機であるが、何箇所も改良が加えられている。
一番はエンジンで、『ヒンメル1』のほぼ倍の出力を誇る。
機体もそれに見合う強度となっており、大きさも10パーセントほど増えている。
その分重量も増し、翼面荷重も『1』よりは高くなっているが、『推力重量比』は小さくなっている(正確には、推力ではなくエンジン出力なのでパワーウエイトレシオと呼んだほうがいいかもしれない)。
「それじゃあ、行ってくる」
散歩に出かけるような気軽さで、ハルトヴィヒは歩き出した。
そして搭乗用のステップと手すりを使って『ヒンメル2』に乗り込む。
操縦席に座り、シートベルトを締める。
留め具がワンプッシュで開放できるようになっていることを確認後、操縦装置の最終チェックだ。
操縦桿を前後左右に動かし、補助翼と昇降舵の動作がスムーズかどうか。
フットベダルも同様に確認し、方向舵の動作をチェック。
異常がないことを確認したら、いよいよエンジン始動だ。
ガソリンエンジンではないのでスターターは必要とせず、始動キーのロックを解除し、右にひねるという2動作でプロペラは回転し始める。
* * *
『ヒンメル2』のプロペラが回転し始めると、ギャラリー……と言っても総計12名……に緊張が走った。
ハルトヴィヒの第一期の弟子4名、第二期の弟子4名、魔法研究者スタニスラス、宰相パスカル・ラウル・ド・サルトル、魔法技術大臣ジェルマン・デュペー、近衛騎士団長ヴィクトル・スゴーらである。
「いよいよだな」
「やはり緊張しますね」
「お、ラグランジュ卿が発進合図を出したぞ」
左手を挙げ、発進の合図を出したハルトヴィヒは、スロットルを開けた。
そしてレバーを引き、ブレーキを解除する。
ちなみに『ヒンメル2』のブレーキは、ゴム片をタイヤに押し付ける形式のもの。
現代のジェット旅客機のような多層式ディスクブレーキではない。
『ヒンメル2』はするすると走り始めた。
「お、滑走し始めたぞ」
「なかなか加速がいいですね」
みるみるうちに速度を上げていく『ヒンメル2』は、たちまちのうちに離陸速度に達し、ふわりと浮き上がった。
「おお、飛んだ!」
「『2』も成功だ!」
体全体で喜びを表す第二期の弟子たち4名。
「少し重くなったが、滑走距離は短くなったんじゃないか?」
「エンジンパワーのおかげだろう」
「それもあるだろうし、プロペラの効率が上がったこともあるんだと思う」
「飛び方を見ろ。『1』よりずっと安定している」
第一期の弟子4名は、喜びを表には出さず、一見冷静に飛行の様子を分析していた。
* * *
「エンジンパワーは十分だな」
『ヒンメル2』は、20度くらいの角度で上昇中。
エンジン出力は70パーセントくらい、まだ余裕がある。
高度50メートルくらいで水平飛行に移り、大きな円を描くように横旋回。
「うん、操縦桿の重さはちょうどいいかな」
重すぎず軽すぎず、安定して飛べている。
そのまま水平ループの半径を小さくしていく。
200メートルほどもあった旋回半径が50メートルくらいまで小さくできた。
「うん、旋回性能も十分だ」
続いて上下に波を打つような機動をしてみる。
昇降舵とフラップの舵角も悪くないようだった。
ここまでで7分が経過。
テスト飛行は10分程度と決めていたので、最後のテスト……速度試験を行うことにする。
速度測定用のポールを立ててある街道へ向かう『ヒンメル2』。
「高度200メートル、スロットル全開だ」
『ヒンメル2』の速度が上がっていく。
「フラッターなし、異音なし、順調」
そして……。
「この辺が限界かな」
地表に見えるポールは50メートル間隔で立ててある。
そこから算出した対地速度は、時速150キロ。なかなかのものだ。
そしてハルトヴィヒは速度を時速100キロくらいまで落とし、飛行場へと戻ったのである。
飛行場に戻った『ヒンメル2』とハルトヴィヒは拍手で迎えられたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月8日(土)10:00の予定です。
20240601 修正
(誤)飛行機開発の大黒柱自らが危険を犯すのはやめたほうがいいと周囲に言われたのだが、
(正)飛行機開発の大黒柱自らが危険を冒すのはやめたほうがいいと周囲に言われたのだが、
20240603 修正
(誤)「ああ、『殺蛹』というのは、は繭をお湯で煮たり温風を当てたりして
(正)「ああ、『殺蛹』というのは、繭をお湯で煮たり温風を当てたりして




