第十話 パラシュート
季節が進み、山々の緑が深くなった。
蚕たちも5齢と大きくなり、桑の葉を食べる『蚕時雨』の音も賑やかだ。
「もうすぐ繭になるな」
『蚕室』を見回ったアキラが呟いた。
「今年は思い切って去年の3割増しにしたから、忙しくなるぞ」
予算が潤沢になったため、『蚕室』を増やしたのである。
餌となる桑畑は十分に面積を増やせたうえ、桑の木が育って大きくなり、葉の収穫量も増大したからこそできたのだ。
そして、
「産業革命……とはいかないけど、『ミシン』が手に入ったら、一気に消費が増えるだろうしな」
とひとりごちた。
今のところ、『紡績機』『織機』のおかげで、糸と布の生産量は年々向上している。
だが、『縫製』は、未だに手縫いで、生産量は伸びているとは言っても糸と布の生産量には追随できていない。
だからこそ、先日の王都行で『パラシュートの素材にしてください』と絹織物を寄付することもできたのである。
今のところ、ドレス1着に半月から一月掛かっているのが現実である。
「ミシンができたなら、生産効率が5倍から10倍くらいになるだろうからなあ……」
その時には、絹だけでなく、麻や木綿、毛織物も服の材料として引っ張りだこになるだろうなとアキラは予想していた。
そのため、ド・ラマーク領では、麻の栽培と羊の飼育も始めているのだ(木綿は気候が冷涼なので適さない)。
「養蚕はそうそう一気に伸びないが、麻は増やせるからな」
ここでいう『麻』は、いわゆる『リネン』である。
和名を『亜麻』といい、日本では明治から昭和初期にかけ、北海道で繊維用として生産された。
つまりド・ラマーク領の気候に適した作物である。
欠点は連作障害が起きやすいこと。
なので、他の作物……『甘大根』(てんさい)や豆類と共に輪作を行っている。
ちなみに『麻』の仲間には、リネン(亜麻)、ラミー(苧麻)、ヘンプ(大麻)、ジュート(黄麻)、マニラ麻 (アバカ)、サイザル麻 (ヘネケン)などがあるが、日本で『麻』と表記できるのはリネンとラミーだけである。
これらのうち、問題となるのはヘンプ(大麻)である。
麻薬の一種である『大麻』が得られるため規制が厳しいが、元々は神道において大麻は神聖な植物とされでいた。
お祓いに使用される神具『大麻』や、伊勢神宮のお札『神宮大麻』などにその名残がある。
蛇足だが、亜麻はアマ科、苧麻はイラクサ科、大麻はアサ科で、植物の分類上違う科に属する。
「シルクで培った技術を生かせるのがいいな」
繊維と織物の国として発展させていけたら、と願う領主アキラであった。
* * *
さて王都では、ハルトヴィヒの指導のもとに『パラシュート』の開発が行われていた。
まず、絹の端布を使い、直径50センチほどのものを作った。糸の数は8本、つまり八角形のものだ。
これを物見の櫓から落とし、デモンストレーションを行った。
「おお……確かに、減速しておりますな」
「これを使えば、高い所から落ちても大怪我をせずに済みそうです」
このデモンストレーションで、関係者全員がパラシュートの有用性を知ってくれたことになる。
同時に、糸の長さを長くするとゆっくり落下し、短くすると速い速度で落下することも実証した。
* * *
パラシュートの模型のデモンストレーションをした3日後。
飛行場に激突音が響き渡った。
「うわ……」
「バラバラだ……」
「手も足も、首も吹っ飛んでますね……」
「うん……やはりな……」
「いくらパラシュートで減速しても、着地時の衝撃は大きいんですね……」
「実験用人形でよかったな」
そう、彼らはまず、木製の人形にパラシュートを付けて実験していたのである。
落とすのは『熱気球』から。建物の最上階では高度不足なのである。
「見ていた限りでは、まず『開く』のに時間が掛かっているな。だから落下速度が増してしまい、十分に減速しないまま地表に着いてしまうようだ」
ハルトヴィヒが分析を行った。
今、熱気球がいる高さはおよそ地表から100メートル。
現在の『飛行機』が上昇できる実用的な高さである。
一方で、パラシュートで降下する最低高度は300メートルと言われている。
100メートルではパラシュートによる十分な減速ができず、脱出した操縦士が地表に激突する危険性が高い。
かといって、安全に降下するために今の飛行機で300メートルの高度に上昇するのは本末転倒である。
「できれば高度50メートルから100メートルくらいでいろいろ実験したいからな……50メートルで開くパラシュートがあればなあ」
ハルトヴィヒは悩んでいた。
アメリカで開発された『超高層ビルからパラシュートで脱出する装置』の場合、飛び降りた瞬間にパラシュートが開くという。
高度50メートル以上の階で使えるようだ。
「開かなければ開くようにすればいい」
そして、ハルトヴィヒは1つのアイデアを思い付いた。
『風属性魔法』でパラシュートを膨らませればいいと。
つまり『ハルト式推進機』の小型版を作り、パラシュートを膨らませてから飛び降りればいいのだ。
「あ、そのまま風を送り続ければ、より減速できるかもしれない」
『風属性魔法』で風を起こした場合、術者に反動は生じない。
つまり、パラシュートを開くために上に向けて風を送っても、反動で下へ押されることはないわけだ。
一方で、起こした風そのものは物体を押す力がある。
ハルトヴィヒは、この性質に着目したのである。
パラシュートの基部に『ハルト式推進機』改め『ハルト式送風機』を取り付け、パラシュートを開かせ、そのまま風を送り続けることで減速も行う。
「さっそくやってみよう」
* * *
そしてさらに3日後。
「うん、成功だ!」
高度30メートルからの降下でも、実験用人形は壊れなかったのだ。
「風魔法による減速は効果大だな」
「先生、これなら安全を確保できますね」
「うん。『ヒンメル2』の試験飛行に間に合ってよかった」
『ヒンメル2』はこの日の翌日、テスト飛行の予定である……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月1日(土)10:00の予定です。
20240525 修正
(誤)蛇足だが、亜麻はアマ科、苧麻はイラクサ科、大麻はクワ科で、植物の分類上違う科に属する。
(正)蛇足だが、亜麻はアマ科、苧麻はイラクサ科、大麻はアサ科で、植物の分類上違う科に属する。




