第九話 発展の兆し
春を迎えたド・ラマーク領では、いよいよ『春蚕』の飼育が開始された。
今は1齢幼虫……『毛蚕』が、刻んだ桑の若葉をもりもりと食べているところだ。
「新緑の季節、か」
若緑に覆われた桑畑を見て、アキラは目を細めた。
今アキラは、領内を視察していた。
昨冬は雪害もなく、食糧不足にもならず、燃料も十分足りて、困窮した家はなかったようだ。
「この調子で、領内が豊かになって発展してくれるといいな」
歩く道脇にはタンポポに似た(だがタンポポではない)黄色い小さな花がそこかしこに咲いていた。
領内といっても大きな村レベルなので、半日あれば1周できる。
今日はその半分を巡り、今『絹屋敷』に戻ってきたアキラである。
「庭の木も育ってきたな」
タクミが生まれた年に植えたリンゴの木もだいぶ大きくなり、今年は白い花をたくさん付けた。
「今年は何個か収穫できるかな」
今から収穫の秋が楽しみである。
「ちちうえー」
窓からアキラの長男、タクミが手を振っている。
「おお、タクミ、どうした?」
「ははうえが、おひるごはんですよ、って」
「ちょうどそんな時間か」
アキラは足を早め、屋敷に戻るのであった。
* * *
王都では今、評判になっているものがある。
それは『自動車』。
……というより、庶民たちの間では『馬なし馬車』と呼ばれている。
王家の紋が付いた豪華な『馬なし馬車』に乗って、近衛騎士が王城の周囲をゆっくり見回っているのである。
王城の周囲は石畳なので、サスペンションが未成熟な初期の自動車でも大丈夫なのだ。
形状は、装飾されているが軽トラックによく似ている。荷台に近衛騎士が立って乗る形だ。
運転は騎士見習いが行う。
騎士は荷台の手すりに片手で掴まり、別の手で短い槍を持っている。
馬に乗って見回るときとほぼ同じ装備だ。
この場合、剣だと地面に伏した相手には届かないおそれがある。
故に主兵装は短槍で、副装備は腰に佩いたショートソードとなる。
馬よりは揺れないし、近衛騎士ともなるとバランス感覚がいいのでよろけることも少ない。
「お、ほら、来たぞ、『馬なし馬車』だ!」
「騎士様、素敵!」
「さすが王家、馬がなくても走る馬車を所有しているとは」
反応は様々だが、概ね好評である。
* * *
ハルトヴィヒは、自動車担当のルイ・オットーと、王城の窓から『自動車』が走る様子を見ていた。
「おかげで、自動車開発の予算も増やしてもらえたな」
「はい、先生」
「ルイ、君はこれから自動車メインでやってくれ。特にエンジンをな」
「わかっています。飛行機への応用ができるようにですね」
「そういうことになる」
量産化することで品質は向上し、単価は下がることになる。
中長期的な視点で見れば、自動車の普及は飛行機の開発の基礎になるはずなのだ。
「その間に俺は歯車の製造方法を確立するつもりだ」
「あ、先日スタニスラス殿が加工用の魔法を開発されたのですね」
「そうなんだ。『弱体化』という魔法なんだが、これを使うと鋼鉄が銅くらいにまで軟らかくなる」
「すごいですね。その状態で加工して、元に戻せば……」
「ああ、かなり加工が楽になる。『差動歯車装置』も作れるぞ」
「期待してます」
真鍮であれば、以前ハルトヴィヒは歯車の切削機を作っている。
今回は、それをさらに発展させ、傘歯歯車を作れるようにするわけだ。
また、さらに精度を上げる工夫もしている。
「とりあえず『強化』の魔法は研究中だそうだ」
「そうなんですね」
『強化』よりも『弱体化』の方が先に完成してしまったのである。
スタニスラスが言うには、どうしても効果が持続しないのだという。
一時的に強化しても、せいぜい1日か2日くらいしか保たないのでは意味がない。
いやまあ、例えば切削工具を強化して加工に使う、というような使い道はあるのだろうが、工業『製品』には向かないのである。
とはいえ、部材加工が楽になった分、製作時間の短縮に役立っているのは間違いなかった。
「飛行機の方も順調だしな」
一番時間が掛かるのは『操縦士』の育成だが、先日の成功を見て、騎士団の中から、そして一般兵士の中からも希望者が出てきた。
選定の結果、4人の新人が選ばれた。
ディオン・マーカス、ジョフロワ・ベルクール、ラザール・ペルラン、レノ・トロエナンらである。
全員22歳の若手で、比較的小柄な者たちであった。
最初は『凧式』の飛行機で操縦のフィーリングを掴むところからだったが、4人とも異例の速さでマスターし、今は『ヒンメル1』で1分程度の低空飛行を行っているところだ。
「『ヒンメル2』の製作も順調だしな」
「来週、テスト飛行でしたね、先生」
「うん。『1』よりもエンジン出力が増えて、機体重量も少し増えているから、操縦のフィーリングは変わってくるだろうな」
「でも、理論上はより安定しているはずですよね?」
「速度も2割増しくらいになっているはずだからな」
『ヒンメル2』は、『1』の不満点を優先的に改良した機体である。
より安定性を重視し、風に強くするため、少しだけ翼面荷重が増えている。
その分エンジン出力を増やし速度を上げるのだ。
「もう風洞実験は済んでいるし、強度試験もクリアした」
「何がまだなんでしたっけ?」
「パラシュートだよ」
「あ、そうでしたそうでした」
前回アキラが王都に来た際に主張したものである。
飛行機には常に墜落という危険性がつきまとっている。
そのために『パラシュート』(落下傘)が必要だと強硬に主張したのだ。
問題は……。
「だけど、全部シルクで作るんでしょう?」
「そうなんだ」
恐ろしく高価なものになってしまうということであった。
「だけど、アキラの厚意を無にはできないからな」
『パラシュートを作って欲しい』と、アキラから無地の絹が寄付されたのである。
「明日から『パラシュート』のテストを行って、うまく行ったら操縦士に背負わせることになる。……使わずに済むのが一番だがな」
「そうですね」
『パラシュート』使用の一番手にはなりたくないと笑うハルトヴィヒとルイ・オットーであった。
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次回更新は5月25日(土)10:00の予定です。




