第十六話 新たな段階、新たな試み
ド・ラマーク領は、朝露が降りる季節となった。
日中の日差しはまだまだ強いが、朝夕はもう暑さとは無縁の季節。
晩夏が終わり、初秋がやって来ていた。
「『実るほど頭を垂れる稲穂かな』か……」
よく実った稲の穂を見て、アキラは呟いた。
あと10日くらいで刈り取りであろう。
この地方には台風は来ないので、収穫前に稲が倒れてしまう心配はせずともよい。
「その点は大助かりだよなあ」
現代日本では、台風シーズン前に収穫してしまおうと、早生種の作付けが盛んだったのだ。
こちらではまだそうした品種改良は行われていないので、台風が来ないというのは非常にありがたいわけだ。
「台風が来なくても水不足にならないのは、あの山のおかげかな」
ド・ラマーク領は伏流水が豊富である。
それはおそらく、ド・ラマーク領の北に連なる山脈に積もった雪が解けて伏流水となり、領内を潤してくれているのだろうとアキラは推測をしていた。
同じ理由で池や川、湖も領内には点在している。
水不足とは縁遠い土地なのであった。
「『秋蚕』も順調だしな」
既に3齢となり、桑の葉をもりもり食べている。
「こちらは任せて大丈夫だな」
「はい、アキラ様」
養蚕は職人も育ち、アキラの手を離れつつあった。
「返信もそろそろ王都に届いた頃かな」
頑張って1日で絵も含めて書き写し、王都のハルトヴィヒ宛に送ったのが5日前のこと。
「いずれトラクターもできたら嬉しいしな」
参考になりそうな技術や図面も少し送ったアキラなのである。
* * *
同じ頃、王都。
「お、もう届いたのか! アキラ、気を使ってくれたなあ!」
アキラが想像していたとおり、返信はちょうど王都に到着していた。
「ふむ……なるほど、こういうわけか……」
手紙と呼ぶには分厚いその資料を、ハルトヴィヒは何度も読み返した。
「差動装置……は後回しでもいいな。やっぱり歯車を切削する機械が必要になるか……」
真鍮を削ることはできていたが、今後はより力を加えられるよう、鉄を削れる機械を作る必要があった。
「飛行機にも必要だから……予算は下りそうだな」
エンジンが高性能になるにつれ、回転を減速してプロペラを回す必要が出てくる、とハルトヴィヒは考えていた。
であるから、歯車の製造技術は向上させておくに限るのだ。
「これをルイにも考えさせてみるか。だが、まずは『自動車』について教えないとな」
ルイ・オットー。『自動車』開発を思い付いた、新進気鋭の技術者である。
* * *
「ははあ、これが『異邦人』の世界にある『自動車』ですか!」
「正確にはそのごくごく一部、らしいけどね」
今ハルトヴィヒとルイが見ているのは『クラシックカー』に分類される自動車の情報。
「なるほど、『馬なし馬車』ですか……」
「初期はそう呼ばれていたようだな」
つまり初期、黎明期の自動車に関する情報である。
その次は自動車工学の初歩。
というか、その程度しか『携通』には保存されていないのだが。
とはいえ十分に驚異的であるようで……。
「な、なんですか、この機構は!?」
「差動歯車装置、ディファレンシャルギアというらしい。なぜ必要かはここに書かれている」
「はあ、なるほど……カーブする際、外側と内側の車輪の回転数が異なるため、それを吸収するためですね……素晴らしい!!」
ハルトヴィヒが思ったとおり、ルイ・オットーは、アキラが送ってきた資料を見て、自分で発明できなかったことよりも新技術に触れることの喜びのほうが遥かに大きいようだった。
「ははあ、変速機構……なるほど」
「エンジンの特性上どうしても必要なんだろうね」
「先生のエンジンはどうなんでしょう?」
「割合フラットだとは思う」
「ではやはり必要になりそうですね」
「そう思う」
理想は、停止から動き出す際がもっとも力(この場合はトルク)が強く、高回転になるに従って力が弱くなるような特性が望ましい。
電動モーターはこれに近いので、電気機関車・電車などは、特殊な用途を除き変速機は必要がない(減速機は必要)。
「サスペンションにショックアブソーバー……これは馬車にも使えそうですね」
「そうだね。乗り心地がよりよくなりそうだ」
「ブレーキ……ヘッドライト……バックミラー……素晴らしい完成度ですね」
「なにもない所から始めるのではなく、目標を目指して開発することになるからね」
「望むところです」
ルイ・オットーはやる気に満ちていた。
* * *
さて、ハルトヴィヒとしては、まずは『飛行機』を成功させなければならない。
飛行場は完成。
機体の設計も順調で、試作1号機の図面は完成していた。
今は材料集めの最中である。
そしてハルトヴィヒは模型実験の最終段階に入ろうとしていた。
「最初から人が乗っての動力飛行は考えていないからな」
「じゃあ、どうするんですか?」
相談相手はシャルル、アンリ、レイモンら3人である。
「有線での実験だよ」
「有線?」
「そんなことが可能なんですか?」
「ああ、可能だ」
『携通』に少しだけ保存されていた情報。
それは無線操縦が普及する以前の操縦方法だった。
2本のワイヤーで模型飛行機を操縦するそれを、『Uコン』と言う。
『Uコン』は『Uコントロール』の略。
『U』とは、2本のワイヤーと操縦者が手にする『ハンドル』で『U』の字を連想するから、らしい。
この方法では、操縦者を中心にワイヤーに繋がれた模型飛行機が円運動……操縦者を中心とした半球の表面を飛行することになる。
2本のワイヤーは昇降舵の操作のみを行うことになる。
エンジン出力は一定、方向舵は必要がない。
燃料が切れるまで飛ばすことになる。
操縦者は中心にいてぐるぐる回るので、慣れないと目を回すことになるが。
日本では1960年代後半から1970年代に掛けて模型飛行機会で競技が盛んになった。
が、無線操縦装置の低価格化により、次第に下火になる(飛行可能な広場の減少もある)。
とにかくハルトヴィヒは、『Uコン』で実験してみようと考えたのであった。
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