第十話 夏の仕事
ド・ラマーク領の蚕たちは皆、繭になった。
「毎度のことながら、『殺蛹』は胸が痛みます」
「そうだなあ……。つくづく人間は罪深い生き物だと思うよ」
蚕の繭の中には蛹がおり、そのまま放置しておくと当然羽化して成虫になる。
この時成虫は、繭を溶かして出てくるため、その繭は使いものにならなくなってしまうのだ。
そこでかわいそうだが中の蛹を殺処分する『殺蛹』が行なわれることになる。
方法は幾つかあるが、概ね乾燥させる方法が取られる。
古くは鍋で煮る方法も取られたが、繭が水分を含んでしまうので乾燥の手間が余計に掛かるため、現代日本では熱風乾燥(布団乾燥機を使うといいという)を行っている。
現在のド・ラマーク領では、ハルトヴィヒが開発した温度管理のできるハルト式温風機で『殺蛹』している。
繭の中の死んだ蛹は『サナギ粉』として釣りの餌に使われる(最近は需要も減った)他、家畜の飼料や肥料に使われる。
ド・ラマーク領では主に桑の木の肥料として使われているが、アキラとしては鯉や鱒の養殖に使えないかと検討中である。
幸い、湧き水は豊富な土地なので、冬の凍結をなんとかできさえすれば産業として成り立つだろうとアキラは考えていた。
「うーん……生け簀の一部を深くすれば、冬の間はそこに潜っていてくれるかもしれないけど、捕ろうとした時に逃げ込まれたら面倒だし……」
とりあえず構想を練るアキラであった。
* * *
領主としてのアキラの仕事は多岐にわたる。
天気がよければ領内の視察も重要な仕事だ。
「稲の生育はまずまずだな」
寒さに強い種を選別して栽培している実験田んぼには青々とした稲の葉がそよいでいた。
田んぼの次は『い草』の栽培池へ。
こちらにも青々としたい草がすくすく育っていた。
「春に播いた小麦も育っているし、順調だな」
ド・ラマーク領は冬が厳しいので、秋に小麦を播いても、冬の間に半分が駄目になるため、収穫量が少ないのである。
そして山中の沢へ。
「わさびは順調だけどな」
3年もの、5年もののわさびが大きく葉を広げ、花を咲かせていた。
「高級品だから高く売れるが、いかんせん量が採れないのが玉に瑕だな」
平地は田んぼにしようとしているので、わさび田は山間部にしか作れない。
高く売れるとはいえ、やはり食料となる穀物が優先なのであった。
そうして1日領地を回ったアキラは、翌日からは6日ほど机仕事。そしてまた1日領地を視察……というようなローテーションを組んでいるのだった。
本格的な夏はすぐそこまで来ていた。
* * *
「……よし……! この方向性だな……!」
王都のハルトヴィヒは、『風魔法式タービンエンジン』(仮称)のトルクアップに励んでいた。
いくらトルクが少なくても構わない航空機用エンジンとはいえ、プロペラを回せないほどトルクがないのでは話にならないからだ。
案としては3通り。
タービン(羽根車)の径を大きくすることと、タービンの枚数を増やすこと、そしてタービンの段数を増やすことだ。
大きくする方向性には限界がある。また、大きくしすぎると回転数も落ちてしまう。
枚数の方は、バランス取りと重量増加がネックだが、それ以上に効果が大きかった。
実際の蒸気タービンでも、羽根車の羽根の数は多く、扇風機のように3枚4枚ではない。数十枚はあるであろう。
蒸気を吹き付けるノズルも4つ以上設けることで力強さを増せることもわかってきた。
ここでハルトヴィヒが開発しているタービンは『衝動タービン』もしくは『反動タービン』と呼ばれる形式(水車のように、羽根に噴流を当てる)で、ジェットエンジンのような軸流タービン(ガスが軸平行方向に流れるもの)ではない。
回転軸に取り付けた円板の周囲に水車のように羽根を36枚取り付けた羽根車に向け、4箇所から『風魔法』で発生させた噴流を当てる。
これを2段、3段と増やすことでさらにトルクを増すことができる。
ハルトヴィヒが試作したのは直径30センチの羽根車を2段連結、噴射ノズルが各段に4箇所というものだったが、最大回転数毎分約2500回転、最大トルク約1.2キログラムメートルが得られた。
これは50ccのエンジン並のトルク(回転数は違う)である。
回転数としては、減速機を使わない(使えない)ので、ちょうど手頃な値といえた(セスナ機のプロペラ回転数がそのくらい)。
ちなみに、プロペラ径が大きくなればなるほど、回転数は落とさなければならない。
というのも、プロペラ先端の対気速度が音速に近くなると効率が落ちるからだ。
ゆえに爆撃機のような大型プロペラの回転数は毎分750回転くらいに落とさねばならない。
現代日本の航空機はその大半が歯車によって減速しているが、ハルトヴィヒはエンジン直結で行くつもりだった。
それは、減速機構分の重量増加を避けたいこと、手頃な回転数のエンジンを作れそうなこと、そして一番はそこまで精密な歯車機構を作るのは困難であることが理由だ。
参考までに、セスナ機のプロペラ回転数は毎分2000から2500回転くらい、馬力は145馬力くらい。
ハルトヴィヒの試作は、馬力=トルク掛ける回転数(毎分)掛ける0.00136(定数)なので4.08馬力となる。
ライト兄弟のフライヤー1号機が4000ccのエンジンで12馬力だったことを考えるとなかなか優秀である。
蛇足だが、トルクの測定法として、回転軸に付けた棒ばかりで測っているので全て『停動トルク』(停止した状態から回りだそうとしたときのトルク)であるため、現代のガソリンエンジンとは直接比較はできない。
「直径を倍にすればトルクも倍にできるだろう。2段を4段にすればこれもトルクを倍にできるだろうから、都合4倍。16馬力くらいか……もう少し欲しいな……」
そのために、風を吹き付ける噴射ノズルを、1.5倍の6箇所に増やしたらどうかと考えたハルトヴィヒは試作エンジンを改造し、実験を行った。
「おお、思ったとおりトルクが1.5倍に増えたな」
トルクがおよそ1.8キログラムメートルまで増えたのである。これなら24馬力を得られる……かもしれない。
「だが、回転数が落ちそうだな……そこは回転軸にベアリングを入れるか」
精度はあまりよくは(現代日本の製品と比べて)ないが、入れると入れないとでは回転の抵抗が違うだろうとハルトヴィヒは考えたのだ。
そうした『風魔法式タービンエンジン』(仮称)の試作2号機を作り始めたハルトヴィヒである。
* * *
さて、エンジンばかり作ってもいられないのがハルトヴィヒの辛いところ。
技術者の育成という重要な仕事が待っているのだ。
『航空力学』の初級講座も終わり間近。
ちなみにシャルル、アンリ、レイモンの3人が講義のトップ3である。
「先日に続き、『風洞』で模型がどのような挙動をするか確認しよう」
これは講義であると同時に、製作予定である飛行機のチェックにもなっている。
「前回は単葉機だったが、今回は複葉機での実験だ」
ハルトヴィヒ自身、単葉機と複葉機の特性の差を知っているわけではない。
ただほんの少しだけ基礎知識が多いだけで、風洞では学生たちと一緒になって実験をしている。
「やはり複葉機で問題になるのは主翼の後方にできる乱流ですね」
「そうだ。この乱流の中に尾翼が入ると、主に昇降舵の効きが悪くなる」
そのため、上下の主翼の間隔を開け、真中付近の高さに水平尾翼が来るように設計するのがよさそうだ、というのがこの日の結論であった。
王都の空を飛行機が飛ぶのはいつのことであろうか……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は11月18日(土)10:00の予定です。
20231111 修正
(誤)「そうだなあ……。つくづく人間は罪深い生き物だとつくづく思うよ」
(正)「そうだなあ……。つくづく人間は罪深い生き物だと思うよ」
(誤)そこでかわいそうだが中の繭を殺処分する『殺蛹』が行なわれることになる。
(正)そこでかわいそうだが中の蛹を殺処分する『殺蛹』が行なわれることになる。
(誤)噴射ノズルが格段に4箇所というものだったが
(正)噴射ノズルが各段に4箇所というものだったが
(誤)「そうだ。この乱流の中に尾翼が入ると、主に昇降舵の機器が悪くなる」
(正)「そうだ。この乱流の中に尾翼が入ると、主に昇降舵の効きが悪くなる」
* 回転数表記を毎分n回転、と修正
(旧)蚕の繭の中には蛹がおり、そのまま放置しておくと当然羽化して成虫になる。
(新)蚕の繭の中には蛹がおり、そのまま放置しておくと当然羽化して成虫になる。




