第七話 夏の始まり
ド・ラマーク領の初夏は、平均気温摂氏20度くらい。湿度は低く、昼も長く、1年で最も過ごしやすい季節である。
ジューンブライド……6月の花嫁が幸せになれるというのは欧州の伝説で、この頃が1年で最もよい季節だからという説がある。
日が長く、爽やかな気候に挙式……確かに幸せなのかもしれない。
一方、日本では梅雨の季節で、必ずしもいい季節とはいえない。むしろ旧暦の6月の方が晴天率はよさそうだが、今度は蒸し暑くなる。
同じヨーロッパでも南の方では5月の方が陽気がよい国も多い。
……などということを、アキラは窓の外を見ながら漠然と考えていた。
「そういえばドイツ語で『限りなく美しき……』何だっけな?」
アキラは懸命に思い出そうと努め、
「そうだ、『Im wunderschönen Monat Mai』だったっけな」
とようやく思い出した。
『イム・ヴンデルシェーネン・モーナト・マイ』、『限りなく美しき5月の月に』と訳される、ハイネの詩のタイトルである。
いと美しき5月、すばらしき5月、うるわしの5月などという訳もあるが、アキラは『限りなく美しき5月の月に』という語感が好きであった。
蛇足ながら、『wunderschönen』=驚異的に+美しい(wonder+beautiful)、『Monat』=月(month)、『Mai』=5月(May)である(カッコ内は英語)。
閑話休題。
「ド・ラマーク領は6月がいいなあ」
……とアキラは感じていた。
今更だが、ガーリア王国は四季制で『春季』『夏季』『秋季』『冬季』で分けられている。
そんな中、アキラはせめて『絹屋敷』でくらいは、と非公式ではあるが12ヵ月に分けていた。
非公式なので日記くらいにしか使えないが(例:春季の36日、5月2日)。
そんな爽やかな初夏、アキラは滑走路予定地を見に来ていた。
「うーん、少し進んだかな」
生えていた灌木が取り除かれ、転がっていた大岩がどかされている。
地面の起伏はまだ残っているが、見通しは非常によくなっていた。
王都と違い、労働力に限りがあるため、進み具合は遅々としている。が、確実に進んでもいる。
「これはこれはアキラ殿、まずまず順調ですよ」
ティーグル・オトゥールがアキラに気付き、寄ってきた。
「幅50メートル、長さ300メートルの滑走路です」
「え? 少し大きくないか?」
長さは200メートルの予定だったはず、とアキラは尋ね返した。
「ええ、その予定でしたが、ここの土地が思ったよりも開墾しやすかったので、将来性を考え、少しだけ広くしてみました。費用も日程もオーバーすることはありませんのでご安心を」
「そういうことなら、まあ」
滑走路が広くなる分には文句のないアキラであった。
* * *
王都の初夏は暑い。
「そろそろ作業効率が落ちるな」
人夫も人間である。暑いとやはり作業効率は落ちざるを得ない。
とはいえ、動員できる人数が多いので、既に地ならしは終えていた。
「ここから砕石舗装だな」
過去に『異邦人』が伝えたと言われる『砕石舗装』。
『マカダム舗装』『マカダム工法』とも言われ、砕石を突き固めて舗装する工法である。
砂利とは違って砕石は突き固めると互いに噛み合って強度が出る。
透水性もあるため水溜りもできにくい。
欠点はやや滑りやすいことだが、滑走路にはかえって好都合であろう。
適当な岩をハンマーで砕いて選別し、大きな砕石は底に、小さめ(とはいっても最大粒径25ミリ程度)を上にして敷いていき、突き固める。
できれば専用のローラーが欲しいが、それはガーリア王国では人力で曳くローラーで間に合わせざるを得ない。
「だが、進捗状況は十分だ、予定より5パーセント早いのは天候に恵まれたからだな」
いい天気が続けば、土木工事は作業日数が多く取れるので作業が進展するのだ。
土木技術者ヨシュア・トキカは広い飛行場ができていく様を見て満足そうに笑みを浮かべたのであった。
* * *
そしてハルトヴィヒである。
風魔法を利用した『内循環タービンエンジン』……つまり外部に風を漏らさず、エンジン内だけで循環させてタービンを回す方式……は回転数は高いがトルクがなく、プロペラを回すには不十分だということがわかった。
「考えてみれば、それだけの力のある風を送り続けられるなら、『ジェット』もしくは『ロケット』エンジンが作れるよなあ……」
『ジェットエンジン』『ロケットエンジン』については、『携通』で原理を知っていた。
「多分……『力学』の法則からいって、タービンを回してプロペラを回し、その風で空を飛べるなら、そのタービンを回す力で直接空を飛ばすこともできるはずだよな……」
ハルトヴィヒの予想は正しい。この場合、タービンエンジンの効率が100パーセントだとするなら、タービンを回す風魔法の力は飛行機を飛ばすことが可能である。
そして、風魔法では人一人を吹き飛ばすのがやっと。到底飛行機を飛ばせるとは思えなかった。
さらに、きちんと制御できるかどうか、も未知数である。
「多分、短期間には無理だな」
ということでハルトヴィヒは『風魔法式内循環タービンエンジン』の案は没にしたのである。
代わりに、
「空気じゃなく液体だったらどうだろう?」
と考え始めた。
水属性魔法に、『《ハイドロジェット》(hydrojet)』というものがある。
水辺で使う魔法で、水の噴流を相手に叩きつけるものだ。水の勢いはおそらく時速100キロを超えている。
「これなら、空気より重いからトルクも十分だろう」
水を噴射して飛ぶわけではないから、『水魔法式内循環タービンエンジン』として使えば、エンジン内に収まる水の重量だけなので大したことはない。
「水よりも油のほうがいいかな?」
そして、水ではサビを生じさせるおそれがあるので油を使いたいとハルトヴィヒは考えたのだが……。
「油って、固まるものと固まらないものがあるよな?」
……ということに気が付いた。
「これはロッテに聞いたほうが早そうだ」
魔法薬師のリーゼロッテなら詳しいだろうと、ハルトヴィヒは愛妻の部屋を訪ねた。
「油? そうね、いろいろあるわよ」
油、特に植物油には『乾性油』と『不乾性油』がある。
空気中の酸素と反応して固まるものが乾性油、固まらないものが不乾性油だ。中間的な性質の『半乾性油』というものもある。
木材に塗り込んで艶を出したり防水効果を期待するものが乾性油。アマニ油とか桐油、胡桃油、ひまわり油、紅花油などがそれだ。油絵にも使われる。
不乾性油はオリーブ油、落花生油、椿油、菜種油など。
「潤滑なら菜種油ねえ……でも、保存性には限界があるわよ」
「そうだろうな。でもまずは手に入るものを使ってみるよ」
今後、もっといいものが手に入るかもしれないし、入らないかもしれない。
それなら、今の手持ちでチャレンジしてみる、とハルトヴィヒは言ったのだった。
いよいよ、彼のエンジン作りが始まる……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は10月28日(土)10:00の予定です。
20231021 修正
(誤)ここの土地が思ったよりも開梱しやすかったので、
(正)ここの土地が思ったよりも開墾しやすかったので、




