第六話 1歩前進
ド・ラマーク領も晩春となり、新緑の眩しい季節となった。
蚕たちはすべて繭となり、1回目の収穫の時を迎えている。
「今年の繭も品質は上々だな」
繭の出来を確認して回っているアキラは満足そうに頷いた。
ここ数年、繭の生産量は右肩上がりに増えている。
当然生糸と絹織物の生産量もそれに比例して増加していた。
作業者もそれに応じて増え、それを監督する技術者たちも増え……と、ド・ラマーク領は活気付いている。
人が増えれば消費と需要が増える。その増えた需要を満たすために供給量を増やすことで、経済が活気付いて景気がよくなるのだ。
とはいえアキラはインフレもバブルも(聞いて)知っているので、手放しで喜ぶことはせず、己のできる範囲で管理していこうと思ってはいる。
経済には疎いのであるが……。
「とにかく、急激な変化は避けたいよな」
そう考えながら日々を過ごしていたりするアキラであった。
* * *
タクミは模型飛行機が気に入ったようで、部屋の中でも飛行機を飛ばしたいとごねた。
そこでアキラが『折り紙飛行機』の作り方を教えてやったところ、『絹屋敷』の廊下で飛ばして遊んでいる。
できるだけ真っ直ぐ飛ぶように調整し、廊下の端から端まで飛ばせるようになったのは3日後のことであった。
「タクミは手先が器用だな」
「そうですね。もう少し大きくなったら、モノづくりの技術を教えたらいいかもしれません」
「そうだな」
ミチアと顔を見合わせ、アキラは微笑んだ。
この子はどんな大人になるのだろう、とアキラは少し楽しみであった。
* * *
「とりあえず、建物が完成したぞ!」
王都では『風洞』が完成していた。
完成した風洞内部の大きさは、高さ10メートル、最大幅20メートル、奥行き30メートルのカマボコ型の屋根を持つ、レンガ造りのしっかりした建物だ。
壁の高さは5メートル。そこから上はアーチ状の屋根だ。
カマボコ型……すなわちアーチ状の屋根にしたのは、内部に柱を立てられないからである。
柱があると気流が乱され、実験の正確さが損なわれるからである。
「これはいいですね」
「で、あろう? ハルトヴィヒ君」
魔法技術大臣ジェルマン・デュペーも嬉しそうである。
「この大きさでしたら、実物大の模型を入れた実験ができます」
「あとは風を吹かせるための魔法道具だ。そちらももう8割方完成している。来週には据付も終わるはずだ」
「では、実験も始められますね」
「うむ、楽しみだよ」
ハルトヴィヒも、構想中の機体のテストができるというのは非常に楽しみである。
「来週までに、実験用の模型を用意します」
「楽しみにしているよ、ハルトヴィヒ君」
* * *
ハルトヴィヒの仕事はそれだけではなく、『航空力学』の講義もやらねばならない。
シャルル、アンリ、レイモンの3人を含めた技術者候補たちは意欲十分。
1人も欠けることなく講義に出席している。
「……というわけで、垂直尾翼についている『方向舵』だが、これは飛行機の飛ぶ方向を決めるものではない」
「ええ?」
機体の向きと進行方向は、必ずしも一致しない。
船の舵に似ていて、旋回しそうに思えるが、そうではない。
小さな模型ならいざしらず、方向舵を切っただけでは、実機ではなかなか曲がらず、機首の向きを変えたまま飛び続ける……らしい(携通調べ)。
「では、何を決めるものなんですか?」
「機体の向きだよ」
機体の左右方向の偏向を『ヨー(Yaw)』という。
「では、順を追って説明しよう。……旋回するためには機体を傾けなければならない」
「はい」
「右に旋回するなら、右側のエルロン(補助翼)を上げ、左側のエルロンを下げる」
こうすることで右翼の揚力が減り、左翼の揚力が増える。結果、右が下がって左が上がる。
そうすると、機体は右側へ横滑りを始めようとする。つまり、右向きの力が発生する。
これが求心力となって機体は右へと旋回するわけだ。
「ただし、それだけではうまくいかない」
左翼の揚力が増えたということは、抗力も増えるということである。
右翼の揚力が減るということは、抗力も減るということである。
これは、翼の迎え角が変化したことと同義と考えると感覚的にわかりやすい。
「抗力が増えた左翼側は速度が減り、逆に右翼側は速度が増す。……すると、どうなる? シャルル、わかるかい?」
「……機体が左を向きます」
「正解だ。……右に曲がりたいのに、機体は左を向いてしまう。さあ、どうする? ……アンリ?」
「あ、それで方向舵を右に切って、機体の向きを直すんですね!」
「そのとおりだ」
このように、飛行機の操縦はなかなか一筋縄ではいかない……らしい(携通調べ)。
余談だが、アキラは模型飛行機に一時凝っていたことがあったので、こうした航空力学に関する入門的な情報を携通に保存していたのである。
* * *
そして今日も今日とて、ハルトヴィヒは『エンジン』の構想を行っている。
今検討してるのは『タービン式エンジン』だ。
要するに風車を回す要領でエンジンを回すのである。
「うーん、回転は速そうだけどトルク(回転力)がなさそうだな」
空気で回すのだから当然の問題点である。
「待てよ?」
トルクがないのは、空気という軽い媒質を使っているからだ、とハルトヴィヒは気が付いた。
「なら、水とか油を使えばいいんじゃないか?」
潤滑を考えたら油がいいかもしれない、とハルトヴィヒは考え始めるのだった。
* * *
「さあ、次は『夏蚕』の準備だ。みんな、頼むぞ」
「はい!」
繭を収穫した後、蚕室の窓を全部開けて風を入れ、内部をきれいに掃除し、念を入れて《ザウバー》の魔法で除菌する。
そして再び『毛蚕』でいっぱいになる日も近い。
ド・ラマーク領の夏はもうすぐそこまで来ていた。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は10月21日(土)10:00の予定です。
20231014 修正
(誤)このように、飛行機の操縦はなかなか一筋縄ではいかない。……らしい(携通調べ)」
(正)このように、飛行機の操縦はなかなか一筋縄ではいかない……らしい(携通調べ)。
(旧)人が増えれば消費と需要が増え、需要が増えれば供給が増え、景気がよくなるのだ。
(新)人が増えれば消費と需要が増える。その増えた需要を満たすために供給量を増やすことで、経済が活気付いて景気がよくなるのだ。




