第一話 まずは滑走路から
ド・ラマーク領にも春が来た。
平野部の雪は大半が消え、黒い土のあちこちからは若草が芽吹き始めていた。
風にも温もりが感じられ、芽をふくらませた木々の梢では鳥たちがさえずっている。
『絹屋敷』も養蚕の準備に忙しい。
桑の葉が採れるようになるにはまだ半月ほど掛かりそうなので、今は『蚕室』の清掃と『蔟』のチェックだ。
時間がある時にやっておくと、いざという時に慌てなくて済む。
忙しい季節はもうすぐそこであった。
* * *
そしてド・ラマーク領には、もう1つ大事業が始まろうとしていた。
飛行場の整備である。
もちろん予算は国から出ており、アキラが懐具合を気にする必要はなかった。
場所は既に決まっている。『絹屋敷』の北に広がる荒れ地だ。
大小の岩がゴロゴロした砂礫質の土地なので利用価値が低い。
周りよりもやや高く、水はけがよすぎるため作物が育ちにくいのだ。
生えているのは乾燥に強い草類が少し。
北西の風が吹くことが多く、滑走路にはもってこいである。
風は大事。
飛行機が飛ぶためには主翼に揚力が発生しなければならない。
そのためには主翼に対向する気流が必要である。
無風状態だと、自力で気流を発生させるためにより速く滑走する必要があるわけだ。必然的に滑走距離が長くなる。
ここで『向かい風』である。
仮に離陸するための速度が時速50キロとする。
無風状態なら機体が滑走する速度は時速50キロが必要。
が、時速20キロの向かい風があれば、機体は時速30キロで離陸できることになる。
そして時速20キロの風とは風速5.6メートル。風力は4相当(ビューフォート風力階級では4で『和風』と呼ばれる)。
ゆえに滑走路には安定した風が吹くことが望ましいのだ。
ちなみに『航空母艦』も、風上に向かって航行することで、搭載機の滑走距離を短くしている。
そんな滑走路をド・ラマーク領にも建設しようというのであった。
* * *
領主補佐のアルフレッド・モンタンとアキラは滑走路の建設予定地にやってきていた。
「やはりここは北西風が多いな」
「はい、アキラ様」
国からの援助がなくとも、滑走路をなんとかしたいと思っていたアキラは、昨秋から観測を続けていたのである。
それによると当該地に吹く風向きは北西風が最も多いことがわかった。
周辺の住民からの聞き取りも同様である。
ただ、真夏はほぼ無風になるらしい。
「無風は仕方がないな。ならば滑走路は南東から北西に向けて整備しよう」
「はっ」
「予定どおり、200メートルでいこう。ただし、拡張性は考えてな」
「はっ、承知しております」
参考までに、『ゼロ戦11型』の滑走距離は198メートル、離陸速度は時速119キロである。
その前の世代の複葉機は50メートルくらいらしい。
また、プロペラ式の旅客機になると1000メートルを必要とするものもあるらしい(携通データ、詳細は不明)。
そこで第1次工事として滑走路は200メートルとしたアキラなのである。
将来的に延長できるだけの余地を残して……。
工夫は近隣の村から募った。もちろん賃金は国からの予算に含まれている。
現場監督は王都から来た『ティーグル・オトゥール』。土木工事のエキスパートである。
数年前の王都行でアキラが報告した『砕石舗装(マカダム舗装)』をマスターし、十数箇所に施したベテランの技術者でもある。
「やあ、アキラ殿」
そのティーグルが、アキラとアルフレッドを見つけ、近寄ってきた。
「測量は順調ですよ」
「そのようだね」
『三角測量』とはいかないが、辺の長さが3:4:5の紐を使うことで直角を出し、『方位磁石』を使うことで方角を決めることができる。
この2つを駆使し、ティーグルは予定地に杭を打ち込み、工事エリアを決定していた。
「見てください。風向きに合わせ、幅50メートル、長さ200メートルのエリアを規定しました」
「うん、楽しみだ」
「次はそのエリア内を平らに均していきますので」
「頼むよ」
「お任せください。この滑走路に『飛行機』がやってくる日が今から楽しみですよ」
ティーグル・オトゥールもまた、王都での『飛行機』デモンストレーションに魅せられた1人だった。
『ライトプレーン』が通路の床を滑走し、中庭の空へと舞い上がるのを見て、この大事業に参加したいと決心したのである。
ちなみに、彼の同僚でライバル的な土木技術者ヨシュア・トキカは王都で飛行場を建設中である。
王都の飛行場はド・ラマーク領に比べより大きくやりがいもあるのだが、『異邦人』で『飛行機建造』の提案者でもあるアキラの下で働くことをティーグルは選んだのであった。
* * *
「ここなら十分だろう」
「ああ、いいですね。拡張性もあります」
そのヨシュア・トキカは王都パリュの西郊外に飛行場を建設中である。
今はハルトヴィヒと共に、滑走路の方向と大きさを決めているところだ。
土地としては『練兵場』。王国の国有地なので問題なく転用できるのだ。
「方向は南北ですね」
「そうだろうな。このあたりでは春から夏は南風、秋から冬は北風が吹くからな」
季節の風向きによって滑走方向を変えればいい、とヨシュアは言った。
「それでいいと思います。では、こちらはお任せしてよろしいですか?」
「おお、任せてくれ。その代わり、必ず空を飛ぶんだぞ?」
「ええ」
* * *
王都とド・ラマーク領、双方で滑走路の建設が始まる。
『飛行機の時代』はこの年に幕を開け、急激に進んだ、と後世の歴史家は書くのであろうか。
その始まりが、『ミシンを探すために遥かな他国を目指す』という動機であることは、多分書かれることはないであろう……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月16日(土)10:00の予定です。
20230909 修正
(誤)(携通データ、詳細は不明)・
(正)(携通データ、詳細は不明)。
20230910 修正
(誤)無風状態だと自力で気流を発生させるために滑走する必要があるわけだ。
(正)無風状態だと、自力で気流を発生させるためにより速く滑走する必要があるわけだ。必然的に滑走距離が長くなる。
(誤)今はハルトヴィヒと共に、滑走路の方向を大きさを決めているところだ。
(正)今はハルトヴィヒと共に、滑走路の方向と大きさを決めているところだ。




