第二十一話 屋敷の外と商人との出会い
一夜明ければ、商人がやってくる、という日である。
「この館に直接やって来るのかい?」
アキラがミチアに尋ねる。その疑問ももっともなこと。半月に1度来る、という割に、アキラは商人を見たことがなかったからだ。
「いえ、違います。館には注文した品だけを納品に来るだけで、商人は大旦那様が許可された市場に店を出します」
ミチアが説明してくれた。
「マルシェ?」
聞き慣れない単語に、アキラは聞き返した。
「はい。市場というのは、商人が商品を展示して、買う人がそれを見て商品を買う広場です」
本来の意味での『市』『市場』として『マルシェ』が設置されているようだ。
「なるほどな。そこへ近隣の住民も買い物をしに行くのか」
「そういうことですね。あ、外部から来る商人だけでなく、村の人も届け出さえ出せば店を開けるんですよ」
いわゆる『楽市』もしくは『フリーマーケット(フリマ)』に近い運営をされているようだ。
「普段は閑散としていますけど、外から商人が来る2日間だけは賑やかになります」
「ふうん」
市場そばには商人専用の宿泊施設もあるとのこと。
こちらの世界に来てからこの方、『蔦屋敷』の敷地内から外に出たのは桑の葉を探しに行った時くらいだったアキラは、遅ればせながら屋敷周辺の地理に興味を持ち始めた。
「昨日のうちに到着して、今日は朝からお店を開く準備しているはずですよ」
だから今行けば、空いている市場を見て回ることができる、とミチアは言った。午後になると人出が増える、とも。
「そっか。じゃあ、これから行ってみるかな。ミチア、案内してくれるかい?」
「はい。一応セヴランさんに断ってから出かけましょう」
「わかった」
もちろん、駄目と言われることはなかったため、アキラはミチアの案内で市場へ行ってみることにした。
研究室にいたハルトヴィヒとリーゼロッテにも声を掛けたのだが、
「僕らはもう少し後から行くよ」
「2人で行ってきなさいよ」
という答えが返ってきたのであった。
「そうする」
「あ、そうそう、ミチア、ちょっと」
「はい?」
アキラが身を返して出て行きかけた時、リーゼロッテはミチアを呼び止めた。
「……たまには甘えるといいわよ? 何かおねだりしてみるとか」
「……!!」
リーゼロッテに小声でささやかれたミチアは少し赤面し、アキラの後を追ったのだった。
そんな風に2人は『蔦屋敷』をあとにしたのである。
* * *
屋敷の南側、正門を出て真っ直ぐ南下していく。道の両側は緩やかな起伏を描く草原で、所々に灌木や広葉樹が生えている。
今はすっかり冬の色だが、春になれば一面緑に覆われるだろう。
右手側、つまり西側の奥には芽を出したばかりの麦畑が広がっている。
この日は晴れているが朝はかなり冷え込んで、降りた霜が日陰に残っている。息が白い。
ミチアは薄い外套を羽織っていた。アキラは前侯爵から借りた、茶色い毛皮の外套だ。
「このあたりは、雪は降るのかい?」
「降りますけど、一冬に2、3回ですね。降ってもうっすら積もるくらいですし」
「そっか」
ミチアは、物珍しそうにきょろきょろしながら風景を見ているアキラを気遣って黙っているが、質問が出ればその都度答えていた。
10分も歩くと道の両側は野菜畑となり、ぽつぽつと冬野菜が育っていた。
「あれはネギ類ですね」
ひときわ鮮やかな緑を指さしてミチアが言った。
やがて道は大きな川に突き当たった。屋敷の東側を流れる小川もこの川に合流するようだ。
「ソーヌ川って言います」
当然橋が架かっているが、この橋は石造りであった。
「『異邦人』の方から学んだ工法で造られたそうですよ」
「へえ……」
確かに、どこか見たことのあるような造りであった。
その橋を渡れば目指す村の中心部だ。道も広くなり、中央通りといった趣になる。
「このまま街道を南下すれば町です」
と、ミチアが教えてくれた。
その中央通りの東側、ソーヌ川と中央通りに挟まれた場所が市場であった。
その反対側に建つ少し大きめの家がこの村の村長宅だそうだ。
「そういえば、この村は何ていう名前なんだ?」
「あ、『ブリゾン村』といいます。村長さんはブノワという方です」
そんな話をしながら、アキラとミチアは市場の広場へ足を踏み入れた。
「おや、ミチアさん、早いですね」
「ああ、ローランさん」
「こちらの方は?」
「えっと、大旦那様のお客様で、アキラ様と仰います。……アキラ様、こちらはローランさん、町の商人さんです」
「アキラです」
「トマ・ローランと申します。以後、よろしくお願いいたします」
ローランという商人は30代後半くらい。茶色の目に焦げ茶色の髪、平凡な容姿の中肉中背の男だった。アキラは彼から誠実そうな印象を受けた。
「今日はアキラ様にこの付近を案内しているんです。ちょうど市が立つのでいいと思いまして」
「なるほどなるほど。……アキラ様、大したものもありませんが、見ていってください」
ローランが先に立ってアキラとミチアを案内していく。その先には、折りたたみ式の台が多数置かれ、その上には商品が並べられていたのである。
「こちらは調味料、こっちは日用品、あちらは衣料になります」
ローランの説明を聞き、アキラはまず一番近い調味料を眺めることにした。
「これは塩、これは砂糖かな。……これは何ですか?」
牛乳瓶ほどの大きさの瓶に入った透明な液体がアキラの目に付いた。
「ああ、それはグリセリンですね。ご存じですか?」
「グリセリンか!」
量は少ないが、注文しようと思っていたグリセリンが見つかった。
「これをください。いくらになりますか?」
「そうですね。正直言いますと売れ残りですのでお近づきの印に、一瓶3フロンにさせていただきます」
「ありがとう」
3フロン、つまり300円ほどだ。この値段なら、化粧水として十分に引き合うだろう。
「……もしお差し支えなければ、どういう使い方をされるかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
金を払い、瓶を受け取ったアキラにローランが尋ねてきた。
「……どうしてそんなことを?」
尋ね返したアキラに、ローランは微笑んで答える。
「これだけの量ですと甘味料として使うには足りないと思うんですよ。何か変わった使い方をされるのではと思いまして」
なかなか鋭い勘をしている。これが商人か、と思わなくもない。
「ええと……」
答えかけたアキラの脇腹を、ミチアがそっとつねった。それでアキラははっとして、
「そうですね……今のところ、お話しできないんです」
と、返答を濁したのである。
「わかりました。残念ですが、仕方ないですね」
微笑みを崩さずにローランは答えた。
それからアキラは衣料を見て、冬用の外套とマフラーを購入する。
今は前侯爵から借りたものを着ていたので自分の気に入ったものを買えたのはよかった。
「お似合いですよ」
スノーウルフの毛皮だという、銀灰色の外套だ。
「ああ、これもいいな」
アキラの目に止まったのは真っ白な毛皮の外套。
「ミチアに似合いそうだ」
手に取って、ミチアの肩から掛けてみると、丈もちょうどいい。
「え、あ、あの、アキラさん!?」
「これももらいます」
「ありがとうございます。お目が高いですね。それはスノーフォックスの毛皮ですが、脇に傷があってお安くなっています」
村に持ってきているものなので、買えないほど高価なものは持ってこない、というわけだ。
それはそうだろうな、とアキラは思う。
売れそうにない品物を運んできてまた持って帰る、というのは無駄以外の何ものでもないからだ。
このスノーフォックスの外套も、腕を高く上げない限り傷は目立たないのでまさにお買い得と言える。
「……あの、……ありがとうございます」
屋敷へ帰る間中、俯いて頬を染めっぱなしのミチアであった。
帰ったあと、彼女がメイド仲間に盛大にからかわれたのは言うまでもない。
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次回更新は5月13日(日)10:00を予定しております。




